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背徳の雅荘

「あにじゃ!」
こんな僕でも、弟だけはそう呼んでくれた。
薄緑色のその子は、その子だけは、僕の本質だけを見ていてくれたのだ。
「なあに?弟」
両腕を後ろに隠しもじもじとしている弟。その小さな頭から黄色い花が見えていて、微笑ましい限りで。
「あにじゃは、このはながにあうから!」
そう言って背中に隠していた向日葵を差し出す。
僕はわざとらしく驚いてみせ、ありがとう!と受け取った。
「あにじゃ、だいすき!」
円満の笑顔でそう言ってくれた。
「僕も弟が大好きだよ」
あなただけをみつめる。
その向日葵の花言葉を知った時、僕は本当に嬉しくて、弟が一層好きになった。
あの時から花が好きになり、今もそれを扱う仕事をしている。
例え冬でも、その花屋には向日葵を置いていた。


背徳の雅荘
2.薄暗い色の華達


「古今!!」
今日も薄紫の彼が雅荘の玄関で叫ぶ。
出掛けようとしていた古今を待ち伏せしていたのだ。
古今はその黒と金白金の眼を顰める。
「また来たのですか」
「当たり前だ!今日こそ一緒に帰ろう!!」
その押しの強い彼は、この雅荘の名付け親だった。
「今から仕事なんですけれど」
「そうやってまたはぐらかすつもりか」
「今日は本当です」
「それは僕より大切な仕事なのかい!?」
「ええ、そうですよ」
古今はきっぱりと言い、向かいの駐車場へ向かう。
「古今!!」
「相変わらずしつこいですね」
歌仙は通り過ぎようとする古今の手首を掴む。
古今はその手を思いっきり振り払い、私物の黒い軽自動車に乗る。
「あんまりしつこいと轢きますからね」
その特殊な眼で睨みつけ、車でその場を去った。
「古今!!」
歌仙は叫ぶが、黒い車は直ぐに見えなくなった。
歌仙はその場に崩れ落ちる。それを見て行平は、懲りないなあと思った。
「彼は?」
一緒にその様子を見ていた薬研が問う。
「ああ、初めて見たか。彼は細川歌仙。細川家の長で小説家。で、古今の元カレ」
成程、と薬研は頷いた。
歌仙はその喋り声に気付き、行平と薬研を見る。
「なあ行平、君からも言ってやってくれ!というか、君も帰って来てくれ!!」
「いや…普通に嫌なんだが…」
行平は若干引いた。
「中々に情熱的な男じゃないか。なんで古今は振ったんだ?」
薬研がそう行平に聞くと、歌仙はそれだよ!!と薬研に詰め寄る。
「僕の何がいけなかったんだ!?古今の為に優しく強くあろうとしていたのに!!この僕と別れるなんて!!」
その近距離に薬研は、お、おう…と大体を察っした。
「歌仙さん、初対面なのだから冷静になってくれ」
行平に言われ歌仙は、はっとする。
「す、すまない、取り乱してしまった」
別にいいぜ、と薬研は黒手袋の右手を振った。
「取り敢えず、お茶でも飲みながら話をしようよ」
薬研は、大丈夫なのか?と思いつつも行平の提案なので歌仙を中へ入れた。

取り敢えず冷たいお茶を出すと、歌仙は遠慮無くそれを飲み干した。
「古今はどうしたんだ、仕事なんて嘘まで吐いて、そんなに僕が嫌いか」
歌仙は眉間に皺を寄せ言うが、本当に嫌われているとは思ってない事を行平は知っている。
「いや、仕事なのは嘘じゃないぞ」
「またまた…」
「本当だ。今日はNAGIの撮影が入っている」
なぎ…?と歌仙は問い返した。
「NAGIはファッションブランドだ。古今はたまにそのモデルをやっている」
歌仙はきょとんとした顔をする。やっと信じたようだ。
「そうか…まあ古今はあんなに雅なんだから、ファッションモデルくらいするか…」
歌仙の眉間の皺は取れてないが、少し口角が上がる。そして、少し視線を泳がせた。
「その…NAGIというファッションブランドは、どういったものなんだい?」
歌仙は指を回しつつ、何故か小声で訊いてくる。
行平はリビングに有る共同の本棚からNAGIが特集になった雑誌を3冊ほど引っ張り出してきた。
特にこれに載ってる、と古今が表紙の一冊を渡す。
歌仙は無言でその雑誌を捲った。

