例大祭
集落中を練り歩いた山車と人々は、お宮入りを前に休憩をとっていた。
いったん集会場に戻った人々は、たっぷりと休憩を取り、夕方からいよいよ神社を目指す。そしてもう一つの山車と、神輿を挟んで押し合いながら数時間をかけて宮入りをする。そこがこの祭りのクライマックスとなる。
集会場には持ち寄られたお菓子やらおにぎり、漬物や飲み物がテーブルの上に並んでいて、それぞれ勝手に食べていいことになっている。ここを出発したら、後はゆっくり食事をする時間などはない。
空穏がストーブに向かって冷えた体を温めていると、杏樹が近づいてきた。
「クオン、ちょっといい?」
少し離れたところから手招きしている。
「なに?」
近づくとまた離れて、こっちこっちと手招きしながら、集会場の外へ出ていく。
集会場から少し離れた曲がり角に立つ紅葉の大木の根元で、杏樹はようやく立ち止まった。
「どうしたの?」
四年生の杏樹は、色白で少しポチャッとしていて、いつもホワワンと笑っていることが多いのだが、今はぎゅっとつむった口をへの字に曲げている。
「なんか困ったことでもあった?」
空穏は、少しかがんで杏樹の様子をうかがった。
「あのさー、りょうちゃんが、クオン呼んでる」
「へ? 遼平!?」
「しー!!」
杏樹は人差し指を口に当てると、あたりをきょろきょろと見回した。
「な、なんでだよ」
「内緒なんだってば! もう! りょうちゃん、今日はお祭り行っちゃ駄目って言われて、こっそり抜け出したんだって」
「は? そんなことして……大丈夫なの?」
「あのねー。大丈夫じゃないから内緒なんでしょう?」
杏樹はため息混じりだ。
「まー。とりあえずこっちだから」
杏樹がすたすたと歩きだし、空穏は慌てて後を追った。
たどり着いたところは、杏樹の家である大槻家本家の大きな敷地内だった。なにしろ家を取り囲む塀の中に栗林があるような大きな家だ。杏樹は門を通り抜け、母屋から少し離れたところにある炭小屋へと入っていった。名前の通り、冬の間に使う炭が置いてある小さな小屋だ。
「りょうちゃん? クオン連れてきたよー」
杏樹はプラスチック製の波板のトタンをガタガタいわせながら、扉を開けた。
二メートル四方ほどの小さな小屋の中には、マフラーを巻いてダウンのベンチコートを着込んだ遼平が立っていた。
「遼平! 風邪、大丈夫なの? だめなんじゃねえの? どうして……」
遼平は顔を半分マフラーに埋めてうつむいている。
「約束した……」
そうしてポツポツと話しだした。
「クオンのこと、見に行くって約束した。父さんも母さんも、最初はちょっとくらい見に行ってもいいって言ってたのに、急にダメだっていうんだ。だから抜け出してきた」
「ちょ……。だって、だってさ、熱とかあるんじゃねーの? 無理すっと、悪くなっから……」
遼平の気持ちもわかる気はするが、誰にも内緒でここにいるのは、まずいのではないか? それに、遼平の頬がいつもより赤みを帯びているようなきがする。
「ほら、約束なんて、気にしなくっていいからさ。祭りは来年もあるし。な? オレ家まで送るよ?」
空穏が説得をし始めると、後ろに立っていた杏樹が「来年はないんだよ、ね? りょうちゃん?」と言った。
「へ?」
「あのねクオン、今朝りょうちゃんのお父さんに会ったでしょー? りょうちゃんのお父さんとお母さんは仲直りしてさ、またお父さんのところに住むんだってー。だから、りょうちゃんはもうすぐ引っ越しちゃうんだよー」
「……っ、うそ……」
「うそじゃない!」
遼平は炭小屋の真ん中でうつむき、両手をきつく握りしめていた。
脳ミソが活動するのを放棄してしまったようで、空穏には何をどう考えてよいのやらわからなかった。
(遼平がいなくなる? 転校する? なんだよそれ。遼平は転校してきたばかりじゃあないか。)
そんな思考が頭のなかで空回りしている。
目の前の遼平の顔を見つめた。少し潤んだ目と、いつもより赤いほっぺたに、はっと正気に返った。
おそらく、遼平の熱が高くなったのに違いない。でなければいくらなんでも、急に祭りに行ってはいけないなんて言うのは、おかしい。
とにかく遼平を家に帰るようにうながさなければと思い至る。
「で、でもさ。また祭りに来ることだって出来るだろ? 引っ越したってさ、いつでも遊びに来ればいいじゃないか。遼平、熱あんだろ?」
