鋼の錬金術師(短編)
その知らせがロイの元に届いたのは、夜遅くのことだった。
東の地獄、イシュヴァール戦線。
その拠点の一つである野営地の、テントの中で休んでいたロイは、いきなりたたき起こされて、指令用のテントに引っ張ってこられた。
伝令曰く、ヒューズが率いていた中隊が激戦の中孤立し、風前の灯火だというのだ。
地図の上でその場所を確認すると、その近くにアメストリスの給油基地にしている場所がある。
その地点を奪われてしまうと、給油基地が格好の標的になってしまうのは、誰の目からも明白なことであった。
「すぐにこの地点に行き、イシュヴァールの野犬どもを一掃してこい。」
それが、焔の錬金術師に与えられた命令だった。
ロイはすぐに部下を収集し、五分ほどで野営地を後にした。
ロイの脳裏に、親友の顔がふとよぎる。
しかし、そのよぎった顔は土とほこりと血にまみれ、がれきの中で横たわる姿だった。
親友が死んでいるかもしれない、ということに、ほんのかすかな恐怖を覚えたが、軍人の自制と慣れで、それ以上心が痛まないことに絶望した。
「人間の死を見過ぎたな。」
ロイは口の中だけでつぶやく。
本当に親友が死体で転がっているのを見たときに、ちゃんと自分は人間らしく涙を流せるのか、ロイにはまったく自信がない。
ロイたちを乗せた軍のトラックが、目的地を目指して加速していく。
月明かりをたよりに、道なき道を疾走する。
やがて、赤々と炎をまき散らせながら燃える建物の群れが地平の向こうから姿を現した。
「あれか!」
ロイは手にはめた発火布をはめ直し、その方向をにらんだ。
「私が錬金術でまず攻める。
おまえたちは私の護衛と、生き残りの援護を。」
ロイに指示された部下たちは静かに頷き、いつでも銃が撃てるように構えた。
その場所は、元町があったところであった。
町、といっても、村に少し気を回した程度の規模である。
ロイたちを乗せたトラックは、その町から少し離れたところに停車し、ロイを先頭に様子をうかがいながら町に接近した。
まだ火の手が回っていない納屋の後ろに隠れながら、炎に睨め尽くされている町を伺うと、通りの奥の方に銃を持つイシュヴァール人数人が、町の中心の建物を攻撃しているのが見えた。
町の中心には、この村で一番頑丈な建物である、イシュヴァラ教の教会がある。
もともとそこにヒューズたちも拠点を置いていたはずなので、そこから動けない状態に追い込まれているのだろう。
ロイは風向きを確かめてから、ゲリラたちがいる真上の空中に火炎球を錬成した。
「燃え尽きろ!」
ロイが火炎球をゲリラたちの頭の上に落下させた。
ゲリラたちは逃げる暇も、悲鳴を上げることさえ許されず、一瞬にして炭化し、融解する。
「囲まれている中隊を救出する。
囲っているゲリラどもを、片っ端からつぶすぞ。」
ロイは納屋の陰から飛び出し、こちらに気がついて銃を構え直したイシュヴァール人何人かを、容赦なく焼き払った。
転がってきた手榴弾を、爆風で投げ返してやると、通りの奥から断末魔が響く。
ロイが炎の間を駆け抜ける様は、まるで鬼神か軍神のようで、ロイの部下でさえ恐れおののいてしまうほどだった。
ゲリラたちは、もともと狙っていた獲物と背後から攻めてきた狩人に挟み撃ちになり、右往左往しているうちに一人、また一人と確実に屠られていく。
ロイが最後の一人だと思われる男を焼き払った時、町は戦火とロイの火炎に焼き払われて、見るも無惨な廃墟と化していた。
