背徳の雅荘
少し、時を遡る。
その蝉が泣き喚く季節に、その少年達は居た。
今思えば、全てその銀の手のひらだったのかもしれない。
そうも思うが、それが本当かどうかは、マスクの下は語ってくれなかった。
背徳の雅荘
7.獅子王と鳴狐
「おにいちゃん、ありがとう!」
その黒マスクをした少年から仔猫を受け取り、小さな女の子は礼を述べる。
「もう、くろちゃん、かってにそとでちゃだめっていってるでしょ?」
女の子がそう話しかけると、黒い毛並の仔猫はわかっているのかどうなのか、みいと鳴いた。
「ほんとうにありがとう!おれいね、だいすきなおかしあげる!」
仔猫を抱きしめたまま肩に掛けていた黄色いポシェットから赤い包装の飴を差し出す。少年はそれを受け取り、小声で、ありがとう、と言った。
「きつねちゃんも、またね!」
女の子は少年の足元に居た仔狐にもそう言い、去っていく。
たまたま通り過ぎた通行人は、それを見て不思議に思った。
その通行人の目には、仔狐など見えていなかったからだ。
鋭く尖った金眼の少年はマスクをずらし飴を口の中に放り込む。
「全く、子供には甘いのですね」
その様子を見ている男が居た。
シトリンの眼はその柘榴石を見るだけで、すたすたと歩き始める。
ふわりとした長髪を下の方で纏めた灰スーツの男は、少年に歩幅を合わせた。
「鳴狐、昨日の報酬です」
胸元から出された封筒を受け取り、少年は中身を確認もせず肩に掛けていたスクールバッグに入れる。
少年はありがとうも言わなかった。
少年の名は、粟田口鳴狐と言った。
その良家の少年は高校生だったが、バイトのつもりで探偵もやっていた。
よくある依頼は、さっきの様なペットの捜索。大体の依頼主は子供で、今みたいに小さな報酬ばかりだった。
しかしその実、探偵の腕は有る。
昨日も、捜査官の小狐丸の依頼で一つ事件を解決していた。
その小狐丸という青年は、三条家の者だ。
あの三条三日月の一つ下の弟で、警察でもエリートに入る捜査官だった。
二人の後ろを黄毛の仔狐がついていく。
それを見て、小狐丸はほくそ笑んだ。
「お腹空いた」
鳴狐は、黒マスクの下でそう言った。
「まあ、八つ時ではありますかね」
小狐丸は左手首にした細い腕時計をちらりと見る。
「ファミレスでも行きましょうか」
小狐丸の提案に鳴狐は視線だけで同意した。
じりじりと太陽が世界を焼く。
二人は冷房の効いた店内へ入った。
「好きな人が出来た」
そう言った時、感情が無い声で、そう、と言われた。
その一言で鳴狐の心がわかったのは、身内だからだ。
薬研はベルトを解かれ、"それ"を咥えられても不快感は無かった。
ただ、その行為を不思議には思っていた。
鳴狐は、俺を好きなんだろう。
多分。
そう思っていた。
だから、金色と一緒に居るのを見掛けた時は、正直安心した。
鳴狐は、俺の言葉を否定しなかった。
ただ、肯定もしなかった。
俺はどうなんだろう。
子供心ながらに、鳴狐が好きだったのかもしれない。
この話は、行平に言ってないない。
この気持ちは墓まで持っていくつもりでいた。
その片側だけの銀の眼に、金の視線が映る事は有った。
ただ、そんなに気にもしていなかった。
鳴狐は、いつも一人で居る。
常に誰かと居たい獅子王とは、真逆の存在だった。
おい、早くしねえと売り切れるぞ、と四白眼に言われ、やべ、と席を立つ。
御手杵も!!と隣の席の寝ぼけた長身の背中を叩いた。
仲の良い三人組はばたばたと廊下を走っていく。
すれ違う教師に走るなと怒られても気にしなかった。
ただ、源獅子王が連む同田貫正国と結城御手杵は忙しい奴らだった。
その日も助っ人に出る大会が近いから、と両方から昼休みを断られた。
一人というのは、なんだかつまらない。
だからその日の視線に、何となく答えたのだ。
「鳴狐!一緒に食おうぜ」
獅子王は、その時初めて彼の名を呼んだ。
金の眼に感情が無い。黒いマスクをしているので、顔から意思の情報が汲み取れなかった。
ただ鳴狐は頷き、席を立つ。
視線だけでついてくるよう言い、教室を出ていく。
獅子王は意外と大胆な鳴狐に少し笑い、その後ろを歩いた。
「鳴狐、いつもここで食ってんの?」
上を見ると、青空が視界を支配する。
灼熱の太陽が屋上に出た二人を見下していた。
鳴狐は頷き、屋上唯一の日陰である階段の裏に座り込んだ。
あちー、と言いつつ獅子王もその隣に座る。
今日の獅子王の昼食は朝にコンビニで買ったメロンパンだった。