古今は、中学までは短髪だった。
それでも花の様に可愛らしく、よく性別を勘違いされていた。
幼少期からの仲の歌仙も、だいぶ長い間騙されていた。
中学に入り学ランを着るようになって、やっと男であると認識したのだ。
中学は野球部だった歌仙とそのマネージャーだった古今はとても仲が良く、なんなら"良過ぎた"。
同じ細川の一族だったから、それこそ家族ぐるみの仲だったのも要因の一つなのだろう。
中学生の間、“仲が良過ぎた”のだが、高校は別になってしまった。
一緒の学校にならなかったのは、古今の意志だ。
歌仙は親の薦めるエリート校に入学したが、古今は私服の私立高校へ進学した。

「思えば、あの頃から古今は変わってしまった」
歌仙は酒の入った年寄りの様にそんな経緯を薬研に語る。
皆そう言うが、行平からしたら古今は何も変わってなかった。
髪を伸ばし、女物を着る。
今までしなかった事を表に出しただけだった。
「…ん?このデザイナーの静って…御前静か!?」
歌仙は驚いた顔をしているが、確かに静のフルネームはそうなので行平は頷く。
「知ってるのか?」
「ああ…中学の同級年で一番の変わり者だった。確かにこんなメイクをしていたし、背も高かった」
確か古今は中学が同じだと言っていたので、歌仙が知っているのも頷ける。
「そうか…あいつも真面目になったんだな…」
そう呟かれ行平は、真面目かなぁ…と複雑な心境になった。


「髭切さん!す…好きです!!」
少女の声が聞こえる。
「ごめんねえ、僕弟にしか興味無いんだぁ」
そうやんわりと、そしてふわりとした声も聞こえた。
「源氏のお花」から泣きながら走り去る少女が見えた。三つ編みでメガネの、大人しそうな子だ。
行平と薬研は見慣れた光景だったが、歌仙は酷く驚いている。
「ありゃ?見てた?」
その花屋の店主は三人に言う。
「相変わらずモテるなあ」
薬研はやれやれと首を振る。
「悪いとは思うけど、なんでモテるんかねえ。しかも女子に」
「男性である事がバレてるんじゃないか?」
「いや、いっつもビアンの子だよ」
「じゃあビアンに魅力的な人間なんだろうな」
「なんでかそうなんだろうねえ…」
歌仙は薬研と髭切の会話の意味がよくわからないようで髭切を凝視して首を傾げる。
説明がややこしいから行平はその話題には触れなかった。
「髭切、お客さん」
行平が歌仙を指差すと、おお!と髭切は言った。
「いらっしゃいませえ」
クリーム色は営業スマイルでそう挨拶する。
「どんなお花がいいですか〜?」
そう問われ歌仙は咳払いをして伝えた。
「桔梗の花束を作って欲しい」
「桔梗ね。誰かに告白するのかい?」
「いや、告白というか、相手が好きな花なんだ」
成程ねえ、と髭切は右口角を上げる。
「桔梗はかすみ草とも相性良いから入れとくね」
髭切は慣れた手つきで花束を作る。
「相手、喜ぶといいね」
花束と可愛らしい笑顔を向けられ、確かに惚れるのも分かるな、と歌仙は思った。

雅荘には、入居に条件が有る。
第一に、男である事。
第二に、大家が気に入る事。
第三に、大家の古今に何かを捧げられる事。
この捧げるものは、技術でもいい。
膝丸は無償でピアスを開け、鶯丸もタダで刺青を入れた。
静と巴は隔月でオーダーメイドの洋服を献上している。
その中で髭切は特殊だった。
まず、見た目が女性であったから、最初は門前払いを喰らう。
それでも弟と暮らすため、と髭切は古今を口説いた。
「毎日君の部屋に合う花を一輪贈るよ」
その台詞が、古今に刺さった。
その日から古今の部屋は、日替わりで一輪の花が飾られている。

