deadlock2 試練
弓弦の檄が飛んだ。同時に目をつぶった信乃の額が強く輝き始める。
「魔物……魔物……虚無より強い……どこにいる?」
「近くにいなければ呼びかけるんだよ。信乃ちゃん、君、虚無とは別の魔物を、知ってるだろう? 全く知らない魔物を呼び出すのは難しいけど、君あいつの波動をもう知ってるじゃないか。そいつなら、多分呼び出せる。それに、あの魔物なら、操れる可能性が大きい」
弓弦が信乃を導く間にも、虚無は確実に秀一を飲み込んでいく。動きが緩慢になっているとはいえ、もう秀一の腹のあたりまでが虚無の中に埋まっていた。
そしてついに、秀一の足が床から持ち上がった。
そのまま赤黒いアイスクリームの先端まで持ち上げられ、そこからズブズブと内側へと引きずり込まれていく。
「まずい!」
史郎の身体が、目にも留まらぬ速さで変化し、彼がいたはずの場所には、大きな灰色の狼が「ウルルルルル……」と、唸りをあげながら出現していた。
「兄さん、力を開放して! 一度変身できたなら、絶対できるはずだよ! そのままじゃ、喰われる!」
そう言うと、新太も父の史郎に続いて獣化した。灰色狼より、だいぶ小さな金色の狼が、全身の毛をブワリと逆立てながら虚無に向かって吠えた。
新太がいくつなのか秀一にはわからないが、秀一よりもずいぶんと幼く見える。見た目だけだと、まだ小学生ではないかと感じた。けれど新太はその年齢でありながら、自分自身のパワーを制御することができているらしい。
秀一は唇を噛みしめる。口の中に血の味が滲んだ。
一族の後継者として、文字通り下にも置かない扱いを受けて育ってきたが、秀成は厳しい父親だった。父に対して尊敬と憧憬の念は持っている。それでも、やさしい父を求めなかったかといえば嘘になる。
しかし、秀一には露がいた。父が厳しい分、露がたっぷりの愛情を注いでくれた。
露のことは大好きだ。
だが……。
どんなに慕っても、露は母ではない。心の何処かで本当の母とは、どんな存在なのか? 考えずにはいられなかった。母という存在に飢え、焦がれていた。
「力」「父」「母」
焦がれてやまなかったものをすべて手にしている弟。
秀一にはそんな風に思えて、こんな時だというのに、沸き起こる感情をコントロールすることなんて、到底できそうにない。
秀一がそんな思いにとらわれている間にも、二匹の狼は連携して、虚無に立ち向かっていた。
齧り付き、絡め取られそうになるともう一匹がそこへ飛びかかる。飛び掛かったり飛び退いたりしながら秀一を助け出そうとしているのだが、虚無の方では、まったく意に介した様子はない。
しかも、背後の地下室から、他にも何体かの虚無が廊下に這い出し、新たな獲物に向かって集まり始めていた。
一方信乃は、目をつぶったまま微動だにしない。
こちらの世界の映像をシャットアウトして、彼女と弓弦にしか見ることのできない、もう一つの世界を見ているのだろう。
「魔物……僕が出会った……魔物……」
「そうだよ。黄金の……輝けるもの。古い資料によると金の勇魚 って呼ばれてるみたいだね」
「金の、勇魚 ……」
信乃が呟いた途端、額の輝きはさらに増し、縦の亀裂が入った。皮膚が裂ける。
その様子に、秀一ははっと正気に返った。
「信乃……!」
虚無にもう肩まで浸かり、その力で身体をねじ切られそうになりながら、秀一は信乃の名を呼んだ。
縦に入った額の細い亀裂の中から、真紅の光があたりを照らす。
そして……その亀裂が大きく開いた。
ポッカリと空いた亀裂の中、それ自体眩しい光を放つ真紅の瞳が中央にあった。
「見つけた! 輝けるもの……金の勇魚。来い! 再び僕のもとに!」
信乃が、叫ぶ。
真紅の瞳がギョロギョロと動いていた。
空気が大きく動き出す。
どこからともなく涼やかな風が吹き、地下に充満した生臭い淀みを次第に薄められていく。
明かりがあるものの、全体的に冷たく薄暗かった地下が金色に輝き始める。
いったいこの光はどこから来るのかと、秀一は周囲に視線を走らせた。
キーーーン。キュウーーーーン。
という甲高い音が、まるで耳鳴りのように聞こえた。
虚無がその動きを止めた。
秀一の身体は、虚無の力が緩んだために、幾分楽になる。
涼やかな風は、先ほどまで信乃が囚われていたあの部屋から吹いて来る。
秀一は唯一動かすことのできる首を巡らせて、そちらへ目を向けた。
地下室の方角がぼんわりと金に輝いている。
そして、現実の風景に重なるように、薄っすらとあの幼い日に見た金の草原が向こうからこちらに向かって広がり始めていた。
――巨大な、金に輝くもの!
