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trap1 黒の微動

 自分の背丈の倍以上の高さの枝から飛び降りたというのに、弓弦はまるで月面にでも降りるかのように、ふわりと大地に降り立った。
 ブナの木の周囲は少しばかり開けていて、弓弦が地面に降り立つと、その広場を囲んだブナの木立の間から数名の者たちが音もなく姿を現した。男も女もいるが、皆揃いではないものの、黒い服を身に着けている。

「聞いてたと思うけど。作戦変更するよ。ターゲットは安倍信乃。異界渡りの能力者。けど、あいつはまだ力をコントロールできてない。ちょうど大神と天羽の跡取り息子と三人だけで、学園の敷地を出るところを見た。またとないチャンスだよ。隊を二つに分ける。陽動班は学園周辺に爆弾を仕掛ける。無理に学園内に仕掛けなくてもいい。注意を反らせればいいからね。それから、捕獲班は大神秀一と天羽翔を排除しつつ阿部信乃を捕獲する。僕と史郎は捕獲班に入る。陽動班、捕獲班とも、目的を果たしたら……もしくは戦闘に参加することが不可能な事態に陥った場合、その場で撤収してもらって構わないよ。安倍信乃を捕獲できたら、あとは僕と史郎が対処するから、そこでこのチームは解散となる。死ぬのは構わないけど……敵に捕らえられないように。これだけは気をつけてね。無理は禁物だよ」

 そこまで一気に言い終えると、弓弦は自分の周りを取り囲んだ大人たちを見まわした。
 その場に現れた者たちは、皆様々な体格をしている。
 ガッシリとした者が多いが、中にはガリガリに痩せたものもいる。背を丸めたもの、手足のずいぶんと長いもの。ここまで個性的な者たちの集団というのも珍しいかもしれない。
 だが、彼らにははっきりとした共通点があった。目つき、とでもいうのだろうか。瞳の奥にほの暗く、しかし力強く揺らめく炎がある。
 弓弦はここにいる者の中では、誰よりも華奢な体格をしていた。十三歳の男子としても、非常に小柄な部類に入るであろう。その彼の言葉に、この場に居並ぶ大人たちがじっと耳を傾けている。

「……雨がほしいな。匂いを消したい。能力者、いる?」

 一人の黒装束の、いやに大きな体の女が進み出た。大きな胸の膨らみと、後ろで束ねた長い黒髪がなければ、男と見紛うような体躯と厳しい眼差しをしている。

「雲を呼ぶくらいならそれほど間を置かずにできると思いますが……雨を呼ぶまでには時間がかかります」

 女が言った。

「ふうん……」

 しばらく下唇をつまむようにして何かを考えている様子だった弓弦の唇が、きゅっと弧を描いた。

「阿部信乃と一緒に天羽翔がいる。天羽家のやつは雷を呼べる。そうだったね?」

 弓弦が史郎を振り返った。

「はい、雷鬼を使役しますね」
「奴をつついてみるか」
「ですが、天羽翔もまだ十分に力をコントロールできていないかもしれません。都合よく雨雲や雷鬼を呼び寄せられるかどうか……」
「お話の途中ですが……」

 先程の女が、話に割って入った。

「私が使役しますのも、雷鬼です」

 女は弓弦に微笑みかけた。

「それいいね! 天羽翔も、つついて怒らせれば力が爆発するだろうし、あなたとの相乗効果で、雨雲も呼べる?」

 見上げる弓弦に女は「ええ、もちろんです」と答えた。ふたりともにこにこと笑っていて、話の内容を聞かなければ、体格のいい姉と華奢な弟が楽しく語らっているようにも見えたかも知れない。

「そしたら敵からの追跡を防ぐこともできるよね。というわけで……あ! 捕獲班の中から天羽翔攻撃班も用意しておいてね。彼を追い詰めて、雷鬼を呼んでもらわないとね。人数足りる? 陽動班は爆弾仕掛けるだけだから、少人数でいいんじゃないかな」

 それだけ言うと皆に背を向け、弓弦は木立の隙間からのぞいている真新しい学校へ再び視線を向けた。
 背後では、弓弦の作戦に従い、史郎がさらに細かな指示を与えている。
 話し合いが一段落つき、しんとあたりが静かになった。

「行こうか……?」

 背を向けたままの弓弦が言うと、黒づくめの衣装を着た者たちの中から数名が姿を消した。
 弓弦が大地を蹴る。

 バサ……ッ!

 羽ばたきの音がして、黒い羽が舞う。真っ黒な翼が空に広がる。
 弓弦はもといた枝の上に戻ると、まるで何事もなかったかのように膝を抱えた。
 その背には、今しがた確かに見えたはずの黒い翼はもうなくなっており、最初と同じように梢の上で静かに学園を眺めているのだった。
 
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