ロイは部下にゲリラの生き残りの掃除と、消火を命じ、自分は数人の衛生兵を連れて、ヒューズの隊が立てこもっているはずの教会の廃墟に向かった。
銃弾を受け、穴だらけになった壁やドア。
跡形もなく吹き飛ばされている窓。
かつて待ち人の心のよりどころだったであろうその場所は、面影もなく壊れていた。
「私は焔の錬金術師、ロイ・マスタングだ。
救援に来た。
生きているものがいれば返事をしてもらいたい。」
少し離れたところから、建物に向かってロイが声をかけると、疲労困憊(ひろうこんばい)した一人の兵士ががれきの陰から立ち上がった。
まだ年若い青年で、丸いめがねをかけているが、片方のレンズが割れてしまっている。
「負傷者がいるんです、た、助けてください!」
その若い兵は必死になってロイに言った。
ロイはすぐに建物の中に入って、中をのぞき込んだ。
疲労困憊していながらもまだ立っている兵士が、先ほどの青年も併せて三人。
この人数で、ロイたちが来るまで持ちこたえていたのだから、立派なものである。
負傷した兵は弾がこない奥まった場所に寝かせられていて、息がありうめいているもの、息も絶え絶えのもの、失血のためにすでに事切れているものたちが、あわせて十数人ほどいた。
ロイが視線を走らせて、かすかに顔を青くした。
ヒューズの姿がない。
「この町にいた兵はここにいるので、全員か?」
ロイに問われた兵たちは、顔色を暗くした。
「いえ、隊長である、ヒューズ大尉が最初にゲリラの攻撃をうけて倒れました。
そのあと激しい銃撃戦が始まってしまったため、隊長の生死が確認できていません。
隊長に万が一のことがあったときの指示はいただいておりましたので、我々はこうして生き残ることができました。」
ロイの心に重く黒いものがのしかかる。
「わかった。
ヒューズ大尉の探索は任せてくれ。
衛生兵、手当を。」
負傷している兵たちは衛生兵に任せ、ロイは若い兵士に聞いたヒューズが倒れたらしい場所に走る。
ヒューズが攻撃を受けたのは、ロイたちが町に入った場所とは反対のあたりで、残った家のがれきと戸板などでバリケードがつくられていた。
だがそのバリケードも爆破されたのか、所々焼け焦げ、もろく崩れているところもたくさんあった。
「ヒューズ、返事をしろ!
ヒューズ!」
ロイは危険を顧みず、大きな声でヒューズを呼ぶ。
だが、深夜の砂漠の風が寂しく通り過ぎるばかりで、返事はいっこうに帰っては来ない。
ただただ、満月に近い太った月が、冷たくがれきを照らしているだけだ。
「ヒューズ!頼む、返事を、返事をしてくれ!」
ロイは、内心自分の必死さに驚いていた。
数刻前に、彼の死に涙を流せるかどうか自信がないと考えていたのは、今考えるとただの強がりだったらしい。
ロイは月明かりに照らされる、がれきの山を呆然と眺め、そこにかすかな希望も見いだせずに、俯くしかない。
「焔の錬金術師と、焔の悪魔と恐れられている私に、まだこんな人間らしい感情があったとは、
驚き、だ、な。」
それでも乾いた瞳から、涙は出ない。
ロイは突然生まれた胸の空虚をもてあましながら、引き返そうときびすを返す。
いつまでも、死んだものにかまけている訳にはいかない。
生きているものの今後を考えなければ。
ロイが無理矢理顔を上げたとたん、小さな音が聞こえた。
かすかな音だったが、ロイはそれが何かを考えることもなく、とっさに前に飛んで離れ、地面に転がりながら耳を塞いで身を伏せた。
そのとたん、自分の背後で閃光が炸裂し、爆発が起こった!