優しげに声をかけながら、遼平の額に手を伸ばす。まるで野良猫を撫でるときのように、驚かせないようにとそっと手を伸ばしたのに、遼平は伸びてきた手を強く払った。
「もういい! 空穏なんかに俺の気持ちはわからないんだ! お父さんもお母さんも勝手だ! 勝手に喧嘩して、オレ、すごく心配で……そしたら急に転校することになって、引っ越す日までオレ、引っ越すことも知らなかったんだぞ!」
「え?」
「それなのに、今度はまた仲良くなったからもとの家に戻るんだって。今まで一生懸命新しい小学校で頑張ってたオレはなんなんだよ! せっかくクオンとも仲良くなってさ……なんでオレは……」
言葉に詰まって遼平はうつむく。
「遼平?」
泣くのではないかと心配して、遼平に向かって一歩踏み出したところで、急に遼平は顔をあげた。至近距離で眉を吊り上げ、きつく空穏を見上げている。
「いいよ、オレ一人で行く!」
遼平がぐいっと目元を拭うと、コートの袖が濡れた。
走り出す遼平を、我に返った空穏が捕まえようとする。
「ま、待って! 遼平! わかった! わかったから!!」
走り出そうとした遼平の背中に取りすがった空穏は、引きづられながら倒れてしまった。遼平もバランスを崩したが、なんとか持ちこたえる。そして、背後でベシャリとうつむきに倒れた空穏に、驚いて振り向いた。
「なにやってんだよ! また怪我するだろう? 本当、クオン……オレのせいで怪我してばっか……なんだから……」
勢いよく転んでしまったことに照れながら顔をあげると、遼平の目からポロポロとまあるい涙がこぼれていた。
本当は、遼平は家で寝ていた方がいいに決まってるはずなのだ。だけど、その泣き顔を見ていたら、空穏の気持ちがぐらつく。遼平の願いを叶えてやりたいという気持ちになってしまう。
「わ……わかったよ! 遼平、一緒にお祭りに行こう。でも、太鼓は叩けないよ。すぐ見つかっちゃうからさ、一緒にお祭りに行って、お店見て、こっそりみんなの太鼓を見てさ、それでいい? あ、あと、クレープだっ……け?」
空穏は起き上がると遼平の涙を拭ってやった。
いったん集会場に戻った人々は、たっぷりと休憩を取り、夕方からいよいよ神社を目指す。そしてもう一つの山車と、神輿を挟んで押し合いながら数時間をかけて宮入りをする。そこがこの祭りのクライマックスとなる。
集会場には持ち寄られたお菓子やらおにぎり、漬物や飲み物がテーブルの上に並んでいて、それぞれ勝手に食べていいことになっている。ここを出発したら、後はゆっくり食事をする時間などはない。
空穏がストーブに向かって冷えた体を温めていると、杏樹が近づいてきた。
「クオン、ちょっといい?」
少し離れたところから手招きしている。
「なに?」
近づくとまた離れて、こっちこっちと手招きしながら、集会場の外へ出ていく。
集会場から少し離れた曲がり角に立つ紅葉の大木の根元で、杏樹はようやく立ち止まった。
「どうしたの?」
四年生の杏樹は、色白で少しポチャッとしていて、いつもホワワンと笑っていることが多いのだが、今はぎゅっとつむった口をへの字に曲げている。
「なんか困ったことでもあった?」
空穏は、少しかがんで杏樹の様子をうかがった。
「あのさー、りょうちゃんが、クオン呼んでる」
「へ? 遼平!?」
「しー!!」
杏樹は人差し指を口に当てると、あたりをきょろきょろと見回した。
「な、なんでだよ」
「内緒なんだってば! もう! りょうちゃん、今日はお祭り行っちゃ駄目って言われて、こっそり抜け出したんだって」
「は? そんなことして……大丈夫なの?」
「あのねー。大丈夫じゃないから内緒なんでしょう?」
杏樹はため息混じりだ。
「まー。とりあえずこっちだから」
杏樹がすたすたと歩きだし、空穏は慌てて後を追った。
たどり着いたところは、杏樹の家である大槻家本家の大きな敷地内だった。なにしろ家を取り囲む塀の中に栗林があるような大きな家だ。杏樹は門を通り抜け、母屋から少し離れたところにある炭小屋へと入っていった。名前の通り、冬の間に使う炭が置いてある小さな小屋だ。
「りょうちゃん? クオン連れてきたよー」
杏樹はプラスチック製の波板のトタンをガタガタいわせながら、扉を開けた。
