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Reunion1 憧れの君

「いえいえ!! どうせ俺、なんにもすること、ねかったから! お役に立てたならいいんですけど……」

 ぴしっと直立不動で答える涼に、信乃は「助かるよ」と言うと、パイプ椅子を手に離れていった。
 それから涼は黙々と作業を続けながら、憧れの信乃や、美しい凜の様子を眺めて、なかなかに幸せな時間を過ごすことができた。
 涼は、安倍信乃程ではないが、和風美人の凜にも憧れている。ちびでぽちゃっといている自分の容姿にコンプレックスを持っているので、美しい人を見ることが好きなのだ。
 恋だの告白だの、彼氏になりたいだの、そんなことは微塵も思っていない。こうやって、声をかけてもらえるだけで、いや、眺めているだけでも幸せなのだ。
 作業を終え、生徒会長である凜の最終チェックの後、手伝いに出た者たちは生徒会からペットボトルのお茶をもらって解散になった。
 ほんわかと幸せ気分に浸りながら講堂を出ていこうとした涼は、受付の長テーブルの前に佇む信乃を見つけた。

 最後にあいさつをしていこうかな?

 そう思って、信乃の方へ一歩足を踏み出した時、目に入った彼女の横顔に、思わず足が止まった。
 信乃はテーブルの上に用意された、父兄に配るための資料を一部手に取り、眺めている。その信乃の横顔が、今にも泣き出しそうだったのだ。
    
 手元の資料はどうやら新入生の名簿のページで、その上を信乃の指がなぞっている。
 挨拶をしようとしたはずなのに、涼はどうしても声をかけることが出来なくて、信乃に背を向けると、ただ無言でその場を離れたのだった。

 涼の頭の中からは次の日になっても、あの泣き出しそうな信乃の横顔が離れずに、ずっと居座り続けている。
 おかげで入学式当日だというのに、心の中は灰色だ。
 そのうえ涼たち中等部からの持ち上がりのものは、学生服も別に新しく購入する必要はない。それはそれで助かるのだが、どうも新鮮味に欠ける気がする。
 去年から引き続きの古い学生服に袖を通し、高校生指定のスクールバック(これだけは新しい)を肩に担いで、学校へと向かった。
 寮の玄関から外へ出る。ふうっと息を吐きながら空を見上げる。高等科の入学式は初等科と中等科の後だから、もう空気はだいぶ温まっていた。
 今年は、ずうっと冬を引きずったようなお天気だったが、今日は水色の空に、ぷかぷかと白い雲がうかんでいる。

 学校に到着すると、高等科の昇降口には人だかりができていた。
 新入生の組分けのプリントが、入り口に張り出されているのだ。    
 涼は昨日行われた入学式の準備の際に確認していたので、プリントに群がる一団を横目に昇降口の中へと入っていった。

「よう、涼!」

 背後から声がかかって、涼は立ち止まる。
 振り返ると、黒い服の一団の中から、友人の長野響が走り寄ってくるところだった。

「お前、張り紙見なくていいのか?」

 涼は、響が近づいてくるのしばしの間、立ち止まって待っていた。

「うん。俺は昨日生徒会の手伝いに出たから、そこで組分けは確認したんだ」
「まじで手伝いに行ったのか!?」
「え……だって、信乃先輩も凜先輩も喜んでたよ」
「まあ、そりゃそうだろうけどさ、お前本当に信乃先輩のこと好きだよね……」
「わあぁあぁ!」

 涼は思わず響の口に手を伸ばして、塞いだ。

「ちょっと! こんな人がいっぱいいるとこで、言わねぇでよ」

 だいぶ目線より高いところにある響の顔を見上げて睨んだ。慌てたために、変な訛りが出てしまった。
 響は、顔面偏差値的には平均点かそれ以下なのに、身長だけはそこそこある。ぽっちゃりちびの涼にとってはうらやましいことこの上ない。

「え! それって秘密にしてたのかよ!」

 と、響はまったく悪びれる様子はなかった。
 確かに秘密にしているわけではないけれど、誰が聞いているのかもわからない場所で、おおっぴらにする話題ではないだろうと思う。そういうところ、響にはデリカシーがない。
 頬を膨らませて、校舎内に入っていこうとすると「ごめんごめん!」と、響が追いかけてきた。

「そういやあさあ、何人か見たことのない名前もあったよな」

 それは、涼も気がついていた。
 ほとんどは持ち上がり。でも、高校からこの学園に入学する、という者も学年に十数名はいるという話だ。

「高校からは、人間も入学するんだよね」
「だよな……」

 中学と高校の一番の違いはそこだ。
 九十九学園は人外のための学校だけど、高校からは学年で二名だけ、人間の生徒を受け入れることになっている。

「なあ、響って、人間と話したことある?」
「……うーん。ないな」
「俺も……」 

 涼は岩手の山奥出身であり、響は長野県の山奥出身である。
 人もあまり入ってこないような山奥で、ひっそりと暮らしていたのだ。
 涼も響も、もともとは、名前すら持たないちっぽけな妖だった。
 学園の関係者が、そういった小さな妖たちにもくまなく声をかけてくれたおかげで入学することができたのだ。
 入学するには名前が要るわけで、涼自身に名前を考える権利が与えられた。    
 一ノ瀬涼なんていうなかなかかっこいい名前だが、実は、近隣に住む人間の中に一ノ瀬という姓が多かったからそれを真似ただけだし、名前の方は涼が水辺を好む妖しだったのでさんずいの付く名前にしただけなのである。
 響も似たようなもので……いや、それ以上にいい加減で、人間が「長野県」と呼ぶ地方に住んでいたから「長野」という名字にしたらしい。

「あ! そういえば保健室の岩倉先生は人間だったんじゃない?」
「ああ、そういえば! 忘れてた!」

 そんな会話をしながら、二人は高等科の校舎三階の一年教室へと入っていく。
 整然と並ぶ机と椅子には、名札がついていた。九十九学園では出席は五十音順なので、涼は窓側の前から二番目だ。
 響は長野だから、涼から遠い席であるはずなのに、何故か隣に腰を下ろす。

「ちょっと、響の席、そこじゃないよね」
「まあ、先生が来たら自分の席に着けばいいんじゃないか?」

 響はクラスの中にいた友達に「おはよー」と笑顔で挨拶しながら、ニコニコと誰のものかもわからない席に座っていた。

「そこ誰の席だよ?」

 二人は背もたれの後ろの、ネームプレートに差し込まれた名前を確認した。

「大神……秀一……?」

 聞いたことのない名前だった。
 おそらく今年から入学してくる生徒に違いない。
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