爆風でロイの体は強く地面に押しつけられ、熱が周りを一瞬にして撫でていく。
手榴弾を使ったブービートラップ。
ゲリラが仕掛けたものが残っていたのだろう。
気がつかずにそのまま立っていれば、確実に体を木っ端みじんにされていたに違いない。
「く、う!」
ロイは閃光に目をくらませながら、周りが収まるのを待った。
体の上に、吹き飛ばされた砂やら木片やら、小さながれきやらが降り積もる。
やがて立ち上った砂埃が落ち着いて、視界が効くようになってから、ロイはよろよろと立ち上がった。
「とりあえず、負傷はしなかったな、やれやれ。」
パンパンと軍服を叩きながら、ロイは当たりを見渡す。
ゲリラの生き残りが狙撃してきたり、味方の兵が音を聞きつけて二次被害を生んだりしては笑い話にもならないが、とりあえず、それらしい影は見当たらなかった。
だが、見渡していたロイの目に、引っかかるものがあった。
とっさに視線を戻す。
爆発でできた小さなクレーターの縁、吹き飛ばされた家屋のがれきの下、その間から除く、革でできた軍靴。
ほかの兵は皆、協会の廃墟で立てこもっていた、ならば、その足に該当する人物は、一人しかいない。
「ヒューズ!!」
ロイは急いでそこに駆け寄ると、上にのしかかっている瓦礫をどかし始めた。
「くそ、退け、瓦礫め!」
ロイは重い砂壁のがれきを脇に除けて、上に覆い被さっていた戸板を、ぐっと押す。
だが、重い戸板は容易には動かず、ロイは額に汗を浮かべながら何度も押し、ようやく戸板を瓦礫ごと押しのけることに成功した。
ロイは疲れている体に鞭打ち、無理矢理、瓦礫を押しのけたので、押しのけた時には肩で息をつき、汗だくになっていた。
「ヒューズ!無事か?」
ロイは手をついた体を無理に立たせ、倒れている人物のほうへ振り向いた。
案の定倒れていた男はヒューズだったが、返事はない。
ヒューズは、体を軽く丸めるような格好で、瓦礫の間に収まっていた。
先ほどどかした戸板のおかげで、ほかの瓦礫の下敷きにならなかったのだろう。
砂埃と煤にまみれているが、押しつぶされてはいないようである。
いつも掛けている眼鏡は外れ、目は閉じられており、体はぐったりと力が抜けている。
爆発か何かに巻き込まれたのか、軍服の各所が焦げていた。
見れば、先ほど瓦礫の隙間から見えていた足がおかしい方向を向いている気がする。
ロイは、おそるおそる腰をヒューズの肩を揺すった。
死んでいれば、温もりはない。生きていれば、ぬくもりがある。
ヒューズが死んでいるか生きているか、判断をつけなければいけない瞬間、ロイの手は緊張のあまりこわばったが、
幸運にも、ヒューズからは微かなぬくもりを感じることができた。
ほっと胸をなで下ろし、ロイはいくらか緊張がほぐれた声で、ヒューズを揺り動かした。
「ヒューズ?ヒューズ!しっかりしろ、ヒューズ!」
数回揺すると、ヒューズの表情がこわばり、ゲホゲホと噎せた。
ロイは苦しそうにするヒューズの背中をさする。
「もう大丈夫だ。
助けに来た。お前の部下たちも全滅は免れたぞ。
しっかりしろ。」
ロイが呼びかけると、ヒューズはうっすらと目を開き、まだ焦点が定まらない目が宙を漂った。
数回瞬きをしたあと、自分を心配そうにのぞき込むロイに気がつく。
「ろ、ロイ、か。
た、助けに来てくれたのか。
すまねえな。」
弱々しく掠れた声で、ヒューズはロイにお礼を言う。
普段の声とは似ても似つかない荒れきった声を聞き、ロイは慌ててヒューズに一口水を含ませた。
「落ち着いて飲め。
ゆっくりだぞ。」
ヒューズは慎重に口の中の水を飲み込み、大きく息を吸って、痛みに震えるように眉を寄せた。
「どうした。どこか痛むのか?」
ヒューズは弱々しい笑みを微かに表情に貼り付ける。