「いいよいいよ、とっても可愛い」
カシャカシャ、とシャッターを切る音がする。
緑の艶やかなポニーテールを揺らし、その青年はカメラから古今を見ていた。
いや、本当に“青年”かはわからない。30代にも中学生にも見える彼は、よく年齢不詳と言われていた。
その隣でレフ板を持った男がしゃがんている。その男を見て、薬研は、あれ、と呟いた。
「げ、歌仙」
古今は苦虫を噛んだ顔をする。その顔もばっちり撮られてしまった。
スタジオに居た一同は入り口を見る。行平、薬研、歌仙はこんにちは、と挨拶をした。
「どうしたんだ?」
白い短髪とモノクル、水色を基調としたメイクにその長身と、色々と特徴の有るそのスタジオの主が問う。
「ちょっと見学に」
気にしないでいい、と行平は言ったが、そう言うわけにもいかなかった。
同じくこのスタジオの主である黒髪の青年は歌仙を見て、あ、と言う。
「歌仙…?だよな?」
「そうだよ、静」
静と呼ばれた男は破顔した。
「いやあ!懐かしいな!中学の時と変わらないなあお前は」
「貴殿もな」
なかなかややこしい場になったので撮影を一時中断し、休憩にする事にした。

「飲み物買ってきました〜」
オレンジ色の少年がスタジオのドアを開けると、さっきより三人増えていて焦る。
「飲み物足りるかな…」
咄嗟に出た言葉がそれだった。
「お構いなく」
行平はそう言ったが、そう言うわけにもいかない。
知らない人間がまた増えて、歌仙は少しそわそわしていた。
取り敢えず話題として、各自自己紹介をする。
「俺は御前巴。職業はデザイナー兼スタイリスト。知ってると思うが、静と二人で「NAGI」というブランドをやっている。その時は別校だったが、古今とは中学からの仲だ」
水色の唇は小さくそう動いた。
「御前静だ。巴とは双子で、同じく「NAGI」でデザイナーとスタイリストをしている。歌仙と古今と同中学で、古今とは高校も一緒だ。あ、巴とは長い事離れていたのだが、古今のおかげで再会出来たりした」
八の字眉をしているが、引っ込み思案というわけでもないようだ。
「俺は粟田口後藤!スタイリスト志望でNAGIの弟子!あ、この事は内緒にしてくれよ?親にも言ってないからな」
天真爛漫なオレンジは口に人差し指を当てながら、歌仙に緑茶のペットボトルを渡した。
「僕は青江笑。女の子みたいな名前だけど男だよ。カメラマンをしていて、ほぼNAGIの専属だけど、他にも依頼が有ったら撮るよ」
緑はにっかりと笑いながら、ご贔屓に、と言った。
「私は三条石切丸。本業はインストラクターだけれど、にっかりさん…青江さんの補佐もしている。と言っても、雑用だけどね」
ほう、三条か、と歌仙は思った。
「やっぱり岩ジムの太極拳の兄ちゃんだよな?」
薬研が話の腰を折る。
「そうだよ。君は確か最近ジムに入ってきた子だよね?確か名前は…」
「粟田口薬研だ。後藤とは同い年だが腹違いの兄弟で、今は色々あって雅荘でのんびりやらせてもらってる」
黒手袋と、この季節なのに眩しい足が特徴的な少年だ。
「吾は細川行平。古今の弟、歌仙の従兄弟になる。他には別に」
どう見ても他には別に、と言う見た目をしていないが、詳細は全員知っていたので追及しない。
「一応言いますね。わたくしは細川古今。雅荘の大家をしております。NAGIとは古い付き合いでモデルもやらせていただいています。そこの歌仙とは…まあ、色々有りました」
黒と金白金の眼を歌仙から逸らした。
で、とこの場で一番馴染みの無い歌仙の番になった。歌仙は緊張する。
「僕は…細川歌仙。細川家の長男で、古今と行平は従兄弟だ。一応作家をしている。言ってたが静も同中学で、まあ馴染みはそんな無かったんだけれど」
「いいや?俺は風紀委員長だった歌仙に追いかけ回されていたが?」
静はツッコんできた。
「そうだったか?まああの中学は遡行の悪い奴が結構居たからな…」
身に覚えの有る人物ばかりだったから、考え込む歌仙を皆笑った。

