背徳の雅荘
「っは、」
今日の責苦は、いつもより激しい。
少し爪が長かったのは、この為だったか。
ぎりぎり、と肌に食い込められ、掻き乱された。
抉った、血が出る様な傷を付けられる。
しかし、その行為すら、鶯丸は気持ち悦かった。
俺も末期だな、と思いつつ喘ぎ声を上げる。
鉄と性の匂いに、頭がくらくらした。
背徳の雅荘
5,人生の休憩
「今日は鈴を付けていないんだな」
その金白金は、何も知らずそう言った。
「お前はあのチョーカーが好きだったのか?」
枯草色は、2回会っただけの行平にそう問う。
「うん。猫みたいで可愛かったから」
その言葉は,他意も悪気も無いのだろう。
しかし、鶯丸は笑う事が出来なかった。
「もうあれは付けない」
そう言い切ると、行平は不思議そうな顔をしたが引き下がった。
「今日は手巻き寿司パーティーだ」
言い切る行平に、大家の古今が良いですね、と言う。
雅荘は、鶯丸を歓迎してくれた。
春鳥はその枝で羽根を休める。
長い長い旅路の中で、その細い枝は、人生の休憩になった。
抱き潰された鶯丸は、色々な体液で汚れた床に倒れ込んでいた。
そうさせた蒼は裏口から帰った。動けない鶯丸に、何も言わず。
それは鶯丸の興奮を痕残す為にわざとした事だ。その鬼畜の所業に、鶯丸はぞわぞわと感じる。
本当に、俺も変態だな、と浅い呼吸をしながら思った。
床に寝たまま息を整え、体力が回復してきたので壁伝いに立ち上がる。
身体が痛かった。傷がずきずきと言う。黒いシャツは、血を吸って鉄の匂いがした。
ジーンズもしみだらけになってしまい、掃除をしたら着替えなければな、とぼんやり思う。
よろよろと体液だらけの床を拭いていると、カラン、と入り口が開く音がした。
鶯丸は慌ててこの部屋へ続くドアを閉める。バタン、と扉が閉まる音は聞かれてしまっただろうか。
「鶯丸、居ないのか?」
人を小鳥と言う、愛しい声。
鶯丸は、息を殺して留守のふりをした。
「…また来るぞ」
カラン、とまた鐘が鳴り、ドアが閉まる音がして、鶯丸は安堵の溜息を吐く。
こんな姿を見られたら、きっと山鳥毛は自分から離れる。
そう考えると、珍しく自分に嫌悪感を抱いた。
その少年は緊張した顔で目の前の黒と金白金を見ていた。
「そうですね…」
古今は黒い短髪の中に赤が入ってる少年を舐める様に観察する。
無造作に巻いた首の包帯を見て、厨二を引き摺っているのかと思った。
「…で、本当にどんな部屋でも良いと?」
「はい。とにかく屋根さえあれば」
古今はその泳ぐ赤い目を見ている。
「では、部屋を提供する代わりに何をしてくれます?」
古今の言葉に、肥前は、え、と言った。
「此処に住みたいなら、それ相応の提供が必要です」
それは、と肥前は言葉に詰まる。
少し沈黙が続くが、それを破る音がした。
ガチャリと言ってドアが開き、二人は反射で入り口を見る。
「肥前く
「こ、こら先生!!まだ交渉中だ!!」
その入ってきた闇色に、古今は眼を見張った。
南海朝尊というその男は、写真で見るより美しい。
ほう、と古今は不意に言葉が出た。
「ああ、すまないね」
きょろりと部屋を見渡してそう言う。その銀眼は、反省の色が見えなかった。
「貴方は何が出来ます?」
挨拶の無しに突然問われても、全てを把握した顔で、ふむ、と考えている。
「身体で支払うことは、まあ出来るかな」
冷静にそう言う南海に、肥前は焦りの小さな悲鳴をあげる。
「労働は俺がやる!!だから先生に提供を求めないでくれ!!!」
前のめりになる肥前を南海は不思議そうに見る。
「おや、献身的なんですね」
その様子の二人は、普通なら逆の立場だろう。
南海に対して肥前は過保護である、と決めつけようとしたが、
「そ、そういう事じゃない!!」
肥前は焦りすぎて冷や汗を流した。
「先生は、何をやってもトラブルしか生まない!!!」
そう言い切った肥前に、古今はその特殊な眼を丸くする。
「労働どころか、掃除も洗濯も、家事もやらせないでくれ!!特に料理は、作ってるだけで人を殺す!!!」
その形相に、古今は一瞬言葉が出なかった。
そして、小さく吹き出した。
「貴方、余程その男に苦労なさってるんですね」
苦労、と肥前は繰り返す。
「苦労…してるっていうか…」
その赤い眼に、古今は悟った。
この少年は、ヒモに甘い人間だ。
大抵そういう人間はその事に気付かない。
「いや、これに関しては意見を言わせてもらうよ」
南海は少し絞られた銀の眼で古今を射抜いた。
「まあ、本当は肥前くん以外とはしたくないのだが…情事ならそこそこ自信がある」
せ、先生!!??と肥前は顔を赤くして素っ頓狂な悲鳴をあげる。
「何言い出すんだ!?!?そんな事させられるわけねえだろ!?!?」
肥前は本当に必死だ。流石の古今も呆れの溜息を吐く。
「貴方、本当にデリカシーが無いんですね」
南海は首を傾げた。
「普通恋人の前でそんな事言うなんて最低ですよ」
しかしその実、憎めないのもわかる。
そのくらい、銀の眼には感情が乗ってなかった。
「仕方ないんだ。肥前くんが言った通り、僕は何も出来ない」
肥前はその皮肉に言葉を詰まらせる。
「ああ、でも情事と言っても、僕は不感症だからネクロフィリアの肥前くんしか喜ばないかもね」
その顔色は変わらないが、まさか反撃だろうか。
「なっ!!!!!!別に俺はネクロフィリアじゃねえし先生だって不感症ではないだろ!?いつも悦い顔してるじゃねえかよ!!」
「それは肥前くんに責め立てられたら感じない訳ないじゃないか。君に悦い所を責められれば、僕だって悦くなる」
古今はその会話をぽかんと聞いていたが、はっと正気に戻る。
まさか、惚気話を聞かされているのではないか?
