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背徳の雅荘

烏の吐いた煙管の煙が部屋を白くする。
銀の小天狗はグラスから琥珀を煽った。
「さて、今日はどんな秘密を聞けるだろうな」
烏の呟きに、星屑もほくそ笑む。
その居酒屋は、現実と夢の狭間に在った。


背徳の雅荘
13.烏貴族


オレンジ色だった空は星を散りばめる用意をしている。
カラス達が山へ帰るのを見ながら、白い鶴はその店へ入った。
鶴丸国永が長い事勤める夜のバイト先。
店内の内装は、中華屋の様だが派手で煌びやかだった。
ただの居酒屋…という雰囲気ではない。
「やあ鶴丸、おはよう」
炎の様に緋い彼は鶴に挨拶した。
「抜丸。おはようございます」
この夕暮れに不釣り合いな言葉を交わす。しかし、猫眼の彼が言う事は事実だった。
鶴丸は従業員のバックヤードに入り、腰にエプロンを巻く。
「さて。今日は久々の開店だ」
そう笑う白鶴は、この居酒屋のバイトリーダーだった。


御前の双子は、久々にジムに来ていた。
その火闇と同じ緋の眼が、首元を見る。
「どうした?」
シャワールームから出て来た静は、見つめてくる巴を不思議に思った。
「その鬱血」
白く長い指が首元を指差す。
「誰にやられた?」
ああ、と首元を摩った。静は、少しも焦らない。
「岩融だ」
煽る様な、少し意地悪い笑みさえ浮かべた。
巴は納得した顔だけして入れ違いにシャワールームへ入る。
静は着替えながら、巴もお揃いのキスマークを岩融に強請るんだろうな、と軽い気持ちで思った。


それは、今から少し遡った話。
その時の季節は、まだ夜も茹だる様に暑かった。
水心子は、翡翠の眼をアスファルトに落としながら帰路へ向かう。
今日もフリルの沢山付いたドレスを着て、真剣に清麿の授業を受けた。
もう、それは日常になっている。
しかし、水心子は歩きながら溜息を吐いた。
ぼう、と考え事をしながら夜の道を歩いていたから、その灯りが目に入ったのに気付いた時は、少し大袈裟に驚いた。
ギラギラとした、しかし何処か優しい電灯が光っている。
目の前に現れた建物は、見た事が無い物だった。
「鳥…いや、からすきぞく…?」
水心子が狼狽えていると、その木の襖ががらりと開く。
「ッシャッシェー」
その金眼とかち合って更に驚いた。
「つ、鶴丸先生!?」
「お、水心子じゃないか」
その人物は、水心子が通う高校の保健医だったのだ。
「こんな所で何をやってるんですか!?」
「まあまあ気にすんなって」
鶴丸はするりと水心子の後ろに回り、ぐいぐいとその背中を押した。
「一名入りまーす!」
はあい、と気怠げな声が返事をし、水心子は混乱しながらもその居酒屋の中に誘導された。

がやがやと賑わう居酒屋の中に押し込まれたクラスメイトを、鳴狐はグラスを傾けながら見ていた。
その翡翠が不安そうにしているのを見て、彼が此処に訪れたのを正直意外に思う。
居酒屋の店主である、烏の様な男がホール奥のソファから歩いて来た。
「ようこそ、烏貴族へ」
水心子の前に立つ亭主は、小柄な水心子よりも小さい。
しかしその妖艶な風貌は、年齢を感じさせなかった。
「此処は夢の狭間に建つ食い所。琥珀の甘露を振舞う店である」
かん、ろ…?と翡翠は狼狽える。まあまあ呑んでみろ、と従業員の鶴丸は彼を近くのテーブルに着かせた。
水銀の髪の男が琥珀色の飲み物を机に置く。
「さ、まずはぐいっと」
水心子は躊躇っていたが、その押しの強さに根負けして一口呑んだ。
「…美味しい…」
その一言に、亭主は笑みを溢す。
「でもこれ…お酒じゃないですか…?」
そう懸念するのもわかる。鳴狐もアルコールの味に感じるからだ。
「甘露は酒ではないぞ。しかし、そう感じる舌だけがこの烏貴族に辿り着けるのよ」
水心子はまだ訝しんでいる。その気持ちもわかる。
「まあそう言わずに呑んできなよ。甘露だけならタダだからさ」
胸に『ヒメツル』と書かれたプレートを付けた水銀は、どんと瓶を机に置いた。