「弓弦様! いくらあなたの命令でも限界です! 失礼」
御先が信乃から弓弦を引き離し、抱き上げた。
「信乃ちゃん! 後はできるよね! 秀一! 早く変身しないと、虚無ごと輝けるものに飲み込まれるよ? 僕がここまで協力したんだから、無駄にしないでよね! それから、約束も忘れないでよね? その力、いつか貸してもらいに行くからね!」
笑いながらひらひらと手を振る弓弦を抱いた御先は、もうすでに地下階から姿を消していた。
「魔物……魔物……虚無より強い……どこにいる?」
「近くにいなければ呼びかけるんだよ。信乃ちゃん、君、虚無とは別の魔物を、知ってるだろう? 全く知らない魔物を呼び出すのは難しいけど、君あいつの波動をもう知ってるじゃないか。そいつなら、多分呼び出せる。それに、あの魔物なら、操れる可能性が大きい」
弓弦が信乃を導く間にも、虚無は確実に秀一を飲み込んでいく。動きが緩慢になっているとはいえ、もう秀一の腹のあたりまでが虚無の中に埋まっていた。
そしてついに、秀一の足が床から持ち上がった。
そのまま赤黒いアイスクリームの先端まで持ち上げられ、そこからズブズブと内側へと引きずり込まれていく。
「まずい!」
史郎の身体が、目にも留まらぬ速さで変化し、彼がいたはずの場所には、大きな灰色の狼が「ウルルルルル……」と、唸りをあげながら出現していた。
「兄さん、力を開放して! 一度変身できたなら、絶対できるはずだよ! そのままじゃ、喰われる!」
そう言うと、新太も父の史郎に続いて獣化した。灰色狼より、だいぶ小さな金色の狼が、全身の毛をブワリと逆立てながら虚無に向かって吠えた。
新太がいくつなのか秀一にはわからないが、秀一よりもずいぶんと幼く見える。見た目だけだと、まだ小学生ではないかと感じた。けれど新太はその年齢でありながら、自分自身のパワーを制御することができているらしい。
秀一は唇を噛みしめる。口の中に血の味が滲んだ。
一族の後継者として、文字通り下にも置かない扱いを受けて育ってきたが、秀成は厳しい父親だった。父に対して尊敬と憧憬の念は持っている。それでも、やさしい父を求めなかったかといえば嘘になる。
しかし、秀一には露がいた。父が厳しい分、露がたっぷりの愛情を注いでくれた。
露のことは大好きだ。
だが……。
どんなに慕っても、露は母ではない。心の何処かで本当の母とは、どんな存在なのか? 考えずにはいられなかった。母という存在に飢え、焦がれていた。
「力」「父」「母」
焦がれてやまなかったものをすべて手にしている弟。
秀一にはそんな風に思えて、こんな時だというのに、沸き起こる感情をコントロールすることなんて、到底できそうにない。
秀一がそんな思いにとらわれている間にも、二匹の狼は連携して、虚無に立ち向かっていた。
齧り付き、絡め取られそうになるともう一匹がそこへ飛びかかる。飛び掛かったり飛び退いたりしながら秀一を助け出そうとしているのだが、虚無の方では、まったく意に介した様子はない。
しかも、背後の地下室から、他にも何体かの虚無が廊下に這い出し、新たな獲物に向かって集まり始めていた。
一方信乃は、目をつぶったまま微動だにしない。
こちらの世界の映像をシャットアウトして、彼女と弓弦にしか見ることのできない、もう一つの世界を見ているのだろう。
「魔物……僕が出会った……魔物……」
「そうだよ。黄金の……輝けるもの。古い資料によると金の
「金の、
信乃が呟いた途端、額の輝きはさらに増し、縦の亀裂が入った。皮膚が裂ける。
その様子に、秀一ははっと正気に返った。
「信乃……!」
虚無にもう肩まで浸かり、その力で身体をねじ切られそうになりながら、秀一は信乃の名を呼んだ。
縦に入った額の細い亀裂の中から、真紅の光があたりを照らす。
そして……その亀裂が大きく開いた。
ポッカリと空いた亀裂の中、それ自体眩しい光を放つ真紅の瞳が中央にあった。
「見つけた! 輝けるもの……金の勇魚。来い! 再び僕のもとに!」
信乃が、叫ぶ。
真紅の瞳がギョロギョロと動いていた。
空気が大きく動き出す。
どこからともなく涼やかな風が吹き、地下に充満した生臭い淀みを次第に薄められていく。
明かりがあるものの、全体的に冷たく薄暗かった地下が金色に輝き始める。
いったいこの光はどこから来るのかと、秀一は周囲に視線を走らせた。
キーーーン。キュウーーーーン。
という甲高い音が、まるで耳鳴りのように聞こえた。
虚無がその動きを止めた。
秀一の身体は、虚無の力が緩んだために、幾分楽になる。
涼やかな風は、先ほどまで信乃が囚われていたあの部屋から吹いて来る。
秀一は唯一動かすことのできる首を巡らせて、そちらへ目を向けた。
地下室の方角がぼんわりと金に輝いている。
そして、現実の風景に重なるように、薄っすらとあの幼い日に見た金の草原が向こうからこちらに向かって広がり始めていた。
――巨大な、金に輝くもの!
「弓弦様! いくらあなたの命令でも限界です! 失礼」
御先が信乃から弓弦を引き離し、抱き上げた。
「信乃ちゃん! 後はできるよね! 秀一! 早く変身しないと、虚無ごと輝けるものに飲み込まれるよ? 僕がここまで協力したんだから、無駄にしないでよね! それから、約束も忘れないでよね? その力、いつか貸してもらいに行くからね!」
笑いながらひらひらと手を振る弓弦を抱いた御先は、もうすでに地下階から姿を消していた。