なんとなく、イラっと来た。
しかし、そんな二人を気に入ったのも事実だ。
「…わかりました」
古今は電卓を取り出す。
「お二人の入居を認めます。その対価は…家事です」
身構えていた肥前は、か…じ…?目を丸くした。
「肥前はシェアハウス全体の掃除、洗濯、毎食の料理…その他もろもろですね」
古今は悪戯っぽく笑った。
「そして、南海には行平のサポートをお願いします」
サポート?と南海も首を傾げる。
「あの子は作家希望でしてね。資料の手配、飲み物の給仕、1時間毎の休憩の呼び掛けなど、その手伝いを要求します。所謂、アシスタントですね」
ほうほう、と南海は頷いた。
「それなら出来そうだ。一応そういう職業にもついた事がある」
本当に大丈夫か…?とおずおずとした肥前の反応に、あまり期待しない方がいいかな、と古今は考える。
「とはいえ、それとは別に家賃は払ってもらいますから。狭い部屋ですし、肥前は未成年なのでこの値段にしますが、対価とは別に納めてもらいます」
タカタカ、と叩いた電卓を二人に見せた。
「…わかった。このくらいならなんとか」
「では、そのように」
そこまで言って、緊張感のあった古今の顔が柔らかくなる。
「今日は手巻き寿司パーティーにしましょう」
てまきずし?と肥前と南海は声を揃える。
「歓迎会は手巻き寿司、とこのシェアハウスでは決まってるんです」
正式に入居が決まった事に,肥前はこの上無い溜息を吐いた。南海は手巻き寿司かあ、と既に別の事を考えている。
「ようこそ、雅荘へ」
古今の笑顔に、空気が穏やかになる。
肥前と南海も宜しくお願いします、と頭を下げた。
カラン、と鐘が鳴る。
鶯丸はそれを最近の楽しみにしていた。
「鶯丸、居るか」
愛しい鳥の訪問。カウンターに居た鶯丸は笑顔で、居るよ、と言った。
挨拶代わりに啄むキスをする。
「…今日は一段と軽装だな」
山鳥毛はいつものコートは着ず,黒の薄い長袖にシルエットが綺麗なジーンズだった。
自分のいつもの格好に近いな、という感想を持つ。
「ああ、今日はサシで誘いたかったからな」
鶯丸はきょとんとした顔をした。
「…と?言うと…?」
「まあ、その…所謂…デートをしないか?…と」
その貫禄が有る顔を崩し、なかなかに可愛い事を言う。
鶯丸は小さく笑った。
「デート…ねぇ。プランは有るのか?」
少し意地悪のつもりで言ってみる。
「何処でもいいんだ、鶯丸が行きたい場所なら」
ほほぅ、と鶯丸は自らの顎を持った。
「本当に何処でもいいのか?」
ああ、と山鳥毛は頷く。
「なら、色々と奢ってもらうからな」
「勿論。色々と贈らせてくれ」
カラン、と鐘がまた鳴る。
closeと書かれた札を外扉に掛け、二人は店を後にした。
最近は寒さも和らいできていて、薄い長袖でも歩ける程だ。
太陽が真上に来ている。そんな中でも人通りの少ないこの路地は、怪しい店が立ち並んでいた。
そんな無法地帯にも見える通りだが、鶯丸と山鳥毛は馴染みがある。
いただきます、と鶯丸は割り箸を折って言った。
まずは海苔をスープに沈め、しんなりさせてから食べる。
角煮を一口齧り、やっぱりこれだよな、と嬉しそうに呟く。
「今日は珍しく全部盛りかい」
そうラーメン屋の店主に言われ、これの奢りだから、と鶯丸は山鳥毛を指差した。
「本当にこの店で良かったのか?」
山鳥毛がそう訊くと、鶯丸は麺を啜ってから頷いた。
「こういう店なら俺達も浮かないだろう」
「まあ、そうだが…」
刺青の入った男二人組がフレンチに行くわけにもいかない。ファミレスですらギリギリだ。
「それに、懐かしいだろ?」
そう言われ山鳥毛は考える。笑顔の店主を見て、思い出した。
「…あの時の店か」
鶯丸は笑う。
今日みたいに山鳥毛が奢ってくれると言ったあの時。一緒に入ったのがこの店だった。
「覚えてるぜ。あの時もうぐさん嬉しそうだったからな」
山鳥毛はそう言う店主の事も思い出した。随分と老けたので、気付くのに時間が掛かったが。
「あん時の若造がこんな良い男になるなんて、長生きするもんだな」
ガハハ、と笑う店主に、山鳥毛も笑いかける。
そしてラーメンを一口啜り、美味いな、と呟いた。
腹を満たした二人は、その通りをゆっくりと歩く。
服が見たい、と鶯丸が提案し、いいぞ、と山鳥毛も頷いた。
外見がやたら黒いその店は、ショーウィンドウにジーンズが並んでいる。
鶯丸が躊躇無く入るので、行きつけな事がわかった。
「おっ!うぐさんじゃん」
その太陽の様なオレンジは店員だろう。
山鳥毛を見て彼は、あっ!と言った。
「その人が例の?」
太陽はわくわくとした顔をする。
「ああ、俺の最高傑作だ」
何の事かいまいち掴めない山鳥毛が首を傾げると、刺青の話。と鶯丸は付け足した。
「こいつは三池ソハヤ。自分は挿れられないくせに、やたら刺青が好きでな。タトゥーシールを買ってくれる金づるだ」
「うぐさん言い方〜!だって痛そうだからさ」
あはは、と笑うソハヤは、人の良さ事が滲み出ている。
鶯丸が店の洋服を吟味していると、何処からか重低音が聴こえた。
その流れるような音がベース音なのはわかる。
「光世は今日も調子良さそうだな」
ジーンズを見ながら鶯丸は言った。
「ああ。今日ライブだからな」
ソハヤは言ってから、ん?と思う。
「えっ今日は聴きに来てくれたんじゃねえの!?」
「え?ああ全然忘れてた」
何だよ〜!!とソハヤは鶯丸の背中を軽く殴った。
話の流れが読みきれてないが、その仲の良さに山鳥毛は小さく笑う。
「俺、兄弟とバンドやってるんす。この店の地下がちょっとしたステージになってて、月一でライブやってるんすよ」
ソハヤの説明に、ほう、と山鳥毛は感心した。
「そろそろリハやろうと思ってたんすけど、聴いてって下さいよ!」
何の躊躇も無しに太陽の笑顔で言う。鶯丸は、そうだなあと服を見ながら考えた。
