trap5 駆引
弓弦は人差し指を信乃の前に突き出して、それを横に振った。
「何言ってるの。……以前、かなり大きな異界渡りを起こしたことがあるよね。何年前だったかな。大神の家でさ、学園開校に向けた話し合いのあったときだよ。たしかあのとき、信乃ちゃんは大神の家に初めて行ったんじゃなかったっけ?」
弓弦が信乃の顔を覗き込んだ。
「どうして、知ってるんだ」
「ほらほら、信乃ちゃん。表情に出すぎだよ。……どうして知ってるかって? そりゃ、あの時その場にいたからだよ。侵入者の騒ぎがあったでしょ?」
弓弦の顔が笑みの形に歪む。
「まさか」
「ビンゴ。あの時大神家に潜入してたのが僕と、さっきまでここにいた男で、犬神史郎ってやつ。……ってことで、あの時を記念すべき第一回の異界渡りとしようか。僕はあの時の異界渡りを君の力として父に報告してるからね。父は君に大きな期待を寄せてるってわけ」
「犬神?」
信乃はその言葉に引っかかりを覚えた。犬神家といえば大神家との関わりが深く、九十九学園設立にも関わりのある一族だ。
「ああそう、犬神史郎。気になる?」
もちろんだった。犬神家が建設反対派に関わっているとなれば、大問題なはずだ。
そんな気持ちがまた表情に出てしまっていたのだろう。
「ああ、犬神家が裏切ってるわけじゃないよ。彼は一族のはぐれものだよ。一族から身を隠すために、こちらサイドに助けを求めてきたのさ。今では僕の世話係をやってもらってる。で、話を戻そう。僕はね、この異界渡りの力について父からの命令と自分自身の好奇心から、いろいろと調べてるんだ。君も興味があるだろう?」
ドウン! と派手な音が何処かから聞こえた。
「……っと、時間がないか。まあ、なんていうか、結論から言うと、僕にも君と同じ力があるんだ」
「……え?」
「第一回のときもさ、はじめに異界を引き寄せたのはたしかに君だったけど、僕の力も無関係ではない。これは史郎しか知らないことだけど、あの時こっそり君に力を貸していたんだよ。その結果金色のどでかい化け物を呼び寄せ、現実界まで引き上げた。君だけの力でも、僕だけの力でもできなかっただろうね。でね。君と僕は二人で一つなんじゃないかっていう、仮説に辿りついたわけ。僕たち姿かたちも、こうしてみるとよく似てるだろう? 赤の他人なのにさ」
弓弦は、呆然としたままの信乃の返事は待たずに、話を進めた。
「君が生まれたのは一九九五年八月十一日、月齢14.5。で、僕の誕生日は同じ年の八月十二日で月齢が15.5。この力というか、異界からの干渉は月の満ち欠けに多分に影響を受けるみたいだから、まんざらでもないと思う。過去の文献でも、異界渡りの能力者は満月に生まれる事が多いって書いてあるよ。ね? これで僕の提案に、納得がいくかな?」
期待を込めた眼差しが、信乃を見つめている。
「秀一を、助けてくれるのか?」
「Yes」
弓弦がゆっくりと頷く。
信乃にも、迷っている余裕などなかった。
本当に自分にそれほどの力があるのか、未だに半信半疑ではあるが、少なくとも弓弦はそう信じているのだ。
「わかった……でも……具体的にはどうしたらいいんだ? それに、どうやって秀一を助けてくれるんだ?」
何処かでまた大きな音がした。静かだった建物の中に、尋常では無いような大音量が時折鳴り響く。
――秀一!
信乃は無意識に祈るように手を組んでいた。
「まあ、僕への協力については後日改めて。時が来たら連絡する。今は時間もないしさ。で、ここからの脱出についてだけどね……異界渡りを起こしてあげる。僕が力を貸してあげるから。絶対うまくいく! で、混乱に乗じて脱出。今日十月四日はおあつらえ向きに月齢15.3の満月だよ!」
ガーン! ドン! ドン!
