trap2 内覧会
秀一は自分も種を口に含む。その甘味を味わって、早々に種を吐き出す。
信乃のほうはというと、種を吐き出すまでに随分と時間を書け、口の中を散々もごもごとさせている。
「お、美味しいけど、口が疲れるもんだな」
郁子は種が多く、丁寧に食べようとすると時間が掛かるし、相当口が疲れる。
「そんなもん、口ん中入れて、適当に味わったら吐き出すんだよ。信乃みたいにきれいに食べてたら、時間がかかってしょうがないじゃないか」
「えー、もったいないじゃないか!」
信乃はそう言って、新たな郁子に手を伸ばした。。
ハサミでもあればよかったのだが、なかなか苦労しているようだ。爪を立てて、なんとかもぎり取ると、満足げな顔になる。
多分、今の信乃の顔を見て、満足げな顔だと気づくものは数少ないだろう。出会ってから五年。相変わらず信乃の表情の変化は小さいが、秀一と翔は、そこからいろいろな感情を読み取れるようになっていた。
信乃のほうでも多少は表情が豊かになっているのかも知れない。
秀一は(彼から見ると)嬉しそうに郁子の種を口に含む信乃の様子を、なんということはなく眺めていた。秀一の助言を無視し、相変わらず丁寧にむぐむぐとやっている。
五年間の間に、秀一は170センチに届こうかという身長になっていた。翔は秀一よりも縦にも横にも大きく育っている。太っているというわけではなく、天羽という一族は骨格自体がガッシリとしているのだ。
二人と比べると、信乃は小さい。とにかく小さい。並べば頭の天辺は秀一の肩と同じくらいの高さだったから、つむじを見下ろすことができてしまうほどだ。
今までそれほど意識したことはなかった。それなのに、今日はなぜだか、そんな信乃の小ささが気になってしかたがなかった。
あの、ヒダヒダとしたスカートというモノがいけないのかもしれない。
あそこから伸びる足が、あんなに華奢に見えるなんて、知らなかった。
体格だけでなく、食べ方もぜんぜん違う。秀一や翔は郁子の種を口に含んだらすぐに吐き出してしまうのに、信乃は長い間口の中で種を転がしている。
信乃の口から吐き出された種は、丁寧に舌で胎座を削ぎ取られて、パラパラっと地面に転がった。
こん。
軽く頭をげんこつで小突かれ、はっとして振り返ると斜め後ろに翔がいる。
「目が、やらしい」
「な……! や、やらしいだと? 気配を消して近づきやがって! お前のほうがやらしいわ」
頭を片手で抑えながら翔に食ってかかったとき、秀一は周囲の異変にはじめて気がついた。
気配をより感じようと動きを止め、神経を集中させる。異変の漂ってくる方向を探るために、顔を左右に振ってみた。
まず、強く感じたのは臭いだった。
強く感じたといっても、それは熊に警戒し、いつもより周囲に気を払ったからこそ気がついたくらいの、微かな臭いだ。
「……血?」
「血?」
「ああ、匂わないか? 翔?」
秀一に促され、翔は周囲を見回しながらくんくんと鼻を鳴らした。
「いや、俺は秀一ほど鼻はよくないからな……でも……確かに、なにかよくない感じがする」
「……だろ?」
「だな。実はさ、今日は朝から嫌な感じがしてたんだよな」
「早く言えよ、そういうことは」
「いや、親父に小言を言われるくらいのものかと思ってたんだが……」
秀一と翔はすばやく視線を交わした。
「信乃!」
二人の様子に気づかずに郁子に手をのばしていた信乃は、秀一の呼びかけの鋭さに振り返った。
信乃は腕の中に、収穫した郁子を抱えている。
「なんだよおまえ! そんなに食うの?」
秀一が驚いて尋ねると信乃は「食べないよ。お土産にしようと思ってさ」と答えた。
「あー、お土産……お土産ね……」
都会育ちの信乃には珍しいものなのだろう。
信乃には翔のような予兆を感じる力も秀一のような飛び抜けた感覚もないのだから仕方がないのだけれども、秀一は緊張感のなさに脱力する。
「どうしたんだ?」