「聴いていっていいか?山鳥毛」
「ああ、構わない」
二人の会話に、ソハヤはよっしゃ!とガッツポーズを取る。
「じゃあ用意出来たらまた来るんで、服見ながら待ってて下さい!」
ソハヤはそう残し奥に有った階段を降りていった。
山鳥毛は服を吟味する鶯丸の隣に立つ。人が居ない事をいいことに、体を寄せた。
鶯丸は赤い百合の刺繍が入ったジーンズを見ている。かっこいいかな?と山鳥毛に尋ねると、かっこいいな、と答えた。
「百合模様なら白も良いと思うが」
「模様は赤が良いんだ」
鶯丸はそのジーンズを抱えたままチャッ、チャ、と他の物も見る。
ダメージはどうだ?と山鳥毛が手にしたジーンズも、良いな、と左手で持った。
そんな感じで店内を見ていき、何着かカウンターの上に置く。
そのタイミングで、丁度ソハヤが階段を上がってきた。
地下のライブハウスは、こじんまりとしているがステージと距離が近いと思うと悪くはない。
その一段上のステージに、何やら般若の様な趣の男が持っていたベースのチェックをしている。
「兄弟!お客さんだぜ!」
ソハヤは声を掛けた。
「こいつが兄弟の三池光世!ベースと作詞担当です!」
その太陽の兄弟とは思えない男は、血色の眼をギロリとよこし、軽く頭を下げる。
光世の五部袖から見えるタトゥーを観察していると、あれは俺が彫った、と鶯丸は得意げに囁いた。
ソハヤがステージ脇に設置された灰色のノートパソコンを操作すると、ドラムの爆音が流れる。
そのボリュームを少し落とすと、光世はグットサインをソハヤに送った。
「それじゃ、お二人の為に歌いまーす!」
黒いギターをかき鳴らしながら、ソハヤは歌う。
明るく伸びるその声は、ステージの持つ独特な陰鬱感を消した。太陽の様に、真っ直ぐに温かい声だ。
光世のベースラインも聴き心地が良い。音楽に詳しくない山鳥毛でも、その技術が高いのが分かった。
二人は三曲披露し、ありがとうございました!とソハヤは元気良く言う。
山鳥毛と鶯丸は拍手を贈った。それにソハヤははにかむ。
光世もお辞儀をし、ベースを置きに行った。
リハを終えて、一階のショップへ戻る。カウンターに置かれていた洋服を会計し、山鳥毛はその服達にあまり差が無い事に気付く。
しかし、その理由までは、山鳥毛も勘づいていなかった。
新品の洋服達が入った紙袋を山鳥毛に持たせ、鶯丸はゆっくりと歩く。
「次は何処に行く?」
山鳥毛がそう訊くと、鶯丸はう〜ん、と唸った。
「それが思いつかないんだよなあ。お前とこうやって歩いているだけで楽しいからな」
本当に楽しそうに笑う鶯丸に、そうか、と山鳥毛も安堵する。
「じゃあ呑みに行かないか?そろそろ飲み屋街に入るからな」
ああ、良いな、と鶯丸は答えた。
空が少し色を変え始めている。飲み屋を吟味しているうちに、マジックアワーになっていた。
その空の色彩は綺麗過ぎて、作り物なのではないかと疑うほどだ。
飲み屋街は様々な店が有った。無骨な安酒屋も有れば、小綺麗な洋酒屋も有る。
鶯丸と山鳥毛は、見落としてしまいそうなくらいの小さな黒いビルに入った。
「此処、実は良く来るんだ」
そのバーに入り、鶯丸はそう言う。
正直、鶯丸のその選択は意外だった。
黒を基調とした店内は少し暗く、カウンターを照らす照明は水色が掛かった白だ。
いらっしゃい、と挨拶をしたバーテンダーは、品の良さそうな銀髪の男だった。
「おっうぐさん久しぶり」
バーテンダーが気さくに声を掛けるので、鶯丸が常連である事がわかる。
カウンター席に並んで座る。
いつもの、と鶯丸が言うと、バーテンダーは慣れた様子でシェーカーを振った。
「良い雰囲気の店だな」
山鳥毛は物珍しげに店内を観察する。小さな店だが、その空間は落ち着いた。
「だろう?」
バーテンダーの大般若はカクテルを差し出しながら言う。
「ちょっと高級な一時をどうぞ」
ウインクをしてきた。
その逆三角に収まる薄緑色に鶯丸は唇を付ける。
「いやあ、まさかお前と此処にくるとは思わなかった」
明るい口調で言うが、鶯丸は山鳥毛に視線を合わせなかった。
その枯草色の眼に、憂いすら感じる。
山鳥毛はなんとなく黙ってしまった。
「うぐさんがこんな男前さんを連れてくるなんてなあ」
気を回した大般若はそんな事を言う。
「ああ、良い男だろう」
「うぐさんは良い趣味してるねえ。旦那も、うぐさん捕まえるなんてやるじゃないか」
戯けた風に言うと、場の雰囲気が少し明るくなった。
「綺麗な小鳥だろう?」
山鳥毛は飾らずそう言ったが、鶯丸は照れた様に笑う。
「ああ、うぐさんは別嬪さんだよなあ」
大般若もうんうんと頷いた。
「二人とも止めてくれ。俺は男だぞ」
そう言いつつも満更じゃなさそうにカクテルを呑む。
山鳥毛もその薄緑に口を付けた。美味しい、と呟くと、大般若は満足気な表情になる。
それから鶯丸はぽつぽつと昔話をした。
小さい時からいつの間にか仲良くなっていたとか、小学生の頃から一緒によく授業をさぼる問題児で、中学校に上がってもそんな調子だったとか、山鳥毛がどんどんかっこよくなるから内心羨ましかった、なんて当時は言わなかった事まで鶯丸は言っている。
バーテンダーの大般若はそれに適度な相槌を打った。
「俺は羨ましかったんだ。生まれつきハイタカであるこの男が」
俺は小さな鶯だからな、とこの鳥は言う。
今日の鶯丸は良く喋るな、と不審に思った時、鶯丸は山鳥毛の肩にもたれかかってきた。
「…鶯丸?」
山鳥毛に体重を掛ける鶯丸は、肩で息をしている。軽く揺すっても、反応が無い。
「…休ませた方がいいな」
大般若は焦り出す山鳥毛から鶯丸を剥がし、姫抱きにした。
「大丈夫。少し疲れが溜まってるだけだろう」
昨日もアイツの相手をしたんだろうな、という大般若の呟きを、山鳥毛は聞いてしまった。
