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背徳の雅荘

優しい風が髪を浚う。
その前髪に隠された幾何学模様が隙間から見えた。
ハイタカはそんな春鳥を凝視する。
鶯丸は、どうした、と微笑みながら言った。


背徳の雅荘
14.浮気調査


「もしもし?」
鶯丸はスマホを右耳に当てたかと思ったらすぐに離した。
その精密機械から放たれる爆音に、向かいに座っていた行平は食パンを落とす。
まだ実家に着いてないなどどういうつもりだ!!!!!!
と、スマホの向こうは怒鳴った。
「まあ落ち着け大包平。予定は明日じゃなかったか?」
鶯丸は机に置いたスマートフォンに話す。相手の声は小さくなったが、それでも行平には丸聞こえだ。
「今日来いと言っただろう!?またすっぽかすつもりか!!!!」
「大体俺が居なくても済む会だろう」
「古備前の長男が居なくてどうする!!!!」
「どうもならないが?」
「いいから来い!!!!!!でなければ迎えに行くからな!!!!!!」
また大きくなるスピーカーに鶯丸は耳を手で抑えながら溜息を吐く。
「わかったから大声を出すな…昼には行く」
まだ喚くスマートフォンをタップして鶯丸は無理矢理会話をやめた。
「…今のが、大包平さん…?」
行平がおずおずと訊くと、鶯丸はそうだと頷く。
大包平という人物の事は鶯丸の口からよく出ていた。
彼の弟で、沢山の面白エピソードを語られている。
色々と大きい人だと聞いていたが、予想以上の声量だった。
「というわけで、俺は実家に戻らなきゃいけない。泊まっていくかもしれんから、飯は要らんと肥前に言っておいてくれ」
色々と説明を省かれたが、事情に立ち入らないのがシェアハウスの暗黙ルールだ。
わかった、と頷くと、鶯丸は一旦自分の部屋に戻った。


「へえ、鶯丸って実家とか有るんだ」
此処に来て日が浅い薬研はその話にそう言った。
「吾も初めて知った」
昼食後のビールを呑みつつ行平は言う。
薬研も錠剤を水で体内に入れていた。
「わかんねえもんだな、他人の人生って」
しみじみと頷く。
「自らの人生だってわからないものだからな」
行平も首に付けられたキスマークを何となく掻きながら言った。
確かにな、と苦笑するアメジストもなかなかに壮絶な人生である。
中学一年で休学しているのは、行平の記録を超えていた。
そんな談笑をしていたら、雅荘のチャイムが鳴る。
誰か来る予定など有っただろうか、と訝しみながら玄関の扉を開いた。
銀の髪に、金の眼と黒マスクの少年。
そこに立っていた人物に行平は見覚えが無かったが、愛するアメジストは見開いている。
「…鳴狐」
低音の呟きに、行平も察した。

珍しい来客に忠広も訝しみながらティーカップを置く。
銀狐は口を動かさず肥前に会釈だけした。
「こっちは粟田口鳴狐。若いが、俺の叔父だ」
何故か薬研が紹介する。鳴狐は頭だけ下げた。
「コイツ、口下手でな」
苦笑はするが、アメジストの眼には緊張感を感じる。
向かいに座っていた蛇は微笑んだ。
「わたくしは大家の細川古今と言います。あの、誰かにご用事でしょうか」
しっかりと自己紹介をした古今に会釈をしてから、鳴狐は黒マスクを外さず声を出す。
「このシェアハウスの住人を全員呼んで下さい」
鳴狐の要望は、珍しく全員が居る日である事を知っているからのものなのかと思った。


