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背徳の雅荘

春鳥は、翼を広げた。
しかしその翼を伸ばしても、青空は広過ぎた。


背徳の雅荘
8有刺鉄線と枝


柘榴石の眼が開いた。
隣に人が居ないのを見て、起き上がる。
愛しい蒼は足元のベッド縁に座っていた。
「兄さま」
その背中が遠く見えた小狐丸は、擦り寄り背後から抱き締める。
三日月は反応しなかった。
また、兄さまは苦悩している。
その苦悩に寄り添えない事が、その苦悩を癒す事が出来ないのが、小狐丸は悔しく思った。
せめて、打ち明けて欲しい。
兄さまは何でも一人で背負いこみ過ぎだ。
三日月は立ち上がる。
小狐丸はその腕を解かれた。
三日月は無言で着替え、部屋を出た。
あの男に会いに行く時の服装で、
鈴の付いたチョーカーを手にして。
下弦の月は小狐丸を見ていない。
その美しい眼は、春の小鳥を映していた。

シーツが擦れる音がした。
そのキスの合間漏れる吐息に、集中していない事を髭切は見抜く。
口を離し溜息を吐いたので、膝丸は不思議に思って首を傾げた。
「何か心配事?この兄を前にぼんやりするなんて」
う、と膝丸は言葉に詰まる。
「いや…心配事というか…心に引っ掛かるだけで…」
何だい?と髭切は興味本位で訊いた。
「鶯丸…がな」
「鶯丸が?」
「…煙草を吸っていたのだ」
膝丸の情報に、髭切は眼を丸くする。
「へえ、あの鶯丸が?」
「珍しいだろう?」
「珍しいね。あの子吸う子じゃなかったでしょ」
「ああ。だから少し、心配になった」
髭切は小さく笑う。
「弟って、意外と鶯丸の事好きだよね」
「え、あ…?」
そう言われて、膝丸は初めて自覚した。
そうだ…わりと、膝丸はあの春鳥が、好きだ。
そして、口にはしないが髭切に罪悪感が有る。
口には決してしないが、その表情に考えが出やすいのを知らないのは本人だけで、髭切はその胸に何を隠しているかを見抜いていた。
「弟、鶯丸と何か有ったでしょ」
ははん、と笑う髭切に膝丸はぎくりと跳ねる。
髭切はわざとその豊満な胸をなすりつけ、ピアスの付いた唇を撫でる。
「あ、兄者には、関係の無い事で…」
「僕に隠し事は無しだよ」
きっぱりと言われては、観念するしかなかった。
「………俺は、鶯丸と…寝た事が有る…」
そう呟く。膝丸はその愛しい眼を見れなかった。
「うん。そんな事だろうと思った」
ふふ、と怒りが無い笑い声が聞こえ、膝丸はやっとそのシトリンの眼を見れた。
「あ、あれは酔った勢いで、他意は無かったんだ!!鶯丸が寂しいと言うから、つい、」
「つい、ではあるんでしょ?」
膝丸は言葉に詰まる。髭切は笑っていたが、その金蜜の眼に怒りが無いかと言われたら、肯定出来ない。
「本当に後悔している!!すまなかった!!」
「組み敷かれてそう言われても全然説得力無いよねえ」
髭切は、つい、と膝丸の腰を撫でた。その刺激に膝丸はピクリと跳ねる。
「まあしょうがないか。酒が入ると鶯丸、エロいからね。あれは襲いたくなる」
うんうん、と髭切は頷いた。
「でもやっぱり嫉妬しちゃうなあ」
髭切は妖しい眼差しを投げつけつつ、膝丸の性感帯を撫で回す。膝丸は思わず目を瞑ったが、触感が強調され悦感を拾ってしまった。
「本当に、悪かった。あれは俺が悪い。ただ、浮気では無いのだ!俺は兄者が一番なんだ!!」
「うん。知ってるよ」
必死な膝丸を、髭切は笑顔で受け入れる。
「でもやっぱり悔しいから、今日は酷い抱き方しちゃうかも」
おしおき。と耳元で囁かれ、膝丸はぞくりとした。

膝丸は、鶯丸が心配だ。
それは長年同じ釜の飯を食った友としてである。
その心配を本人が知る事は無いだろうし、伝えたところでどうなる事ではない。
でも、髭切にその心を知られて結果すっきりはした。
鶯丸の人生に、関与するつもりはない。
ただ、その羽を休める小枝ぐらいには、なりたいと思ったのだ。