撮影を再開し、モデルである古今は着替える為に着衣室へ籠った。
その隙に、と青江がベランダに行ったので、行平もついて行く。
ふう、と青江は柵に寄りかかり息を吐いた。
冷たい風はその毒煙を空に消していく。
「おや?電子に変えたのかい?」
メタリックブルーの電子煙草を咥え、肌の白い彼は頷いた。
「薬研が入り浸るようになったから。あと灰が出ないのが思いの外楽で」
なるほどね、と青江は言う。
「良いと思うよ。そっちの方が体にも悪くないし」
それにしても、と緑は続けた。
「なんで煙草って無くならないんだろうね」
確かに、と行平は少し考える。
しかしそう青江が問うのは自分の意見を言いたい時だと知っていたので、青江さんはなんで?と訊き返した。
「僕は抗ってるだけだよ。世界にね。煙草も、酒も、この髪型も、性的嗜好も、何ならこの仕事も、全部世間への反抗」
意外と深かったな、と行平は思う。
「今時喫煙家なんてそんなもんだとは思わないかい?勿論、君も」
特に君は未成年だしさ、と青江はあどけない少女の様な顔で笑った。
「確かになあ…」
今度は声に出して言う。
正直、最初は古今の真似だった。
しかし喫うと安心する様になってしまったから、ずっと手放せないでいた。
ニコチンって恐い、と思いつつ、その行為に酔っていた節は勿論ある。
その泥沼から多少なり抜け出せたのは薬研のおかげなんだよな、と愛しい人を想った。
「ところで、彼とはどうなんだい?」
生活の事だよ?と青江は付け足す。
「うん、今は落ち着いてる。やってる時も泣かなくなった」
「それは良かったね」
青江の金の左眼は優しい色をしていた。右眼は常に隠れていて、何色なのかは知らない。
「ちゃんと薬は飲むよう言い聞かせなよ。あと急変する事もあるから油断しない事。そしてたまには心配事は無いか訊いてあげてね」
青江のアドバイスに行平は頷いた。
青江笑は不思議と皆から相談を持ちかけられる人物で、行平も彼にだけ恋の相談をしていた。
行平と薬研の出会いを最初から知っているのは青江だけだ。
青江は吸殻を携帯灰皿に突っ込み、行平のも回収してくれた。
そういう所も、行平にとって頼れる兄貴みたいな存在である由縁だった。

ぎゃあああ!!!という悲鳴に驚いて行平は室内に戻る。
静に羽交締めにされた歌仙が巴に採寸をされていた。
された事の無い状況に歌仙はパニックを起こし暴れている。
少しだけ!少しだけだから!と静に言い聞かせられているが歌仙は聞いていなかった。巴は淡々と真顔でメジャーを当てる。後藤は読み上げられた数字を紙に記録していた。
着替えた古今は爆笑しており、薬研と石切丸は自分の時を思い出して何とも言えない顔をしている。
「おや、洗礼行事だ」
ベランダから青江も苦笑しながらそれを見ていた。
一通り採寸を採られ解放された歌仙は地面にへたり込む。
「なんでいつもいきなり採るんだよ」
薬研のツッコミに一同頷いた。
もう数字を見つつ論議をしているファッションデザイナー達を置いて、青江は引き続き古今の撮影に戻る。
息を落ち着かせ椅子に座る事の出来た歌仙は、じっとその撮影風景を凝視していた。
その眼に覚えのある行平は、改めてその愛を感じる。
何故古今はそんな愛を拒むのか。
それも一種の愛なのを行平は知っていた。
歌仙、と静に呼ばれ薄紫はびくりと跳ねる。完全に採寸がトラウマになっていた。
「お前の意見が聞きたい」
ちょいちょいと指で呼ばれ歌仙は恐る恐るファッションデザイナー達のパソコンを覗く。
「歌仙はどの写真が好きだ?」
その画面には今撮ったばかりの古今の写真が並んでいた。
一枚一枚表情の違う古今の姿が写っている。青江の写真技術の高さと古今の慣れが良くわかるものばかりだった。
目利きに自信がある歌仙は、これとこれと…と写真を選んでいく。
巴と静はふむふむと頷き合い、軽く写真を整頓していった。
「有難う。参考になった」
「ああ。良いパンフレットになるだろうね」
歌仙の自己評価が高く自信家な性格が良く表れた台詞だ。
「相変わらず、古今は雅だね」
ぼそりとそう呟いているのは、自覚しているのだろうか。

