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背徳の雅荘

プロペラが回るだけの飛行機に乗る。
赤い赤い血色の骨が埋まっていた。
運命というものが有るなら、
僕の心臓が覚えている情景も、その一つなのだろうか。





背徳の雅荘
11.二人の秘密


秋の風は冷たい。
あの日から、一か月が過ぎた。
あんな事が有った後だというのに、日常は何も変わらない。
ただ、斜燐鉄鉱を見る翡翠の眼が乗せる感情は変わっていた。
水心子はいつものようにガラリと教室の戸を開け、おはようと言う。
その瞬間、教室内の音が消えた。
水心子は面食らい、そして首を傾げる。
気不味い中席に座るが、その視線を只々受けて、自分が何かしたのかと不安になってきた。
「なあ水心子、お前ってさあ…」
男子生徒が話しかけてくる。
クラスメイトのその話を聞いて、水心子の心は羞恥心と怒りに支配された。

金の眼にその話を聞き、清麿は激怒した。
しかし、その黒マスクが語る淡々とした口調に、清麿は思いの他冷静だった。
「ねえ鳴狐君、チャカってどうしたら手に入る?」
「いや、やめとけ」
冷静だったが怒りはぐつぐつと沸いている。
「今時肉体的に殺すより社会的に殺した方がいいよ」
そのアドバイスに、確かに。と呟いた。
「清麿なら出来るでしょ」
何が?と訊くと、ハッキング、と返ってくる。
「なんで知ってるの」
狼狽えているのを隠し、言った。銀の少年はそれについて答えない。
「最新技術の指南と作業場所の提供、一日5000円」
高くない?と返したが、それを視野に入れていた。
そんなやりとりを廊下でしていたので、その騒ぎはすぐに気付いた。
水心子の怒声が聞こえる。反射で飛び出した清麿の右腕を鳴狐に掴まれた。離せ!!と振り払った瞬間、泣きながら廊下を走る愛しい人がすれ違う。
その背中を追ったが、直ぐに見失った。

まだ太陽は目覚めたばかりで、眠たそうな光しか投げかけていない。
中庭の隅は、植木の影で校庭からは見えなかった。
「どうした?水心子」
小声で泣きじゃくる翡翠に、その男は声を掛ける。
水心子が見上げると、白い男が窓から乗り出していた。
「づるまる、ぜんぜえ」
その男は、保健医の鶴丸国永と言う。
「何か有ったんなら聞くぜ」
優しく笑うその儚気な顔に、水心子の心は少し緩まった。

消毒の匂いが鼻についた。
清潔さを思わせる白と無骨さを醸し出す灰色の保健室に入る。
その部屋の主である白い男に言われた通り、小さな丸椅子に座り向かい合った。
「で、どうしたんだい?」
保健医にそう問われ、水心子は俯く。
しかし、その金色の眼を見て、何故か言葉が溢れた。
「…私は、愚か者だ」
白は口を挟まない。
「嘘を吐いてしまった。…大きな嘘だ。吐いてはいけない嘘だった。でも、世間体とか、周りの目の恐怖から、吐いてしまった…」
へえ、と鶴丸は漏らした。
「どんな嘘だい?」
「…愛する人を、愛していないと、言ってしまったんです」
何の関係も無い、ただの知り合いだと、
源清麿の事を、他人だと言ってしまった。
水心子の翡翠は潤む。泣いてはいけないと、頑張って眉間に皺を寄せる。
「その相手は、きっと赦してくれるぜ」
「そうでしょうか」
「ああ。清麿はそういう奴さ」
その名前が出て水心子は顔を上げた。
その顔が間抜けで、鶴丸は笑う。
「な、何で知って、」
「驚いたか?」
ケラケラと笑いながら、あいつから報告してきたぜ、と言ってきた。
「な?源清麿」
鶴丸が振り向くと、保健室の入り口に息を切らした紫が立っていた。
「そうだよ、水心子」
水心子が狼狽えていると、清麿は覆いかぶさる様に水心子を抱き締めてきた。
「ごめん、僕がもっと用心すれば、」
「清麿は悪くない」
清麿の体温を感じ、つ、と泪が流れる。
「僕がちゃんと、恋人だって、言えたら」
「わかるよ。そんな事、人に知られたら何て言われるかわからないもの」
俺には知られていいのか、とも思ったが、鶴丸は間に入らなかった。
「でも、こんなにも愛しているのに、自分の心を、清麿を裏切ってしまった!!」
「いいんだよ。その心を知ってるのは僕だけでいい。僕が知ってるからいいんだよ」
水心子はぼろぼろと泪を流す。その水滴は、清麿の服を濡らした。