何かが打ち破られるような音。それに続くのは銃声だろうか。
今までになく近い。
「うーん。タイムリミットか……ごめんね信乃ちゃん。ま、なんとかなると思う」
なんとかなるなんて言われても、信乃には全くどうにかなりそうには思えなかった。
力を貸してくれるというから、どんな作戦があるのかと思えば、その秘策は異界渡りなんていう、あやふやな力なのだという。
「任せて任せて!」
しかし弓弦は楽しげにそう言うと、信乃を左手で抱き寄せた。首にヒヤリとした何かが突きつけられる。
「なにをす……」
信乃がみなまで言い終える前に、部屋のドアが派手な音を立てて、蹴破られた。
メコリと変形し、半分外れかけた扉の向こうに、服はビリビリとあちこち綻び、金色にも近い薄い茶色の髪は乱れ、目ばかりらんらんと輝かせた秀一が立っていた。
「秀一!」
信乃を見つけた秀一が、こちらへ一歩踏み出す。
信乃を捉える弓弦の腕に力がこもった。
「動かないで!」
「……!」
弓弦の持つ何かが信乃の首にぐいっと僅かに食い込むのを感じた。
チクリとした痛みに、信乃は思わず声を上げそうになったが、必死でこらえる。
自分の叫び声が、秀一に隙きを作ってしまうかも知れないと思ったからだ。
ピンと張り詰めた空気が流れたのは、僅かな時間だった。
荒い息遣いで、目をギラギラと光らせた秀一は、まったく躊躇を見せずに、弓弦に踊りかかったのだ。
信乃は覚悟を決めてギュッと目をつぶった。
バサバサバサバサ……ッ!
耳を覆いたくなるような羽ばたきの音が聞こえた。ハッとして目を開けると、秀一は真っ黒な鳥に群がられ、その場にしゃがみこんでいる。
「まったく……なんとか間に合いましたね」
バサバサという羽ばたく音の中から苛立ったような声が聞こえた。
「あのまま屋上に誘い出すつもりだったのに、いきなり地下に向かうんですから……」
部屋に烏が充満している。羽ばたく烏たちのなかから、低く硬質な声が響いていた。
舞い飛ぶ烏が一つにまとまり始める。
秀一に群がっていた鳥は、次々と集まり、驚くことに人間の形を作り始めた。
羽音が聞こえなくなると、頭をかばうような姿勢で転がる秀一が、床に転がっていた。
「秀一!」
駆け寄ろうとしたのだが、弓弦の手を振り払うことはできなかった。
「何言ってるの。……以前、かなり大きな異界渡りを起こしたことがあるよね。何年前だったかな。大神の家でさ、学園開校に向けた話し合いのあったときだよ。たしかあのとき、信乃ちゃんは大神の家に初めて行ったんじゃなかったっけ?」
弓弦が信乃の顔を覗き込んだ。
「どうして、知ってるんだ」
「ほらほら、信乃ちゃん。表情に出すぎだよ。……どうして知ってるかって? そりゃ、あの時その場にいたからだよ。侵入者の騒ぎがあったでしょ?」
弓弦の顔が笑みの形に歪む。
「まさか」
「ビンゴ。あの時大神家に潜入してたのが僕と、さっきまでここにいた男で、犬神史郎ってやつ。……ってことで、あの時を記念すべき第一回の異界渡りとしようか。僕はあの時の異界渡りを君の力として父に報告してるからね。父は君に大きな期待を寄せてるってわけ」
「犬神?」
信乃はその言葉に引っかかりを覚えた。犬神家といえば大神家との関わりが深く、九十九学園設立にも関わりのある一族だ。
「ああそう、犬神史郎。気になる?」
もちろんだった。犬神家が建設反対派に関わっているとなれば、大問題なはずだ。
そんな気持ちがまた表情に出てしまっていたのだろう。
「ああ、犬神家が裏切ってるわけじゃないよ。彼は一族のはぐれものだよ。一族から身を隠すために、こちらサイドに助けを求めてきたのさ。今では僕の世話係をやってもらってる。で、話を戻そう。僕はね、この異界渡りの力について父からの命令と自分自身の好奇心から、いろいろと調べてるんだ。君も興味があるだろう?」
ドウン! と派手な音が何処かから聞こえた。
「……っと、時間がないか。まあ、なんていうか、結論から言うと、僕にも君と同じ力があるんだ」
「……え?」
