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薬鳴

夜は氷点下まで冷える。


もう一つの命


夢を見た。
ただ、どんな夢だったか思い出せない。
目を開けると全て霞む。
久々に薬研の居ない朝を迎えた。
「お早う、鳴狐」
キツネは既に起きている。
おはよう、と呟いて起き上がろうとした。
酷く体が重い。
せり上がる吐き気に、裸足で庭に出た。
キツネの叫び声が頭に響く。

「大丈夫か」
背中を擦られ胃の中身を最後まで吐き出す。
黄色い液体が酸っぱかった。
「…うぅ」
言葉にならないうめき声しか出せない。
心配する薬研の顔も見れなかった。
「取り合えず座れ」
縁側に座ると、薬研はタオルを差し出す。
「どうした、二日酔いか?食い過ぎか?」
鳴狐は首を振る。昨日はいつも通りの量しか食べてないし、酒は一滴も呑んでいない。
「何か変わった事したか?」
また首を振った。キツネはおろおろと歩き回っている。
鳴狐は大丈夫、と言い立ち上がる。しかしふらりとして、薬研に支えられた。
何とか布団に潜り、天井を見る。体が横になると、幾分か楽だった。

赤子の泣き声

脳裏をよぎったそれは、口には出さなかった。

お…さ…

子供の声

嘔吐は繰り返し有った。
薬研が診察してくれたが、原因はわからない。
「まああんたは食う奴だが」
縁側であんぱんを食べていたら飽きれの溜め息を吐かれた。
「食って吐いてを繰り返してどうする」
「しかし空腹になるのです」
「だからってなぁ」
食欲が有るのはまだマシか、と薬研は隣に座る。
あんぱんを完食して茶を啜る。薬研の苦笑は聞き慣れた。
「まるでつわりじゃねえか」
薬研の冗談に鳴狐は固まる。キツネも鳴狐の反応に違和感を感じた。
「…嘘だろ?」
薬研は鶴丸にも見せた事が無い仰天顔になる。
「…関係無いかもだけど」
鳴狐は自分の口を動かす。
「夢を見るんだ…赤ん坊の夢」
薬研もどう言っていいのかわからない様だった。
「それは俺の子か?」
「薬研!!」
「ああ、悪い動転した。有り得ねえよ、あんた男だし第一刀だぜ?」
「でも、付喪神だよ」
薬研は考えこんでしまった。キツネも混乱している。
「…取り合えず検査器買ってくるか…」
薬研は呟いた。

検査結果は、陽性だった。
「嘘だろ…」
薬研の白い顔が更に白くなる。よろり、と立ち眩む姿を初めて見た。
「女か男か…名前考えねえと…」
「薬研!!」
「ああ、悪い動転した」
「女だったら小百合とかどう」
「鳴狐!!!!!!」
「冗談だよ。半分」
「なんでそう余裕なの!!!!!!」
キツネはキャンキャンと怒鳴る。
「狐が産まれたらどうしよう」
「だからそういう冗談やめなさい薬研!!!!!!って自分で笑ってるじゃん!!!!!!」
キツネのキャラ崩壊が尋常じゃない。
「ふふ、ああ、悪い悪い。っふ、これ大将に報告しなきゃかなぁっははっ」
薬研はまだ笑っていた。人はキャパオーバーになると笑うようだ。
「ねぇ、秘密にしとこうよ」
ニヤニヤ笑う鳴狐に薬研も頷く。この二人が悪乗りすると質が悪いのをキツネは知っている。
「キツネも内緒だからな。喋ったら油揚絶ちな」
「なんと!?」

その日から、不思議とつわりは止まった。
ストレス性のものだったと診断し、薬研も一息吐く。
元から良く食べる鳴狐だったが、身重の所為か最近は歯止めが効かなかった。
「で、夢はまだ有るのか」
薬研の問いに鳴狐は頷く。焼きそばパンを食べながら夢の話をした。
子供が泣きながら鳴狐を呼ぶ夢。
おかあさん
と、明確に呼ぶという。
「女か?男か?」
「まだわからない」
薬研に撫でられていたキツネも心配そうな顔をする。
「本当に身籠っているのでしょうか?」
「こればっかりは時間が掛かる話だなぁ」
「なんだか心配です」
鳴狐はキツネを撫で、大丈夫だよ、と声を掛けた。

あれから一ヶ月。
いつも以上に食べるのに、鳴狐の腹は膨れなかった。
流石に心配になる薬研だったが、鳴狐は謎の安心感が有った。
妊娠はまだ誰にもばれていない。その証拠に出陣の命を受けた。
「本当に俺がついて行かなくて大丈夫か」
「ご心配なさらず!体調は万全です!」
薬研はいわれの無い不安を感じていたが、出陣する鳴狐に手を振るだけだった。

検非違使の眼光に足がすくんだ。


おかあさん

いままでありがとう

おかあさん

ぼくのかわりにいきて

さようなら


「待って!!!!!!」

天井と自分の腕。
体が動かない。
「鳴狐!!」
涙でぐしゃぐしゃのキツネが覗きこんできた。
「ああ…!!良かった!!もう目覚めないかと…!!」
鳴狐はキツネの頭を撫でる。
どうやら重傷を負ったらしい、と感覚でわかった。
「お、目が覚めたか」
薬研が手入れ部屋の襖を開ける。
「悪ぃな。大将には全部話したぜ」
鳴狐は小さく頷いた。
「本当ならぽっきり折れてる傷なんだがな」
薬研はキツネの隣に座り小さな木箱を見せる。
「こいつが護ってくれたんだ」
薬研は木箱の蓋を開ける。中には小さな鉄の塊が入っていた。
わかった。それが宿っていた命だと。
鳴狐は涙を堪えきれなかった。みっともなくしゃくりあげる。
手入れ部屋はキツネの泣きべそと鳴狐の泣き声で満たされる。
薬研は何も言わなかった。

後日、鳴狐の身体検査結果を政府に渡した。
何故その鉄が宿ったのかはわからない。その本丸は誰も追及しなかったし、二人も言わなかった。
ただ、鳴狐は思った。
いつかもう一度誰かに宿ってくれたら、今度は大切にしてあげたいと。
大切に出来たなら。

ああ、お腹がすいた。
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