不思議そうに尋ねる信乃に「こっちに来い!」と、秀一は手招きした。
「なんだよ」
首を捻りながらも、信乃は素直に二人のそばまで戻ってくる。
「血の臭がする」
「血?」
「そっちの方角だ」
秀一は三人のいる場所より更に奥の藪の中を指で指した。
秀一の指し示す方角には、よく見なければ気づかないほどの細い獣道が伸びていて、先に進むことができるようだ。
「獣の臭いもするから、もしかしたら動物が死んでるのかもしれないけど……。どうする? 行ってみるか?」
秀一がたずねると、翔と信乃は一度お互いに顔を見合わせてから、こくりと一緒に頷いた。
その時確かに、危険を知らせる漠とした予感のようなものはあったのだ。
けれど秀一には、多少のことがあっても対処できるだろうという自身があった。自分自身も翔も、それなりに高い能力を有しているのだ。
それに、三人のいる場所がまだ学園の目と鼻の先……敷地内であるということが、警戒心を鈍らせていたのかもしれい。内覧会という常とは違う状況に、浮かれていたのかも知れないし、ちょっとした冒険心も、心の何処かにあったのかもしれない。
つまり三人は、学園に帰ることより、その先に足をすすめることを選んだのだった。
「信乃、俺と翔の間にいろよ」
秀一はそう言うと、細い獣道へと分け入って行く。
秀一、信乃、翔の順番で一列に並び、ガサゴソと獣道を辿っていくと、あっという間に少し開けた場所に出た。
小さな沢が流れている。
秀一はそこで歩みを止めた。
広い場所へ出たけれど、周囲は薄暗かった。木々に囲まれていることももちろんだが、陽も陰り始めていた。つい先程まであれほど青かったのに、梢の間から見える空はすっかり灰色に変化している。
「クマだ!」
「え? クマ?」
信乃と翔が秀一の影から顔を覗かせた。
「ああ、クマが……死んでる……?」
信乃が見たままをつぶやいた。
小さな沢の流れのそばに、一頭の熊が倒れている。
しかも、その大きな体の下には血溜まりが出来ていた。
信乃のほうはというと、種を吐き出すまでに随分と時間を書け、口の中を散々もごもごとさせている。
「お、美味しいけど、口が疲れるもんだな」
郁子は種が多く、丁寧に食べようとすると時間が掛かるし、相当口が疲れる。
「そんなもん、口ん中入れて、適当に味わったら吐き出すんだよ。信乃みたいにきれいに食べてたら、時間がかかってしょうがないじゃないか」
「えー、もったいないじゃないか!」
信乃はそう言って、新たな郁子に手を伸ばした。。
ハサミでもあればよかったのだが、なかなか苦労しているようだ。爪を立てて、なんとかもぎり取ると、満足げな顔になる。
多分、今の信乃の顔を見て、満足げな顔だと気づくものは数少ないだろう。出会ってから五年。相変わらず信乃の表情の変化は小さいが、秀一と翔は、そこからいろいろな感情を読み取れるようになっていた。
信乃のほうでも多少は表情が豊かになっているのかも知れない。
秀一は(彼から見ると)嬉しそうに郁子の種を口に含む信乃の様子を、なんということはなく眺めていた。秀一の助言を無視し、相変わらず丁寧にむぐむぐとやっている。
五年間の間に、秀一は170センチに届こうかという身長になっていた。翔は秀一よりも縦にも横にも大きく育っている。太っているというわけではなく、天羽という一族は骨格自体がガッシリとしているのだ。
二人と比べると、信乃は小さい。とにかく小さい。並べば頭の天辺は秀一の肩と同じくらいの高さだったから、つむじを見下ろすことができてしまうほどだ。
今までそれほど意識したことはなかった。それなのに、今日はなぜだか、そんな信乃の小ささが気になってしかたがなかった。
あの、ヒダヒダとしたスカートというモノがいけないのかもしれない。
あそこから伸びる足が、あんなに華奢に見えるなんて、知らなかった。
