deadlock2 試練
ようやく地下で信乃へとたどり着くことができたというのに、無数の烏に突き回され、耐えることしかできない。
小さく身を縮こまらせながら、秀一は歯噛みをした。
折れていない方の腕を振り、薙ぎ払ってみるものの、烏たちはまったく堪えた様子はない。手応えはあるのに、すぐにまた秀一を突き回し始める。
――こいつら、不死身なのか!?
秀一が暗澹たる思いにとりつかれた時、その声は聞こえたのだ。
『秀一くん。カラスの実態は一つだ。よくある分身の術と同じからくりだよ。本体を倒すことができれば、全てが消える』
狼族にだけ聞こえる仲間の”声”だった。
この建物にたどり着いてから、何度もこの”声”には助けられている。
秀一はもうすっかり、この姿無き声を信用していた。
この敵だらけと思えた建物の中に、仲間がいる。
その思いは、萎えそうになる秀一に力を与えてくれていたが、それでも今の状態は、圧倒的不利であることに変わりがない。
――本体を倒せばいい。それはわかった。けれど、どうしたら……。
絶え間なく突き回され、思考力も無くなっていく。
ガツン!
秀一は頭の天辺に、いきなり衝撃を覚えた。カラスの嘴とは全く違う。この一発で気を失うのではないかと思うような大きな衝撃だった。
一体何だよ!
と腕の隙間からあたりを見回すと、すぐそばに拳銃が一丁落ちている。
ばっとそれを右手でつかみ、腹の中に抱え込んだ。
武器は手に入れた!
でも、どうしたらいい?
一体どうしたら?
その時、烏に変化した御先の声が聞こえた。
「さあ、手も足も出ない……かな? もう少し頑張ってもらわないと、張り合いがないな……」
はっとする。
周囲は羽音で覆われていて、全ての気配がその中に溶け込んでしまっているようだけれど、神経を研ぎ澄ませれば、いろいろな気配を感じ取ることができる。
音? 匂い? 気配。気。
秀一はゆっくり身を起こした。
意識を集中させていくほどに、身体に感じる痛みと、湧き上がる恐怖は、遠くなっていく。
己と、敵。
喰うもの喰われるるもの。
喰われるるもの喰うもの。
それ以外の全てを、自分の意識からシャットアウトする。
本物の銃を握るのははじめてのことだったけれど、そっくりなおもちゃなら幼い頃持っていたし、ドラマやアニメの中でも見たことはある。どう扱えばいいのか、想像はついた。
撃てる。
そう自分に言い聞かせる。
折れた腕が利き手でなかったのは幸いだ。
なるべく高い位置でしっかりとグリップする。本当なら両手で握ったほうがいいのだろうが、折れてしまった左手を持ち上げることは出来なかった。
トリガーに人差し指をかけると、弾丸が発射された際の反動に備えようと、身体が自然に前傾姿勢になった。
これで玉が出なかったら終わりだ。銃弾が装填されていることを祈るほかはない。
秀一は軽く目を閉じて気配を探った。
腹の底から大きくゆっくりと呼吸をしながら、己の感覚だけをたよりに、標的を探る。
銃身が動きを止めた。
研ぎ澄ました意識が無数の烏の中から、たった一羽を捉えていた。
「当たれ!」
祈りが言葉になって、迸り出た。
ガウン!
ピンと伸ばした腕は、銃弾が発射された際に起きる反動を吸収しきることができず、肩を支点に大きく跳ね上がる。身体も後ろへと弾き飛ばされそうになったが、目をぎゅっとつぶり、歯を食いしばって堪えた。
ふと気づくと、あたりを埋め尽くしていた羽の音がしない。
ゴクリ。と聞こえたのは、自分自身が生唾を飲み込む音だ。つばを飲み込んだのに、喉は渇いてからからだった。
ゆっくりと目を開ける。
すると、自分の直ぐ側で腹から血を流し、怒りに燃える目でこちらを見つめる御先真珠の姿があった。
御先の薄い唇から、くっと苦悶の声が漏れる。
どうやら、秀一の放った銃弾は、御先真珠の腹を掠めたらしい。ただ、致命傷ではないようで、出血もそれほど多くはない。
妖しである御先のことだ、このくらいの傷はすぐに治癒してしまうかもしれない。
「よくやったな、大神秀一」
突然聞こえてきた声へと秀一は首を巡らせた。
その声は御先でも信乃でも弓弦の声ではない。もちろん秀一の声でもない。
でも、秀一はこの声を知っている。
この声に、何度も助けられている。
声は、信乃と弓弦の後ろにある階段の上の方から響いてきた。
トン。トン……。
一歩ずつ、ゆっくりとした足取りが、地下へと降りてくる。
秀一のいる場所からは声の主の姿を見ることがなかなか出来ない。
秀一の心臓がトクトクとせわしなく動き始めていた。
――誰なんだ?