「どうやら、足の骨をぶっかいたらしい。
体を動かそうとすると、いてえ・・・。」
ロイは、ヒューズの足を転がっていた木片で固定してから、その体を瓦礫の中から四苦八苦しながら助け起こし、もう少しましな場所に横にした。
ロイはそのすぐ横にぐったりと座り込む。
「もうすぐ私の部下が、私を探しにくるだろう。
もう少し辛抱してくれ。」
頭上にある月の明かりに照らされて、ヒューズは少しばかりまぶしそうに目を細める。
「ああ、そうそう、これも落ちていた。」
ロイはヒューズに、助け起こした時に拾っておいた眼鏡を渡した。
その眼鏡の片方のレンズには、一筋ヒビが走っていたが、ヒューズはありがたそうに受け取ると、仰向けのまま掛けた。
ロイは、心配が一気に解消されて力が抜けたように、その横でため息をついた。
「そんな顔も、まだできるんだな、ロイは。」
突然ヒューズがいったので、ロイはきょとんとした。
「なんの、話だ?」
ヒューズは、弱々しいがしっかりと笑った。
「おまえがさ、助けてくれた時、俺をのぞき込んで、名前を呼んでくれたとき、おまえ、すっごい心配そうな顔してたんだぜ。
俺、その顔見たら、うれしくてさ。
おまえにそんな顔してもらえるなんて、思わなかった。
俺、ロイが死んだとき、泣ける自信がないんだ。
おまえが危ないとき、心配そうな顔ができるか、わからなかいんだ。
だから、おまえはまだできるんだなって、安心して、うれしくなった。」
ロイは、ヒューズが痛みをこらえながらいった言葉をきいて、かすかではあるが、久方ぶりに表情がほぐれた。
「おまえも、全く同じことを考えていたんだな。
大丈夫、私がそんな顔になれていたんだったら、おまえはもっと大丈夫さ。
表情っていうものは、自然に変わるものだからな。」
二人は、地面からの振動で、こちらに数人の人間が近づいてくるのを感じていた。
きっと、ロイを探しに来た部下たちだろう。
部下に情けない顔を見せるわけにはいかないが、あと数十秒ほど余裕がありそうだった。
ロイは月明かりに照らされながら、ヒューズの方を見下ろす。
「生きていて、何よりだ。
ヒューズ。」
ヒューズからは、そのときロイの顔は逆光になっていてよく見えなかった。
だが、ヒューズには確信がある。
その表情はきっと緊張がほぐれきった顔であっただろう。
そういう表情のことを一般的に、人は、満面の笑顔と呼ぶ。
END
東の地獄、イシュヴァール戦線。
その拠点の一つである野営地の、テントの中で休んでいたロイは、いきなりたたき起こされて、指令用のテントに引っ張ってこられた。
伝令曰く、ヒューズが率いていた中隊が激戦の中孤立し、風前の灯火だというのだ。
地図の上でその場所を確認すると、その近くにアメストリスの給油基地にしている場所がある。
その地点を奪われてしまうと、給油基地が格好の標的になってしまうのは、誰の目からも明白なことであった。
「すぐにこの地点に行き、イシュヴァールの野犬どもを一掃してこい。」
それが、焔の錬金術師に与えられた命令だった。
ロイはすぐに部下を収集し、五分ほどで野営地を後にした。
ロイの脳裏に、親友の顔がふとよぎる。
しかし、そのよぎった顔は土とほこりと血にまみれ、がれきの中で横たわる姿だった。
親友が死んでいるかもしれない、ということに、ほんのかすかな恐怖を覚えたが、軍人の自制と慣れで、それ以上心が痛まないことに絶望した。
「人間の死を見過ぎたな。」
ロイは口の中だけでつぶやく。
本当に親友が死体で転がっているのを見たときに、ちゃんと自分は人間らしく涙を流せるのか、ロイにはまったく自信がない。
ロイたちを乗せた軍のトラックが、目的地を目指して加速していく。