烏貴族という居酒屋は、まるで眠りの中にある夢の様だ。
実際、この店で起こった事は記憶から消えた。
「甘露の代金は、"秘密"だ」
烏の長である小烏丸は鋭い爪で水心子を指差す。
ひみ、つ…?と考え込むが、すぐに顔を赤くした。
「さあ、お主の秘密をおくれ」
翡翠の目は泳いだが、甘露を一口呑んでから唇を動かす。
「…実は、友達の家で勉強会をするんですが…」
向かいに座った烏は黒曜石の眼を輝かせて言葉を待った。
「その時…私は、…女装を、するんです…」
ほほぅ、成程成程、と小烏丸はにんまり笑う。
「良い秘密ではないか!おぅい鶴丸、こやつにもう一瓶持ってこい」
鋭い爪の手を振れば白鶴はすぐに対応して、どんと甘露の瓶を置いた。
「さあ呑め呑め。今だけは全てを吐き出すと良い」
小烏丸は空になったグラスに甘露を注ぐ。水心子も思うところが有るのか、ヤケの様にそれを一気呑みした。
その様子を見て、あのクラスメイトもこの店に飲まれたな、と思う。
端の席で場を観察しながら、鳴狐はちびちびと甘露を呑んでいた。

夜が深まるにつれ、不思議な居酒屋は賑やかになる。
新顔の同級生はもうべろんべろんで、半分しか開いてない眼で相席の少年と盛り上がっていた。
「なんでえ、あいつらってわかってないの!?」
若草色の眼を眼鏡で遮る彼は、確かまだ中学生だ。
「わっかる!!わかってない!!ぜーんぜんわかってない!!」
よく聞いてみると、話は噛み合うようで惚気話を語り合っているだけだった。お互い想い人の良いところと悪いところをくどくど言っている。
他の席の少年達も、大抵同じ様な愚痴を言いながら甘露を煽っていた。
そんな客に甘露やつまみを配る二羽の鶴は忙しそうだが慣れている。奥の間には、この店の亭主とその仲間三人が居て、居酒屋の様子を愉快そうに見ていた。
「この梵字が目に入らぬかあ〜〜〜〜!!!!」
椅子を踏みつけ、若草の眼の少年はシャツを捲る。
周りの客もやんややんやと歓声を上げた。
そうやって腰に入れた刺青を見せつける時は、いつも限界が近い時だ。
実際少年はぐらりと倒れ込みそうになり、ホールの水銀鶴は慣れた腕でそれを受け止めた。
「はいはい。こっちでおやすみ」
姫鶴は若草を奥のソファに座らせる。その隣にも酔い潰れ眠った少年達が居た。
「きょうもおもしろかったですね」
その様子を見ていた血赤眼の子が笑う。その少年の名は、確か今剣と言った。
どういう繋がりかは知らないが、主烏の隣にいつも居る。
「そろそろ占いをしようか」
鳴狐が宇宙的な印象を持つ男が言った。
名は七星剣。同じく小烏丸側の人間だが、占い師としてこの場に居た。
がやがやと複数の少年が集まるが、あの占いは有料なので鳴狐は利用しない。
ガラ、と玄関の戸がまた開き、鳴狐の金眼がその方向を向く。
その二人組に、目を見開いた。
「いやあ、久しぶりに来たな」
アメジストの眼は、強く見覚えがある。
その後ろに居る青白い少年は初めて見た。

この居酒屋では。

「本当に甘露というのは無料なのか?」
「ああ。ツマミは金掛かるから気ぃつけな」
烏貴族に来た事がある者は、外観を見れば記憶を取り戻す。
だから同行人に店の解説をする事も出来た。
鳴狐は、そのアメジストの眼とかち合うまで目が離せなかった。
それでも合えば視線を反らす。だから薬研がどんな顔をしたのかはわからなかった。
アメジストの少年とこの居酒屋に初めて訪れた日を思い出す。
そして、彼に抱いていた感情も思い出した。
薬研とその連れは楽しそうに談笑している。
その視線は優しくて、でも、自分には決して向けられる事は無い目だった。
ガタン、と音を立てて立ち、鳴狐は今来た少年達が座ったテーブルへ向かう。
アメジストの眼と金白金の眼が鳴狐を見上げた。
鳴狐は薬研の顎を持ち、唇を合わせる。
いきなりの出来事に少年二人は固まった。
アメジストの今恋人の事など気にせず、舌を入れる。
薬研の口内を3秒だけかき混ぜ、顔を離した。

「鳴狐は、薬研が好きだ」

深海の様に低い声で呟く。
見開いた紫水晶の眼を見つめてから、鳴狐は店を出た。


烏貴族の喧騒が遠くなっていく。
吐露してしまった感情を、薬研とその恋人が忘れてくれる事を願った。
ただ、鳴狐は烏貴族の出来事を覚えていられる稀有な人物なので、忘れない。
自分の罪も、忘れない。
薬研は、あの白蛇の少年に問い詰められるだろう。
それで鳴狐の事をどう説明するかは気になった。
でも、その話もあの居酒屋を出れば忘れるのだ。
だから、鳴狐のキスも忘れる。
忘れてくれる筈だ。
柄にもない事をしてしまったけれど、それは甘露に酔ったからだと思った。
いや、思い込みたかった。

茹だる夜に流れる水滴は、塩辛い。
拭ったそれは、汗であってほしかった。

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