「この上にホテルが在る。そこで少し休ませな」
お前もな、と大般若は山鳥毛に言う。
「休憩ってもんは、生きてりゃ必要なんだよ」
鶯丸を抱えながら店から出て階段を登る大般若の言葉は、とても意味深に聞こえた。
そのラブホテルは、一見シンプルだが細かい配慮の行き届いた場所だった。
「フリータイムをツケとくから、いくらでも休みな」
このホテルの従業員でもある大般若に礼を言い、山鳥毛は鶯丸を抱え個室に入る。
サービス、と大般若はペットボトル2本と小さな袋を渡した。
淡い間接照明の部屋の中は、ベッドとシャワールームでほぼ埋まっている。
外は月明かりだけが辺りを照らしていた。
下弦の三日月は、笑っている様に見える。
鶯丸をベッドに寝かせ、山鳥毛はへりに座った。
心配に思っていたが、鶯丸の呼吸は穏やかだったので、少し安心する。
山鳥毛は改めてその春鳥を観察した。
乱れた前髪から、幾何学模様のタトゥーが見える。
少しだけ見える首や掌にも、細かく美しい模様が入っていた。
良く見たら、今日のジーンズは裾に赤いステッチが入っていて、黒のスリッポンを脱がした足は、ビビットなオレンジの靴下を履いていた。
その靴下も脱がすと、足先にも葉脈の様な刺青が入れられていて、意外にも爪先は蒼いネイルをしている。
「大丈夫か、鶯丸」
鶯丸は唸って大きく呼吸をしていた。
頬は黒のタトゥーが無い所は仄かに赤く色付いていて、そういえば下戸であった事を思い出す。
鶯丸が身じろぐと、シャツが少し捲れた。
鶯丸は着たままを好むので、断固としてその上半身を見せてくれる事は無い。
「小鳥よ…」
その理由も知らず、山鳥毛は興味心でそのシャツを捲った。
その上半身を見て、山鳥毛はざわりと鳥肌が立った。
さまざまな黒い模様と、それ以上に、至る所に有る瘡蓋と抉れた傷痕。
その痛々しい上半身を見て、絶句した。
「視るな!!!!!!」
一気に酔いの覚めた鶯丸は黒いシャツを下ろし、青ざめた顔でその上半身を隠す。
しかし、もう遅かった。
「誰にやられた」
「…自分で付けた」
「友成。」
赤い眼は、怒りに燃えている。
非力な小鳥は、その猛禽類の凄みに縮こまった。
「……みか、づき」
その有無を許さない視線に、友成は涙を溜めて呟く。
山鳥毛は、それが誰かわかった。
「…三条か」
春鳥の震える手を掴み、改めてシャツを捲る。
その悲惨な身体の中にその紋を見つけ、怒髪天を衝いた。
「…なんで、こんな事を」
余りのショックに、山鳥毛は言葉が出て来ない。
春鳥はぐしゃぐしゃに泣き始めた。
「視ないでくれ、こんな、身体を」
山鳥毛は首を振り,その腹筋に描かれた模様を撫でた。
友成はひくりと肩を震わす。その呼吸が一瞬止まったので、痛かったのかと手を引っ込めた。
「軽蔑、したろう」
そうはらはらと涙を流すその枯草色の眼を見つめ、山鳥毛は首を横に振った。
歪む唇に自らの唇を落とす。いつもの様に,口内を弄った。
それで友成は落ち着いたらしい。大きな呼吸をし、涙が止まった。
その行為の理由は、簡単だが複雑だった。
鶯丸には、金が無かった。
だから、三日月に身体を売った。
多額の現金と引き換えに、三日月が飽きるまでその性奴隷になった。
しかし鶯丸は、正直肩透かしを喰らう。
そんな物好きな金持ちの男なんて気色の悪い中年だろうと思っていた。
あんな眼の覚める様な美青年が、本当に居るとは。
正直、一目で惚れたのだ。
与えられた広い部屋で、彫師になる為の勉強をしながら、惚れた男に求められた時に応じる日々。
それで金まで貰えるのだから、そんな好条件、他には無かった。
その話を聞いて、山鳥毛は何も言えなかった。
「最低だろう」
その最後の呟きに、山鳥毛は首を横に振る。
「だからって、虐待を許していい理由にはならない」
真剣な眼の山鳥毛の言葉に、鶯丸も首を振った。
「痛めつけられるのは、俺の所為だ」
小鳥は震える。
「俺は,痛みに感じる変態だから」
その震えは,思い返し興奮しての震えだった。
「三日月は優しい奴だから、俺が悦くなるように振る舞ってるだけなんだ」
それを聞いて、山鳥毛はどう言えばいいかわからなかった。
山鳥毛にとって、痛みは痛みでしかない。
「ああ。でも、飼われてる証のチョーカーは嫌いだったな」
鈴の付いたチョーカーだった、と鶯丸はぽつりと言った。
「…友成」
山鳥毛は鶯丸を押し倒し、口付ける。
その枯草色の眼は、虚ろだった。
「お前は、優しく抱くよな」
その言葉は、肯定なのか否定なのかわからなかった。
「友成、もうこんな事は辞めてくれ」
緋い眼は優しく映る。
「破傷風になったらどうするんだ。もし間違ってショック死したら、どうする」
「そんなヘマはしない」
「だが、」
「本当に優しいな、お前は」
鶯丸は、悲しい笑みを浮かべた。
「お前みたいな優しい奴は、俺には勿体無い」
その言葉の続きを聞きたく無くて、山鳥毛は鶯丸の口を塞ぎ、思い切り抱きしめる。
「行かないでくれ」
山鳥毛は懇願した。
「もう、俺を置いていかないでくれ」
春の小鳥は、桜が舞う季節に消えてしまった。
どうしてあの時、別の高校に進む事を許してしまったのだろう。
ずっと、ずっとそれを後悔していた。
そう吐露すると、鶯丸はその白金の毛を撫でる。
「それは全部、お前の為だよ」
鶯丸は、その事について多くを語らなかった。
「好きだ、友成。俺は、ずっと友成が好きなんだ」
「ああ。俺もお前が好きだよ」
お互いに、そんな事はわかりきっていた。
幼い頃から、今まで、ずっとそうだった。
なんで言えなかったんだろう。
「なんで、今自覚したんだろう」
なんで、あの時離れたのだろう。
「なんで今、こんな近くに居るんだろう」
わかっていたのに、わからなくて。
そんなぐしゃぐしゃな頭の中のまま、その休憩場で、二人は身体を繋げた。