その日、鶴丸に許され水心子は学校を早退した。
帰り道の隣に、紫は居なかった。
枯葉が揺れるのは、それだけで寂しい。
水心子は、次の日も寮の自室から出なかった。
斜燐鉄鉱は水心子の部屋の窓を見つめる。カーテンで中が見えないのが残念だったが、その横を通り過ぎた。
手にはノートパソコンの入った鞄ケースを持っている。耳をイヤホンで支配し、スケートボードで住宅地へと向かった。
スマホで地図を見つつ、その小じんまりととした建物に辿り着く。
「狐事務所」と書かれた表札を確認し、チャイムを鳴らす。はーい、と声がしドアを開けたのは、学校で見た事の有る金だった。
「げ、清麿」
「獅子王…?」
薄い接点の有る二人は少し気不味く感じる。とはいえ、清麿は客なので、獅子王も中へ通した。
目に付いたのは、至る所に有る多彩な観葉植物だ。
大きな窓から入る日光を栄養にしているのだろう。
少し薄暗い照明の中に銀は居た。清麿を見ても、黒マスクの下は動かない。
「獅子王も探偵なの?」
「俺は雑用のバイト」
ちら、と銀と金の眼が合わさり、清麿その関係をなんとなく察した。
「で、ご依頼は?…って、もうわかるけど」
獅子王の言葉に清麿は封筒を渡す。獅子王は中身の五千円札を確認し、承りました、と頭を下げた。
鳴狐は視線を寄越してから隣の部屋に入る。獅子王と清麿はその後を追った。
白い照明は眩しいくらいで、それが画面を見る作業の妨げにならない為だと予測する。
広い机にディスプレイが三つ展開されているが、持参したノートパソコンを置けるスペースも有った。
「久しぶりだな、こういうの」
ニ年前の型の自機を開くのも一年振りだ。その軽い犯罪にハマっていた頃は、機体が熱くなっても保冷剤をひいて使い倒した。
獅子王が部屋から出ると、鳴狐は黒マスクを顎まで引き下げ口を開く。
鳴狐の声は闇底の様に低いが、滑舌が良く聴き取りやすかった。
てっきりテキストを渡して放置されると思っていたが、耳と画面で教わる方が頭に入るので有難い。
指南を受けきり伸びをした時には、外は暗かった。
ディスプレイに映るゴスロリドレスの姿の愛しい人を眺めつつ、ズボンのポケットに入れていた箱と使い捨てライターを出す。
ぎしり、とゲーミングチェアに体を預け煙草を咥えた。鳴狐の指が視界に入って来たので、一本渡す。
二人が吐く毒煙は、狭い部屋に白く充満した。
ちょっと甘いやつなんだな、と中学生の時に吸っていた銘柄との差を味わう。
その黄緑のパッケージの煙草は、初めて会った時、水心子から奪った物だった。


水心子は、その日たっぷりと眠った。
ぐるぐるとした頭のまま熟睡する。起きてみればその脳はすっきりしていた。
カーテンの向こうの日差しは赤い。夕方まで寝てしまったのは罪悪感も有ったが、結果としては心の休息に成った。
ただ、明日も学校に行けるかというと自信は無い。
クラスメイトとのLINEに通知が来ていたが、スマホを開く気にはなれなかった。
軽く食事を摂ろうと冷蔵庫を開け、日課で飲んでいる牛乳が切れているのを思い出す。
もう日も暮れたのでコンビニくらいしか開いてないが、仕方無しに外に出た。
今思えば、よくもまあそんな事が出来たものだと思う。
水心子は、自分で思うより図太い所があった。
生徒に出くわさないように裏路地から、少し距離の有るコンビニへ行く。
その電灯が輝く建物の自動ドアをくぐると、その客が目に飛び込んできた。
どうしても人目に迫力の有る長身の二人組だった。そのメイクは女性の様にも見えたが、男性だ。色違いのコートから、二人の仲の良さが伺える。
そして、そのインパクトの有る存在に見覚えが有った。
「わ…」
水心子が思わずそう零すと、白と黒はこちらを見る。
その同じ緋い眼が翡翠に向き、水心子は慌てた。
「な、NAGIの人だ…!」
思わず呟く。すると白と黒は緋眼を丸くした。
「俺達を知っているのか?」
白は真顔で訊き、黒も苦笑する。
「す、すいません、急に」
水心子が頭を下げると、二人は構わないと揃って言った。
「じ、実はファンで…」
清麿がスマホで見ていたファッションブランドのデザイナーに、恐れ多くもそう呟く。
その二人は、清麿の部屋で水心子が着ているドレスの作者だった。
水心子の言葉は嘘では無い。着れば着る程、実はそのドレス達を好きになっていた。
その連想で急に清麿の事を思い出し、はっとする。
「ど、どうした!?」
黒が慌てた顔をしたので、水心子は自分の翡翠の眼から水滴が溢れたのを知った。
あ、う、と狼狽えるが、白の大きな手が水心子の黒い頭を撫で、泪は止まらない。
「何か有ったのか?」
凛とした短い声に、水心子は頷いてしまった。

