trap5 駆引
「ああ。もちろんもちろん。だがね、世の中にはいろんなやり方があるんですよ、姫。恐怖で支配する。痛みで支配する。心を壊してしまう。要は力の器であるあなたがいればいいのですから……。そうそう、面倒な労力をかけなくとも、薬を使うという手もあるのです」
「く、すり?」
「ええ、薬です。我々は人間とは違って、個体や種族によっても効く薬というものが変わってくるのですけれどね。蓬だったり、菖蒲だったり、銀だとか鉛に反応するという種族もあるそうですね。そうそう、西洋の有名な妖は大蒜が苦手なんだとか。……あんがいそんなものが我々にとっては毒だったりするのですよ。なに、時間はたっぷりありますから、ひとつひとつ試していくことも可能です。口から摂取したのでは効き目がなくとも体内に直接取り入れることで効果のある物質もあるらしいですし。一日一つで……一年あれば三百六十五種もの毒を、体験することができますよ。貴女にピッタリのものが見つかるといいですねえ」
信乃は震えそうになる指先をギュッと握り込む。
八尋尊という男は、恐ろしい話になればなるほど、信乃が怯えを見せれば見せるほど、嬉しげな笑顔になっていく。ゆっくりと、丁寧に説明しながらその目は、信乃の顔をじいっと見つめているのだ。そうして、どんどん笑顔を深くしていく。
「ただ残念ながら私も忙しい身でね。あなたにかかりきりになってあげることはできないんです。でも心配することはありません。そこにいる弓弦……実はあれにもあなたと似た力があるんです。力は弱いのですがね。弓弦にあなたほどの力があれば問題なかったのですが……あれにあなたの世話は任せてあります。私よりも、あなたの力についての理解があると思いますよ」
尊は笑顔のまま席を立ち、ポンと、信乃の肩に手を乗せた。信乃は体中の毛が逆立てながら、それでもなんとか平静を装った。
「では、ゆっくりと寛いでいてください。次に来るときには、貴女のためのとびきりの別荘を用意してまいりましょう。ここは、あの学園に近すぎますからね」
たったひとつの外へと通じるドアに向かいながら、尊は弓弦へちらりと視線を向ける。
「任せたぞ」
弓弦にかけた言葉は、今までとはうってかわり、鋭い口調だった。
「はい、父さん」
弓弦の方は父のこういった態度に慣れているのか、いっこうに気にした様子もなく、返事をする口元には微笑すら浮かんでいる。
パタン。
部屋から尊が出ていってしまうと、がっくりと項垂れた弓弦から「ふう……」という大きなため息が聞こえた。
「ねえ、あんたバカ?」
うなだれた姿勢のまま言った。しばらくの沈黙の後、弓弦はガバッと顔を上げると、ツカツカと信乃に詰め寄ってくる。
「全く肝が冷えたよ。あんた、感情見せすぎ」
「えぇ?」
今まで信乃は、感情が顔に出ないと言われこそすれ、感情を見せ過ぎだなんて、生まれてこの方一度も言われたことがなかった。
「あの人、相手が感情を見せれば見せるほど喜ぶって、わからない?」
と弓弦は言うが、自分はそれほど感情を見せていただろうかと、考えてしまう。
「感情的だと言われたことは、今までなかったが……」
そう反論すると、弓弦は手のひらを上に向けながら肩をすくめた。
「ニコニコ笑ってたって感情を隠すことはできるでしょ。表情の動きが少ないからって、感情的でないということにはならないよ。だいたい、泣きわめくようなやつなんて問題外だよ。あんまり感情を見せないあんたみたいな奴が、ほんの少し見せる変化。それこそがアイツの大好物ってわけ。憶えておくといいよ。でさ……」
「弓弦様!」
いままでまるで置物のように壁に張り付いて立っていた男が初めて声を上げた。
「来た?」
弓弦が鋭く振り返ると、男は小さく顎を引いた。
「わかった。行って……。あいつがどれほどのものか……お楽しみだね。アイツのために配置された父の直属の奴らがいるよね」
「御先 が配置されていますね」
その名を聞くと、弓弦はピクリと眉根をよせた。
「あの男……。まあいい、奴なら大神秀一なんか、敵じゃないよね。ってわけで……苦戦しているようだったら……手を貸してやって?」
「わかりました。では、当初の指示通りに動きます……」
それだけ言うと、男は弓弦に向かって静かに一礼をして、部屋を出ていった。
男がいなくなると、弓弦は先程まで尊の座っていたパイプ椅子に腰を下ろす。
「信乃ちゃん。ここからは提案。さっきの会話で気がついているかもだけど、大神秀一が君を助けようとして、ここまで追ってきた」
どくん。
信乃の心臓が大きく跳ねた。喜びと、恐怖がないまぜになったような……なんとも落ち着かない気持ちに襲われて、胸が痛くなってくる。
助けに来てくれた。その事自体は嬉しい。けれども、こんなに早く助けに来るということは……。
「彼は……一人なのか?」
「そのとおり」
胸の痛みが強くなる。
秀一は強い。
けれど、一人で戦うなんて、無謀すぎる。
彼は、いまだに自分自身の変身をコントロールすることができていないのだ。
獣化して信乃に傷を負わせて以来、秀一は変化 することを望まなくなった。
普通ならもう自由に変身できてもいい年齢なのにだ。
そんな状態で、敵だらけの建物に一人で乗り込んでくるなんて、無鉄砲にも程がある。
信乃には利用価値があるから生かしているのだろうが、秀一は?