狭い部屋の窓の外は、暗かった。
三日月が浮かんでいる。
鶯丸は、その天体を湛えた眼の事を、ふと思い出した。
今日の責苦は、いつもより激しい。
少し爪が長かったのは、この為だったか。
ぎりぎり、と肌に食い込められ、掻き乱された。
抉った、血が出る様な傷を付けられる。
しかし、その行為すら、鶯丸は気持ち悦かった。
俺も末期だな、と思いつつ喘ぎ声を上げる。
鉄と性の匂いに、頭がくらくらした。
背徳の雅荘
5,人生の休憩
「今日は鈴を付けていないんだな」
その金白金は、何も知らずそう言った。
「お前はあのチョーカーが好きだったのか?」
枯草色は、2回会っただけの行平にそう問う。
「うん。猫みたいで可愛かったから」
その言葉は,他意も悪気も無いのだろう。
しかし、鶯丸は笑う事が出来なかった。
「もうあれは付けない」
そう言い切ると、行平は不思議そうな顔をしたが引き下がった。
「今日は手巻き寿司パーティーだ」
言い切る行平に、大家の古今が良いですね、と言う。
雅荘は、鶯丸を歓迎してくれた。
春鳥はその枝で羽根を休める。
長い長い旅路の中で、その細い枝は、人生の休憩になった。
抱き潰された鶯丸は、色々な体液で汚れた床に倒れ込んでいた。
そうさせた蒼は裏口から帰った。動けない鶯丸に、何も言わず。
それは鶯丸の興奮を痕残す為にわざとした事だ。その鬼畜の所業に、鶯丸はぞわぞわと感じる。
本当に、俺も変態だな、と浅い呼吸をしながら思った。
床に寝たまま息を整え、体力が回復してきたので壁伝いに立ち上がる。
身体が痛かった。傷がずきずきと言う。黒いシャツは、血を吸って鉄の匂いがした。
ジーンズもしみだらけになってしまい、掃除をしたら着替えなければな、とぼんやり思う。
よろよろと体液だらけの床を拭いていると、カラン、と入り口が開く音がした。
鶯丸は慌ててこの部屋へ続くドアを閉める。バタン、と扉が閉まる音は聞かれてしまっただろうか。
「鶯丸、居ないのか?」
人を小鳥と言う、愛しい声。
鶯丸は、息を殺して留守のふりをした。
「…また来るぞ」
カラン、とまた鐘が鳴り、ドアが閉まる音がして、鶯丸は安堵の溜息を吐く。
こんな姿を見られたら、きっと山鳥毛は自分から離れる。
そう考えると、珍しく自分に嫌悪感を抱いた。
その少年は緊張した顔で目の前の黒と金白金を見ていた。
「そうですね…」
古今は黒い短髪の中に赤が入ってる少年を舐める様に観察する。
無造作に巻いた首の包帯を見て、厨二を引き摺っているのかと思った。
「…で、本当にどんな部屋でも良いと?」
「はい。とにかく屋根さえあれば」
古今はその泳ぐ赤い目を見ている。
「では、部屋を提供する代わりに何をしてくれます?」
古今の言葉に、肥前は、え、と言った。
「此処に住みたいなら、それ相応の提供が必要です」
それは、と肥前は言葉に詰まる。
少し沈黙が続くが、それを破る音がした。
ガチャリと言ってドアが開き、二人は反射で入り口を見る。
「肥前く
「こ、こら先生!!まだ交渉中だ!!」
その入ってきた闇色に、古今は眼を見張った。
南海朝尊というその男は、写真で見るより美しい。
ほう、と古今は不意に言葉が出た。
「ああ、すまないね」
きょろりと部屋を見渡してそう言う。その銀眼は、反省の色が見えなかった。
「貴方は何が出来ます?」
挨拶の無しに突然問われても、全てを把握した顔で、ふむ、と考えている。
「身体で支払うことは、まあ出来るかな」
冷静にそう言う南海に、肥前は焦りの小さな悲鳴をあげる。
「労働は俺がやる!!だから先生に提供を求めないでくれ!!!」
前のめりになる肥前を南海は不思議そうに見る。
「おや、献身的なんですね」
その様子の二人は、普通なら逆の立場だろう。
南海に対して肥前は過保護である、と決めつけようとしたが、
「そ、そういう事じゃない!!」
肥前は焦りすぎて冷や汗を流した。
「先生は、何をやってもトラブルしか生まない!!!」
そう言い切った肥前に、古今はその特殊な眼を丸くする。
「労働どころか、掃除も洗濯も、家事もやらせないでくれ!!特に料理は、作ってるだけで人を殺す!!!」
その形相に、古今は一瞬言葉が出なかった。
そして、小さく吹き出した。
「貴方、余程その男に苦労なさってるんですね」
苦労、と肥前は繰り返す。
「苦労…してるっていうか…」
その赤い眼に、古今は悟った。
この少年は、ヒモに甘い人間だ。
大抵そういう人間はその事に気付かない。
「いや、これに関しては意見を言わせてもらうよ」
南海は少し絞られた銀の眼で古今を射抜いた。
「まあ、本当は肥前くん以外とはしたくないのだが…情事ならそこそこ自信がある」
せ、先生!!??と肥前は顔を赤くして素っ頓狂な悲鳴をあげる。
「何言い出すんだ!?!?そんな事させられるわけねえだろ!?!?」
肥前は本当に必死だ。流石の古今も呆れの溜息を吐く。
「貴方、本当にデリカシーが無いんですね」
南海は首を傾げた。
「普通恋人の前でそんな事言うなんて最低ですよ」
しかしその実、憎めないのもわかる。
そのくらい、銀の眼には感情が乗ってなかった。
「仕方ないんだ。肥前くんが言った通り、僕は何も出来ない」
肥前はその皮肉に言葉を詰まらせる。
「ああ、でも情事と言っても、僕は不感症だからネクロフィリアの肥前くんしか喜ばないかもね」
その顔色は変わらないが、まさか反撃だろうか。
「なっ!!!!!!別に俺はネクロフィリアじゃねえし先生だって不感症ではないだろ!?いつも悦い顔してるじゃねえかよ!!」
「それは肥前くんに責め立てられたら感じない訳ないじゃないか。君に悦い所を責められれば、僕だって悦くなる」
古今はその会話をぽかんと聞いていたが、はっと正気に戻る。
まさか、惚気話を聞かされているのではないか?
