Reunion1 憧れの君
信乃の笑顔は珍しいとはいえ、見たことがないわけではない。そう頻繁に見ることができないので、見ることができた日は、ラッキーな気持ちになる。
笑顔以外にも、珍しい信乃の表情を見ることができる事は、涼にとってはうれしいことだった。
けれど、昨日から見る信乃の表情は、涼を不安な気持ちにさせた。それはまるで……泣き出す寸前みたいな表情で、見ていると涼までなんだか切ない気持ちになってしまうのだ。
「一ノ瀬涼!」
突然名前を呼ばれて、涼は「はいいっ!?」と、飛び上がった。
「高校生活第一日からボケッとしているとは、ずいぶん余裕だな!」
クラス担任の言葉に、周囲からクスクスという笑いが起こる。
入学式後の学活の時間であり、気がつけば、担任が一人ひとり名前を確認しながら点呼している最中だった。
涼は頭を掻き、ちらりと教室の後ろを振り返る。
そこには、今日参列した保護者がずらりと並んでいて、岩手から日帰りで入学式へやって来た涼の母親の姿もあった。目を大きく見開いて口をへのじに曲げ、肩をすくめていたが、涼が小さく舌を出して頭を下げてみせると、呆れたような笑顔になる。
「起立」
「礼」
出席番号一番の生徒が号令をかけ、無事に高校生活第一日目が終了した。
遠方からやってきた保護者の中には寮に一泊していくものもいるようだが、それはほんの一握りだ。
涼の母も、このまま岩手にとんぼ返りをする。
涼は母親を校門まで見送ろうと、一緒に教室を出た。
階段に差し掛かった時だった。
「先輩!」
階下からこちらへ登ってくる安部信乃を見つけた。
「涼くん……あの……」
信乃が言葉を言いよどんだ。
こんなことは珍しい。
「君のクラス。まだ、残っている生徒はいるかな?」
「はい、まだいますよ。だれか探してるんですか?」
信乃は俯いて、制服の裾を両手で握りしめていたが、意を決したように顔を上げた。
「大神秀一……って、君のクラスだろう?」
「はい! まだいたと思いますよ。……母さん、ちょっと待っててね」
涼は母をそこに残し、信乃を案内するために一年壱組の教室へ取って返した。
やはりあの二人は知り合いなのだ。早く秀一を捕まえなくちゃ。帰っちゃったら大変だ。
などと、涼の心は逸った。
教室を覗く。大半の生徒と保護者は教室を後にしてしまっていたが、大神秀一とその両親らしい人物の姿は、まだ教室内に残っていて、涼はほっとする。
「秀一! お客さんだよ!」
涼の声に、秀一と、彼と話をしていたオールバックの厳しい顔をした男性と、淡いピンクのスーツ姿の女性が一斉に振り返った。
「信乃ちゃん!」
厳しい顔をした男性……おそらく秀一の父親……の顔が、安倍信乃を見つけると瞬く間に笑顔になった。
「やあ、久しぶりだなあ。生徒会の役員をしているんだって? さすがだね。また、秀一のことをよろしく頼むよ」
優しげな顔をした女性も、信乃に向かって頭を下げている。
けれども、信乃の返事はなかった。返事がないばかりか、まるで固まってしまったかのようにピクリとも動かない。
「じゃあ、失礼するよ。ああ、見送りはいらない」
信乃の様子を不審がるでもなく、秀一の父親らしい人物はポンポンと信乃の肩を叩くと、母親らしい女性を伴って一年壱組の教室を出ていく。
自分のことをハーフだと秀一は言っていたが、彼の両親はふたりともまごうことなき日本人! といった顔立ちだ。そのことも、気になったのだけれど、涼にはもっと気になってしかたのないことがあった。
信乃の表情だ。
昨日、入学式のパンフレットを指でなぞりながら見せていたあの表情。入学式で、秀一を目で追いながら見せていたあの表情。
泣きたいのを堪えているような、そんな顔で、ただ黙って大神秀一を見上げている。
先に動いたのは秀一だった。
「先輩……。お久しぶりです」
きれいに両手を脇にそろえて、秀一が一礼するのを、固まったまま眺めていた信乃の表情が、揺らいだ。
(あ……信乃先輩、泣く?)