鳴狐はスクールバッグから大きめの箱を二つ出す。
金の動物の足跡がアクセントの黒い弁当箱は、高そうに見えた。
めっちゃ食うじゃん、とツッコむと鳴狐は一つ視線を寄こし、黒箱の蓋を開ける。
一箱は白米だけで、もう一箱の中身はなかなかに豪華だった。
卵焼き、唐揚げ、そんな定番のおかずの中に、複雑な花形の人参や赤く艶めくイクラも入っている。
鳴狐は赤い箸を持ち、いただきます、と呟いて蓮根を口に運んだ。
その初めて聞いた低めの声に、何となくどきりとする。
鳴狐は構わず食べ続けた。
そんな大層な食糧だったのに、獅子王がメロンパン一つを食べ終えた時にはもう食べ終わっている。
鳴狐のそんな大早食いな一面は、意外としか言えなかった。
「ごちそうさま」
鳴狐は丁寧に挨拶し、黒マスクで口元を隠す。
その後は、会話が無かった。
しかし、何故かそれが心地良かった。
その日から、獅子王と鳴狐はちょくちょく昼休みを一緒に過ごすようになった。
獅子王がコンビニパンを食べる中、やはり鳴狐の弁当は豪華で大量だ。
食べ終わった後は二人でぼーっとしたり、相槌も無い中獅子王が愚痴を言ったりした。
そんな昼を何回か過ごすうち、鳴狐の態度にも変化が有った。
最近は話をしている時にこっちを見てくれるし、獅子王が教室で暇そうにしていると、無言だが昼食に誘ってくれたりした。
いつも決まって屋上の階段裏で過ごす。
そんな中、じわじわと太陽の光は強くなっていった。
「なあ、たまにはお前も何か話せよ」
ある日そう強請ると、鳴狐は金の眼を瞬きさせた。
しかし言葉は返さない。
獅子王がやっぱダメか、と諦めた時、低音がした。
「…なきぎつねは…、狐が、すき」
そう、ぼそりと言った。
その内容は意外なものではなかったが、喋ってくれた事が意外だった。
「…やっぱそうなんだ」
獅子王は視線を前に向けたままにやけてしまう。
その視線の先には、黄色の仔狐が居た。
「あの子、名前あるのか?」
「…キツネ、って、呼んでる」
そっかあ、と獅子王はにまにましながら頷いた。
「あのキツネが幻覚って本当か?」
それは御手杵が言っていた噂だった。
鳴狐は、幻覚の仔狐を飼っている。
親しくなると、その仔狐が視える様になるという。
鳴狐の彼女が言ってたぜ、と御手杵は小声で言っていた。
そんな馬鹿な、と思っていたが、実際にそれは視えるようになっている。
「噂、本当なんだな」
キツネが丸くなって寝ているのを獅子王は見ていた。
「…っていうか、彼女居たんだな」
その噂の発端は隣のクラスの女子らしい。
しかし鳴狐の金眼はきょとんとしていた。
「…彼女じゃない」
ぼそりと言うので、獅子王は、え、と漏らす。
「…一回キスしただけ」
今度は獅子王の銀眼がきょとんとした。
「…彼女じゃねえのにキスしたのか?」
意外と初心な獅子王は、そこに驚いた。
それがどうした、という視線を投げられる。
鳴狐って意外とちゃらんぽらん?という意外な一面を見てしまった。
「キス、した事無いの?」
そう首を傾げられ、獅子王の顔は火が点いた様に赤くなる。
「し、した事くらいあるし!!」
嘘だ。しかしそのシトリンの眼はそんな嘘を見破っているだろう。
ふふ、と初めて鳴狐が笑うのを視た。
「してみる?」
鳴狐はそう黒マスクを顎にずらし煽ってくる。
は、はあ!?と獅子王は顔を更に赤くした。
「そ!そんな、俺達男同士だし、そんな仲じゃねえし!!」
茹で蛸の獅子王を笑い、鳴狐は黒マスクを鼻まで掛ける。
鳴狐にからかわれるなんて思わなかった。
キツネもケンケンと笑っている気がする。
獅子王は、ああ、もう!と怒ってはみたが、その実仲が良くなった気がして嬉しかった。
カラン、とドアに付いた鐘が鳴った。
いつもは静かなその空間では、それは大きな音に聞こえる。
「こんにちは…」
そう呟いて中に入って来たメガネの少年は、あまりにもこの店には不釣り合いだった。
「ああ、久し振りだな、篭手切」
枯草色はその少年を知っている。
何故なら、彼も"作品"だからだ。
「鶯丸、久し振り」
少年の笑顔は眩しい。
「今日はどうした?タトゥー増やすのか?」
「その冗談、あんまり笑えないな」
「此処はそういう店なんだがな」
篭手切が不定期でこの店に来る理由を知っていたので、鶯丸はカウンター裏の戸棚を開く。
「今日は何枚だ?」
「一枚で」
鶯丸は一枚の袋をカウンターに出す。
それは、入れ墨消しシールだった。