体格だけでなく、食べ方もぜんぜん違う。秀一や翔は郁子の種を口に含んだらすぐに吐き出してしまうのに、信乃は長い間口の中で種を転がしている。
信乃の口から吐き出された種は、丁寧に舌で胎座を削ぎ取られて、パラパラっと地面に転がった。
こん。
軽く頭をげんこつで小突かれ、はっとして振り返ると斜め後ろに翔がいる。
「目が、やらしい」
「な……! や、やらしいだと? 気配を消して近づきやがって! お前のほうがやらしいわ」
頭を片手で抑えながら翔に食ってかかったとき、秀一は周囲の異変にはじめて気がついた。
気配をより感じようと動きを止め、神経を集中させる。異変の漂ってくる方向を探るために、顔を左右に振ってみた。
まず、強く感じたのは臭いだった。
強く感じたといっても、それは熊に警戒し、いつもより周囲に気を払ったからこそ気がついたくらいの、微かな臭いだ。
「……血?」
「血?」
「ああ、匂わないか? 翔?」
秀一に促され、翔は周囲を見回しながらくんくんと鼻を鳴らした。
「いや、俺は秀一ほど鼻はよくないからな……でも……確かに、なにかよくない感じがする」
「……だろ?」
「だな。実はさ、今日は朝から嫌な感じがしてたんだよな」
「早く言えよ、そういうことは」
「いや、親父に小言を言われるくらいのものかと思ってたんだが……」
秀一と翔はすばやく視線を交わした。
「信乃!」
二人の様子に気づかずに郁子に手をのばしていた信乃は、秀一の呼びかけの鋭さに振り返った。
信乃は腕の中に、収穫した郁子を抱えている。
「なんだよおまえ! そんなに食うの?」
秀一が驚いて尋ねると信乃は「食べないよ。お土産にしようと思ってさ」と答えた。
「あー、お土産……お土産ね……」
都会育ちの信乃には珍しいものなのだろう。
信乃には翔のような予兆を感じる力も秀一のような飛び抜けた感覚もないのだから仕方がないのだけれども、秀一は緊張感のなさに脱力する。
「どうしたんだ?」
不思議そうに尋ねる信乃に「こっちに来い!」と、秀一は手招きした。
「なんだよ」
首を捻りながらも、信乃は素直に二人のそばまで戻ってくる。
「血の臭がする」
「血?」
「そっちの方角だ」
秀一は三人のいる場所より更に奥の藪の中を指で指した。
秀一の指し示す方角には、よく見なければ気づかないほどの細い獣道が伸びていて、先に進むことができるようだ。
「獣の臭いもするから、もしかしたら動物が死んでるのかもしれないけど……。どうする? 行ってみるか?」
秀一がたずねると、翔と信乃は一度お互いに顔を見合わせてから、こくりと一緒に頷いた。
その時確かに、危険を知らせる漠とした予感のようなものはあったのだ。
けれど秀一には、多少のことがあっても対処できるだろうという自身があった。自分自身も翔も、それなりに高い能力を有しているのだ。
それに、三人のいる場所がまだ学園の目と鼻の先……敷地内であるということが、警戒心を鈍らせていたのかもしれい。内覧会という常とは違う状況に、浮かれていたのかも知れないし、ちょっとした冒険心も、心の何処かにあったのかもしれない。
つまり三人は、学園に帰ることより、その先に足をすすめることを選んだのだった。
「信乃、俺と翔の間にいろよ」
秀一はそう言うと、細い獣道へと分け入って行く。
秀一、信乃、翔の順番で一列に並び、ガサゴソと獣道を辿っていくと、あっという間に少し開けた場所に出た。
小さな沢が流れている。
秀一はそこで歩みを止めた。
広い場所へ出たけれど、周囲は薄暗かった。木々に囲まれていることももちろんだが、陽も陰り始めていた。つい先程まであれほど青かったのに、梢の間から見える空はすっかり灰色に変化している。
「クマだ!」
「え? クマ?」
信乃と翔が秀一の影から顔を覗かせた。
「ああ、クマが……死んでる……?」
信乃が見たままをつぶやいた。
小さな沢の流れのそばに、一頭の熊が倒れている。
しかも、その大きな体の下には血溜まりが出来ていた。