そう思った瞬間、秀一が動いた。
「涼くん! ありがとう、また後で寮の方で!」
それだけ言うと、ほとんど信乃の肩を抱くようにして、教室を出ていってしまう。
秀一が一礼してから二人が教室を出ていくまでは、あっという間の出来事で、涼はあっけにとられて二人を見送るしかできなかった。
「うーん。残念だったな、涼」
思いがけないほど耳の近くで声が聞こえた。
振り返ると真後ろに長野響が立っている。
彼の両親は入学式に来なかったらしい。両親の見送りもなく、だらだらと教室内にとどまっていたようだ。
「あれは、どう見てもワケありカップルだね……」
「何だよそのへんてこなフレーズ。うん。まあでも確かにね、俺もそう思う」
涼が二人の消えていった方角を見つめながらそう言うと、響はちょっと間をおいてから「あれ、意外とダメージ受けてない?」と呟いた。
「へ? ダメージって、なんで?」
「へ? だっておまえ、信乃先輩のこと好きだろう?」
「うん好きだよ! しかもさ、秀一もかっこいいよね! あの二人が並んでるところをこれからも見られると思ったら、萌えるよね!」
しばしの沈黙が流れた後、響のため息がガランとした教室に響いた。
「あー、涼はそう言う感じ? それでいいわけなんだ……」
いったい、響は何を言っているのか、涼にはさっぱりわからなかった。
「あああああっ!!」
そんなことより、大切なことを思い出して、思わず叫んでしまう。
のけぞった響が「な、急に大声出すんじゃねえよ!」と、耳を抑えた。
「俺、母さんの見送りまだだった! じゃあね、響! また後でね!」
これから楽しい高校生活になりそうだな。
涼は、全力で走り出した。
笑顔以外にも、珍しい信乃の表情を見ることができる事は、涼にとってはうれしいことだった。
けれど、昨日から見る信乃の表情は、涼を不安な気持ちにさせた。それはまるで……泣き出す寸前みたいな表情で、見ていると涼までなんだか切ない気持ちになってしまうのだ。
「一ノ瀬涼!」
突然名前を呼ばれて、涼は「はいいっ!?」と、飛び上がった。
「高校生活第一日からボケッとしているとは、ずいぶん余裕だな!」
クラス担任の言葉に、周囲からクスクスという笑いが起こる。
入学式後の学活の時間であり、気がつけば、担任が一人ひとり名前を確認しながら点呼している最中だった。
涼は頭を掻き、ちらりと教室の後ろを振り返る。
そこには、今日参列した保護者がずらりと並んでいて、岩手から日帰りで入学式へやって来た涼の母親の姿もあった。目を大きく見開いて口をへのじに曲げ、肩をすくめていたが、涼が小さく舌を出して頭を下げてみせると、呆れたような笑顔になる。
「起立」
「礼」
出席番号一番の生徒が号令をかけ、無事に高校生活第一日目が終了した。
遠方からやってきた保護者の中には寮に一泊していくものもいるようだが、それはほんの一握りだ。
涼の母も、このまま岩手にとんぼ返りをする。
涼は母親を校門まで見送ろうと、一緒に教室を出た。
階段に差し掛かった時だった。
「先輩!」
階下からこちらへ登ってくる安部信乃を見つけた。
「涼くん……あの……」
信乃が言葉を言いよどんだ。
こんなことは珍しい。
「君のクラス。まだ、残っている生徒はいるかな?」
「はい、まだいますよ。だれか探してるんですか?」
信乃は俯いて、制服の裾を両手で握りしめていたが、意を決したように顔を上げた。
「大神秀一……って、君のクラスだろう?」
「はい! まだいたと思いますよ。……母さん、ちょっと待っててね」