「ねえ鶯丸、本当にタトゥーを取る事は出来ないの?」
「ああ。作品を消すのは俺の主義に反するからな。事前に言ったろう」
「でも…」
「これを少し安くしてやるから、諦めろ」
チン、とレジの数字が変わり、篭手切は渋々その話題をやめる。
「大丈夫。篭手切は綺麗だ」
鶯丸がそう褒めても、若草の眼は明るくならなかった。
空は赤い。
夜の帷が来る前に、獅子王は急足で歩いていた。
その道は、決して明るくはない。
獅子王には、正国にも御手杵にも言っていない秘密が有った。
きょろきょろと辺りを確認してから、その店の裏口から入る。
薄暗いピンクの照明の店内で、お疲れ様です、と獅子王は挨拶をした。
控室のロッカーに鞄だけしまい、入り口に一番近いエントランスのカウンターに立つ。
あまり繁盛はしていないその店で、獅子王は受付のバイトをしていた。
3分程して、入り口のドアが開く。
いらっしゃいませ、と営業スマイルを向けると、その禿げた中年は鼻息荒く話しかけて来た。
「ねえ、君はいじめてくれないのかい?」
開口一番にそう言われ、獅子王はドン引きする。
「俺はただのバイトなんで…」
引き攣った笑みで流そうとするが、その中年男性は獅子王の手を握ってきた。
「そう言わずにさぁ…僕はキミみたいな可愛い子にいじめられたいんだよお…」
うわ、マジキッショ、と内心思いつつ、どうしたものかと考えを回らす。
「すみません、本当俺そういうの出来ないんで…」
やんわり手を解こうとするが、なかなか離してくれない。
マジで誰か呼ぼうかな、と思った時、新たにドアが開く。
「こんばんは…って、おや?」
その六角眼鏡の青年は、この店の客としては不釣り合いなくらい美しかった。
「君、ノーマルに迷惑を掛けちゃだめだよ」
そう中年の肩をとんと叩く。
「何なら僕が縛ってあげようか?」
そうにこりと微笑み掛けると、中年は舌打ちをして店を出て行った。
「ありがとうございます、貞宗さん」
獅子王はそのピンク色に頭を下げる。
「うん、君も気を付けてね」
物腰の柔らかいその青年は気遣ってくれた。
貞宗亀甲は、常連だった。
獅子王がこの店で働き始めた頃にはもう定番の客で、"女王様"達は挙って相手をしたがる。
その端正な顔からは想像出来ないが、週一で来るくらいには"いじめられたがり"だ。
今日も慣れた手付きでボードに記入し、誰にいじめてもらおうかな、とるんるんで壁の写真を見る。
「今日は何時になく上機嫌ですね」
獅子王も、そんな理解しきれない変態の中でも心を許している存在だった。
「ああ、さっき偶然先輩に会ってね、久々にお話が出来たんだ」
「ああ、"縛り"の先輩の?」
「うん。相変わらず可愛らしかったよ。あの声を久々に聴いたら興奮してしまってね。今も冷静を装うのが大変だよ」
その先輩を思い出したのだろう、鼻息が荒くなっていた。
「でも残念な事に仕事帰りだったらしく、普通の格好だったんだ。ああ、あのフリルのゴスロリ姿をもう一度見たい…!!」
相変わらずやべーな、と思いつつ、あの、そろそろ、と声を掛けた。
ああすまない、と亀甲は改めて真面目に指定し、獅子王はその女王様の名前を記入した。
じゃあこちらに、と獅子王が奥へと続く扉を開けると、亀甲は入室間際に一言言う。
「君は無関係なんだから、早くこの店から足を洗いなさい」
ぼそり、と真面目なトーンで呟かれ、獅子王は、え、と漏らした。
亀甲は微笑み奥へ消える。
バタン、と扉が閉まり、獅子王はきょとんとするしかなかった。
空には月が有ったが、じとりと汗をかく外はまだ完全な闇ではない。
その店の裏口に入ってから、2時間しか経っていなかった。
獅子王は伸びをしつつ裏路地から出る。
その足元に、黄毛の仔狐が居た。
獅子王はぞわりと焦る。
その仔狐は、鳴狐が見せる幻覚だった。
獅子王は街灯に照らされる金と目が合う。
「バイトを辞めろ」
その低音に驚いた。
鳴狐が自分から話すのを、初めて聞いたからだ。
「い、いきなり何だよ…」
「この店のバイトを、辞めろ」
鳴狐は改めて言う。
獅子王は、苛立ちを覚えた。
「なんだよ、お前に指図されたくないんだけど」
ただ高収入短時間だからしているバイトだったが、それなりに愛着はあった。
変態を嫌悪して差別した発言だとしたら、許せない、という自分の感情が不思議でもあったが。
「理由は話せない。けど、辞めろ」
たん、と短い言葉は脅しにすら聞こえる。
しかし、獅子王は負けなかった。
