deadlock3 暁闇
「何でしょうか?……サラ」
露が敬称をつけずに名を呼ぶと、サラはぱっと顔を輝かせた。
裏のない笑顔が眩しくて、露はそっとサラから視線を外す。
使用人として感情は抑えているが、サラに言いたいことや問いただしたいことは、心の底にたくさんあった。
なぜ史郎と駆け落ちをしたのか。愛し合ってしまったからだとしても、なぜ乳飲み子の秀一を置いていったのか。あまりにも無責任ではないのか?
そして何故、学園建設反対派と行動をともにしていのか。
もちろん、大神の追手から身を隠そうとしたら、身を寄せることのできる場所は限られてくる。選択の余地がなかったのかもしれない。でも……それでも『なぜ』と問い詰めたくなる自分がいる。
慣れない日本で、すべての狼の一族の追手から身を隠し、子どもを産み育てたサラ。
何の苦労もしなかったわけはないのだろう。
それどころか、辛いことがたくさんあったに違いない。
頭ではわかっていても、サラに大して冷静になれない自分がいる。
「ねえねえ、どうして露さんは、秀一のお父さんと結婚してないの?」
過去の思いに囚われていたからか、露はしばらく新太の言った言葉の意味を理解することができなかった。
「新太! ナァニイテルノ!」
露よりも先にサラが反応した。
よほどあわてたのか、何言ってるの、のイントネーションがかなりおかしなことになっている。
新太に掴みかかろうとして、サラが身を乗り出すと、新太が露の周りをぐるりと廻るようにサラの手から逃れる。
「え?……え?」
露は混乱の中にいた。
「だって! サラいっつも言ってたじゃないか! サラがいなくなったから、秀就と露は結婚できるって!」
新太はサラの平手を躱すように走って逃げた。
露の頭の中が、真っ白になる。
サラはといえば、白い肌を真っ赤にして、目をキョロキョロと泳がせていた。
「ち……ちがうよ、ツユ……えっと……あ~。私ほら、こんな山の中で暮らすのは嫌だったっていうか……えっと……」
しどろもどろに言い訳をするサラの声が聞こえる。
「サラ……まさか……」
すうっと血の気が引いていいく。
異国の地からやって来て秀就の妻となった女の子は、天真爛漫という言葉がピッタリと当てはまるような綺麗な女の子だった。露を気に入り頼りにしてくれたのが、嬉しくもあったが辛くもあった。
サラが日本に来るもっと前から露は秀就に思いを寄せていたのだから。
それでもなけなしのプライドで、誰にも、秀成にすら悟られないように振舞っていたつもりだった。
その辛さを、サラが気づいていた?
かあっと、頬が熱くなる。
秀就との間に秀一という子をもうけながら、まだ乳離もしてない赤子を置いて、姿を消したサラを、心の中で詰ったこともある。
私のほうが、秀成を愛していたのに。私だって、サラの代わりになれる。そう思ってしまう自分の浅ましさに、めまいがしそうになる日々もあった。
そんな露の気持ちを、サラが知っていたのなら……。
「言っておくけど!」
サラのきっぱりとした声が聞こえた。
「私、秀就を愛せなかった。だって秀就、一族のため、こればっかり! これはホント。秀一は……もっと私、自分で面倒見たかった。なのに、秀一は一族の子ども。私が面倒を見れる時間、ほんの少しだけ。私なんて、いなくてもいいと思った。だから、逃げたかった。史郎が私を連れ出してくれた。だから私が家を出たのは自分のため! ワガママだって、言われても仕方ない。秀一に、母親だと思われないのも、仕方ない。だって、全部本当。だから、秀一のお母さん、は、ツユだよ。あなたが、秀一を育ててくれた。でしょう?」
確かに露は母親の代わりのように、秀一を育てた。彼をとても愛している。
けれど……そもそも秀一からサラを奪ってしまったのは、自分自身の劣情だったのではないか?
「あとさあ、秀一から伝言を預かってるんだけど」
押し黙ってしまった露に新太が再び声をかけた。
「俺はもう、大人です。だって」
新太の声に露は首をかしげる。
「ああ、私も聞いた。自分はもう力もコントロールできるし、大人だって。だからもう、自分のことは気にしないで欲しいって」
「そんな……秀一さんはまだ、十三なんです……」
みんな自分を置いて、先へと進んでいってしまう。
秀一が大人になっていく。
本当なら喜ばしいことなのに、途方に暮れて、気が付けば露は頬の内側を噛み締めていた。
「露に幸せになってほしい。ってことよ」
サラがパチリときれいなウィンクをした。
溢れ出そうになる感情になんとか蓋をして、露は道場を後にする。
安倍信乃の入院先は都内である。。
日帰りで見舞いに行こうとすれば、一日がかりだ。グズグズしているヒマはない。
大神家は、かろうじて関東地方と呼ばれる場所にあるのだが、都会とはかけ離れた場所で、最寄りの駅まで車で二十分ほどもかかる。
露は駅まで家のものに送ってもらい、そこでいくつか買い物を済ませてから電車を乗り継ぎ、人工物であふれかえる東京都区内へと向かった。
信乃の入院している岩倉クリニックは、病床が百以下の個人病院である。
このクリニックの院長は妖の存在を知る数少ない人間であり、九十九学園建設の協力者でもある。
信乃のことも快く引き受けてくれたという。
信乃の外傷はすでに治っていた。首にあった擦り傷も、胸にあった切り傷も、あっという間に治ったそうだ。
それなのに。あの日以来……信乃は今日まで、全く目を覚まさなかった。
露が敬称をつけずに名を呼ぶと、サラはぱっと顔を輝かせた。
裏のない笑顔が眩しくて、露はそっとサラから視線を外す。
使用人として感情は抑えているが、サラに言いたいことや問いただしたいことは、心の底にたくさんあった。
なぜ史郎と駆け落ちをしたのか。愛し合ってしまったからだとしても、なぜ乳飲み子の秀一を置いていったのか。あまりにも無責任ではないのか?