暖かい空気の天気は良い。
花の落ちた梅に留まる鳥は鶯だろうか。
相変わらず手入れが行き届いた庭を見ながら渋緑は思った。
鶯丸、と呼ぶ声は怒鳴りが混ざっている。
縁側に座っていた鶯丸が振り向くと、緋の長身がずんずんと歩いてきた。
「こんな所で何をしている!!」
良く響く大声に耳を塞ぎながら煩いと苦言を言う。
「何って、庭を見ていた」
「そんな事をしている場合ではない!!父上はいらしているんだぞ!!」
顔を見せろ、と弟に言われ微笑んで渋緑の視線を逸らす。
「父上は俺を煙たがってるんだぞ」
「だとしても、お前は古備前家の長男なんだ。総長の祝い日に居ないのはおかしいだろうが」
大包平が無理矢理腕を持って立たせようとしていると、そこに老人が居合わせた。
その男は見下す目で鶯丸を見る。春鳥はその視線に全てを悟り、顔は見たと言って立ち去ろうとする。
鶯丸!!と大包平は声を掛けるが、古備前の総長は、放っておけ、と怒声でそれを制した。
追って来ない銀の眼に悪いなという目線を送ってから、鶯丸は玄関へ向かって歩いた。
と、と、と小さな足音だけを立て、広い敷地を迷い無く歩く。
「大包平の事、嫌いにならないでよ」
軽くも窘める声に渋緑は頷いた。
「分かってる。あいつはあいつなりに俺にも気を使っているんだ」
「空回りしてるけどね」
いつの間にか、映える青髪に不思議なくらいの黒肌の青年が後ろを歩いている。
その青年、古備前八丁は鶯丸と古備前大包平の弟だ。
「ちゃらんぽらんな俺が言うのもなんだけど、いつでも帰って来てよ」
「気が全く無いわけではないと言うことだけ、大包平に伝えてやってくれ」
その心は、だいぶお世辞だが。
全てを見透かしてるであろう八丁は、分かった、とだけ言って良い笑顔で送り出してくれた。


客として座っている鳴狐の要望通り、その向かいに雅荘の住人は集まった。
「どういうつもり?」
とんとんと紅い爪で膝を叩く青年が声を掛けても、鳴狐は無言でいる。
「清光、寝起きだからってイライラし過ぎ」
そうツッコんだ青いポニーテールの青年は、大和守安定と言った。ツッコまれた青年、加州清光と共に最近入居してきたばかりだ。
二人は幼馴染で"仲が良い"のだが、小さな喧嘩をよくするような遠慮の無い関係だった。
まあまあ、と薬研が間に入る事もまま有る。
薬研、行平、古今、忠広、清光、安定の他にも朝尊、巴、静、髭切、膝丸も呼ばれていた。
何だ、という顔一人一人を金の眼で観察し、鳴狐は声を出す。

「浮気調査に来ました」

ピン、と張り詰めた空気が流れた。
金の眼が、金白金の眼を、黒淵の金白金眼を、朱殷の眼を、銀の眼を、紅の眼を、蒼の眼を、朱と朱の眼を、金蜜の眼を、同じ金蜜眼を、そしてアメジストの眼を一対一対しっかりと見る。
そして、何も言わなかった。
「この中に浮気をしている者が?」
古今は、冷静にそう言う。
鳴狐は答えなかった。
「僕らの仲が疑われるなんて心外だなぁ」
そう言う髭切の腕を膝丸は掴む。
兄者、と声掛けた先の表情は、怒りからの無だった。
「面白い質問だね。だけど、僕達も仲良くやってるよ」
眼鏡が光れば忠広も照れから気まずそうに頷く。
巴と静もひそりと言葉を交わしてから、してないと断言した。
岩融、という人名が行平の耳に入ったが、双子はお互いに関係を認知してるので浮気にはならないと判断したのだろう。
「だから言ったでしょ、そんな事する奴らじゃないって」
腕を組んだまま清光は言ったが、金の眼は納得の色をしていなかった。
「清光、この子の事知ってるの?」
安定に問われ清光は頷く。
「ネイルサロンに客として来て、同じ事を訊いてきた」
雅荘で浮気をしている者は居るか、と訊いてきたのだ。
ただでさえ清光のネイルサロンに男子高校生が来るのは珍しい。
そんな口数の少ない少年の不躾な質問は、強く印象に残った。
「おっ、ネイルしてるのか?」
薬研が手元を覗き込むと、補強だけ、と鳴狐は指先を見せる。
そのやりとりを、行平の金白金は見つめていた。
「鶯丸は?」
黒マスクの少年はぼそりと呟く。
「急な用事が入ったらしくて。いつ帰ってくるかはわかりません」
古今が知っている情報を包みなく言うと、鳴狐はもう一度全員の眼を見てから立ち上がった。
お邪魔しました。とだけ呟き、玄関へ向かう。
他の住人が呆気に取られた中、薬研だけはその背中を追った。
「鳴狐」
見た目にそぐわない低音に、鳴狐は少しだけ顔を向ける。
「なんであの時、烏貴族でキスしたんだ」
金の眼は、少しだけ見開かれた。
その短い言葉はあの日の事だとわかる。
「…覚えてるの」
鳴狐は、問うてしまった。
烏貴族での出来事は忘れる。
ただ、たまに鳴狐の様に覚えている者も居た。
薬研がその稀有な人間だとは、知らなかったのだ。
頷く薬研に、鳴狐は気不味く思って無言になった。
「まあ…内緒にしといてやるよ」
薬研は不敵な笑みを浮かべる。
鳴狐は、頷く事しか出来なかった。