舌打ちをして踵を返す。
鳴狐は、追ってはこない。
何なんだよ、と思いつつ、獅子王はそのまま家路に着いた。
その日から、獅子王は鳴狐を無視するようになった。
その視線に気付かない振りをする。鳴狐も話しかけてくる事はなく、別に前と同じ状態になっただけだった。
それでも、何故か心の引っ掛かりは取れない。
その日も、そんな事をぼんやりと考えつつ、店のカウンターに肘を付いていた。
ガチャリ、とドアが開き、獅子王は反射でいらっしゃいま、と途中まで挨拶をし、固まる。
入ってきたのは、シトリンの眼の少年だった。
なきぎつね、と名を呼ぼうとしたら、カウンターの横から腕を掴まれた。
「な、何」
ぐい、と引き摺り出される。鳴狐はカウンターの上に何か封筒を叩きつけ、獅子王を連れて店を出た。
その強引さに動揺している中で、鳴狐は無言で熱いアスファルトの上を走る。
鳴狐!?と呼んでも振り向きすらしなかった。
獅子王はその外の状況に走らされる。
パトカーが数台、店を取り囲んでいた。
警察官と思われる人間が十数人、店に突撃するのとすれ違う。
その中に店でよく見たピンク色の姿も見た。
白スーツの彼に、貞宗さん!?と声をひっくり返すが、亀甲は笑顔で答えるだけだった。
ぴい、という笛の音と共に突撃する警察官達に、店の中は騒然となる。
その喧騒からだいぶ離れた路地に、二人は逃げ込んだ。
「な、何なんだ!?」
獅子王は大声で鳴狐に問うた。
「なんであの店を襲うんだ!?SMプレイがそんなに悪い事か!?」
よくわからない焦りと怒りに獅子王は喚く。その細い腕に肩を持たれ、それを振り払おうと暴れた。
「なんだよ!!!も
叫んだ中で、何かに阻まれる。
その柔らかい感触に、全ての呼吸を止められた。
唇と唇が触れている。
歯を閉じようとしたら、口内に舌を入れられた。
その感覚に、獅子王は一気に頭が熱くなる。
熱に浮かされた。
その中で、通りで誰かが怒鳴っているのが聞こえる。
あのガキ、逃げやがった、と職場で知った声がした。
獅子王の頭は混乱の極みにあったが、そのキスに身体の力が入らなくなっている。
鳴狐は器用に獅子王を壁に追い詰め、その慣れない舌を慣れた舌で絡め取っていた。
「ん、あ…」
獅子王は息苦しくて呼吸をしようとし、自分でも驚くような吐息を漏らす。
一回その顔が離れ、鳴狐は、鼻で呼吸して、と耳元で囁いてから、もう一度獅子王の唇を奪った。
言われた通りにすると、いつの間にか銀の眼を閉じていて、自分でも、気持ち悦いと、感じていて。
遠くでサイレンが聞こえる。
通りの全てが収まるまで、鳴狐のキスは続いた。
結果から言うと、獅子王の知らない中でその店は麻薬売買をしていた。
亀甲はそれを潜入捜査する為に店に通っていたという。
「なかなか女王様達は悦い人達だったんだけどねぇ」
その悦に入った本人の一言で、私情は挟んでるんだ…と思ったが。
鳴狐が退職願を叩きつけてくれた事で、獅子王はギリギリ無関係の人間という事になったらしい。
それもかなり強引では有ったが。
「でも、あれ受理されるんですか?」
獅子王はそんな物を書いた記憶は無い。
「大丈夫。受理“させた”よ」
亀甲はにこにことしていたが、その白抜きの灰色の眼は笑っていなかった。
あまりツッコんだ事を訊きたくなくなる眼だ。
事情聴取から解放されたのは、もう夜も深けた頃だった。
事が事なので親も呼ばれず、全てはこっそりと済んだ。
親に遅くなって悪いとだけ連絡し、小言を言われる前に受話器ボタンをタップした。
警察署を出た瞬間、緊張が解れたからか腹の音が鳴る。
溜息を吐き前を見ると、背の高い白長髪の青年と話していた金の眼がこちらを見た。
その灰スーツの捜査官が離れたので、なあきいぎいつうねえ〜〜〜〜!!!!とどうしようもない怒りを銀に向けてしまう。鳴狐は悪びれる様子も無く右親指を外に向け、
「飯、行こう」
とだけ言った。
そのいつも通りの様子に、獅子王は脱力する。
「…お前奢れよな」
そう八つ当たりの言葉を投げると、鳴狐は小さく笑った。
ファミレスでアホほど食ってやろうと決意し歩き出す。すると、するりと手を握られる感覚があった。
獅子王がこれ程無いくらい心臓を跳ねさせ横を向くと、シトリンの眼が間近に有った。
その切長の眼が本当に宝石の様で、心臓がばくばくといってしまう。
獅子王は、色々な感情の中でその手の力を強めた。
足元で仔狐がこんと鳴く。
暗い夜の中、熱い体は汗をかいた。