「犬神。犬神史郎……」
秀一の直ぐ側で、御先真珠の、地を這うような暗く低い声が聞こえた。秀一の疑問に答えるかのようなタイミングだった。
「裏切ったか……犬神!」
御先口から迸り出た言葉は、震えながら次第に大きくなった。
トン。
ついに階段を一番下まで降りきり、壁の影から男が姿を現した。
地下階に降りきったところで足を止め、くるりと秀一の方へと身体の向きを変える。
どことなく愛嬌のある黒い瞳が、秀一を捉えていた。短く切り込まれた黒髪。逞しい身体と、頬に走る三本の傷。
――この人が? 今まで助けてくれていた人?
知っている男ではなかった。今まで会ったことのある狼族の男に、こんな人はいなかった。
ではなぜこの男は、自分を助けてくれたのか?
仲間が現れたことで、ほんのすこし緊張の糸が緩み、秀一は、唐突に現れた味方をぽかんと見つめるばかりだった。
ただ、その間にも、奥の地下室からは犬たちと虚無のぶつかり合う恐ろしげな音が聞こえてきている。地下室から溢れんばかりの野犬だったが、数だけであの虚無という化物に、対抗できるとは思えない。
この世界に顕現した黒い化物が、秀一たちのいる廊下に姿を表すのも時間の問題だろう。
動けずにいた秀一に小さな笑い声が聞こえた。
御先真珠だった。
「なるほど……」
そう言いながら軽く数度うなずいた。
腹をかばって前かがみだった姿勢はもう元に戻っており。すっと背筋を伸ばして立っている。
すでに銃創はふさがったのだろう。彼の着ている黒いスーツは血の色も目立たないため、ほとんどダメージを受けたようにはみえない。
小さく身を縮こまらせながら、秀一は歯噛みをした。
折れていない方の腕を振り、薙ぎ払ってみるものの、烏たちはまったく堪えた様子はない。手応えはあるのに、すぐにまた秀一を突き回し始める。
――こいつら、不死身なのか!?
秀一が暗澹たる思いにとりつかれた時、その声は聞こえたのだ。
『秀一くん。カラスの実態は一つだ。よくある分身の術と同じからくりだよ。本体を倒すことができれば、全てが消える』
狼族にだけ聞こえる仲間の”声”だった。
この建物にたどり着いてから、何度もこの”声”には助けられている。
秀一はもうすっかり、この姿無き声を信用していた。
この敵だらけと思えた建物の中に、仲間がいる。
その思いは、萎えそうになる秀一に力を与えてくれていたが、それでも今の状態は、圧倒的不利であることに変わりがない。
――本体を倒せばいい。それはわかった。けれど、どうしたら……。
絶え間なく突き回され、思考力も無くなっていく。
ガツン!
秀一は頭の天辺に、いきなり衝撃を覚えた。カラスの嘴とは全く違う。この一発で気を失うのではないかと思うような大きな衝撃だった。
一体何だよ!
と腕の隙間からあたりを見回すと、すぐそばに拳銃が一丁落ちている。
ばっとそれを右手でつかみ、腹の中に抱え込んだ。
武器は手に入れた!
でも、どうしたらいい?
一体どうしたら?
