innocent1 異界
さらなるツッコミはしなかったが、自分だったら、もしお土産でもらったとしても、あんな柄の服は着ないだろうと秀一は思った。
「で? 何やってるんだよ」
翔も首を伸ばして秀一の視線の先を覗き込むようにしている。
「なあ……もしかしておまえ、センゾガエリノヒメって知ってる?」
「ああ、安倍さんところの子どもだろう? 俺たちの一つ上だって聞いたと思うけど……家から出たことがほとんど無いっていうから、俺は会ったことはない」
翔の答えに、秀一は思わず枝からずり落ちそうになった。
「え!? おまえ知ってんのかよ!」
自分の知らないことを翔が先に知っているというのが気に入らない。
「いや、昨日父さんに、安倍さんが子どもを連れてくることになったから、仲良くしてやれよ、って言われただけ。センゾガエリノヒメだから気をつけろってさ」
よく聞いてみれば翔の知っていることも、それ以上のものではないらしい。
「気をつけろ……?」
「俺も、なにを? って聞いたけど、詳しい説明はなかったな」
「なんだよ、俺とたいして変わんないじゃん……あ!」
鳥居の下を、一台の白い乗用車が通り抜けて来るのが目に映った。
――アレダ!
秀一はそう直感する。
一本道をどんどん近づいてくる乗用車に、秀一は全神経を集中させた。
車の中に、人影が二つ。
一つは運転席。大人。男。
もう一つは、助手席。秀一より小さな身体の……。
「今通ったの、安倍さんちの車だな。子どもが乗ってたみたいだ」
どうやら翔も気がついたらしい。
「なあ、今のって、女の子だったか? 男の子だったか?」
「さあ、そこまでは……」
ヒメっていうのは姫じゃないんだろうか?
姫というと、秀一の中ではフリフリのロングドレスを着て、長い髪にリボンをつけたおしとやかな女の子というイメージだ。
長いドレスの裾をつまんで「おほほほ」とほほえむ姿が、頭の中にボワンと浮かぶ。
けれどちらりと見えた子どもの横顔は、秀一の中のお姫様のイメージと合致するところが微塵もなかった。
――あれって、お姫様じゃなくって、王子様じゃねえ?
秀一は大神家の門を入っていく白いセダンを見つめながら、そんなふうに感じていた。
とにかくその「センゾガエリノヒメ」に会ってみないことには、なんとも言えない。
秀一は、自分の身長の倍もある高さの枝から軽々と飛び降り
「いくぞ!」
と翔に声をかけた。
畑、苔を敷き詰めた和風の庭園、大きな瓢箪の形をした池にかかる石の橋……それらを通り抜け、大神家の正面玄関へと向かう。
車寄せに秀一と翔が到着した時には、親同士はもう挨拶を済ませ、安倍家当主とその子どもは家の中へ入ろうとしているところだった。
「こんにちはっ!」
家に入りかけた後ろ姿に向かって元気に挨拶をする。
ちょっと驚いたような顔で振り返った安倍泰造は、秀一の顔を見るとすぐに笑顔になった。
「やあ! 秀一くんか。あと翔くんだね。二人とも大きくなったねえ」
泰造の後ろを歩いていた子どもも、こちらを振り返った。色白でほっそりと小柄なところが、父である泰造によく似ている。
――やっぱりどこからどう見ても……近くで見れば見るほど、女の子には見えない。髪の毛だって短いし、半ズボンはいてるし。まあ痩せっぽっちだし、ぜんぜん強そうじゃないけどな。
よほどジロジロと見つめてしまっていたのだろう。
父の秀就の手が、秀一の頭にぽんと乗った。
「秀一。そんなにジロジロ見たら、失礼じゃないか。まず自己紹介をしなさい」
苦笑交じりに言われて、秀一はお手伝いの露からさんざん教え込まれていた自己紹介の言葉を思い出す。
「あ、ごめんなさい……えっと……。はじめまして! 大神秀一です。よろしくね」
そう言ってペコリと頭を下げた。
『大きな声ではっきり、背筋は伸ばしてくださいね』
露に教えられたとおりにできたはずだ。
「はじめまして。安倍信乃です。よろしくお願いします」
眼の前の子どもが言った。
安倍信乃。
秀一は頭の中で、今教えてもらったばかりの名前を数回つぶやいた。
「天羽翔、です」
翔のぶっきらぼうな挨拶を聞きながら、秀一は信乃にふと違和感を覚えた。
姿勢よく、まっすぐに立っている。
それはいい。
だけど、なんというのだろうか……信乃の表情には、感情のようなものが感じられないのだ。
さっきの挨拶にしたって、ニコリともしないばかりか、てんで棒読みだった。
「じゃあ、お父さんたちは話し合いがあるから、子どもたちで仲良く遊んでなさい。大神の結界から出ないように」
秀就がそう言い、泰造を案内しながら家の中へと消えていく。
父の言葉に上の空で返事をした秀一は、その時突然ひらめいた。
――目だ!