その蝉が泣き喚く季節に、その少年達は居た。
今思えば、全てその銀の手のひらだったのかもしれない。
そうも思うが、それが本当かどうかは、マスクの下は語ってくれなかった。
背徳の雅荘
7.獅子王と鳴狐
「おにいちゃん、ありがとう!」
その黒マスクをした少年から仔猫を受け取り、小さな女の子は礼を述べる。
「もう、くろちゃん、かってにそとでちゃだめっていってるでしょ?」
女の子がそう話しかけると、黒い毛並の仔猫はわかっているのかどうなのか、みいと鳴いた。
「ほんとうにありがとう!おれいね、だいすきなおかしあげる!」
仔猫を抱きしめたまま肩に掛けていた黄色いポシェットから赤い包装の飴を差し出す。少年はそれを受け取り、小声で、ありがとう、と言った。
「きつねちゃんも、またね!」
女の子は少年の足元に居た仔狐にもそう言い、去っていく。
たまたま通り過ぎた通行人は、それを見て不思議に思った。
その通行人の目には、仔狐など見えていなかったからだ。
鋭く尖った金眼の少年はマスクをずらし飴を口の中に放り込む。
「全く、子供には甘いのですね」
その様子を見ている男が居た。
シトリンの眼はその柘榴石を見るだけで、すたすたと歩き始める。
ふわりとした長髪を下の方で纏めた灰スーツの男は、少年に歩幅を合わせた。
「鳴狐、昨日の報酬です」
胸元から出された封筒を受け取り、少年は中身を確認もせず肩に掛けていたスクールバッグに入れる。
少年はありがとうも言わなかった。
少年の名は、粟田口鳴狐と言った。
その良家の少年は高校生だったが、バイトのつもりで探偵もやっていた。
よくある依頼は、さっきの様なペットの捜索。大体の依頼主は子供で、今みたいに小さな報酬ばかりだった。
しかしその実、探偵の腕は有る。
昨日も、捜査官の小狐丸の依頼で一つ事件を解決していた。
その小狐丸という青年は、三条家の者だ。
あの三条三日月の一つ下の弟で、警察でもエリートに入る捜査官だった。
二人の後ろを黄毛の仔狐がついていく。
それを見て、小狐丸はほくそ笑んだ。
「お腹空いた」
鳴狐は、黒マスクの下でそう言った。
「まあ、八つ時ではありますかね」
小狐丸は左手首にした細い腕時計をちらりと見る。
「ファミレスでも行きましょうか」
小狐丸の提案に鳴狐は視線だけで同意した。
じりじりと太陽が世界を焼く。
二人は冷房の効いた店内へ入った。
「好きな人が出来た」
そう言った時、感情が無い声で、そう、と言われた。
その一言で鳴狐の心がわかったのは、身内だからだ。
薬研はベルトを解かれ、"それ"を咥えられても不快感は無かった。
ただ、その行為を不思議には思っていた。
鳴狐は、俺を好きなんだろう。
多分。
そう思っていた。
だから、金色と一緒に居るのを見掛けた時は、正直安心した。
鳴狐は、俺の言葉を否定しなかった。
ただ、肯定もしなかった。
俺はどうなんだろう。
子供心ながらに、鳴狐が好きだったのかもしれない。
この話は、行平に言ってないない。
この気持ちは墓まで持っていくつもりでいた。
その片側だけの銀の眼に、金の視線が映る事は有った。
ただ、そんなに気にもしていなかった。
鳴狐は、いつも一人で居る。
常に誰かと居たい獅子王とは、真逆の存在だった。
おい、早くしねえと売り切れるぞ、と四白眼に言われ、やべ、と席を立つ。
御手杵も!!と隣の席の寝ぼけた長身の背中を叩いた。
仲の良い三人組はばたばたと廊下を走っていく。
すれ違う教師に走るなと怒られても気にしなかった。
ただ、源獅子王が連む同田貫正国と結城御手杵は忙しい奴らだった。
その日も助っ人に出る大会が近いから、と両方から昼休みを断られた。
一人というのは、なんだかつまらない。
だからその日の視線に、何となく答えたのだ。
「鳴狐!一緒に食おうぜ」
獅子王は、その時初めて彼の名を呼んだ。
金の眼に感情が無い。黒いマスクをしているので、顔から意思の情報が汲み取れなかった。
ただ鳴狐は頷き、席を立つ。
視線だけでついてくるよう言い、教室を出ていく。
獅子王は意外と大胆な鳴狐に少し笑い、その後ろを歩いた。
「鳴狐、いつもここで食ってんの?」
上を見ると、青空が視界を支配する。
灼熱の太陽が屋上に出た二人を見下していた。
鳴狐は頷き、屋上唯一の日陰である階段の裏に座り込んだ。
あちー、と言いつつ獅子王もその隣に座る。
今日の獅子王の昼食は朝にコンビニで買ったメロンパンだった。
