君との出会い
二学期の最初の一日は、午前中で学校が終わる。
一時間目はクラスごとの学活。二時間目は学校全体での始業式。その後には少し長めの中休み。三時間目に国語の授業があって、四時間目は大掃除という時間割になっていた。
空穏は先生からのお墨付きももらい、あれこれと遼平の世話を焼いていたが、少し長めの中休み時間になると、待ってましたとばかりに、遼平はクラスの女子に囲まれた。
遼平の机に手をつき、真正面から身を乗り出すように話しかけているのは、女子の中でも中心的なグループのリーダーである町田莉乃だ。頭も良く、しっかりとした女子で、キュッと天辺でひとまとめにしたポニーテールが特徴だ。
遼平は自分を取り囲み、次々と名乗る女子を順繰りに見回している。
「ねえねえ、遼平くんは東京のどの辺に住んでたの?」
莉乃の頭でポニーテールがゆらゆらと揺れた
「ボクが住んでたのは、町田っていうところだから、東京っていっても少しはずれたところだよ?」
遼平が答えると、教室の後方で固まっていた男子の中から「ぷっ」と小さく、笑い声が漏れた。遼平の目が、ちらりと動いたが、女子たちはそれには反応せず、遼平に話しかけている。
「あー、町田って、おばさんが住んでるよ。遊びに行ったことがある」
「ねえ、こっちにはいつ越してきたの?」
「急に引っ越すことになって……。昨日この町についたばっかりなんだ」
遼平が話しだしたとたんに、またクスクスという笑いと、コソコソ話す声が雷太を取り囲んだ男子の間から聞こえた。
それまで雷太たちを無視していた莉乃だったが、我慢ができなくなったらしい。ムカッとした顔をして、教室の後方にいる男子のかたまりを睨みつける。
「ちょっと! あんたら、なにコソコソ話してんのよ!」
たちまち教室中が不穏な空気に包まれ、空穏は恐る恐る雷太たちの様子をうかがった。
雷太は腕を組みながら背もたれに背を預け、ニヤニヤとした笑いを浮かべている。その周りに数人の男子がやはり嫌な笑いを浮かべながら莉乃たちを方をみている。
「だってさあ」
「ボク、東京から来ました」
「キノウ、このマチについたばっかりなんだ」
男子の中の誰かが遼平の口真似をした。
加賀美町は東北南部に位置する山間の田舎町で、お年寄りの中には聞き取れないくらいに訛の強い人もいる。子どもたちの話す言葉は今では標準語に近いものになっているけれども、決して標準語ではない。同じ言葉を喋っても、イントネーションや発音の仕方、言葉の強弱、上がり下がりにスピードまで、何もかもが違う。空穏たちは少しこもったような話し方をするけれど、遼平はさらっと少し早めに話す。下からずりあげるような喋り方に比べて、まっすぐなイントネーションに、短めの語尾。それにこの小学校で、自分のことをボクなんて言う男子はいなかった。
もちろん、テレビなどで標準語を聞く機会はあるし、めずらしいわけではないけれど、眼の前の友達が標準語を喋るというのは、彼らに大きな違和感をもたらしていた。
垢抜けした服装と顔立ちで、女の子に囲まれる遼平に、雷太たち数名の男子は面白くない感情を抱いていた。そのうえハキハキとした標準語 をしゃべる遼平は、彼らに「かっこうつけている」と、捉えられてしまったのだ。
目を輝かせて遼平を取り巻く女子とは反対に、雷太たち一部の男子は、嫌悪感を浮かべて遼平をみていた。
きーんこーんかーんこーん。
間の抜けたチャイムの音が、緊迫した空気を断ち切る。
三時間目は国語の授業で、教科書のない遼平に空穏は机をくっつけて見せてやる。
「どうぞ」
ドキドキしながら、空穏が教科書を押しやると、まだきつい表情をしていた遼平は一つ大きく呼吸をしてから「ありがとう」と、小さな声で言った。
遼平の顔に笑顔はない。
空穏は授業のあいだじゅう全部の神経が体の左側に集まってしまったような気持ちだった。
何か話しかけてやりたいと思うのだが、言葉が出てこないのだ。「気にするなよ」とか「雷太には気をつけたほうがいいよ」なんて、言ってやりたいのに、舌が固まって声にならない。遼平もまっすぐと前を見たまま、空穏をみない。