なんとなく、イラっと来た。
しかし、そんな二人を気に入ったのも事実だ。
「…わかりました」
古今は電卓を取り出す。
「お二人の入居を認めます。その対価は…家事です」
身構えていた肥前は、か…じ…?目を丸くした。
「肥前はシェアハウス全体の掃除、洗濯、毎食の料理…その他もろもろですね」
古今は悪戯っぽく笑った。
「そして、南海には行平のサポートをお願いします」
サポート?と南海も首を傾げる。
「あの子は作家希望でしてね。資料の手配、飲み物の給仕、1時間毎の休憩の呼び掛けなど、その手伝いを要求します。所謂、アシスタントですね」
ほうほう、と南海は頷いた。
「それなら出来そうだ。一応そういう職業にもついた事がある」
本当に大丈夫か…?とおずおずとした肥前の反応に、あまり期待しない方がいいかな、と古今は考える。
「とはいえ、それとは別に家賃は払ってもらいますから。狭い部屋ですし、肥前は未成年なのでこの値段にしますが、対価とは別に納めてもらいます」
タカタカ、と叩いた電卓を二人に見せた。
「…わかった。このくらいならなんとか」
「では、そのように」
そこまで言って、緊張感のあった古今の顔が柔らかくなる。
「今日は手巻き寿司パーティーにしましょう」
てまきずし?と肥前と南海は声を揃える。
「歓迎会は手巻き寿司、とこのシェアハウスでは決まってるんです」
正式に入居が決まった事に,肥前はこの上無い溜息を吐いた。南海は手巻き寿司かあ、と既に別の事を考えている。
「ようこそ、雅荘へ」
古今の笑顔に、空気が穏やかになる。
肥前と南海も宜しくお願いします、と頭を下げた。
カラン、と鐘が鳴る。
鶯丸はそれを最近の楽しみにしていた。
「鶯丸、居るか」
愛しい鳥の訪問。カウンターに居た鶯丸は笑顔で、居るよ、と言った。
挨拶代わりに啄むキスをする。
「…今日は一段と軽装だな」
山鳥毛はいつものコートは着ず,黒の薄い長袖にシルエットが綺麗なジーンズだった。
自分のいつもの格好に近いな、という感想を持つ。
「ああ、今日はサシで誘いたかったからな」
鶯丸はきょとんとした顔をした。
「…と?言うと…?」
「まあ、その…所謂…デートをしないか?…と」
その貫禄が有る顔を崩し、なかなかに可愛い事を言う。
鶯丸は小さく笑った。
「デート…ねぇ。プランは有るのか?」
少し意地悪のつもりで言ってみる。
「何処でもいいんだ、鶯丸が行きたい場所なら」
ほほぅ、と鶯丸は自らの顎を持った。
「本当に何処でもいいのか?」
ああ、と山鳥毛は頷く。
「なら、色々と奢ってもらうからな」
「勿論。色々と贈らせてくれ」
カラン、と鐘がまた鳴る。
closeと書かれた札を外扉に掛け、二人は店を後にした。
最近は寒さも和らいできていて、薄い長袖でも歩ける程だ。
太陽が真上に来ている。そんな中でも人通りの少ないこの路地は、怪しい店が立ち並んでいた。
そんな無法地帯にも見える通りだが、鶯丸と山鳥毛は馴染みがある。
いただきます、と鶯丸は割り箸を折って言った。
まずは海苔をスープに沈め、しんなりさせてから食べる。
角煮を一口齧り、やっぱりこれだよな、と嬉しそうに呟く。
「今日は珍しく全部盛りかい」
そうラーメン屋の店主に言われ、これの奢りだから、と鶯丸は山鳥毛を指差した。
「本当にこの店で良かったのか?」
山鳥毛がそう訊くと、鶯丸は麺を啜ってから頷いた。
「こういう店なら俺達も浮かないだろう」
「まあ、そうだが…」
刺青の入った男二人組がフレンチに行くわけにもいかない。ファミレスですらギリギリだ。
「それに、懐かしいだろ?」
そう言われ山鳥毛は考える。笑顔の店主を見て、思い出した。
「…あの時の店か」
鶯丸は笑う。
今日みたいに山鳥毛が奢ってくれると言ったあの時。一緒に入ったのがこの店だった。
「覚えてるぜ。あの時もうぐさん嬉しそうだったからな」
山鳥毛はそう言う店主の事も思い出した。随分と老けたので、気付くのに時間が掛かったが。
「あん時の若造がこんな良い男になるなんて、長生きするもんだな」
ガハハ、と笑う店主に、山鳥毛も笑いかける。
そしてラーメンを一口啜り、美味いな、と呟いた。
腹を満たした二人は、その通りをゆっくりと歩く。
服が見たい、と鶯丸が提案し、いいぞ、と山鳥毛も頷いた。
外見がやたら黒いその店は、ショーウィンドウにジーンズが並んでいる。
鶯丸が躊躇無く入るので、行きつけな事がわかった。
「おっ!うぐさんじゃん」
その太陽の様なオレンジは店員だろう。
山鳥毛を見て彼は、あっ!と言った。
「その人が例の?」
太陽はわくわくとした顔をする。
「ああ、俺の最高傑作だ」
何の事かいまいち掴めない山鳥毛が首を傾げると、刺青の話。と鶯丸は付け足した。
「こいつは三池ソハヤ。自分は挿れられないくせに、やたら刺青が好きでな。タトゥーシールを買ってくれる金づるだ」
「うぐさん言い方〜!だって痛そうだからさ」
あはは、と笑うソハヤは、人の良さ事が滲み出ている。
鶯丸が店の洋服を吟味していると、何処からか重低音が聴こえた。
その流れるような音がベース音なのはわかる。
「光世は今日も調子良さそうだな」
ジーンズを見ながら鶯丸は言った。
「ああ。今日ライブだからな」
ソハヤは言ってから、ん?と思う。
「えっ今日は聴きに来てくれたんじゃねえの!?」
「え?ああ全然忘れてた」
何だよ〜!!とソハヤは鶯丸の背中を軽く殴った。
話の流れが読みきれてないが、その仲の良さに山鳥毛は小さく笑う。
「俺、兄弟とバンドやってるんす。この店の地下がちょっとしたステージになってて、月一でライブやってるんすよ」
ソハヤの説明に、ほう、と山鳥毛は感心した。
「そろそろリハやろうと思ってたんすけど、聴いてって下さいよ!」
何の躊躇も無しに太陽の笑顔で言う。鶯丸は、そうだなあと服を見ながら考えた。
