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trap2 内覧会


「でだ、秀一はおじさんが露にプロポーズしているところを見たと」

 信乃に言われ、秀一は「ぐ」と詰まる。

「まあ、ありえない話じゃないな」
「遅いぐらいだな」

 顔を見合わせて、そう感想を述べる信乃と翔の言葉に「まじか!」と、秀一は思わず声を上げた。

「気付いてなかったのか?」
「それであの反抗的な態度というわけだな」

 二人に指摘され、秀一は再び「ぐ」と、喉に何かが使えたような声を上げた。

「で? 露さんはなんて答えたんだ?」
「……てない」
「てない?」
「だから……聞いてない!」

 秀一の両側から、同時に「ふう」と息を吐く音が聞こえた。

「あのな、自分の親父のラブシーンなんか、見たくねえんだよ! それに、親父も露も、その後ぜんっぜん態度変わんないんだぜ? 露もいつもどおりだし、親父も普段はあんなクソ真面目っぽい顔してるしさ。俺には何の相談もねえし!」
「あれじゃないか?」

 翔がぱっと顔を上げた。

「露さんがプロポーズを断った。だったら態度が変わらなくっても変じゃないだろ?」

 翔にしては珍しく話に乗ってきたが、その答えは秀一の納得のいくものではなかった。

「俺だったらそんなの無理。よくわからんけど、平気な顔していられるなんて、信じられない」
「そうかもしれないが、それが大人というものじゃないのか? だいたい振られたからと露を解雇したり、態度を変えたりするような男なのか? おまえの父親は」

 そうたしなめるのは、信乃だ。この二人は、まるで示し合わせたように秀一の痛いところをついてくる。

「……やめだ。こんな話。もう、面倒くせえ!」

 秀一は尻を叩きながら立ち上がり、大きく伸びをした。
 青い空にはオレンジ色に色づきはじめた桜の葉っぱがくっきりと浮かび上がっていて気持ちがいい。
 こんな辛気臭い話をしているのなんて、もったいない。

「ちょっと、その辺探索しよう」

 秀一の足はさっさと校門へと向かっていた。

「あまり遠くには行けないぞ?」
「昼までに帰れる範囲だな。それより、敷地内から出てもいいのか?」

 背中に二人の声がかかる。秀一は歩みを止めずに振り返った。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。大体この山一つ、ぜーんぶ学校の持ち物なんだろ? だったら、この山の中だったら学校から出たことにならないだろ?」

 翔と信乃は、お互いの顔を見つめ合い、そうしてちょっと肩をすくめると、少し走るように秀一を追いかけてた。

 広大な自然。
 などという言葉があるが、山奥という場所はそのイメージに反して、意外と人の歩ける場所は少ない。
 九十九学園周辺もその例にもれない。学園への道路は整備されてるが、そこから一歩外れれば鬱蒼とした林の中なのである。
 よほど山歩きに慣れたものでなければ、道を外れたら最後、あっという間に方向感覚を失ってしまうだろうし、遭難ということも、ありえない話ではない。
 実際、県道まで後数メートルというところで、近くの集落のお年寄りが息絶えていたなどという事件も報告されている。
 昔からそういう話は絶えることがなくて「狐に化かされた」などと言われることも多い。当の狐としては不本意極まりない話だろう。

『まあ、狐が化かすこともまったくないとは言わないけど、半分くらいは人間が勝手に遭難してるだけだよ。安倍家をはじめ、もともと狐族だったものは、今は山を降り街中で暮らしているやつらが多いんだ。人間の姿のままで一生を終えるものも少なくない』

 というのは、信乃のコメントだ。

「しっかし山奥だな」

 そう言ったのは、秀一で

「そうか? それほどでもないだろう?」

 と答えたのは翔だ。

 何しろ、翔の家は、九十九学園のあるこの辺り以上に山奥なのだ。
 
 天羽は山の神として古くから人間たちの間で崇め奉られてきた一族である。
 中部地方のとある村に、天羽山という小さな山がある。その山の中腹に、天羽山本体を御神体とする天羽神社があり、その神社より先は一般の人間の立ち入ることのできない、禁足地になっていた。
 神の領域と言われるその場所で暮らしてきたのが、翔の先祖たちである。彼らは周辺の村人たちに、神域天羽山に住む神の一族とみなされてきたのだった。
 天羽の一族の特徴は、まず第一にその大きな体だろう。
 秀一たち狼族や信乃たち狐族の仲間たちは人間形に変化すれば、ほぼ一般の人間と変わらない容姿になることができた。だが天羽は、本来の姿を隠し人間の形になっても、かなり目立つ容姿なのである。
 体格ばかりでなく、肌や髪の色が突飛な場合も少なくない。翔の場合、肌の色は一般的な肌色だったが、髪の色がめったにお目にかかれないほど赤い。
 今の時代は髪を染めてるものも多いし、体格も昔の日本人とは比べ物にならないほど良くなっているから、天羽の一族が下界に降り人間に紛れることも、なんとか可能になっている。しかし昔は、なかなか難しいことだったに違いない。
 下界に降りた彼らを見た人間が「鬼」だの「天狗」だのと、彼らを称したのは、無理からぬ事だったろう。
    
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