その手紙は、店の扉に挟まっていた。
表紙に、「愛しい小鳥へ」と書いてあり、それが山鳥毛からの物とわかる。
あれから、あの猛禽類は二週間も顔を見せなかった。
あんな事を言ってしまえば、気不味くて顔を会わせられないのもわかる。
その手紙も、決死の思いで書いたのだろう。なんだかそれが可愛らしく思え、そしてとても嬉しかった。

「一週間後の月曜、またデートをしよう」

書いてあったのは、たったその一行だけ。
その筆字は綺麗に整っていて、山鳥毛の直筆だとわかった。
鶯丸はその鉛墨をなぞる。一週間後が楽しみになった。

その日、鶯丸は珍しく左耳にカフスを付けた。
それは御目化しのつもりだ。そんな事をするくらい、その月曜は心を弾ませていた。
カラン、とドアに付いた鐘が鳴る。鶯丸は出迎えようとカウンターを出た。
山鳥毛、と名を呼ぼうとして固まる。

入って来たのは、下弦の月だった。

みかづき、と改めて名前を呼ぼうとしたら、その男はいきなり舌を入れてきた。
抗議しようとするが、抱きしめられ、来賓用のソファへ押し倒される。
その早急な手は何をしても鶯丸を離さなかった。
呼吸さえ赦さない。口内を弄りながら、その細い首にチョーカーを巻いてきた。
チリン、とその鈴が鳴る。チョーカーが首のハートの刺青を隠した。
鶯丸が肩を押しても、三日月は動かない。
苦しい、とぐぐもった声で訴えると、やっと口を離した。
「い、いきなり何だ!」
唾液が二人の唇を繋ぎ、切れ落ちる。
三日月のその表情に、はっとした。
余裕も喜色も無い、思い詰めた様な真顔。
付き合いは長いが、そんな顔は初めて見た。
「…三日月…?」
名で問うても返事はせず、鶯丸のベルトを外そうとする。
「っ!だめだ、今日はだめだ三日月!」
その手を取るが跳ね退けられた。慣れた手付きで下着をずらし、鈴口に爪を立てられる。
その痛感に、鶯丸は無意識に声を出した。
本当ならそれを受け入れたい。三日月の思う様に抱かれたい。
しかし、今日だけはそう出来なかった。
「三日月!!だめだ!!今日は人が来るから!!」
「知っている」
鶯丸の必死な訴えを消す、冷たい一言。
鶯丸は、背筋がぞわりとした。
「山鳥毛の手紙を読んだからな」
ただドアに差し込んであっただけの手紙は、気が付けば誰だって読める。
三日月は事前に今日の予定を知れたのだ。
「み、みかづき、やめてくれ…やめてくれ!!!」
鶯丸は、悲鳴の様に懇願した。

その時、カランと音がした。

ぐい、と蒼黒の体が反られ、鈍い音がする。
ガタン、とソファから落ちた三日月は胸ぐらを掴まれ、また顔を殴られた。
月はその怒りに燃えた緋眼を睨みつけ、し返しにと殴る。
その三日月と山鳥毛の乱闘を、鶯丸は整理しきれない頭で見ていた。
「っ!!何をしている!!やめろ!!」
容赦無く殴り合う二人に叫ぶ。しかし二人はその拳を止めなかった。
「この、野郎!!!!!」
山鳥毛はドスの効いた声で罵る。
三日月と言えば、反論はしないが口角を上げその右拳をやめない。
お互いの血が床に散らばった。
「やめろ!!!!!」
鶯丸は静止する為に二人の間に割り入る。
枯草色が緋色に映った時、

三日月を捉えていた山鳥毛の拳が、鶯丸の頬を殴った。

静寂。
応酬はやっと止んだ。
山鳥毛は固まり、震えた。
「そうだ」
冷え切った声が響く。
「お前は、好いた男を殴る人間なんだな」
三日月の言葉に、山鳥毛は崩れ落ちた。
「お前は鶯丸を幸せに出来ない」
言葉の一つ一つが、全員に刺さる。
「俺も、鶯丸を傷付ける事しか出来ない」
枯草色は蒼黒を見た。その端正な顔は痣と血に塗れている。
「そ、んな、こと」
鶯丸の声はか細かった。
「鶯丸」
三日月は柔らかい声で春鳥を呼ぶ。
「もう、終わりだ」
本来の優しい笑みで、三日月はそう言った。
それは、初めて会った時に見せた笑顔と同じだ。
鶯丸が目を見開きその微笑を見つめていると、三日月は店を出ていった。
「みか
カラン、と鐘が鳴る。
一人居なくなった空間の中で、山鳥毛の咆哮が響いた。


