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innocent3 約束

 二人の言葉に露はほんのりと頬を赤くした。

「そうか……」

 信乃はそんな三人の様子をしばらく眺めていたが、何やら小さくうなずくと、箸を取り「いただきます」と手を合わせた。
 ご飯を食べ終えると、秀一と信乃はリビングでテレビアニメを見た。
 その間に風呂が沸いたらしい。

「ちょうどいいお湯加減ですから、入ってしまってください。信乃さんのタオルと着替えは、脱衣場のかごに用意してありますので」

 使用人の一人が、ソファーでゴロゴロしている二人に声をかけた。

「信乃! 一緒に入ろうぜ!」

 風呂に入る準備を整えた秀一は、ウレタン製の大きな水鉄砲を二本抱えている。
 しかし信乃は、そんな秀一をじとっと横目で見つめ、にべもなく言った。

「僕は一人で入る」

 まさか断られると思っていなかった秀一は、一瞬言葉を失った。
 何しろ幼い頃から何人もの使用人にかしずかれて育ったので、拒否されるということに慣れていない。
 予想していなかった信乃の返事に、あっという間に頭に血が上る。
 
「なんでだよ!」

 信乃はかっかとする秀一を前にしても、まったく態度を変えることはなかった。
 感情のこもらない冷たい視線をちらりと投げかけると、ふいっと横を向く。

「僕は秀一と一緒にお風呂に入るほど、子どもじゃないよ」

 信乃は横を向いたまま、そう言ったのである。
 悪気があったわけではないのだろうが、その言葉は火に油だった。
 ついに秀一の頭の中で、ぼふんと何かが爆発した。

「なんだと!」

 漫画だったら頭から湯気が出てたうえに、怒りマークがコマいっぱいに描かれていたかもしれない。
 秀一は肩を怒らせて喚いた。

「わかったよ! ばーか。あ、おまえちんちん小さいんだな! べーだ。オレ一人で入るから、かってにしろ!」

 思いついた悪口を片っ端から言ってみた。
 もっと決定的にスゴイワルクチをたくさん言ってやりたかったのだが、秀一の頭のなかに浮かんできた単語はそんなものしか無くて、それもまた秀一の悔しさに拍車をかける。
 何かを言い返そうとする信乃に反撃のすきを与えずに、走るようにして風呂へと向かった。

「ふんだ、バカ信乃!」

 誰もいない風呂場で、信乃への悪態をつきながら水鉄砲で遊んだのだが、あまり面白くなかった。
 ちぇ、と知らず知らず声に出してしまう。

「翔だって、家に泊まったときには一緒に風呂にはいったぞ! こどもだって? 一つ年上だからって、大人ぶっちゃってさ、ふんだ」

 怒りの冷めやらぬ秀一は、風呂からあがると信乃と顔を合わせること無く、そのまま自分の部屋へと戻ってしまった。
 信乃には来客用の寝室がすでに用意されていたし、別に困ることもないだろう。
 そう考えて、ベットの中に潜り込む。
 部屋の電気を消すと、窓の外には、まあるい月が見えていた。

『今日は満月だ。秀一は、僕を守ってくれるんだろう?』

 ふいに、信乃の顔が浮かんで、少しだけ後ろめたい気持ちになる。
 満月というのは、妖魅あやかしたちに力を与えてくれるものである反面、危険なものでもあるのだという。
 異界が近くなるからなのか、力が発動しやすくなり、なかにはコントロール不可能に陥る魔物も少なくない。
 特に秀一たちのような狼の一族は、昔から月の影響を多く受けると言われている種族だ。ホラー映画でだって、たいてい狼男が変身するのは満月の夜だ。
 実際、年若い狼人間が、初めて本来の狼としての姿に変身するのも、大抵は満月の晩なのだそうだ。

「俺もいつか、狼になれる時がくるのかなぁ……」

 秀一はベットの中でカーテンの隙間から差し込む月明かりを眺めながら独り言ちる。
 とろとろとした眠りに誘われ、いつの間にか秀一は夢の中にいた。
 母の夢だった。
 秀一は母親の顔を覚えていない。けれど、こうしてときどき母親の夢を見る。

 母は、狼族の友好のためにフランスからやって来たルー・ガルーの一族の女性だったというから、露とにているわけはないのに……それでも夢で見る母は、いつも露の顔をしている。
「お母さん」と呼ぶと、露と同じ顔をした母は「なあに?」と返事をしてくれる。

「お母さん、見ててね! 俺、あの大きな木のてっぺんまで登れるようになったんだよ!」

 夢の中には、いつの間にか、今日登ったあの大きな赤樫が一本立っていた。
 てっぺんまで登って、得意になって見下ろすと、母親は大きな灰色の狼と一緒に、こちらに背を向けて、大神の結界から出ていこうとしているところだった。

「待って!」

 木の上から叫んだけれど、振り返りさえしない。
 秀一の視線の先で、後ろに一つに縛った黒髪が解けて金色に輝き始め、緩やかなウェーブを描きながら、広がっていく。
 金色の豊かな髪を揺らした……一人と一匹はどんどん秀一から遠ざかり、大きな赤い鳥居の下をくぐって行ってしまう。

「待って! お母さん!」

 後を追いかけようとするのに、体が動かない。

「待って! 露!」

 叫びながら目を覚ますと、そこは仄暗い自分の部屋だった。
 寝る前に入れていたクーラーはいつの間にか止まっている。
 閉め切ってあった部屋は、むんとした空気が充満していて、着ていた寝間着はじっとりと湿っていた。
 秀一は身を起こすと、ベット脇の出窓を開けた。
    
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