闇夜に煌々と輝くコンビニのネオンの前のベンチに三人は座っていた。
巴の白い手が水心子に缶ジュースを渡す。水心子は、ありがとうございますと言いそれを受け取った。
緋色の眼達は翡翠を見つめる。
水心子は、ぽつぽつと語った。
初めて清麿に会った時の事、登下校を共にした事、お下がりのカメラや、勉強会の事。
NAGIのゴシックドレスを着たり、清麿が新作も買った事。
日に日に斜燐鉄鉱の彼を好きになっていって、その気持ちが同じだった事。
それなのに、クラスメイトの前でそれを否定してしまった事。
その嘘が後ろめたくて、清麿が赦してくれても、自分が赦せない事。
全て、語っていた。
NAGIの二人は、それを真剣に聞いてくれた。
「本当に、その彼氏が好きなんだな」
静はうんうんと首を振りながらながら言う。
水心子は頬を赤らめて頷いた。
「私は、どうしたらいいんだ」
清麿に会いたい。でも、後ろめた過ぎて会えない。
白と黒は水心子の頭を撫でた。
「水心子、うちで働いてみないか?」
巴の淡々とした提案に、急だなと静は驚く。
「学校に行けないなら暇だろう」
水心子はきょとんとしてから、真面目故に真剣に考えた。
「ちょうど即売会のスタッフを捜していたのだ」
白の提案に黒もそれは良いなと同意する。
「勿論給料は出そう。スタッフだから、制服衣装も着ていい」
NAGIで働く。
良い気晴らしになるかもしれない、と水心子は思った。
「本当に、いいのなら…」
水心子は、頬を赤らめてながらも頷く。
じゃあ明日から、とNAGIの二人は水心子を採用してくれた。

二人が会わなくなって、一週間ほど経つ。
清麿は虚無を感じていた。
手を打つべき事は全て打ち、ネット上の邪魔者は全て消し去った。
だからもう大丈夫だよ、と翡翠に言いたかったのだが、その愛しい人は学校にも自室にも居なかった。
今何してるんだろう、と屋上で青空を眺めている。
思い出の煙草は、もう数本しか残って居なかった。
そんな斜燐鉄鉱の目の前に、紙が現れる。
その手は、ここ一週間見慣れた物だった。
「鳴狐、何」
清麿は気怠げにそれを受け取る。
紙には、住所が書いてあった。
「…此処に行けって?」
ふう、と煙の息を吐いてから、その金眼に問うと、鳴狐は頷いた。


NAGIの世界は、水心子には縁遠いと思っていた。
思っていたのだが、入ってみると実はそうでも無い。
何故なら…
「おや、もう着替えられたのか」
水心子が制服の黒いロリータドレスを着て着衣室を出ると、静はそう言ってきた。
着慣れてるな、と笑う黒の隣で、巴の緋眼が、じっと見てくるのに水心子はどきりとする。
「…ブラジャーの仕方は、何処で覚えた?」
黒ドレスの胸部の膨らみに静も、あ、と漏らした。
「そ、それは、」
「彼氏はそこまで要求したのか?」
水心子はしどろもどろになりながらも、違います!!とそれは力強く否定する。
普通の少年がブラジャーを正しく付けられるのは、確かに違和感があるだろう。
どう誤魔化せばいいか、水心子には分からなかった。
分からなかったから、腹を括り秘密を打ち明けるしかなった。

