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孤独

 不思議なことに、妻がいなくなっても、子ども五人を抱えた輝幸が困窮するようなことはなかった。

 仕事も順調であったし、子育ても、困った事態になれば不思議と周りから救いの手が差し出された。たいした贅沢が出来るわけでは無いが、家族六人全く困ることもなく、輝幸は子供たち全員をきちんと大学まで出してやることが出来た。

『雪女の子どもを抱いて、死ななかったた者は、富を与えられるのだそうな』

 あの集落には、そんな言い伝えも残っていたなと、輝幸は思い出す。

 妻が消えてからと言うもの、輝幸はそれまで一度も足を向けなかったこども時代を過ごしたあの集落へ、子どもたちを連れてよく帰るようになった。

 だいぶ齢を重ねていた叔父も、輝幸一家を快く迎えてくれた。

 輝幸は、主が山を下りて空き家となっている家を一軒借りた。

 家を借りれば、集落での草むしりや冬の間は雪下ろしなど、しないわけにはいかなくなる。大変だから考え直せと叔父に何度も言われたが、輝幸は聞かなかった。月に最低でも一度は集落を訪れる。輝幸の仕事はIT関係の仕事であったので、休みなく毎日出社せずとも、それなりのPCがあれば在宅でもかなりの範囲こなすことが出来た。

 もともと、中学卒業までを過ごした集落だったから、知っている顔の爺様婆様ばかりだ。集落で催される集まりにも、なるべくまめに顔を出した。最初こそ、多少ぎくしゃくしたものの、数年過ぎれば輝幸は集落の一員として認められるようになっていた。

 五人の子育てが終わると輝幸は六十代だった。

 子育てを終えると、輝幸はそれまで借りていた家を買い取り、そこへ移住した。東京の家は残してあり、子どもたちがそのまま暮らしている。いずれ子どもの中の誰かが、あの家を継いでもいいし、誰も住まないというのならば、子どもたちで話し合って処分してもらっても構わないと思っている。

 子どもたちは最初反対した。しかし、輝幸が、妻と初めて出逢った場所で、いつか帰ってくるかもしれない妻を待っていたいのだというと、呆れながらも説得をあきらめた。

 ふ、と行方をくらまし、そのまま消えてしまった母である。

 子どもたちも、複雑な思いはあったようだが、父親の輝幸が一貫して妻を責めず、後添えももらわずに待ち続けているのを見て、それを認めるようになっていたのだ。

 冬になると子どもたちはかわるがわる、この雪深い里の雪下ろしの手伝いにやってきてくれる。今年は、年末に二番目の息子と三番目の娘がやってくる予定だったが、大雪となり交通が麻痺したため、年明けにという事になった。それまで、年末年始は子ども達の誰かが毎年輝幸のもとを訪れてくれた。だから、たった一人で迎える年越しは、この里へ越してきてから初めてのことだった。

 雪には正月休みなどない。容赦なく降った。こんもりと屋根の上に積もったそれは、雪下ろしを時々してやらなくては、家を押しつぶしてしまう。

 この山間の集落には、雪下ろしをする住人を失い、そうやって潰れ、廃墟となった家屋がいくつかあった。この里を出て、都会へ出て行ったものには、家を管理するだけで一苦労だ。金を払ってでももらってくれる人がいれば……などと言うものもいるくらいなのだ。

 年末にどっかりと雪が降り積もったので、輝幸は正月早々一日中雪片しに追われている。ただし、正月に入ってから、寒いものの、風もなく穏やかな日が続いていたので助かっていた。

 その夜は、雪片しがいち段落つき、輝幸は薪ストーブの前でたった一人、コップ酒をちびりちびりと飲んでいた。

 ぐるりと首を一廻りさせる。知らずに深いため息が漏れた。
 もう寝ようかと、電気を消す。すると、障子越しに、外から光がさしているのを感じた。

 輝幸がそっと障子を開けてみるとどうやら空は晴れているらしく月夜のようだった。

「ふうか……」

 輝幸の乾いた唇から、もう何年も呼びかけたことのなかった妻の名が零れ落ちた。薪がパチンとはぜて音を立てた。

 とたんに、輝幸は何かにせかされるように玄関にかけてあったカッパを着こみ、長靴に足を入れると戸外へと出た。月の光がおいでおいでと輝幸を誘った。その日は雪が降らなかったから、輝幸によって除雪された道路はまだ歩きやすい。家の前の路をてくてくと下っていく。ぽつぽつと何軒かの家があるが、それを過ぎればただの山道だ。木々を縫って差し込む光が妙に明るい。

 下っていくともう少し広い道路にぶつかって、この道には、町の除雪が入る。

 その道路を今度は登って行った。

 そこを登りきると、むかし月夜の晩に雪女に出会った道へと出るのだ。

 左手の道は古い神社へと続く道だ。

 輝幸は誘われるようにそちらの道をとった。

 除雪が十分にはされてないらしく、積もった雪を踏むとザクザクと音がする。歩きにくさに、息が上がる。

 月に照らされ、辺りは明るい。

 輝幸は神社へと続く、道半ばで立ち止まった。膝に手を置き、はあ、はあ、と荒い息を吐く。

 その時、背後からさあっと冷たい一陣の風が吹き付けて、歩いたために暑くなった輝幸の体温を奪っていった。

 輝幸が、ゆっくりと後ろを振り向く。

「ふうか」

 輝幸の数歩後ろには幼いあの時出逢った、白い着物の美しい女がぽつんと立っている。真っ黒な瞳でただじっと輝幸を見つめる。

「きみは……、ずっと変わらないなあ」

 輝幸の瞳から、つうっと熱いものが流れ、声が震えた。

「あい……かっ……た」

 泣き笑いのような声でそう言うと、その場に跪いてしまう。

「てるゆき」

 白いきものを纏った女は、静かに話しかけた。

「お前も変わらない」

 輝幸は涙に震え、笑いを漏らした。

 顔はもう涙でぐちゃぐちゃだろう。

「ばかなこと……。おれは……おれはさ、もう、すっかりしなびたおじいちゃんだよ」

 目の前に、ずっと焦がれていた人がいるというのに、輝幸はその顔をあげることが出来ないでいる。

 気が付けば女は輝幸の前で腰をかがめていた。

 細い指を輝幸の頬に添えると顔を上に向かせる。

「いいや、おまえは昔と変わらずかわいらしい……」

 女の口もとが、ほころんだ。

 
 おまえのことをずうっと見ていた。
 わたしはずうっと、この降りしきる雪の中でたった一人だった。
 わたしの姿を映す、おまえの目が好きだった。

 ──── 孤独な男が わたしを呼ぶ
       わたしは 冷たい孤独が集まって出来ている
    温められれば とけてなくなる
       わたしのなかの 小さなせかい ────


 雪深い山間の集落で、その日一人の男が消えた。

 正月明けに訪れた息子が、待てど暮らせど現れない父親を心配して、警察に届けを出した。

 雪の多い山中であったし、同じ集落に住む男の叔父夫婦や近隣の住民の助けも借りて周辺の捜索がなされた。しかし、男の痕跡はまったく見つからなかったという。

 了
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