このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

深まりゆく秋

 空穏の住んでいる戸沢集落は、過疎集落であると同時に限界集落でもある。普段は道を歩いていても、人と行き交うことすらめずらしい。だが、古くから行われている秋祭りには、集落を出ていった若者たちも集まってきて、大層な賑わいとなる。
 祭りでは、戸沢集落ともう一つの黒田集落から中間地点の稲荷神社を目指して山車が出る。一日中集落を練り歩いた山車は、夕刻になると神社へ向かう。二つの山車は参道で激しくぶつかりあい、神社入りをする。そのぶつかるさまが勇壮だと、わざわざカメラを携えて見に来るものもいるような祭りなのだった。神社では稚児舞が舞われ、山車には祭り囃子の笛や太鼓の奏者が乗り込む。
 戸沢集落では、十月末の本番に向け、九月中からお囃子の練習が始まっていた。
 
 お囃子の練習は夜に行われるのだが、初日だけは練習会場となる集会所の掃除や楽器の準備があるために、昼日中ひるひなかから人が集まりだす。
 大人たちが楽器の準備をする間、集会所の掃除をするのは子どもたちの仕事と決まっていた。女衆はお茶とおやつの準備だ。
 楽器は、集落の物置と化している旧小学校にあるので、大人たちはそこに集まり軽トラックに楽器を詰め込んで集会所まで運んでくる。おやつの準備も旧小学校の給食室で用意するために集会場には子どもたちばかりが集まっていた。



 空穏がほうきで畳の上を掃きながら、窓の外の景色を見れば、真っ青に澄んだ空の上に緑の山々がくっきりとうかぶ。九月に入ったが、山はまだまだ緑が濃く、紅葉はこれからだ。ちょうどお祭りの頃になると、山は赤や黄色に彩られているはずだ。

「おー! クオンと遼平は座布団叩いてこいよ!」

 集落でたった一人の中学生の佐藤陽菜さとうひなが、腕組みをしながら皆に指示を出していた。

「ボクも今年で最後だからな。お前らちゃんと段取り覚えろよ!」

 自分のことをボクと呼び、乱暴な口調だが、陽菜ひなはこれでも女の子だ。中学校では陸上部に所属していて、真っ黒に日焼けしている。
 縁側で座布団を叩きながら「ヒナはさぁ、高校になったら山下りんの?」と声を大きくして空穏はたずねた。
 陽菜は、ひょいと肩をすくめる。

「こっから高校に通えればいいけど、麓まで降りて、駅までバスで、そこから電車……って、無理だろ? 行き帰りで半日終わっちまうし」
「……だよねー」

 答えはわかりきっていたはずなのに、空穏は少し寂しい。
 この集落の子どもたちは、高校生になるとみんな山を下りてしまう。親戚を頼る者が多いが、中にはアパートを借りて、母親と一緒に住むなんていう者もいる。一人で大学生や単身赴任者が利用するような食事付きアパートに入るものもいる。土日や長期休暇には集落へ帰ってくるものの、やはり集落を出てしまえば、今までのように頼るわけにもいかない。
 中学三年の陽菜がお祭りに参加するのは、今年で最後になる。来年からは、この集落で一番年上の子どもは、空穏と遼平になるのだ。

「まあ、なるべく祭りには帰ってくるようにするけどさ。今までみたいにはいかないからな。リョウもちゃんと覚えておけよ?」

 陽菜は遼平のことをリョウと、呼ぶことに決めたらしい。

「え? オレ?」
「んだよ」

 お祭りに参加すること自体はじめてだった遼平は、びっくりしたような顔をした。
 転校してきたばかりの頃は自分をボクと呼んでいた遼平だが、今では自分をオレと呼んでいる。だいぶ、この土地にも慣れてきた様子だった。

「ボクもさ、いつかは此処に戻ってきたいと思ってるけどさ……。おらー! キヨミ! アンジュ! サボってんじゃねえ! 鬼ごっこなんていしてたら、ホコリが舞うだろうが!!」

 陽菜は下級生を叱り飛ばす。清水たちは陽菜の剣幕に驚いて、またおとなしく掃除を初めた。
 叩いた座布団から立ち上った埃が空気の中でキラキラ光り、遼平はコホコホと咳をした。
 遼平は喉が弱いらしく、時折コホコホと咳をする。授業中にも咳が止まらなくなることがあって、先生に水を飲んでくるように言われたりすることもあった。

「風邪?」
「うう、いや、気管支がちょっと弱いだけ」
「ふーん」
「いつも秋になると、咳が止まらなくなることがあるんだ。発作が出たりするほどじゃないんだけどね。お医者さんは喘息気味とかっていうけど」
「気味?」
「よくわかんないだろう?」
「ほんとだ」

 空穏もさすがに遼平と話すのに緊張することはなくなっていたが、ふとした表情に今でも時々ドキッとすることがある。今も、口元に手を当てて、頬を赤くしてコンコンと咳き込む遼平を見て、胸にキュンとした痛みを覚えた。

「こらぁ! クオンとリョウは、座布団叩いたら、座敷に敷く! もう六年なんだから、言われなくてもやるんだよ」

 陽菜に怒られてしまう。
 埃を叩いた座布団を並べていると、軽トラックが集会所の駐車場に入ってくるのが見えた。廃校になった小学校から、楽器を運んできたのだ。軽トラックに続いて車も数台やってきて、集落の男たちが次々に降りてきた。男たちは太鼓や鐘や笛を荷台からおろし、集会所へと運び込む。
 空穏の父親の元もその中にいて、集会所へと入ってくると「少し寒いか?」と、子どもたちに声をかけた。
 山の麓ではまだそれほどでもないのだろうが、山間の集落では最近冷え込みが厳しくなってきている。ついこの間までの夏の名残はもうまったく感じられない。特に朝と晩はもうストーブを焚くような寒さだった。
 集会場でも、押し入れにしまわれていただるまストーブが、この練習のために引きずり出されている。ストーブに火が入ると、子どもたちが喜々として取り囲んだ。

「こらぁっ! 掃き掃除が終わったら、雑巾もって拭き掃除!」

 陽菜の怒号が響いた。
1/5ページ
スキ