そう思って、またじっと信乃の顔を覗き込むと、そのひらめきは確信に変わっていく。
信乃の目は、不思議な目だった。
横にすると目を閉じてしまう抱き人形のように、ただじっと空 を見つめている。
いや、確かに信乃はこちらを見ている。その瞳には秀一が映っている。けれども、見られているという気がしないのだ。
ガラス玉みたいだ。と思った。
「で? 何やってるんだよ」
翔も首を伸ばして秀一の視線の先を覗き込むようにしている。
「なあ……もしかしておまえ、センゾガエリノヒメって知ってる?」
「ああ、安倍さんところの子どもだろう? 俺たちの一つ上だって聞いたと思うけど……家から出たことがほとんど無いっていうから、俺は会ったことはない」
翔の答えに、秀一は思わず枝からずり落ちそうになった。
「え!? おまえ知ってんのかよ!」
自分の知らないことを翔が先に知っているというのが気に入らない。
「いや、昨日父さんに、安倍さんが子どもを連れてくることになったから、仲良くしてやれよ、って言われただけ。センゾガエリノヒメだから気をつけろってさ」
よく聞いてみれば翔の知っていることも、それ以上のものではないらしい。
「気をつけろ……?」
「俺も、なにを? って聞いたけど、詳しい説明はなかったな」
「なんだよ、俺とたいして変わんないじゃん……あ!」
鳥居の下を、一台の白い乗用車が通り抜けて来るのが目に映った。
――アレダ!
秀一はそう直感する。
一本道をどんどん近づいてくる乗用車に、秀一は全神経を集中させた。
車の中に、人影が二つ。
一つは運転席。大人。男。
もう一つは、助手席。秀一より小さな身体の……。
「今通ったの、安倍さんちの車だな。子どもが乗ってたみたいだ」
どうやら翔も気がついたらしい。
「なあ、今のって、女の子だったか? 男の子だったか?」
「さあ、そこまでは……」
ヒメっていうのは姫じゃないんだろうか?
姫というと、秀一の中ではフリフリのロングドレスを着て、長い髪にリボンをつけたおしとやかな女の子というイメージだ。
長いドレスの裾をつまんで「おほほほ」とほほえむ姿が、頭の中にボワンと浮かぶ。
けれどちらりと見えた子どもの横顔は、秀一の中のお姫様のイメージと合致するところが微塵もなかった。
――あれって、お姫様じゃなくって、王子様じゃねえ?
秀一は大神家の門を入っていく白いセダンを見つめながら、そんなふうに感じていた。
とにかくその「センゾガエリノヒメ」に会ってみないことには、なんとも言えない。
秀一は、自分の身長の倍もある高さの枝から軽々と飛び降り
「いくぞ!」
と翔に声をかけた。
畑、苔を敷き詰めた和風の庭園、大きな瓢箪の形をした池にかかる石の橋……それらを通り抜け、大神家の正面玄関へと向かう。
車寄せに秀一と翔が到着した時には、親同士はもう挨拶を済ませ、安倍家当主とその子どもは家の中へ入ろうとしているところだった。
「こんにちはっ!」
家に入りかけた後ろ姿に向かって元気に挨拶をする。
ちょっと驚いたような顔で振り返った安倍泰造は、秀一の顔を見るとすぐに笑顔になった。
「やあ! 秀一くんか。あと翔くんだね。二人とも大きくなったねえ」
泰造の後ろを歩いていた子どもも、こちらを振り返った。色白でほっそりと小柄なところが、父である泰造によく似ている。
――やっぱりどこからどう見ても……近くで見れば見るほど、女の子には見えない。髪の毛だって短いし、半ズボンはいてるし。まあ痩せっぽっちだし、ぜんぜん強そうじゃないけどな。
よほどジロジロと見つめてしまっていたのだろう。
父の秀就の手が、秀一の頭にぽんと乗った。
「秀一。そんなにジロジロ見たら、失礼じゃないか。まず自己紹介をしなさい」
苦笑交じりに言われて、秀一はお手伝いの露からさんざん教え込まれていた自己紹介の言葉を思い出す。
「あ、ごめんなさい……えっと……。はじめまして! 大神秀一です。よろしくね」
そう言ってペコリと頭を下げた。
『大きな声ではっきり、背筋は伸ばしてくださいね』
露に教えられたとおりにできたはずだ。
「はじめまして。安倍信乃です。よろしくお願いします」
眼の前の子どもが言った。
安倍信乃。
秀一は頭の中で、今教えてもらったばかりの名前を数回つぶやいた。
「天羽翔、です」
翔のぶっきらぼうな挨拶を聞きながら、秀一は信乃にふと違和感を覚えた。
姿勢よく、まっすぐに立っている。
それはいい。
だけど、なんというのだろうか……信乃の表情には、感情のようなものが感じられないのだ。
さっきの挨拶にしたって、ニコリともしないばかりか、てんで棒読みだった。
「じゃあ、お父さんたちは話し合いがあるから、子どもたちで仲良く遊んでなさい。大神の結界から出ないように」
秀就がそう言い、泰造を案内しながら家の中へと消えていく。
父の言葉に上の空で返事をした秀一は、その時突然ひらめいた。
――目だ!
そう思って、またじっと信乃の顔を覗き込むと、そのひらめきは確信に変わっていく。
信乃の目は、不思議な目だった。
横にすると目を閉じてしまう抱き人形のように、ただじっと
いや、確かに信乃はこちらを見ている。その瞳には秀一が映っている。けれども、見られているという気がしないのだ。
ガラス玉みたいだ。と思った。