鳴狐はスクールバッグから大きめの箱を二つ出す。
金の動物の足跡がアクセントの黒い弁当箱は、高そうに見えた。
めっちゃ食うじゃん、とツッコむと鳴狐は一つ視線を寄こし、黒箱の蓋を開ける。
一箱は白米だけで、もう一箱の中身はなかなかに豪華だった。
卵焼き、唐揚げ、そんな定番のおかずの中に、複雑な花形の人参や赤く艶めくイクラも入っている。
鳴狐は赤い箸を持ち、いただきます、と呟いて蓮根を口に運んだ。
その初めて聞いた低めの声に、何となくどきりとする。
鳴狐は構わず食べ続けた。
そんな大層な食糧だったのに、獅子王がメロンパン一つを食べ終えた時にはもう食べ終わっている。
鳴狐のそんな大早食いな一面は、意外としか言えなかった。
「ごちそうさま」
鳴狐は丁寧に挨拶し、黒マスクで口元を隠す。
その後は、会話が無かった。
しかし、何故かそれが心地良かった。
その日から、獅子王と鳴狐はちょくちょく昼休みを一緒に過ごすようになった。
獅子王がコンビニパンを食べる中、やはり鳴狐の弁当は豪華で大量だ。
食べ終わった後は二人でぼーっとしたり、相槌も無い中獅子王が愚痴を言ったりした。
そんな昼を何回か過ごすうち、鳴狐の態度にも変化が有った。
最近は話をしている時にこっちを見てくれるし、獅子王が教室で暇そうにしていると、無言だが昼食に誘ってくれたりした。
いつも決まって屋上の階段裏で過ごす。
そんな中、じわじわと太陽の光は強くなっていった。
「なあ、たまにはお前も何か話せよ」
ある日そう強請ると、鳴狐は金の眼を瞬きさせた。
しかし言葉は返さない。
獅子王がやっぱダメか、と諦めた時、低音がした。
「…なきぎつねは…、狐が、すき」
そう、ぼそりと言った。
その内容は意外なものではなかったが、喋ってくれた事が意外だった。
「…やっぱそうなんだ」
獅子王は視線を前に向けたままにやけてしまう。
その視線の先には、黄色の仔狐が居た。
「あの子、名前あるのか?」
「…キツネ、って、呼んでる」
そっかあ、と獅子王はにまにましながら頷いた。
「あのキツネが幻覚って本当か?」
それは御手杵が言っていた噂だった。
鳴狐は、幻覚の仔狐を飼っている。
親しくなると、その仔狐が視える様になるという。
鳴狐の彼女が言ってたぜ、と御手杵は小声で言っていた。
そんな馬鹿な、と思っていたが、実際にそれは視えるようになっている。
「噂、本当なんだな」
キツネが丸くなって寝ているのを獅子王は見ていた。
「…っていうか、彼女居たんだな」
その噂の発端は隣のクラスの女子らしい。
しかし鳴狐の金眼はきょとんとしていた。
「…彼女じゃない」
ぼそりと言うので、獅子王は、え、と漏らす。
「…一回キスしただけ」
今度は獅子王の銀眼がきょとんとした。
「…彼女じゃねえのにキスしたのか?」
意外と初心な獅子王は、そこに驚いた。
それがどうした、という視線を投げられる。
鳴狐って意外とちゃらんぽらん?という意外な一面を見てしまった。
「キス、した事無いの?」
そう首を傾げられ、獅子王の顔は火が点いた様に赤くなる。
「し、した事くらいあるし!!」
嘘だ。しかしそのシトリンの眼はそんな嘘を見破っているだろう。
ふふ、と初めて鳴狐が笑うのを視た。
「してみる?」
鳴狐はそう黒マスクを顎にずらし煽ってくる。
は、はあ!?と獅子王は顔を更に赤くした。
「そ!そんな、俺達男同士だし、そんな仲じゃねえし!!」
茹で蛸の獅子王を笑い、鳴狐は黒マスクを鼻まで掛ける。
鳴狐にからかわれるなんて思わなかった。
キツネもケンケンと笑っている気がする。
獅子王は、ああ、もう!と怒ってはみたが、その実仲が良くなった気がして嬉しかった。
カラン、とドアに付いた鐘が鳴った。
いつもは静かなその空間では、それは大きな音に聞こえる。
「こんにちは…」
そう呟いて中に入って来たメガネの少年は、あまりにもこの店には不釣り合いだった。
「ああ、久し振りだな、篭手切」
枯草色はその少年を知っている。
何故なら、彼も"作品"だからだ。
「鶯丸、久し振り」
少年の笑顔は眩しい。
「今日はどうした?タトゥー増やすのか?」
「その冗談、あんまり笑えないな」
「此処はそういう店なんだがな」
篭手切が不定期でこの店に来る理由を知っていたので、鶯丸はカウンター裏の戸棚を開く。
「今日は何枚だ?」
「一枚で」
鶯丸は一枚の袋をカウンターに出す。
それは、入れ墨消しシールだった。