「よし、今日はこの辺で」
丁度太陽が傾き始めた頃、巴はそう手を叩いた。
撮影器具を片付けている間、歌仙はスタジオから消える。
片付け終わった頃帰って来た歌仙は、「源氏のお花」で購入した花束を持っていた。
「古今、お疲れ様」
歌仙は片膝を付き青紫の花束を古今に捧げる。古今は両手で口を覆うが、無言でそれを受け取った。
「さあ、細川家に帰
「絆されてもそれだけはしませんよ」
喰い気味に断る古今に、周りはその関係を察する。
僕達も疲れたけどね、と小声で言う青江を石切丸はまあまあと宥めていた。
「何故一緒に居てくれないんだい?こんなに愛しているのに」
歌仙は涙目になりながらそう問う。古今は大きな溜息を吐いた。
「歌仙を縛る訳にはいかないからですよ」
察しの悪い歌仙は、縛る…?と首を傾げる。
そこから先を言わない古今に、巴は物申した。
「これを機にちゃんと話し合ったらどうだ」
古今は巴を見たが、巴だけでなくその場に居た歌仙以外全員が頷く。
古今は再度溜息を吐いた。
「貴方は細川家の為にちゃんとした人と結婚しなければならないのですよ。わたくしみたいな低層と会話する事も許されないんです」
歌仙はてい…そう…?とショックを受けた顔になる。
「古今が、低層だと…?」
「そうです。わたくしは分家で、貴方は本家。それ以前に、わたくしは貴方と子をもうける事すら出来ない」
皆まで言わせないでくださいよ、と古今は視線を逸らす。
「君は僕を愛していないのかい?」
「いいえ、愛してますよ」
「相思相愛なら、それでいいだろう?」
「だから!!」
古今は珍しく大声を上げた。そして、桔梗の花束を抱き締めて泣き始めた。
「それに、わたくしはもう他に好きな人が居るんです」
え、とその場に居た全ての人間が声を揃える。行平も初耳だった。
「その人間を、僕よりも愛しているっていうのかい?」
「貴方以上の人が居る訳ないでしょう!!」
古今はすんすんと泣く。そんな古今を可哀想に思ったのか、青江は二人を遮る。
「もう分かっただろう。君は過去の男なんだ、歌仙」
歌仙は分からないという表情をしていた。しかし、分かってもらわないと困る。
「歌仙、今日は帰ろう」
行平は、ぐい、と歌仙の右腕を引っ張る。
じゃあな、と薬研が挨拶をして、行平と二人で歌仙を押しながらスタジオを出た。

黒の眼はどうしても白くはならない。
その全てを染めてしまう色は、はたして古今に合うものなのだろうか。
青江が、今日は呑もうか、と優しく古今の肩を叩く。古今は頷き、その頬を流れる涙を拭った。
古今は呟いた。

オレンジ色が空にグラデーションを創る。
歌仙は古今の言葉を噛み締めながら、俯いて歩いていた。
その姿は朝よりも小さい気がする。
行平も薬研もその背中に掛けられる言葉が無かった。
二人とも、愛する人と強制的に別れさせられる苦しみを知っている。
今はこうして一緒に居られるけれども。
歌仙は呟いた。

「桔梗の花言葉を知っていますか」
「桔梗の花言葉を知っているかい」

「気品」

「誠実」

「変わらぬ愛」

「永遠の愛」

「僕達にぴったりだと思わないかい」
「わたくし達に似合わないと思いませんか」

行平は言葉が見つからない。
とぼとぼと歩きつつ、歌仙の事を幸せそうに話す昔の古今を思い出していた。

桔梗は青紫色をしている。
闇に映えるその色は、金白金に映っていた。

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