正秀には、姉が居る。
その姉は可愛いものが好きで、水心子も可愛がっていた。
それは普通の良き関係なのだろうが、姉は逸脱していた。
姉は正秀に、可愛い服を着せていた。
物事ついた時からだったから、それが姉弟として普通だと思っていた。
しかし中学生になった時、それは普通じゃないのだと周りの生徒の様子で知った。
だから、中学に上がってからはそれを拒否し、タイミング良く姉も一人暮らしを始めた。
上手く女装から離れられた。そう思ったのだ。
そう思っていたのに。
「でも、女装する事は、結果として嫌いにはなってなかったんですよね」
清麿が喜んでくれる。
だから、今も女装が嫌じゃなかった。
「それは…まあ、こちらとしては嬉しい事だな」
静の言葉に巴も頷く。
NAGIは、女装ドレスが中心のブランドだった。
「悪い事では無い。服装など似合えば良いのだ」
身も蓋も無い発言ではあったが、確かに巴の言う通りだ。
「そして、お前はとても似合っている」
ブランドのデザイナーに言われると、厚かましくも自信になる。
「そ…そうでしょうか」
おずおずと訊くと、静もそうだそうだと頭を撫でてきた。


途中から学校を抜けてきたので、空は明るかった。
がやがやと賑わう街の喧騒は、イヤホンで切り捨てる。
鳴狐が渡したメモが示した住所は、繁華街の裏路地に在った。
裏路地と言っても綺麗な道だ。
なんだか別の世界に迷い込んだ感じがするのは気の所為だろうか。
清麿はメモを再度確認し、この場所だと確信した。
洋風の歴史を感じる外装の真ん中に、黒いドアが有る。
清麿はイヤホンをしまい、その真鍮のドアノブに手を掛けた。
カラン、と心地良く小鐘が鳴り、店内に入った事を知らせる。
「いらっしゃいま
店員は定期文を言い切らなかった。
斜燐鉄鉱はその声の方を向く。
翡翠と眼が合い、あ、と小さく漏らした。
例えウィッグをしていようがメイクをしていようが、その翡翠の眼を見れば愛しい人である事は分かる。
「すい…しんし…?」
呼ばれた店員は、かぁ、と顔を赤らめ、バックヤードへと消えていく。
水心子!!と叫ぶが、裏から出て来たのは違う人間だった。
「どうしました?」
清麿はその長身の黒色の男の顔を知っている。突然の出会いに清麿は一瞬フリーズした。
「あ、君は…清麿君だな」
名を呼ばれ、何故知っているのかと狼狽える。静は笑って、まあ待てと静止させる。
「君を待っていたよ。まあ、水心子は会いたくなかったみたいだが」
こっちへおいで、と手招きされ、清麿は更に訳が分からなくなった。

表の店内は黒い服が並んでいる。
その大半が女装用ドレスで、統一感の有る雰囲気だ。
裏も同じ空気が有った。今座っているソファーも黒い。
目の前の机にティーカップを出され、その真向かいに水心子が座っていた。
その可愛らしい女の子の様な少年は、ずっと下を向いている。
水心子?と話しかけると、翡翠はびくりと震えた。
「写真で見るより男前だな」
水心子の隣に座る静は、長く余った足を組む。
その先のピンヒールの脚は細かった。
「写真…?」
「ああ。水心子が一枚だけ見せてくれた」
それはきっと、清麿があげたカメラで撮った物だろう。
使えるか試しに撮った自撮りだ。
「あの、水心子は一体」
清麿が問うと、黒は笑い、今までの経緯を話した。
「いやあ、水心子は良く働いてくれてるよ」
此処、NAGIの即売会で店員として働いていたという。
雰囲気に合わせるのと、知り合いが訪れてもばれない様にと今の姿で居た。
黒いツインテールの少女を水心子だと勘づく者は居ないだろう。
「そう思っていたが、一発でバレたな」
それはそうだ。清麿はその翡翠の眼を愛しているのだから。
「水心子。とっても可愛いよ」
そう声を掛けると、翡翠の眼はやっとこちらを向いてくれた。