「第一回のときもさ、はじめに異界を引き寄せたのはたしかに君だったけど、僕の力も無関係ではない。これは史郎しか知らないことだけど、あの時こっそり君に力を貸していたんだよ。その結果金色のどでかい化け物を呼び寄せ、現実界まで引き上げた。君だけの力でも、僕だけの力でもできなかっただろうね。でね。君と僕は二人で一つなんじゃないかっていう、仮説に辿りついたわけ。僕たち姿かたちも、こうしてみるとよく似てるだろう? 赤の他人なのにさ」
弓弦は、呆然としたままの信乃の返事は待たずに、話を進めた。
「君が生まれたのは一九九五年八月十一日、月齢14.5。で、僕の誕生日は同じ年の八月十二日で月齢が15.5。この力というか、異界からの干渉は月の満ち欠けに多分に影響を受けるみたいだから、まんざらでもないと思う。過去の文献でも、異界渡りの能力者は満月に生まれる事が多いって書いてあるよ。ね? これで僕の提案に、納得がいくかな?」
期待を込めた眼差しが、信乃を見つめている。
「秀一を、助けてくれるのか?」
「Yes」
弓弦がゆっくりと頷く。
信乃にも、迷っている余裕などなかった。
本当に自分にそれほどの力があるのか、未だに半信半疑ではあるが、少なくとも弓弦はそう信じているのだ。
「わかった……でも……具体的にはどうしたらいいんだ? それに、どうやって秀一を助けてくれるんだ?」
何処かでまた大きな音がした。静かだった建物の中に、尋常では無いような大音量が時折鳴り響く。
――秀一!
信乃は無意識に祈るように手を組んでいた。
「まあ、僕への協力については後日改めて。時が来たら連絡する。今は時間もないしさ。で、ここからの脱出についてだけどね……異界渡りを起こしてあげる。僕が力を貸してあげるから。絶対うまくいく! で、混乱に乗じて脱出。今日十月四日はおあつらえ向きに月齢15.3の満月だよ!」
ガーン! ドン! ドン!
何かが打ち破られるような音。それに続くのは銃声だろうか。
今までになく近い。
「うーん。タイムリミットか……ごめんね信乃ちゃん。ま、なんとかなると思う」
なんとかなるなんて言われても、信乃には全くどうにかなりそうには思えなかった。
力を貸してくれるというから、どんな作戦があるのかと思えば、その秘策は異界渡りなんていう、あやふやな力なのだという。
「任せて任せて!」
しかし弓弦は楽しげにそう言うと、信乃を左手で抱き寄せた。首にヒヤリとした何かが突きつけられる。
「なにをす……」
信乃がみなまで言い終える前に、部屋のドアが派手な音を立てて、蹴破られた。
メコリと変形し、半分外れかけた扉の向こうに、服はビリビリとあちこち綻び、金色にも近い薄い茶色の髪は乱れ、目ばかりらんらんと輝かせた秀一が立っていた。
「秀一!」
信乃を見つけた秀一が、こちらへ一歩踏み出す。
信乃を捉える弓弦の腕に力がこもった。
「動かないで!」
「……!」
弓弦の持つ何かが信乃の首にぐいっと僅かに食い込むのを感じた。
チクリとした痛みに、信乃は思わず声を上げそうになったが、必死でこらえる。
自分の叫び声が、秀一に隙きを作ってしまうかも知れないと思ったからだ。
ピンと張り詰めた空気が流れたのは、僅かな時間だった。
荒い息遣いで、目をギラギラと光らせた秀一は、まったく躊躇を見せずに、弓弦に踊りかかったのだ。
信乃は覚悟を決めてギュッと目をつぶった。
バサバサバサバサ……ッ!
耳を覆いたくなるような羽ばたきの音が聞こえた。ハッとして目を開けると、秀一は真っ黒な鳥に群がられ、その場にしゃがみこんでいる。
「まったく……なんとか間に合いましたね」
バサバサという羽ばたく音の中から苛立ったような声が聞こえた。
「あのまま屋上に誘い出すつもりだったのに、いきなり地下に向かうんですから……」
部屋に烏が充満している。羽ばたく烏たちのなかから、低く硬質な声が響いていた。
舞い飛ぶ烏が一つにまとまり始める。
秀一に群がっていた鳥は、次々と集まり、驚くことに人間の形を作り始めた。
羽音が聞こえなくなると、頭をかばうような姿勢で転がる秀一が、床に転がっていた。
「秀一!」
駆け寄ろうとしたのだが、弓弦の手を振り払うことはできなかった。