その時、烏に変化した御先の声が聞こえた。
「さあ、手も足も出ない……かな? もう少し頑張ってもらわないと、張り合いがないな……」
はっとする。
周囲は羽音で覆われていて、全ての気配がその中に溶け込んでしまっているようだけれど、神経を研ぎ澄ませれば、いろいろな気配を感じ取ることができる。
音? 匂い? 気配。気。
秀一はゆっくり身を起こした。
意識を集中させていくほどに、身体に感じる痛みと、湧き上がる恐怖は、遠くなっていく。
己と、敵。
喰うもの喰われるるもの。
喰われるるもの喰うもの。
それ以外の全てを、自分の意識からシャットアウトする。
本物の銃を握るのははじめてのことだったけれど、そっくりなおもちゃなら幼い頃持っていたし、ドラマやアニメの中でも見たことはある。どう扱えばいいのか、想像はついた。
撃てる。
そう自分に言い聞かせる。
折れた腕が利き手でなかったのは幸いだ。
なるべく高い位置でしっかりとグリップする。本当なら両手で握ったほうがいいのだろうが、折れてしまった左手を持ち上げることは出来なかった。
トリガーに人差し指をかけると、弾丸が発射された際の反動に備えようと、身体が自然に前傾姿勢になった。
これで玉が出なかったら終わりだ。銃弾が装填されていることを祈るほかはない。
秀一は軽く目を閉じて気配を探った。
腹の底から大きくゆっくりと呼吸をしながら、己の感覚だけをたよりに、標的を探る。
銃身が動きを止めた。
研ぎ澄ました意識が無数の烏の中から、たった一羽を捉えていた。
「当たれ!」
祈りが言葉になって、迸り出た。
ガウン!
ピンと伸ばした腕は、銃弾が発射された際に起きる反動を吸収しきることができず、肩を支点に大きく跳ね上がる。身体も後ろへと弾き飛ばされそうになったが、目をぎゅっとつぶり、歯を食いしばって堪えた。
ふと気づくと、あたりを埋め尽くしていた羽の音がしない。
ゴクリ。と聞こえたのは、自分自身が生唾を飲み込む音だ。つばを飲み込んだのに、喉は渇いてからからだった。
ゆっくりと目を開ける。
すると、自分の直ぐ側で腹から血を流し、怒りに燃える目でこちらを見つめる御先真珠の姿があった。
御先の薄い唇から、くっと苦悶の声が漏れる。
どうやら、秀一の放った銃弾は、御先真珠の腹を掠めたらしい。ただ、致命傷ではないようで、出血もそれほど多くはない。
妖しである御先のことだ、このくらいの傷はすぐに治癒してしまうかもしれない。
「よくやったな、大神秀一」
突然聞こえてきた声へと秀一は首を巡らせた。
その声は御先でも信乃でも弓弦の声ではない。もちろん秀一の声でもない。
でも、秀一はこの声を知っている。
この声に、何度も助けられている。
声は、信乃と弓弦の後ろにある階段の上の方から響いてきた。
トン。トン……。
一歩ずつ、ゆっくりとした足取りが、地下へと降りてくる。
秀一のいる場所からは声の主の姿を見ることがなかなか出来ない。
秀一の心臓がトクトクとせわしなく動き始めていた。
――誰なんだ?
「犬神。犬神史郎……」
秀一の直ぐ側で、御先真珠の、地を這うような暗く低い声が聞こえた。秀一の疑問に答えるかのようなタイミングだった。
「裏切ったか……犬神!」
御先口から迸り出た言葉は、震えながら次第に大きくなった。
トン。
ついに階段を一番下まで降りきり、壁の影から男が姿を現した。
地下階に降りきったところで足を止め、くるりと秀一の方へと身体の向きを変える。
どことなく愛嬌のある黒い瞳が、秀一を捉えていた。短く切り込まれた黒髪。逞しい身体と、頬に走る三本の傷。
――この人が? 今まで助けてくれていた人?
知っている男ではなかった。今まで会ったことのある狼族の男に、こんな人はいなかった。
ではなぜこの男は、自分を助けてくれたのか?
仲間が現れたことで、ほんのすこし緊張の糸が緩み、秀一は、唐突に現れた味方をぽかんと見つめるばかりだった。
ただ、その間にも、奥の地下室からは犬たちと虚無のぶつかり合う恐ろしげな音が聞こえてきている。地下室から溢れんばかりの野犬だったが、数だけであの虚無という化物に、対抗できるとは思えない。
この世界に顕現した黒い化物が、秀一たちのいる廊下に姿を表すのも時間の問題だろう。
動けずにいた秀一に小さな笑い声が聞こえた。
御先真珠だった。
「なるほど……」
そう言いながら軽く数度うなずいた。
腹をかばって前かがみだった姿勢はもう元に戻っており。すっと背筋を伸ばして立っている。
すでに銃創はふさがったのだろう。彼の着ている黒いスーツは血の色も目立たないため、ほとんどダメージを受けたようにはみえない。