trap2 内覧会
非常に長命。そして何故か女性がほとんど生まれないという、妖しのなかでも、独特な種族である。そのせいなのか、今でも天羽山の奥で、人とほとんど交わること無く、ひっそりと暮らしている。
新設される学園は、こうした人非ざるものが通うための学校である。ひと学年たった二クラスの、初等科から高等科までエスカレーター方式の全寮制の学校というのは、なかなかに特殊ではあるのだろうが、表向きは学校教育法に規定された学校法人の設置する普通の学校ということになる予定だ。
「うちは、東京の住宅街の中にあるからな」
信乃の家族は、人間たちの間で拝み屋として生計を立てている。都会育ちの信乃は、物珍しげに道路脇の斜面と、その先の藪を眺めていた。
「秀一の家にはときどき遊びに行ったが、あそこは人里離れているとはいえ、ここまで山奥という感じではないよな」
大神家は山間 にあるものの、大山津見神社裏の大鳥居から大神の屋敷までは、開けた平坦な土地である。鳥居から先は結界が張られていて、人間の目には林が見えるだけなのだが、人外の者が結界の入り口を抜けると、その先には大神一族の住む里が姿を現す。里の背後には山があるが、大神の者の手が入っており、深山ではなく里山なのである。
今三人が歩いている道路は広く真新しいが、その道の両側は入山を拒むように木々が生い茂り、太陽の光の届かぬその場所は、ほの暗く肌寒い。
ガサガサ……ッ。
物音がして、三人が歩みを止めた。
左手の藪の中だ。
「クマ……かな?」
翔が言った。
「クマ! いるのか!」
信乃の瞳がらんらんと輝きはじめる。
「信乃、動物園じゃないんだぞ。こんなとこでクマと乱闘なんて、親父に知れたら怒られる」
秀一が言うと、信乃がちょこっと首を横に倒した。
「なんだ、やっぱりおじさんのことは、怖いんだな」
などという嫌味に、秀一の心拍数は一気に跳ね上がった。
「怖くなんかねえよ! 面倒くさいだけ! こんな日に騒ぎなんて起こしてみろ? あのクソ真面目な親父にまたネチネチ嫌味言われんだぜ。そんで、ガキとか思われんだぜ。ほんっとうざい……。お前、うちの親父、あれでけっこうねちっこい……」
「まあ、クマは本当にいるだろうから、信乃は俺たちの間にいたほうがいいな」
秀一の愚痴をきっぱりと無視しながら、翔が信乃を挟むような位置に立った。「そうだな、ありがとう」と答える信乃も、秀一の怒りなどどこ吹く風だ。
「お前ら! 俺の話ぜんっぜん聞いてないな!」
と怒る秀一の肩を、信乃はなだめるようにポンポンと叩いた。
秀一はその仕草にまたもや逆上しそうになったが、信乃の視線は秀一を通り抜け、後ろの藪の中へと向かう。
「あ、あんなところに……!」
何かを見つけたらししい信乃は、走り出した。
「あ! てめぇ! 信乃! クマが出るって翔に言われたばっかだろうが! 一人で行くな」
自分の力を操ることのできない信乃は実戦となるとてんで役に立たない。力をコントロールできていないのは秀一も翔も同じだったが、信乃に比べればましだ。安倍家の人間は、人の中で過ごすことを選んだ時点で、本来の姿を晒すことをタブーとしてきた一族でもあり、種としても戦闘の能力がもともと低い。自らが主となって戦うというよりは、補助的役割や、用意周到な罠や策略を用いた闘いを好む種族である。
本来の姿は狐であり、その戦い方が、ずる賢いという人間のイメージに繋がっていったのかもしれない。
ずんずんと藪の中へ入っていく信乃を、秀一と翔の二人は慌てて追う。
一瞬、木々の影に信乃の姿が消えて、二人は足を早めた。
藪の奥で追ってきた二人を振り返り、信乃は手にした紫の実を、顔の前で揺らして見せてた。
「木立の間から見えたんだ。これ、木通 か?」
「いや、多分郁子 だな」
答えたのは、山奥に住む翔だ。
だが郁子 なら秀一も知っていた。大神家の広大な庭には、木通 の木もあれば、郁子 の木もあるからだ。
木と言っても、木通や郁子は蔓性の低木であり、それ一本で天に向かって伸びていくことはなく、周囲に木々に絡まりながら紫の実をたわわに実らせる。
「食えないのか?」
信乃の声には、長年の付き合いがあるからこそ分かる程度の、かすかな落胆の響きが混じっていた。
「食える食える」
秀一は信乃の手から片手の中に収まってしまいそうな小さな郁子の実を受け取ると、手でその柔らかな果肉を割ってやった。
中からとろりとした膜に覆われた種が現れる。木通 は真っ白な胎座の中に種が埋もれているが、郁子は黄緑がかったゼリー状の胎座の中に小さな黒い種がある。その様子は、少しばかりカエルの卵を連想させた。