すっとのびた背筋と、きれいに整った顔立ちが、周りを遮断しているように感じさせてしまう。
三時間目が終わり、机と机の間の通路を教室の後ろに向かってあるき出した遼平は、急につんのめるようにその場に倒れた。
空穏が物音に驚いて振り返ると、雷太の足が、通路にでんと伸びている。
「ああ、ごめんごめん。わざとじゃねえから」
這いつくばった遼平にクスクスという笑い声が降った。「だいじょうぶー?」とかけられた声にも笑いが含まれている。「だっせー」という雷太の声がした。
空穏はオロオロとあたりを見回しながら、顔面蒼白になった。
「だだ、だいじょう……ぶ?」
声をかけ、助け起こそうと遼平を見ると、すごい形相で雷太を睨んでいた。
「なんだよ?」
その表情に気づいた雷太も、ニヤニヤとした笑いを引っ込め、すごみのある声とともに遼平を睨んでいる。
空穏があっと思う間もなく、飛び起きた遼平は、渾身の力で雷太を殴り倒していた。
「ええー!?」
空穏はあまりの衝撃に固まった。
だって、自分の理想の可愛い子(男だけど)が、いきなりものすごい形相で、クラス一の大男を殴り倒したのだ。
「てめえ、ふざけたことばっかしてんじゃねえぞ!」
およそ遼平の外見からは想像もつかないような、罵声が飛び出し、クラスの全員がピシリと固まる。
雷太が「こいつ!」と、拳を振り上げ、遼平もそれを避けながら、また殴りかかろうとする。その様子にハッとした雷太の取り巻き男子が加勢に入る。
「ちょっと! なにしてんの!? やめなさいよ!」
「だれか、先生呼んで!」
「とーめーてーよー」
女子の金切り声がクラスに響いた。
「や……やめろって!」
ようやく正気に返った空穏が、遼平を雷太から引き剥がそうと後ろから羽交い締めにした。
「てめえ! なにしやがる!」
激昂した遼平は、自分を羽交い締めにしている空穏にも怒りの矛先を向けた。
遼平の気が空穏にそれたすきに、雷太の拳があがる。
危ない!
そう思った瞬間。
空穏は遼平と体を入れ替え、雷太の拳の前に立っていた。
ガツン!
頭に重い衝撃を受けて、空穏はその場に倒れる。
女子の悲鳴をどこか遠くで聞きながら、空穏は意識を失った。
一時間目はクラスごとの学活。二時間目は学校全体での始業式。その後には少し長めの中休み。三時間目に国語の授業があって、四時間目は大掃除という時間割になっていた。
空穏は先生からのお墨付きももらい、あれこれと遼平の世話を焼いていたが、少し長めの中休み時間になると、待ってましたとばかりに、遼平はクラスの女子に囲まれた。
遼平の机に手をつき、真正面から身を乗り出すように話しかけているのは、女子の中でも中心的なグループのリーダーである町田莉乃だ。頭も良く、しっかりとした女子で、キュッと天辺でひとまとめにしたポニーテールが特徴だ。
遼平は自分を取り囲み、次々と名乗る女子を順繰りに見回している。
「ねえねえ、遼平くんは東京のどの辺に住んでたの?」
莉乃の頭でポニーテールがゆらゆらと揺れた
「ボクが住んでたのは、町田っていうところだから、東京っていっても少しはずれたところだよ?」
遼平が答えると、教室の後方で固まっていた男子の中から「ぷっ」と小さく、笑い声が漏れた。遼平の目が、ちらりと動いたが、女子たちはそれには反応せず、遼平に話しかけている。
「あー、町田って、おばさんが住んでるよ。遊びに行ったことがある」
「ねえ、こっちにはいつ越してきたの?」
「急に引っ越すことになって……。昨日この町についたばっかりなんだ」
遼平が話しだしたとたんに、またクスクスという笑いと、コソコソ話す声が雷太を取り囲んだ男子の間から聞こえた。
それまで雷太たちを無視していた莉乃だったが、我慢ができなくなったらしい。ムカッとした顔をして、教室の後方にいる男子のかたまりを睨みつける。
「ちょっと! あんたら、なにコソコソ話してんのよ!」
たちまち教室中が不穏な空気に包まれ、空穏は恐る恐る雷太たちの様子をうかがった。
雷太は腕を組みながら背もたれに背を預け、ニヤニヤとした笑いを浮かべている。その周りに数人の男子がやはり嫌な笑いを浮かべながら莉乃たちを方をみている。