そこまで考えて、目の前がすうっと暗くなった。
「ねえ、助けてあげようか?」
信乃の心の動きを見透かすかのように、弓弦た言った。
しかし信乃は、しばらくの間弓弦の提案を理解することができなかった。
――助ける? だと?
「聞こえてる? 助けてあげようか? って言ってるの」
「……なぜだ?」
「なぜ? そうだなあ、君に貸しを作りたいんだよね。いい? これは大きな貸しだよ? 僕もただでは済まないもんね。きっと父さんにボッコボコにされるよ。そのかわり、いつか君は僕に力を貸してくれる。これでどう?」
「力を貸す?」
「そう、異界渡りの力があるでしょ」
信乃が返事をしないでいると、弓弦は小さく舌打ちをした。
「聞いてなかったのか?異界渡りのちから 、だよ」
信乃は、首を横に振る。
「あんたも、あんたの父さんも、僕を見誤ってる。異界渡りの能力者だの、先祖返りだのと言われてるけど、僕自身に操ることができない上に、それほど大層な力じゃないんだ」
「く、すり?」
「ええ、薬です。我々は人間とは違って、個体や種族によっても効く薬というものが変わってくるのですけれどね。蓬だったり、菖蒲だったり、銀だとか鉛に反応するという種族もあるそうですね。そうそう、西洋の有名な妖は大蒜が苦手なんだとか。……あんがいそんなものが我々にとっては毒だったりするのですよ。なに、時間はたっぷりありますから、ひとつひとつ試していくことも可能です。口から摂取したのでは効き目がなくとも体内に直接取り入れることで効果のある物質もあるらしいですし。一日一つで……一年あれば三百六十五種もの毒を、体験することができますよ。貴女にピッタリのものが見つかるといいですねえ」
信乃は震えそうになる指先をギュッと握り込む。
八尋尊という男は、恐ろしい話になればなるほど、信乃が怯えを見せれば見せるほど、嬉しげな笑顔になっていく。ゆっくりと、丁寧に説明しながらその目は、信乃の顔をじいっと見つめているのだ。そうして、どんどん笑顔を深くしていく。
「ただ残念ながら私も忙しい身でね。あなたにかかりきりになってあげることはできないんです。でも心配することはありません。そこにいる弓弦……実はあれにもあなたと似た力があるんです。力は弱いのですがね。弓弦にあなたほどの力があれば問題なかったのですが……あれにあなたの世話は任せてあります。私よりも、あなたの力についての理解があると思いますよ」
尊は笑顔のまま席を立ち、ポンと、信乃の肩に手を乗せた。信乃は体中の毛が逆立てながら、それでもなんとか平静を装った。
「では、ゆっくりと寛いでいてください。次に来るときには、貴女のためのとびきりの別荘を用意してまいりましょう。ここは、あの学園に近すぎますからね」
たったひとつの外へと通じるドアに向かいながら、尊は弓弦へちらりと視線を向ける。
「任せたぞ」
弓弦にかけた言葉は、今までとはうってかわり、鋭い口調だった。
「はい、父さん」
弓弦の方は父のこういった態度に慣れているのか、いっこうに気にした様子もなく、返事をする口元には微笑すら浮かんでいる。
パタン。
部屋から尊が出ていってしまうと、がっくりと項垂れた弓弦から「ふう……」という大きなため息が聞こえた。
「ねえ、あんたバカ?」
うなだれた姿勢のまま言った。しばらくの沈黙の後、弓弦はガバッと顔を上げると、ツカツカと信乃に詰め寄ってくる。
「全く肝が冷えたよ。あんた、感情見せすぎ」
「えぇ?」