「木通 と似たようなもんだよ」
秀一は割った郁子 を信乃にわたしてやりながら自分自身も郁子 をもぎ取った。
「けっこうなってるんだな」
翔も、その小さく柔らかな実に、手を伸ばしている。
信乃は手渡された実をしばらく眺めたあと、恐る恐るゼリー状の胎座ごと、黒い種を口に含んだ。
「ん!」
切れ長の目が大きく見開かれ、わずかに頬に赤みがさした。
「ほんのり甘いだろ?」
「んっん……ほんとら……」
信乃の小さな口がむぐむぐと動いている。
新設される学園は、こうした人非ざるものが通うための学校である。ひと学年たった二クラスの、初等科から高等科までエスカレーター方式の全寮制の学校というのは、なかなかに特殊ではあるのだろうが、表向きは学校教育法に規定された学校法人の設置する普通の学校ということになる予定だ。
「うちは、東京の住宅街の中にあるからな」
信乃の家族は、人間たちの間で拝み屋として生計を立てている。都会育ちの信乃は、物珍しげに道路脇の斜面と、その先の藪を眺めていた。
「秀一の家にはときどき遊びに行ったが、あそこは人里離れているとはいえ、ここまで山奥という感じではないよな」
大神家は
今三人が歩いている道路は広く真新しいが、その道の両側は入山を拒むように木々が生い茂り、太陽の光の届かぬその場所は、ほの暗く肌寒い。
ガサガサ……ッ。
物音がして、三人が歩みを止めた。
左手の藪の中だ。
「クマ……かな?」
翔が言った。
「クマ! いるのか!」
信乃の瞳がらんらんと輝きはじめる。
「信乃、動物園じゃないんだぞ。こんなとこでクマと乱闘なんて、親父に知れたら怒られる」
秀一が言うと、信乃がちょこっと首を横に倒した。
「なんだ、やっぱりおじさんのことは、怖いんだな」
などという嫌味に、秀一の心拍数は一気に跳ね上がった。
「怖くなんかねえよ! 面倒くさいだけ! こんな日に騒ぎなんて起こしてみろ? あのクソ真面目な親父にまたネチネチ嫌味言われんだぜ。そんで、ガキとか思われんだぜ。ほんっとうざい……。お前、うちの親父、あれでけっこうねちっこい……」
「まあ、クマは本当にいるだろうから、信乃は俺たちの間にいたほうがいいな」
秀一の愚痴をきっぱりと無視しながら、翔が信乃を挟むような位置に立った。「そうだな、ありがとう」と答える信乃も、秀一の怒りなどどこ吹く風だ。
「お前ら! 俺の話ぜんっぜん聞いてないな!」
と怒る秀一の肩を、信乃はなだめるようにポンポンと叩いた。
秀一はその仕草にまたもや逆上しそうになったが、信乃の視線は秀一を通り抜け、後ろの藪の中へと向かう。
「あ、あんなところに……!」
何かを見つけたらししい信乃は、走り出した。
「あ! てめぇ! 信乃! クマが出るって翔に言われたばっかだろうが! 一人で行くな」
自分の力を操ることのできない信乃は実戦となるとてんで役に立たない。力をコントロールできていないのは秀一も翔も同じだったが、信乃に比べればましだ。安倍家の人間は、人の中で過ごすことを選んだ時点で、本来の姿を晒すことをタブーとしてきた一族でもあり、種としても戦闘の能力がもともと低い。自らが主となって戦うというよりは、補助的役割や、用意周到な罠や策略を用いた闘いを好む種族である。
本来の姿は狐であり、その戦い方が、ずる賢いという人間のイメージに繋がっていったのかもしれない。
ずんずんと藪の中へ入っていく信乃を、秀一と翔の二人は慌てて追う。
一瞬、木々の影に信乃の姿が消えて、二人は足を早めた。
藪の奥で追ってきた二人を振り返り、信乃は手にした紫の実を、顔の前で揺らして見せてた。
「木立の間から見えたんだ。これ、
「いや、多分
答えたのは、山奥に住む翔だ。
だが
木と言っても、木通や郁子は蔓性の低木であり、それ一本で天に向かって伸びていくことはなく、周囲に木々に絡まりながら紫の実をたわわに実らせる。
「食えないのか?」
信乃の声には、長年の付き合いがあるからこそ分かる程度の、かすかな落胆の響きが混じっていた。
「食える食える」
秀一は信乃の手から片手の中に収まってしまいそうな小さな郁子の実を受け取ると、手でその柔らかな果肉を割ってやった。
中からとろりとした膜に覆われた種が現れる。
「
秀一は割った
「けっこうなってるんだな」
翔も、その小さく柔らかな実に、手を伸ばしている。
信乃は手渡された実をしばらく眺めたあと、恐る恐るゼリー状の胎座ごと、黒い種を口に含んだ。
「ん!」
切れ長の目が大きく見開かれ、わずかに頬に赤みがさした。
「ほんのり甘いだろ?」
「んっん……ほんとら……」
信乃の小さな口がむぐむぐと動いている。