「ねえ鶯丸、本当にタトゥーを取る事は出来ないの?」
「ああ。作品を消すのは俺の主義に反するからな。事前に言ったろう」
「でも…」
「これを少し安くしてやるから、諦めろ」
チン、とレジの数字が変わり、篭手切は渋々その話題をやめる。
「大丈夫。篭手切は綺麗だ」
鶯丸がそう褒めても、若草の眼は明るくならなかった。
空は赤い。
夜の帷が来る前に、獅子王は急足で歩いていた。
その道は、決して明るくはない。
獅子王には、正国にも御手杵にも言っていない秘密が有った。
きょろきょろと辺りを確認してから、その店の裏口から入る。
薄暗いピンクの照明の店内で、お疲れ様です、と獅子王は挨拶をした。
控室のロッカーに鞄だけしまい、入り口に一番近いエントランスのカウンターに立つ。
あまり繁盛はしていないその店で、獅子王は受付のバイトをしていた。
3分程して、入り口のドアが開く。
いらっしゃいませ、と営業スマイルを向けると、その禿げた中年は鼻息荒く話しかけて来た。
「ねえ、君はいじめてくれないのかい?」
開口一番にそう言われ、獅子王はドン引きする。
「俺はただのバイトなんで…」
引き攣った笑みで流そうとするが、その中年男性は獅子王の手を握ってきた。
「そう言わずにさぁ…僕はキミみたいな可愛い子にいじめられたいんだよお…」
うわ、マジキッショ、と内心思いつつ、どうしたものかと考えを回らす。
「すみません、本当俺そういうの出来ないんで…」
やんわり手を解こうとするが、なかなか離してくれない。
マジで誰か呼ぼうかな、と思った時、新たにドアが開く。
「こんばんは…って、おや?」
その六角眼鏡の青年は、この店の客としては不釣り合いなくらい美しかった。
「君、ノーマルに迷惑を掛けちゃだめだよ」
そう中年の肩をとんと叩く。
「何なら僕が縛ってあげようか?」
そうにこりと微笑み掛けると、中年は舌打ちをして店を出て行った。
「ありがとうございます、貞宗さん」
獅子王はそのピンク色に頭を下げる。
「うん、君も気を付けてね」
物腰の柔らかいその青年は気遣ってくれた。
貞宗亀甲は、常連だった。
獅子王がこの店で働き始めた頃にはもう定番の客で、"女王様"達は挙って相手をしたがる。
その端正な顔からは想像出来ないが、週一で来るくらいには"いじめられたがり"だ。
今日も慣れた手付きでボードに記入し、誰にいじめてもらおうかな、とるんるんで壁の写真を見る。
「今日は何時になく上機嫌ですね」
獅子王も、そんな理解しきれない変態の中でも心を許している存在だった。
「ああ、さっき偶然先輩に会ってね、久々にお話が出来たんだ」
「ああ、"縛り"の先輩の?」
「うん。相変わらず可愛らしかったよ。あの声を久々に聴いたら興奮してしまってね。今も冷静を装うのが大変だよ」
その先輩を思い出したのだろう、鼻息が荒くなっていた。
「でも残念な事に仕事帰りだったらしく、普通の格好だったんだ。ああ、あのフリルのゴスロリ姿をもう一度見たい…!!」
相変わらずやべーな、と思いつつ、あの、そろそろ、と声を掛けた。
ああすまない、と亀甲は改めて真面目に指定し、獅子王はその女王様の名前を記入した。
じゃあこちらに、と獅子王が奥へと続く扉を開けると、亀甲は入室間際に一言言う。
「君は無関係なんだから、早くこの店から足を洗いなさい」
ぼそり、と真面目なトーンで呟かれ、獅子王は、え、と漏らした。
亀甲は微笑み奥へ消える。
バタン、と扉が閉まり、獅子王はきょとんとするしかなかった。
空には月が有ったが、じとりと汗をかく外はまだ完全な闇ではない。
その店の裏口に入ってから、2時間しか経っていなかった。
獅子王は伸びをしつつ裏路地から出る。
その足元に、黄毛の仔狐が居た。
獅子王はぞわりと焦る。
その仔狐は、鳴狐が見せる幻覚だった。
獅子王は街灯に照らされる金と目が合う。
「バイトを辞めろ」
その低音に驚いた。
鳴狐が自分から話すのを、初めて聞いたからだ。
「い、いきなり何だよ…」
「この店のバイトを、辞めろ」
鳴狐は改めて言う。
獅子王は、苛立ちを覚えた。
「なんだよ、お前に指図されたくないんだけど」
ただ高収入短時間だからしているバイトだったが、それなりに愛着はあった。
変態を嫌悪して差別した発言だとしたら、許せない、という自分の感情が不思議でもあったが。
「理由は話せない。けど、辞めろ」
たん、と短い言葉は脅しにすら聞こえる。
しかし、獅子王は負けなかった。