二メートル四方ほどの小さな小屋の中には、マフラーを巻いてダウンのベンチコートを着込んだ遼平が立っていた。
「遼平! 風邪、大丈夫なの? だめなんじゃねえの? どうして……」
遼平は顔を半分マフラーに埋めてうつむいている。
「約束した……」
そうしてポツポツと話しだした。
「クオンのこと、見に行くって約束した。父さんも母さんも、最初はちょっとくらい見に行ってもいいって言ってたのに、急にダメだっていうんだ。だから抜け出してきた」
「ちょ……。だって、だってさ、熱とかあるんじゃねーの? 無理すっと、悪くなっから……」
遼平の気持ちもわかる気はするが、誰にも内緒でここにいるのは、まずいのではないか? それに、遼平の頬がいつもより赤みを帯びているようなきがする。
「ほら、約束なんて、気にしなくっていいからさ。祭りは来年もあるし。な? オレ家まで送るよ?」
空穏が説得をし始めると、後ろに立っていた杏樹が「来年はないんだよ、ね? りょうちゃん?」と言った。
「へ?」
「あのねクオン、今朝りょうちゃんのお父さんに会ったでしょー? りょうちゃんのお父さんとお母さんは仲直りしてさ、またお父さんのところに住むんだってー。だから、りょうちゃんはもうすぐ引っ越しちゃうんだよー」
「……っ、うそ……」
「うそじゃない!」
遼平は炭小屋の真ん中でうつむき、両手をきつく握りしめていた。
脳ミソが活動するのを放棄してしまったようで、空穏には何をどう考えてよいのやらわからなかった。
(遼平がいなくなる? 転校する? なんだよそれ。遼平は転校してきたばかりじゃあないか。)
そんな思考が頭のなかで空回りしている。
目の前の遼平の顔を見つめた。少し潤んだ目と、いつもより赤いほっぺたに、はっと正気に返った。
おそらく、遼平の熱が高くなったのに違いない。でなければいくらなんでも、急に祭りに行ってはいけないなんて言うのは、おかしい。
とにかく遼平を家に帰るようにうながさなければと思い至る。
「で、でもさ。また祭りに来ることだって出来るだろ? 引っ越したってさ、いつでも遊びに来ればいいじゃないか。遼平、熱あんだろ?」
優しげに声をかけながら、遼平の額に手を伸ばす。まるで野良猫を撫でるときのように、驚かせないようにとそっと手を伸ばしたのに、遼平は伸びてきた手を強く払った。
「もういい! 空穏なんかに俺の気持ちはわからないんだ! お父さんもお母さんも勝手だ! 勝手に喧嘩して、オレ、すごく心配で……そしたら急に転校することになって、引っ越す日までオレ、引っ越すことも知らなかったんだぞ!」
「え?」
「それなのに、今度はまた仲良くなったからもとの家に戻るんだって。今まで一生懸命新しい小学校で頑張ってたオレはなんなんだよ! せっかくクオンとも仲良くなってさ……なんでオレは……」
言葉に詰まって遼平はうつむく。
「遼平?」
泣くのではないかと心配して、遼平に向かって一歩踏み出したところで、急に遼平は顔をあげた。至近距離で眉を吊り上げ、きつく空穏を見上げている。
「いいよ、オレ一人で行く!」
遼平がぐいっと目元を拭うと、コートの袖が濡れた。
走り出す遼平を、我に返った空穏が捕まえようとする。
「ま、待って! 遼平! わかった! わかったから!!」
走り出そうとした遼平の背中に取りすがった空穏は、引きづられながら倒れてしまった。遼平もバランスを崩したが、なんとか持ちこたえる。そして、背後でベシャリとうつむきに倒れた空穏に、驚いて振り向いた。
「なにやってんだよ! また怪我するだろう? 本当、クオン……オレのせいで怪我してばっか……なんだから……」
勢いよく転んでしまったことに照れながら顔をあげると、遼平の目からポロポロとまあるい涙がこぼれていた。
本当は、遼平は家で寝ていた方がいいに決まってるはずなのだ。だけど、その泣き顔を見ていたら、空穏の気持ちがぐらつく。遼平の願いを叶えてやりたいという気持ちになってしまう。
「わ……わかったよ! 遼平、一緒にお祭りに行こう。でも、太鼓は叩けないよ。すぐ見つかっちゃうからさ、一緒にお祭りに行って、お店見て、こっそりみんなの太鼓を見てさ、それでいい? あ、あと、クレープだっ……け?」
空穏は起き上がると遼平の涙を拭ってやった。