涼は母をそこに残し、信乃を案内するために一年壱組の教室へ取って返した。
やはりあの二人は知り合いなのだ。早く秀一を捕まえなくちゃ。帰っちゃったら大変だ。
などと、涼の心は逸った。
教室を覗く。大半の生徒と保護者は教室を後にしてしまっていたが、大神秀一とその両親らしい人物の姿は、まだ教室内に残っていて、涼はほっとする。
「秀一! お客さんだよ!」
涼の声に、秀一と、彼と話をしていたオールバックの厳しい顔をした男性と、淡いピンクのスーツ姿の女性が一斉に振り返った。
「信乃ちゃん!」
厳しい顔をした男性……おそらく秀一の父親……の顔が、安倍信乃を見つけると瞬く間に笑顔になった。
「やあ、久しぶりだなあ。生徒会の役員をしているんだって? さすがだね。また、秀一のことをよろしく頼むよ」
優しげな顔をした女性も、信乃に向かって頭を下げている。
けれども、信乃の返事はなかった。返事がないばかりか、まるで固まってしまったかのようにピクリとも動かない。
「じゃあ、失礼するよ。ああ、見送りはいらない」
信乃の様子を不審がるでもなく、秀一の父親らしい人物はポンポンと信乃の肩を叩くと、母親らしい女性を伴って一年壱組の教室を出ていく。
自分のことをハーフだと秀一は言っていたが、彼の両親はふたりともまごうことなき日本人! といった顔立ちだ。そのことも、気になったのだけれど、涼にはもっと気になってしかたのないことがあった。
信乃の表情だ。
昨日、入学式のパンフレットを指でなぞりながら見せていたあの表情。入学式で、秀一を目で追いながら見せていたあの表情。
泣きたいのを堪えているような、そんな顔で、ただ黙って大神秀一を見上げている。
先に動いたのは秀一だった。
「先輩……。お久しぶりです」
きれいに両手を脇にそろえて、秀一が一礼するのを、固まったまま眺めていた信乃の表情が、揺らいだ。
(あ……信乃先輩、泣く?)
そう思った瞬間、秀一が動いた。
「涼くん! ありがとう、また後で寮の方で!」
それだけ言うと、ほとんど信乃の肩を抱くようにして、教室を出ていってしまう。
秀一が一礼してから二人が教室を出ていくまでは、あっという間の出来事で、涼はあっけにとられて二人を見送るしかできなかった。
「うーん。残念だったな、涼」
思いがけないほど耳の近くで声が聞こえた。
振り返ると真後ろに長野響が立っている。
彼の両親は入学式に来なかったらしい。両親の見送りもなく、だらだらと教室内にとどまっていたようだ。
「あれは、どう見てもワケありカップルだね……」
「何だよそのへんてこなフレーズ。うん。まあでも確かにね、俺もそう思う」
涼が二人の消えていった方角を見つめながらそう言うと、響はちょっと間をおいてから「あれ、意外とダメージ受けてない?」と呟いた。
「へ? ダメージって、なんで?」
「へ? だっておまえ、信乃先輩のこと好きだろう?」
「うん好きだよ! しかもさ、秀一もかっこいいよね! あの二人が並んでるところをこれからも見られると思ったら、萌えるよね!」
しばしの沈黙が流れた後、響のため息がガランとした教室に響いた。
「あー、涼はそう言う感じ? それでいいわけなんだ……」
いったい、響は何を言っているのか、涼にはさっぱりわからなかった。
「あああああっ!!」
そんなことより、大切なことを思い出して、思わず叫んでしまう。
のけぞった響が「な、急に大声出すんじゃねえよ!」と、耳を抑えた。
「俺、母さんの見送りまだだった! じゃあね、響! また後でね!」
これから楽しい高校生活になりそうだな。
涼は、全力で走り出した。