舌打ちをして踵を返す。
鳴狐は、追ってはこない。
何なんだよ、と思いつつ、獅子王はそのまま家路に着いた。
その日から、獅子王は鳴狐を無視するようになった。
その視線に気付かない振りをする。鳴狐も話しかけてくる事はなく、別に前と同じ状態になっただけだった。
それでも、何故か心の引っ掛かりは取れない。
その日も、そんな事をぼんやりと考えつつ、店のカウンターに肘を付いていた。
ガチャリ、とドアが開き、獅子王は反射でいらっしゃいま、と途中まで挨拶をし、固まる。
入ってきたのは、シトリンの眼の少年だった。
なきぎつね、と名を呼ぼうとしたら、カウンターの横から腕を掴まれた。
「な、何」
ぐい、と引き摺り出される。鳴狐はカウンターの上に何か封筒を叩きつけ、獅子王を連れて店を出た。
その強引さに動揺している中で、鳴狐は無言で熱いアスファルトの上を走る。
鳴狐!?と呼んでも振り向きすらしなかった。
獅子王はその外の状況に走らされる。
パトカーが数台、店を取り囲んでいた。
警察官と思われる人間が十数人、店に突撃するのとすれ違う。
その中に店でよく見たピンク色の姿も見た。
白スーツの彼に、貞宗さん!?と声をひっくり返すが、亀甲は笑顔で答えるだけだった。
ぴい、という笛の音と共に突撃する警察官達に、店の中は騒然となる。
その喧騒からだいぶ離れた路地に、二人は逃げ込んだ。
「な、何なんだ!?」
獅子王は大声で鳴狐に問うた。
「なんであの店を襲うんだ!?SMプレイがそんなに悪い事か!?」
よくわからない焦りと怒りに獅子王は喚く。その細い腕に肩を持たれ、それを振り払おうと暴れた。
「なんだよ!!!も
叫んだ中で、何かに阻まれる。
その柔らかい感触に、全ての呼吸を止められた。
唇と唇が触れている。
歯を閉じようとしたら、口内に舌を入れられた。
その感覚に、獅子王は一気に頭が熱くなる。
熱に浮かされた。
その中で、通りで誰かが怒鳴っているのが聞こえる。
あのガキ、逃げやがった、と職場で知った声がした。
獅子王の頭は混乱の極みにあったが、そのキスに身体の力が入らなくなっている。
鳴狐は器用に獅子王を壁に追い詰め、その慣れない舌を慣れた舌で絡め取っていた。
「ん、あ…」
獅子王は息苦しくて呼吸をしようとし、自分でも驚くような吐息を漏らす。
一回その顔が離れ、鳴狐は、鼻で呼吸して、と耳元で囁いてから、もう一度獅子王の唇を奪った。
言われた通りにすると、いつの間にか銀の眼を閉じていて、自分でも、気持ち悦いと、感じていて。
遠くでサイレンが聞こえる。
通りの全てが収まるまで、鳴狐のキスは続いた。
結果から言うと、獅子王の知らない中でその店は麻薬売買をしていた。
亀甲はそれを潜入捜査する為に店に通っていたという。
「なかなか女王様達は悦い人達だったんだけどねぇ」
その悦に入った本人の一言で、私情は挟んでるんだ…と思ったが。
鳴狐が退職願を叩きつけてくれた事で、獅子王はギリギリ無関係の人間という事になったらしい。
それもかなり強引では有ったが。
「でも、あれ受理されるんですか?」
獅子王はそんな物を書いた記憶は無い。
「大丈夫。受理“させた”よ」
亀甲はにこにことしていたが、その白抜きの灰色の眼は笑っていなかった。
あまりツッコんだ事を訊きたくなくなる眼だ。
事情聴取から解放されたのは、もう夜も深けた頃だった。
事が事なので親も呼ばれず、全てはこっそりと済んだ。
親に遅くなって悪いとだけ連絡し、小言を言われる前に受話器ボタンをタップした。
警察署を出た瞬間、緊張が解れたからか腹の音が鳴る。
溜息を吐き前を見ると、背の高い白長髪の青年と話していた金の眼がこちらを見た。
その灰スーツの捜査官が離れたので、なあきいぎいつうねえ〜〜〜〜!!!!とどうしようもない怒りを銀に向けてしまう。鳴狐は悪びれる様子も無く右親指を外に向け、
「飯、行こう」
とだけ言った。
そのいつも通りの様子に、獅子王は脱力する。
「…お前奢れよな」
そう八つ当たりの言葉を投げると、鳴狐は小さく笑った。
ファミレスでアホほど食ってやろうと決意し歩き出す。すると、するりと手を握られる感覚があった。
獅子王がこれ程無いくらい心臓を跳ねさせ横を向くと、シトリンの眼が間近に有った。
その切長の眼が本当に宝石の様で、心臓がばくばくといってしまう。
獅子王は、色々な感情の中でその手の力を強めた。
足元で仔狐がこんと鳴く。
暗い夜の中、熱い体は汗をかいた。