鶯丸が目を開くと、赤い光が店内を照らしているのがわかった。
体に重みを感じ、視線を腹に動かす。
痣だらけの顔は、目を閉じていた。
小さく穏やかな寝息を感じる。
鶯丸は和やかに思ったが、その眼は憂いに濡れていた。
窓に映る自分の頬に、ガーゼが貼られている。山鳥毛が貼ってくれたのだと察した。
鶯丸がその頭を撫でると、緋色の眼が開く。
「…友成」
山鳥毛は鶯丸を抱き締めた。突然の行動だったが、鶯丸もその背中に腕を回す。
「すまなかった」
嗚咽を漏らしている。鶯丸は首を横に振った。
「大丈夫。あれは事故だってわかってる」
そう言っても、山鳥毛の後悔はひしひしと感じられた。
「私は、最低だ。自分の一番大切な人を、殴ったのだから」
山鳥毛の涙が肩に落ちる。大丈夫。と鶯丸は宥める。
「ちゃんと気持ち悦かったよ」
鶯丸は痛みに感じるのだ。だから、気にしていない。と重ねて言った。
それでも山鳥毛は安心した様子が無い。鶯丸はその体をそっと離し、安心させようと微笑む。
「今日は帰れ。もうすぐ日が暮れる」
元々の緋色の周りまで赤く腫らせた山鳥毛は、枯草色を見てまだ首を振る。
「そんな眼をした友成を、置いてなんて」
言われて自分が上手く笑えてないのに気付く。しかし、鶯丸も小さく首を振った。
「今日は、もう、」
一人にしてくれ、と呟く。
山鳥毛は改めて顔を寄せるが、鶯丸は拒否した。
「今日だけは、頼む…一人にしてくれ」
鶯丸はその柘榴の眼から顔を逸らす。山鳥毛は何か言いかけたが、言葉にはせず、やっと鶯丸を解放した。
夕日の光は角度を変え、段々と小さくなる。
カラン、とまた扉が閉まるまで、鶯丸は顔を上げられなかった。

空気の冷たさは、日が沈むと強調される。
今日の月は明るく、弓の様に細かった。
三日月はそれを見つめる。
自分の名と同じ天体は、闇の空の中で星を連れ輝いていた。
風が吹き、三日月の蒼黒の髪を弄ぶ。
蒼の眼に付属する下弦の月は、フェンス越しに道路を行き来する車を見ていた。
そんな中、ハイタカは音も無くフェンスに寄り掛かる。
三日月はその男が隣に来ても、何も言わなかった。
「…星空が、此処に来いと言った」
山鳥毛がぽつりと言い、やっと目を向ける。
「…日向か」
その幼い星空の眼の少年が、ふらふらと徘徊していた山鳥毛に言ったのだ。
「同じ男の趣味同士、仲直りしなよ」
小さな彼はそう言った。
三日月はズボンのポケットからマルボロを取り出す。
黄緑の簡易ライターに火を点けるのを苦戦してるのを見て、普段は吸わないのだと察した。
ふう、と煙を吐く。その毒煙は直ぐに風に持っていかれた。
「…鶯丸は、悲しんでいた」
山鳥毛が見たその眼の色はそう言っていた。
ただその本当の意味までは、山鳥毛は汲み取れなかった。
「…そうか」
三日月は夜空を見上げている。
山鳥毛も、つられて上を見た。
「…俺の結婚が決まった」
唐突な言葉。山鳥毛は黙る。
「美人で、面白くて、優しい、林檎の様な頬の、とても良い女だ」
す、と煙草は小さく燃える。
「だから、妙な遊びはもうやめろと言われてしまってな」
ただ、鶯丸ほど愛せるとは思えない。
三日月はそう吐露した。
「でも、分かっていたんだ。この関係は良いものでは無い、正しくない、お互い傷付くだけの、そんな関係であると」
でも、と言葉を続けようとして、口を閉じた。
「…友成は、お前が好きなんだぞ」
山鳥毛が、その愛を、悔しいけど感じ取れてしまったのだ。
「いや、あいつは俺よりもお前が好きだ」
三日月からは、それを感じた。
「お前に刺青を挿れたいから、彫師になったんだからな」
三日月の言葉に、彫師として一文字の門をくぐった鶯丸を思い出す。
あの時も、首に鈴のチョーカーを付けていた。
山鳥毛は思い出した様にジーパンに付けた小箱から、そのチョーカーを出す。
それは、鶯丸の首に巻かれていた物を、彼が眠っている間にこっそり取った物だった。
山鳥毛は無言でそれを差し出す。三日月はそれを受け取り、思いきり夜の宙に投げ捨てた。
「もう、春鳥は有刺鉄線に留まらなくていい」
もっと、安全で暖かい枝に。
「あいつは飛び立つべきだ」
三日月はポケットから折り畳まれた紙を取り出す。
雑に折られたその紙は、契約書だった。
三日月はそれを容赦無くビリビリと破り、夜空へ飛ばす。
風はその塵を彼方へと運んでいった。
その紙切れは直ぐに見えなくなる。
「もう、友成は自由だ」
三日月は春鳥の本名を出し、宣言した。
「…もう、友成に会う気は無いのか?」
「お前は、会ってほしいのか?」
問い返され、いや、と本音が口に出た。
三日月は微笑む。
「お前が、あの春鳥を幸せにしてやってくれ」
三日月は煙草を常備されていた灰皿に捨て、ビルの中へ続く階段を降りていった。
カン、カン、と崩れかけた階段を踏む音がする。
蒼黒の姿が見えなくなるまで、山鳥毛はその背中を見つめた。
さっきまであんなに晴れていたのに、雲が出る。
輝く月は、その霞雲に隠された。