「でも、なんで此処でバイトなんしてるの?」
それは純粋な疑問だったのだが、水心子は捻くれて捉える。
「私の女装趣味は気持ち悪いだろう」
「そういう意味じゃない。ただ、水心子は理由無く可愛い格好なんてしないだろうから」
水心子が黙りこんで俯いてしまい、静はやれやれと助け舟を出した。
「源清麿、お前の為だよ」
僕の?と問い返した時、バックヤードにもう一人入って来た。
清麿はそのモノクルと赤い眼を知っている。NAGIのもう一人のデザイナーだ。
巴が水心子、と声を掛け黒い袋を差し出した。
「お前の報酬だ」
水心子が目を泳がし受け取って、報酬?と清麿は疑問に思う。
「ほら、清麿に言う事有るだろう」
静も肩を叩くと、可愛らしい少女の様な少年は意を決し、その紙袋をずいと斜燐鉄鉱の前に出した。
「こ、これっ!いつものお礼…の、つもりだ…」
語尾は消えていく。清麿は首を傾げながらも受け取り、その中身を見た。
「これは…」
「僕、の、気持ち…だ…」
開けてみろ、と巴の水色の唇が言うので、その中身をひらりと出す。
それは、黒い服だった。
ただの服じゃない。パンツドレスだが、NAGIのデザインなのは分かる。
「水心子…!!」
斜燐鉄鉱の眼は見開いた。それを見て、翡翠は潤む。
「ほら、夢が有ったんだろう」
黒がぽんと肩を叩くと、水心子は呟いた。
「それを、清麿が着て、僕もドレス着て…で、で…デート…したくて…」
真っ赤だった顔が更に赤くなっている。やはり語尾は消えていった。
目の前の少女は、その為にNAGIでバイトをし、この服を買ったのだ。
清麿は、頭を棍棒で殴られたんじゃないかと思った。
その姿も考えも打ち明けも、可愛過ぎて可愛過ぎてにやけが止まらない。
本当に、水心子は凄い奴だ。
その呟きはこの場の人間全員に聞かれた。
「ねえ水心子、着てみていい?」
「い、今か!?」
「おお、おお。着衣室ならこっちだぞ」
静さん!!という水心子の叱咤を無視し、黒は着衣室の場所を教えてくれる。
水心子が慌てているが、今回だけはその意志を清麿は配慮出来なかった。

シャ、と更衣室のカーテンが閉まり、水心子ははらはらしながらその前に立つ。
少しして、水心子〜と呼ばれたので近寄ったら、ぐいと更衣室の中に引き込まれた。
黒いパンツドレスの清麿に、抱きしめられる。
きよまろ、と言おうと口を開くと、その唇を重ねられた。
驚いていると、その舌が口内に入る。
水心子は混乱したが、拒絶しなかった。
あの日から、キスはしていなかった。
それどころか、抱き締め合う事すらしていない。
水心子は言葉にしなかったが、本当はそれを望んでいた。
だが実はその思考は全部顔に出ていたが、水心子を大事にしたいあまり清麿も手を出さないでいた。
しかし、こんな可愛い事をされたらもう我慢なんて出来なかった。
顔の角度を変え舌を絡め、漏れる吐息と柔らかい感覚に二人は酔う。
その背中に回された手に力が入り、清麿はやっと口を離した。
「き、きよまろ」
「ごめん。でも、水心子が悪いんだからね」
可愛過ぎる。と耳元で囁かれ、翡翠は心臓が爆発するかと思った。
「ありがとう。服、とっても嬉しい」
清麿が笑うと、水心子もやっと笑った。
「でも、もう僕に内緒なんてしないでよ」
それは身勝手なおねだりだったが、水心子は、わかった、と頷いた。

たった一週間で、色々な事が起こったものだとお互い思う。
黒い衣装のまま、清麿も近況を報告した。
「もう学校に行っても大丈夫だよ」
近況と言っても、それだけしか報告しない。
水心子は首を傾げた。
もう噂話は風化したよ、と告げると、そう、なのか。と無理矢理納得する。
まさか清麿の手でネットに上がった全てを根絶し、その話題の元凶となったアカウントの人間を社会的に葬り去ったとは言えない。
ハッキングの事なんて言ったら、生真面目な水心子は縁を切ってくる可能性も有った。
「水心子の事は、僕が護るから」
だから安心して、と言うと、翡翠の眼は喜ぶどころか険しくなる。
「私だって清麿の支えになりたい」
護られてばかりなどいない。
そう言い切った顔は、珍しくかっこよかった。
敵わないなあ、と苦笑すると、水心子も吹き出した。


そんな事が有った次の日、水心子が教室の扉を開けると、場はしん、とした。
しかし、直ぐに何人か水心子の前に立つ。
そして、悪かった!とただただ謝罪された。
水心子が女装なんてする筈無い、清麿に苛められている訳が無い、と口々に謝られる。
それを宥めつつ、清麿は何をしたんだ、と疑問に思った。
その様子を見て、全てを把握している鳴狐と獅子王は苦笑する。
清麿だけは敵に回したくねえな、と片目の銀眼は黒マスクの金眼に呟いた。

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