「だってさあ」
「ボク、東京から来ました」
「キノウ、このマチについたばっかりなんだ」
男子の中の誰かが遼平の口真似をした。
加賀美町は東北南部に位置する山間の田舎町で、お年寄りの中には聞き取れないくらいに訛の強い人もいる。子どもたちの話す言葉は今では標準語に近いものになっているけれども、決して標準語ではない。同じ言葉を喋っても、イントネーションや発音の仕方、言葉の強弱、上がり下がりにスピードまで、何もかもが違う。空穏たちは少しこもったような話し方をするけれど、遼平はさらっと少し早めに話す。下からずりあげるような喋り方に比べて、まっすぐなイントネーションに、短めの語尾。それにこの小学校で、自分のことをボクなんて言う男子はいなかった。
もちろん、テレビなどで標準語を聞く機会はあるし、めずらしいわけではないけれど、眼の前の友達が標準語を喋るというのは、彼らに大きな違和感をもたらしていた。
垢抜けした服装と顔立ちで、女の子に囲まれる遼平に、雷太たち数名の男子は面白くない感情を抱いていた。そのうえハキハキとした
目を輝かせて遼平を取り巻く女子とは反対に、雷太たち一部の男子は、嫌悪感を浮かべて遼平をみていた。
きーんこーんかーんこーん。
間の抜けたチャイムの音が、緊迫した空気を断ち切る。
三時間目は国語の授業で、教科書のない遼平に空穏は机をくっつけて見せてやる。
「どうぞ」
ドキドキしながら、空穏が教科書を押しやると、まだきつい表情をしていた遼平は一つ大きく呼吸をしてから「ありがとう」と、小さな声で言った。
遼平の顔に笑顔はない。
空穏は授業のあいだじゅう全部の神経が体の左側に集まってしまったような気持ちだった。
何か話しかけてやりたいと思うのだが、言葉が出てこないのだ。「気にするなよ」とか「雷太には気をつけたほうがいいよ」なんて、言ってやりたいのに、舌が固まって声にならない。遼平もまっすぐと前を見たまま、空穏をみない。
すっとのびた背筋と、きれいに整った顔立ちが、周りを遮断しているように感じさせてしまう。
三時間目が終わり、机と机の間の通路を教室の後ろに向かってあるき出した遼平は、急につんのめるようにその場に倒れた。
空穏が物音に驚いて振り返ると、雷太の足が、通路にでんと伸びている。
「ああ、ごめんごめん。わざとじゃねえから」
這いつくばった遼平にクスクスという笑い声が降った。「だいじょうぶー?」とかけられた声にも笑いが含まれている。「だっせー」という雷太の声がした。
空穏はオロオロとあたりを見回しながら、顔面蒼白になった。
「だだ、だいじょう……ぶ?」
声をかけ、助け起こそうと遼平を見ると、すごい形相で雷太を睨んでいた。
「なんだよ?」
その表情に気づいた雷太も、ニヤニヤとした笑いを引っ込め、すごみのある声とともに遼平を睨んでいる。
空穏があっと思う間もなく、飛び起きた遼平は、渾身の力で雷太を殴り倒していた。
「ええー!?」
空穏はあまりの衝撃に固まった。
だって、自分の理想の可愛い子(男だけど)が、いきなりものすごい形相で、クラス一の大男を殴り倒したのだ。
「てめえ、ふざけたことばっかしてんじゃねえぞ!」
およそ遼平の外見からは想像もつかないような、罵声が飛び出し、クラスの全員がピシリと固まる。
雷太が「こいつ!」と、拳を振り上げ、遼平もそれを避けながら、また殴りかかろうとする。その様子にハッとした雷太の取り巻き男子が加勢に入る。
「ちょっと! なにしてんの!? やめなさいよ!」
「だれか、先生呼んで!」
「とーめーてーよー」
女子の金切り声がクラスに響いた。
「や……やめろって!」
ようやく正気に返った空穏が、遼平を雷太から引き剥がそうと後ろから羽交い締めにした。
「てめえ! なにしやがる!」
激昂した遼平は、自分を羽交い締めにしている空穏にも怒りの矛先を向けた。
遼平の気が空穏にそれたすきに、雷太の拳があがる。
危ない!
そう思った瞬間。
空穏は遼平と体を入れ替え、雷太の拳の前に立っていた。
ガツン!
頭に重い衝撃を受けて、空穏はその場に倒れる。
女子の悲鳴をどこか遠くで聞きながら、空穏は意識を失った。