春の為に付けた蕾が膨らみ始めた。
雅荘の敷地に有る桜の木を金の眼は見つめている。
排気を出すマフラーの騒音に振り返ると、玄関門の前に黒塗りのスポーツカーが止まっていた。
ドアが開き中から春鳥が現れる。
鶯丸は運転手に何か言ってから車から降りた。
騒音と共に走り去る車を見送って、鶯丸は門の内側に入ってくる。
そんな渋緑と目が合い、鳴狐は会釈した。
「君は?」
鶯丸の問いに鳴狐は答えない。
「浮気をしているか」
直球で問い返され、鶯丸は何故か噴き出した。
「まあ、してると思われても仕方ないな」
直ぐには否定しなかった春鳥を金の眼は見つめる。
「してない。今のところはな」
どうしても含んでくる鶯丸に、鳴狐は近寄った。
黒マスクを少しずらし、鶯丸の黒シャツを嗅ぐ。
大胆な行為に鶯丸はきょとんとしたが、鳴狐は気にせず顔を離した。
「疑いは晴れたか?」
その問いを無視して鳴狐は門を抜ける。
ただただ謎だった銀を見送って、鶯丸は首を傾げた。


雅荘を後にした鳴狐は、住宅街の一角にある自らの事務所へ行く道を歩いている。
変わり映えのしない家と道の迷路を闊歩していると、す、と銀の車が横についてきた。
その車を知っていたので足を止めると、その車も停まる。
中に乗ると、運転をしていた長髪の男が挨拶をした。
鳴狐が挨拶を返さなくても慣れているので小狐丸は何とも思わない。
「如何でしたか」
シートベルトを締めた少年に小狐丸は問う。
「浮気はしてない」
断言する鳴狐に、そうですか。と小狐丸は頷いた。
「山鳥毛の葉巻の匂いがした。服に血染みも無い」
鶯丸の詳しい様子を伝えると、小狐丸も頷く。
「三日月の跡も無い」
そう報告し終えると、小狐丸は深く呼吸をして、良かったです、と言った。
鶯丸が浮気をしているかどうか。
今回の一連は、その“小狐丸の依頼”の調査だった。
兄である三条三日月が手放した存在が、彼を裏切っていたとしたら、と思うと居ても立ってもいられなかったのだ。
だから、三日月が認めた山鳥毛以外との浮気などしていたら、就職先である警察の手を使ってでも抹殺してやろうと思っていた。
そんな事は万一も無いと思っていても、不安が消えなかった小狐丸は、安心するためにこうして鳴狐に調査を依頼したのだ。
我ながら、疑り深くてしょうもないと思う。
それも職業病の所為にしたかった。
「それと、雅荘の人間も誰一人浮気をしていない」
「それは依頼していませんが…」
「追加料金は30%」
「サービスではないんですね」
横暴な追加調査だったが、元々横暴な依頼だったから許す。
そのくらい、鳴狐の調査は信頼出来るものだった。
「でも、もう調査を打ち切っていいです」
首は動かさないまま金の眼が小狐丸を見たが、いい、と重ねて言う。
料金がかさむのも無駄だと思ったからだ。
小狐丸は、もう満足していた。
「で、何食べたいです?」
言われる前に小狐丸は訊く。
「とんかつ」
鳴狐は一言だけ言い、流れる外の風景を見ていた。
わかりました、と少し軽くなった小狐丸の声を聞く。
その金の眼の先根は、アメジストの少年の事をぼんやりと考えていた。


「久々の実家はどうだったか?」
迎えに来てくれた山鳥毛は、微笑む。
「どうも。いつも通りさ」
窮屈な世間体と、可愛がっている弟達。
あの屋敷には、嫌いなものと好きなものが有った。
大袈裟なエンジン音は、BGMのクラシックに少しかき消されている。
そんな山鳥毛のスポーツカーに乗る事にも慣れた。
外の明るい景色を眺めながら、鶯丸は弟の話をぽつりぽつりとする。
山鳥毛は、いつも相槌だけ打ち聞いてくれた。
外の暖かい光をガラスは遮断しない。
刺青が、焼ける様に痛かった。

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