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深まりゆく秋

 遼平が加賀美小学校へと転入してから数週間が過ぎていった。
 あの頃色濃く残っていた夏の名残はもう跡形もなく、空の色も、虫の声にも秋の気配が交じる。

 雷太たちグループからのちょっとした嫌がらせはいまだに続いてはいたが、遼平は「我慢する」といった約束を守って、あの日以来激昂することはない。
 だから、雷太たちが嫌がらせめいた発言を遼平に投げかけるたびに、空穏はチクチクと心が痛んだ。


 
 その日、六年二組の生徒たちは、エプロンと三角巾を身に着けて、調理室にいた。
 六年生の調理実習は「炒め物を作る」で、今日は野菜炒めと炒り卵を作ることになっている。
 はじめに先生から作り方の確認と注意事項を聞き、早速班に分かれて調理に取りかかった。こんな時主導権を握るのは、やはり女子だ。女の子ばかりが調理を進め、男子がボケッとしていると「包丁は順番で使うんだよ! 一人で全部やらないからね!」と、先生の声がした。
 その声に、出遅れていた男子も、女子と一緒に野菜を洗ったり、包丁で野菜を切ったりして、調理に加わる。
 空穏と遼平は、班が別れてしまっていた。しかも遼平はあの雷太と同じ班になっている。
 実習台は隣同士だったので、空穏はそちらの班の様子が気になって仕方がなかった。
 雷太は調理実習にはあまり興味が無いらしく、女の子にせっつかれて少しばかり参加したものの、後はだらだらと突っ立っておしゃべりをしている。
 そのままおしゃべりをしていればいいのに、雷太は野菜を切っている遼平にちょっかいをかけはじめた。

「なあなあ、これも切ってよ」
 
 キャベツを切っている遼平のまな板の上に雷太がウィンナーをばらまいた。
 遼平の手が止まる。

「早く切れで~」
「ああ、これもこれも」

 雷太の行動に調子に乗った、他の男子もまな板の上にしめじやら人参やらを乗せていく。
 まな板の上は具材だらけだ。
 キャベツを切ることが出来なくなった遼平の、手が止まった。
 空穏は、いつ助け舟を出そうかと、その様子に気を取られてそわそわとする。

「ちょっと!」

 その時、空穏と同じ班の莉乃の鋭い声が飛んだ。

「あんたら邪魔なのよ」

 そう言って雷太たちを睨んだ莉乃の目が冷たい。左手には炒り卵用の卵の入ったボール、右手には菜箸をもって、卵をかき回しながら雷太に詰め寄る。

「調理ができないんならできないで、邪魔しないでくれない?」
「なんだと? お前違う班だろ! なに指図してんだよ!」

 莉乃の態度に怒った雷太の手が莉乃の肩を押した。
 莉乃がバランスを崩す。思わず倒れ掛かりそうになった先には遼平がいた。
 近くで様子をうかがっていた空穏は慌てて莉乃に手を伸ばし、その腕を取って転ばないように引っ張った。だが、慌てて力任せに引っ張ったせいで「きゃあ!」と悲鳴を上げた莉乃と一緒に、自分もひっくり返ってしまった。
 空穏の上に、莉乃がのしかかるように倒れ込んでくる。
 結果、空穏は背中とお腹にダブルで衝撃を受けることになった。
 そこにあった椅子にぶつかりながら倒れたせいで息が止まるかと思うほどの痛みが背中に走り、お腹の上に莉乃が落下して、内臓が悲鳴を上げる。
 どうやら莉乃の手にしていたボールがひっくり返ったらしく、首のあたりにぬるっとした感触が広がる。

「どうしたんですか?」

 前の方からのんびりした先生の声が聞こえた。まだ様子を把握しきれてないらしい。

「ちょっと! クオン、大丈夫?」

 腹の上に馬乗りになったまま莉乃が聞く。空穏は背中に受けた痛みに顔をしかめてうめいた。

「え?……ちょっと……まじ?」

 莉乃の多少慌てたような声がする。
 
「どうしました!?」

 先生の声にもようやく緊迫感がこもった。

「くう……」

 もう、デジャブとでもいうのだろうか。今回は意識を失うことはなかったのだが、前回よりも痛い上に、卵まみれになるというおまけ付きだった。
 ようやく莉乃が立ち上がり、腹の上の重みが消える。

「空穏くん大丈夫ですか?」

 先生の気配がすぐ近くでした。

「だい、じょ……ぶ、です」

 空穏はうめき声みたいだった。

「てめえ……」

 その時、地を這うような、押し殺した低い声が聞こえた。
 空穏は心のなかで「やばい!」と叫ぶ。
 そのとたんに、悲鳴が上がった。ガターンと音を立てて何かが落下する気配。

「わー! 君たちなにやってるんですか!?」

 先生の声。
 空穏は、先生に抱きかかえられるように教室の隅に引きずられていった。
 悲鳴を上げたクラスメイトたちも実習室の隅に団子になっている。教室の真ん中には取っ組み合いをする遼平と雷太の姿があった。
 先生は、喧嘩の巻き添えを食わないように、空穏を隅に寄せてくれたらしい。

「おとなしくしてりゃあ、つけあがりやがって! いいかげんにしろよ!」

 遼平の声がした。
 今まで堪えていた分、盛大にブチ切れているらしい。げんこつを握りしめ、雷太に馬乗りになっている。雷太の方も負けてはいなくて、遼平の腕を取ると、体を入れ替え、今度は雷太が上になる。

「君たち! やめなさい!」

 担任の蒲田はようやく二人を止めに入った。
 その頃には、騒ぎを聞きつけた他のクラスの先生かけつけてくる。
 先生方に取り押さえられながら、遼平と雷太は、あちこち擦りむいて、ぜいぜいと肩で息をしながら睨み合っていた。
 
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