その全容を星空の眼から聞いた時、鶯丸は泣けなかった。
三日月の決意は、不思議と受け入れられた。
「なあ日向、この手紙を山鳥毛に渡してくれないか」
その場でさらさらと書いた便箋を封筒に入れ、鶯丸はそれを日向に託した。
たった一言、書かれた手紙。
それは、鳥達のつぐみ合いを赦す宣言だった。

あの日から、一週間が過ぎた。
鶯丸はリビングの長机にその大きな旅行バッグを置き、中の最終チェックをしていた。
忘れ物は無いと確認し、バッグのジッパーを閉める。
旅行バッグを肩に背負い、玄関へ向かう途中で腕を掴まれた。
「…膝丸?ああおはよう」
そう言ったが、その腕を掴んだ穴だらけの薄緑色が神妙な顔をしている。朝の挨拶に引き留めたのでは無いのがわかった。
「…行かないでくれ」
膝丸の言葉に、鶯丸は首を傾げる。
「ああ、お土産ならまんじゅうか
「頼むから行かないでくれ」
その表情が真剣だったので、意味がわからず鶯丸は黙った。
「俺は、お前がいないと、…その、ええと…」
段々と語尾が弱くなっていく。どうやら、腕を掴んだのは咄嗟のようで、その金蜜の目線は外された。
「…何か勘違いをしていないか?」
鶯丸が溜息を吐き、膝丸は、え、と漏らす。
「ちょっと二泊出張に行くだけだぞ?」
そう言うと、膝丸の顔はがみるみるうちに赤くなっていった。
「まさか転居すると思ったのか?」
「えっ、あ、その、…違うのか?」
しどろもどろになる膝丸に鶯丸は苦笑する。
「違うに決まってるだろう。こんな良い物件、他に無いんだから」
「え、あ…てっきり一文字の屋敷に移るのだとばかり…」
鶯丸は再度溜息を吐いた。
「誰に吹き込まれたんだか…」
膝丸はやっと掴んだ手を放す。
「勘違いして、すまなかった」
「いいさ。あ、膝丸も行きたいのか?温泉旅行」
二人っきりで、と囁くと膝丸の表情は怒りと焦りの色が混ざる。
「冗談だ。その時は髭切も一緒にな」
意地の悪い笑みは、本来鶯丸が孕んでいる淫魔の様な色気を含んでいた。
「いいか!!俺は友人としてお前を見てる訳で、
「ああはいはい。そろそろ山鳥毛が来るからその話はまた今度な」
そんな会話をしていたら、本当に車のクラクションの音が聞こえる。
「じゃあ、行ってくる」
鶯丸は膝丸に手を振り、玄関の扉を開けた。
外の空気は冷たい。朝日はまだ眠っているかの様に、熱を放っていなかった。
黒塗りのスポーツカーの中には山鳥毛が居る。
鶯丸は助手席に座り、その愛しいハイタカの頬に挨拶代わりのキスをした。

車は大きな音を立て雅荘を離れた。

鶯は、やっと夜の光から飛び立つ。
それは不本意だったが、
後悔をする事は、赦されなかった。
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