「聴いていっていいか?山鳥毛」
「ああ、構わない」
二人の会話に、ソハヤはよっしゃ!とガッツポーズを取る。
「じゃあ用意出来たらまた来るんで、服見ながら待ってて下さい!」
ソハヤはそう残し奥に有った階段を降りていった。
山鳥毛は服を吟味する鶯丸の隣に立つ。人が居ない事をいいことに、体を寄せた。
鶯丸は赤い百合の刺繍が入ったジーンズを見ている。かっこいいかな?と山鳥毛に尋ねると、かっこいいな、と答えた。
「百合模様なら白も良いと思うが」
「模様は赤が良いんだ」
鶯丸はそのジーンズを抱えたままチャッ、チャ、と他の物も見る。
ダメージはどうだ?と山鳥毛が手にしたジーンズも、良いな、と左手で持った。
そんな感じで店内を見ていき、何着かカウンターの上に置く。
そのタイミングで、丁度ソハヤが階段を上がってきた。
地下のライブハウスは、こじんまりとしているがステージと距離が近いと思うと悪くはない。
その一段上のステージに、何やら般若の様な趣の男が持っていたベースのチェックをしている。
「兄弟!お客さんだぜ!」
ソハヤは声を掛けた。
「こいつが兄弟の三池光世!ベースと作詞担当です!」
その太陽の兄弟とは思えない男は、血色の眼をギロリとよこし、軽く頭を下げる。
光世の五部袖から見えるタトゥーを観察していると、あれは俺が彫った、と鶯丸は得意げに囁いた。
ソハヤがステージ脇に設置された灰色のノートパソコンを操作すると、ドラムの爆音が流れる。
そのボリュームを少し落とすと、光世はグットサインをソハヤに送った。
「それじゃ、お二人の為に歌いまーす!」
黒いギターをかき鳴らしながら、ソハヤは歌う。
明るく伸びるその声は、ステージの持つ独特な陰鬱感を消した。太陽の様に、真っ直ぐに温かい声だ。
光世のベースラインも聴き心地が良い。音楽に詳しくない山鳥毛でも、その技術が高いのが分かった。
二人は三曲披露し、ありがとうございました!とソハヤは元気良く言う。
山鳥毛と鶯丸は拍手を贈った。それにソハヤははにかむ。
光世もお辞儀をし、ベースを置きに行った。
リハを終えて、一階のショップへ戻る。カウンターに置かれていた洋服を会計し、山鳥毛はその服達にあまり差が無い事に気付く。
しかし、その理由までは、山鳥毛も勘づいていなかった。
新品の洋服達が入った紙袋を山鳥毛に持たせ、鶯丸はゆっくりと歩く。
「次は何処に行く?」
山鳥毛がそう訊くと、鶯丸はう〜ん、と唸った。
「それが思いつかないんだよなあ。お前とこうやって歩いているだけで楽しいからな」
本当に楽しそうに笑う鶯丸に、そうか、と山鳥毛も安堵する。
「じゃあ呑みに行かないか?そろそろ飲み屋街に入るからな」
ああ、良いな、と鶯丸は答えた。
空が少し色を変え始めている。飲み屋を吟味しているうちに、マジックアワーになっていた。
その空の色彩は綺麗過ぎて、作り物なのではないかと疑うほどだ。
飲み屋街は様々な店が有った。無骨な安酒屋も有れば、小綺麗な洋酒屋も有る。
鶯丸と山鳥毛は、見落としてしまいそうなくらいの小さな黒いビルに入った。
「此処、実は良く来るんだ」
そのバーに入り、鶯丸はそう言う。
正直、鶯丸のその選択は意外だった。
黒を基調とした店内は少し暗く、カウンターを照らす照明は水色が掛かった白だ。
いらっしゃい、と挨拶をしたバーテンダーは、品の良さそうな銀髪の男だった。
「おっうぐさん久しぶり」
バーテンダーが気さくに声を掛けるので、鶯丸が常連である事がわかる。
カウンター席に並んで座る。
いつもの、と鶯丸が言うと、バーテンダーは慣れた様子でシェーカーを振った。
「良い雰囲気の店だな」
山鳥毛は物珍しげに店内を観察する。小さな店だが、その空間は落ち着いた。
「だろう?」
バーテンダーの大般若はカクテルを差し出しながら言う。
「ちょっと高級な一時をどうぞ」
ウインクをしてきた。
その逆三角に収まる薄緑色に鶯丸は唇を付ける。
「いやあ、まさかお前と此処にくるとは思わなかった」
明るい口調で言うが、鶯丸は山鳥毛に視線を合わせなかった。
その枯草色の眼に、憂いすら感じる。
山鳥毛はなんとなく黙ってしまった。
「うぐさんがこんな男前さんを連れてくるなんてなあ」
気を回した大般若はそんな事を言う。
「ああ、良い男だろう」
「うぐさんは良い趣味してるねえ。旦那も、うぐさん捕まえるなんてやるじゃないか」
戯けた風に言うと、場の雰囲気が少し明るくなった。
「綺麗な小鳥だろう?」
山鳥毛は飾らずそう言ったが、鶯丸は照れた様に笑う。
「ああ、うぐさんは別嬪さんだよなあ」
大般若もうんうんと頷いた。
「二人とも止めてくれ。俺は男だぞ」
そう言いつつも満更じゃなさそうにカクテルを呑む。
山鳥毛もその薄緑に口を付けた。美味しい、と呟くと、大般若は満足気な表情になる。
それから鶯丸はぽつぽつと昔話をした。
小さい時からいつの間にか仲良くなっていたとか、小学生の頃から一緒によく授業をさぼる問題児で、中学校に上がってもそんな調子だったとか、山鳥毛がどんどんかっこよくなるから内心羨ましかった、なんて当時は言わなかった事まで鶯丸は言っている。
バーテンダーの大般若はそれに適度な相槌を打った。
「俺は羨ましかったんだ。生まれつきハイタカであるこの男が」
俺は小さな鶯だからな、とこの鳥は言う。
今日の鶯丸は良く喋るな、と不審に思った時、鶯丸は山鳥毛の肩にもたれかかってきた。
「…鶯丸?」
山鳥毛に体重を掛ける鶯丸は、肩で息をしている。軽く揺すっても、反応が無い。
「…休ませた方がいいな」
大般若は焦り出す山鳥毛から鶯丸を剥がし、姫抱きにした。
「大丈夫。少し疲れが溜まってるだけだろう」
昨日もアイツの相手をしたんだろうな、という大般若の呟きを、山鳥毛は聞いてしまった。
「この上にホテルが在る。そこで少し休ませな」
お前もな、と大般若は山鳥毛に言う。