そして何故、学園建設反対派と行動をともにしていのか。
もちろん、大神の追手から身を隠そうとしたら、身を寄せることのできる場所は限られてくる。選択の余地がなかったのかもしれない。でも……それでも『なぜ』と問い詰めたくなる自分がいる。
慣れない日本で、すべての狼の一族の追手から身を隠し、子どもを産み育てたサラ。
何の苦労もしなかったわけはないのだろう。
それどころか、辛いことがたくさんあったに違いない。
頭ではわかっていても、サラに大して冷静になれない自分がいる。
「ねえねえ、どうして露さんは、秀一のお父さんと結婚してないの?」
過去の思いに囚われていたからか、露はしばらく新太の言った言葉の意味を理解することができなかった。
「新太! ナァニイテルノ!」
露よりも先にサラが反応した。
よほどあわてたのか、何言ってるの、のイントネーションがかなりおかしなことになっている。
新太に掴みかかろうとして、サラが身を乗り出すと、新太が露の周りをぐるりと廻るようにサラの手から逃れる。
「え?……え?」
露は混乱の中にいた。
「だって! サラいっつも言ってたじゃないか! サラがいなくなったから、秀就と露は結婚できるって!」
新太はサラの平手を躱すように走って逃げた。
露の頭の中が、真っ白になる。
サラはといえば、白い肌を真っ赤にして、目をキョロキョロと泳がせていた。
「ち……ちがうよ、ツユ……えっと……あ~。私ほら、こんな山の中で暮らすのは嫌だったっていうか……えっと……」
しどろもどろに言い訳をするサラの声が聞こえる。
「サラ……まさか……」
すうっと血の気が引いていいく。
異国の地からやって来て秀就の妻となった女の子は、天真爛漫という言葉がピッタリと当てはまるような綺麗な女の子だった。露を気に入り頼りにしてくれたのが、嬉しくもあったが辛くもあった。
サラが日本に来るもっと前から露は秀就に思いを寄せていたのだから。
それでもなけなしのプライドで、誰にも、秀成にすら悟られないように振舞っていたつもりだった。
その辛さを、サラが気づいていた?
かあっと、頬が熱くなる。
秀就との間に秀一という子をもうけながら、まだ乳離もしてない赤子を置いて、姿を消したサラを、心の中で詰ったこともある。
私のほうが、秀成を愛していたのに。私だって、サラの代わりになれる。そう思ってしまう自分の浅ましさに、めまいがしそうになる日々もあった。
そんな露の気持ちを、サラが知っていたのなら……。
「言っておくけど!」
サラのきっぱりとした声が聞こえた。
「私、秀就を愛せなかった。だって秀就、一族のため、こればっかり! これはホント。秀一は……もっと私、自分で面倒見たかった。なのに、秀一は一族の子ども。私が面倒を見れる時間、ほんの少しだけ。私なんて、いなくてもいいと思った。だから、逃げたかった。史郎が私を連れ出してくれた。だから私が家を出たのは自分のため! ワガママだって、言われても仕方ない。秀一に、母親だと思われないのも、仕方ない。だって、全部本当。だから、秀一のお母さん、は、ツユだよ。あなたが、秀一を育ててくれた。でしょう?」
確かに露は母親の代わりのように、秀一を育てた。彼をとても愛している。
けれど……そもそも秀一からサラを奪ってしまったのは、自分自身の劣情だったのではないか?
「あとさあ、秀一から伝言を預かってるんだけど」
押し黙ってしまった露に新太が再び声をかけた。
「俺はもう、大人です。だって」
新太の声に露は首をかしげる。
「ああ、私も聞いた。自分はもう力もコントロールできるし、大人だって。だからもう、自分のことは気にしないで欲しいって」
「そんな……秀一さんはまだ、十三なんです……」
みんな自分を置いて、先へと進んでいってしまう。
秀一が大人になっていく。
本当なら喜ばしいことなのに、途方に暮れて、気が付けば露は頬の内側を噛み締めていた。
「露に幸せになってほしい。ってことよ」
サラがパチリときれいなウィンクをした。
溢れ出そうになる感情になんとか蓋をして、露は道場を後にする。
安倍信乃の入院先は都内である。。
日帰りで見舞いに行こうとすれば、一日がかりだ。グズグズしているヒマはない。
大神家は、かろうじて関東地方と呼ばれる場所にあるのだが、都会とはかけ離れた場所で、最寄りの駅まで車で二十分ほどもかかる。
露は駅まで家のものに送ってもらい、そこでいくつか買い物を済ませてから電車を乗り継ぎ、人工物であふれかえる東京都区内へと向かった。
信乃の入院している岩倉クリニックは、病床が百以下の個人病院である。
このクリニックの院長は妖の存在を知る数少ない人間であり、九十九学園建設の協力者でもある。
信乃のことも快く引き受けてくれたという。
信乃の外傷はすでに治っていた。首にあった擦り傷も、胸にあった切り傷も、あっという間に治ったそうだ。
それなのに。あの日以来……信乃は今日まで、全く目を覚まさなかった。