今まで信乃は、感情が顔に出ないと言われこそすれ、感情を見せ過ぎだなんて、生まれてこの方一度も言われたことがなかった。
「あの人、相手が感情を見せれば見せるほど喜ぶって、わからない?」
と弓弦は言うが、自分はそれほど感情を見せていただろうかと、考えてしまう。
「感情的だと言われたことは、今までなかったが……」
そう反論すると、弓弦は手のひらを上に向けながら肩をすくめた。
「ニコニコ笑ってたって感情を隠すことはできるでしょ。表情の動きが少ないからって、感情的でないということにはならないよ。だいたい、泣きわめくようなやつなんて問題外だよ。あんまり感情を見せないあんたみたいな奴が、ほんの少し見せる変化。それこそがアイツの大好物ってわけ。憶えておくといいよ。でさ……」
「弓弦様!」
いままでまるで置物のように壁に張り付いて立っていた男が初めて声を上げた。
「来た?」
弓弦が鋭く振り返ると、男は小さく顎を引いた。
「わかった。行って……。あいつがどれほどのものか……お楽しみだね。アイツのために配置された父の直属の奴らがいるよね」
「
その名を聞くと、弓弦はピクリと眉根をよせた。
「あの男……。まあいい、奴なら大神秀一なんか、敵じゃないよね。ってわけで……苦戦しているようだったら……手を貸してやって?」
「わかりました。では、当初の指示通りに動きます……」
それだけ言うと、男は弓弦に向かって静かに一礼をして、部屋を出ていった。
男がいなくなると、弓弦は先程まで尊の座っていたパイプ椅子に腰を下ろす。
「信乃ちゃん。ここからは提案。さっきの会話で気がついているかもだけど、大神秀一が君を助けようとして、ここまで追ってきた」
どくん。
信乃の心臓が大きく跳ねた。喜びと、恐怖がないまぜになったような……なんとも落ち着かない気持ちに襲われて、胸が痛くなってくる。
助けに来てくれた。その事自体は嬉しい。けれども、こんなに早く助けに来るということは……。
「彼は……一人なのか?」
「そのとおり」
胸の痛みが強くなる。
秀一は強い。
けれど、一人で戦うなんて、無謀すぎる。
彼は、いまだに自分自身の変身をコントロールすることができていないのだ。
獣化して信乃に傷を負わせて以来、秀一は
普通ならもう自由に変身できてもいい年齢なのにだ。
そんな状態で、敵だらけの建物に一人で乗り込んでくるなんて、無鉄砲にも程がある。
信乃には利用価値があるから生かしているのだろうが、秀一は?
そこまで考えて、目の前がすうっと暗くなった。
「ねえ、助けてあげようか?」
信乃の心の動きを見透かすかのように、弓弦た言った。
しかし信乃は、しばらくの間弓弦の提案を理解することができなかった。
――助ける? だと?
「聞こえてる? 助けてあげようか? って言ってるの」
「……なぜだ?」
「なぜ? そうだなあ、君に貸しを作りたいんだよね。いい? これは大きな貸しだよ? 僕もただでは済まないもんね。きっと父さんにボッコボコにされるよ。そのかわり、いつか君は僕に力を貸してくれる。これでどう?」
「力を貸す?」
「そう、異界渡りの力があるでしょ」
信乃が返事をしないでいると、弓弦は小さく舌打ちをした。
「聞いてなかったのか?
信乃は、首を横に振る。
「あんたも、あんたの父さんも、僕を見誤ってる。異界渡りの能力者だの、先祖返りだのと言われてるけど、僕自身に操ることができない上に、それほど大層な力じゃないんだ」