「休憩ってもんは、生きてりゃ必要なんだよ」
鶯丸を抱えながら店から出て階段を登る大般若の言葉は、とても意味深に聞こえた。
そのラブホテルは、一見シンプルだが細かい配慮の行き届いた場所だった。
「フリータイムをツケとくから、いくらでも休みな」
このホテルの従業員でもある大般若に礼を言い、山鳥毛は鶯丸を抱え個室に入る。
サービス、と大般若はペットボトル2本と小さな袋を渡した。
淡い間接照明の部屋の中は、ベッドとシャワールームでほぼ埋まっている。
外は月明かりだけが辺りを照らしていた。
下弦の三日月は、笑っている様に見える。
鶯丸をベッドに寝かせ、山鳥毛はへりに座った。
心配に思っていたが、鶯丸の呼吸は穏やかだったので、少し安心する。
山鳥毛は改めてその春鳥を観察した。
乱れた前髪から、幾何学模様のタトゥーが見える。
少しだけ見える首や掌にも、細かく美しい模様が入っていた。
良く見たら、今日のジーンズは裾に赤いステッチが入っていて、黒のスリッポンを脱がした足は、ビビットなオレンジの靴下を履いていた。
その靴下も脱がすと、足先にも葉脈の様な刺青が入れられていて、意外にも爪先は蒼いネイルをしている。
「大丈夫か、鶯丸」
鶯丸は唸って大きく呼吸をしていた。
頬は黒のタトゥーが無い所は仄かに赤く色付いていて、そういえば下戸であった事を思い出す。
鶯丸が身じろぐと、シャツが少し捲れた。
鶯丸は着たままを好むので、断固としてその上半身を見せてくれる事は無い。
「小鳥よ…」
その理由も知らず、山鳥毛は興味心でそのシャツを捲った。
その上半身を見て、山鳥毛はざわりと鳥肌が立った。
さまざまな黒い模様と、それ以上に、至る所に有る瘡蓋と抉れた傷痕。
その痛々しい上半身を見て、絶句した。
「視るな!!!!!!」
一気に酔いの覚めた鶯丸は黒いシャツを下ろし、青ざめた顔でその上半身を隠す。
しかし、もう遅かった。
「誰にやられた」
「…自分で付けた」
「友成。」
赤い眼は、怒りに燃えている。
非力な小鳥は、その猛禽類の凄みに縮こまった。
「……みか、づき」
その有無を許さない視線に、友成は涙を溜めて呟く。
山鳥毛は、それが誰かわかった。
「…三条か」
春鳥の震える手を掴み、改めてシャツを捲る。
その悲惨な身体の中にその紋を見つけ、怒髪天を衝いた。
「…なんで、こんな事を」
余りのショックに、山鳥毛は言葉が出て来ない。
春鳥はぐしゃぐしゃに泣き始めた。
「視ないでくれ、こんな、身体を」
山鳥毛は首を振り,その腹筋に描かれた模様を撫でた。
友成はひくりと肩を震わす。その呼吸が一瞬止まったので、痛かったのかと手を引っ込めた。
「軽蔑、したろう」
そうはらはらと涙を流すその枯草色の眼を見つめ、山鳥毛は首を横に振った。
歪む唇に自らの唇を落とす。いつもの様に,口内を弄った。
それで友成は落ち着いたらしい。大きな呼吸をし、涙が止まった。
その行為の理由は、簡単だが複雑だった。
鶯丸には、金が無かった。
だから、三日月に身体を売った。
多額の現金と引き換えに、三日月が飽きるまでその性奴隷になった。
しかし鶯丸は、正直肩透かしを喰らう。
そんな物好きな金持ちの男なんて気色の悪い中年だろうと思っていた。
あんな眼の覚める様な美青年が、本当に居るとは。
正直、一目で惚れたのだ。
与えられた広い部屋で、彫師になる為の勉強をしながら、惚れた男に求められた時に応じる日々。
それで金まで貰えるのだから、そんな好条件、他には無かった。
その話を聞いて、山鳥毛は何も言えなかった。
「最低だろう」
その最後の呟きに、山鳥毛は首を横に振る。
「だからって、虐待を許していい理由にはならない」
真剣な眼の山鳥毛の言葉に、鶯丸も首を振った。
「痛めつけられるのは、俺の所為だ」
小鳥は震える。
「俺は,痛みに感じる変態だから」
その震えは,思い返し興奮しての震えだった。
「三日月は優しい奴だから、俺が悦くなるように振る舞ってるだけなんだ」
それを聞いて、山鳥毛はどう言えばいいかわからなかった。
山鳥毛にとって、痛みは痛みでしかない。
「ああ。でも、飼われてる証のチョーカーは嫌いだったな」
鈴の付いたチョーカーだった、と鶯丸はぽつりと言った。
「…友成」
山鳥毛は鶯丸を押し倒し、口付ける。
その枯草色の眼は、虚ろだった。
「お前は、優しく抱くよな」
その言葉は、肯定なのか否定なのかわからなかった。
「友成、もうこんな事は辞めてくれ」
緋い眼は優しく映る。
「破傷風になったらどうするんだ。もし間違ってショック死したら、どうする」
「そんなヘマはしない」
「だが、」
「本当に優しいな、お前は」
鶯丸は、悲しい笑みを浮かべた。
「お前みたいな優しい奴は、俺には勿体無い」
その言葉の続きを聞きたく無くて、山鳥毛は鶯丸の口を塞ぎ、思い切り抱きしめる。
「行かないでくれ」
山鳥毛は懇願した。
「もう、俺を置いていかないでくれ」
春の小鳥は、桜が舞う季節に消えてしまった。
どうしてあの時、別の高校に進む事を許してしまったのだろう。
ずっと、ずっとそれを後悔していた。
そう吐露すると、鶯丸はその白金の毛を撫でる。
「それは全部、お前の為だよ」
鶯丸は、その事について多くを語らなかった。
「好きだ、友成。俺は、ずっと友成が好きなんだ」
「ああ。俺もお前が好きだよ」
お互いに、そんな事はわかりきっていた。
幼い頃から、今まで、ずっとそうだった。
なんで言えなかったんだろう。
「なんで、今自覚したんだろう」
なんで、あの時離れたのだろう。
「なんで今、こんな近くに居るんだろう」
わかっていたのに、わからなくて。
そんなぐしゃぐしゃな頭の中のまま、その休憩場で、二人は身体を繋げた。
狭い部屋の窓の外は、暗かった。
三日月が浮かんでいる。
鶯丸は、その天体を湛えた眼の事を、ふと思い出した。