月明かりをたよりに、道なき道を疾走する。
やがて、赤々と炎をまき散らせながら燃える建物の群れが地平の向こうから姿を現した。
「あれか!」
ロイは手にはめた発火布をはめ直し、その方向をにらんだ。
「私が錬金術でまず攻める。
おまえたちは私の護衛と、生き残りの援護を。」
ロイに指示された部下たちは静かに頷き、いつでも銃が撃てるように構えた。
その場所は、元町があったところであった。
町、といっても、村に少し気を回した程度の規模である。
ロイたちを乗せたトラックは、その町から少し離れたところに停車し、ロイを先頭に様子をうかがいながら町に接近した。
まだ火の手が回っていない納屋の後ろに隠れながら、炎に睨め尽くされている町を伺うと、通りの奥の方に銃を持つイシュヴァール人数人が、町の中心の建物を攻撃しているのが見えた。
町の中心には、この村で一番頑丈な建物である、イシュヴァラ教の教会がある。
もともとそこにヒューズたちも拠点を置いていたはずなので、そこから動けない状態に追い込まれているのだろう。
ロイは風向きを確かめてから、ゲリラたちがいる真上の空中に火炎球を錬成した。
「燃え尽きろ!」
ロイが火炎球をゲリラたちの頭の上に落下させた。
ゲリラたちは逃げる暇も、悲鳴を上げることさえ許されず、一瞬にして炭化し、融解する。
「囲まれている中隊を救出する。
囲っているゲリラどもを、片っ端からつぶすぞ。」
ロイは納屋の陰から飛び出し、こちらに気がついて銃を構え直したイシュヴァール人何人かを、容赦なく焼き払った。
転がってきた手榴弾を、爆風で投げ返してやると、通りの奥から断末魔が響く。
ロイが炎の間を駆け抜ける様は、まるで鬼神か軍神のようで、ロイの部下でさえ恐れおののいてしまうほどだった。
ゲリラたちは、もともと狙っていた獲物と背後から攻めてきた狩人に挟み撃ちになり、右往左往しているうちに一人、また一人と確実に屠られていく。
ロイが最後の一人だと思われる男を焼き払った時、町は戦火とロイの火炎に焼き払われて、見るも無惨な廃墟と化していた。
ロイは部下にゲリラの生き残りの掃除と、消火を命じ、自分は数人の衛生兵を連れて、ヒューズの隊が立てこもっているはずの教会の廃墟に向かった。
銃弾を受け、穴だらけになった壁やドア。
跡形もなく吹き飛ばされている窓。
かつて待ち人の心のよりどころだったであろうその場所は、面影もなく壊れていた。
「私は焔の錬金術師、ロイ・マスタングだ。
救援に来た。
生きているものがいれば返事をしてもらいたい。」
少し離れたところから、建物に向かってロイが声をかけると、疲労困憊(ひろうこんばい)した一人の兵士ががれきの陰から立ち上がった。
まだ年若い青年で、丸いめがねをかけているが、片方のレンズが割れてしまっている。
「負傷者がいるんです、た、助けてください!」
その若い兵は必死になってロイに言った。
ロイはすぐに建物の中に入って、中をのぞき込んだ。
疲労困憊していながらもまだ立っている兵士が、先ほどの青年も併せて三人。
この人数で、ロイたちが来るまで持ちこたえていたのだから、立派なものである。
負傷した兵は弾がこない奥まった場所に寝かせられていて、息がありうめいているもの、息も絶え絶えのもの、失血のためにすでに事切れているものたちが、あわせて十数人ほどいた。
ロイが視線を走らせて、かすかに顔を青くした。
ヒューズの姿がない。
「この町にいた兵はここにいるので、全員か?」
ロイに問われた兵たちは、顔色を暗くした。
「いえ、隊長である、ヒューズ大尉が最初にゲリラの攻撃をうけて倒れました。
そのあと激しい銃撃戦が始まってしまったため、隊長の生死が確認できていません。
隊長に万が一のことがあったときの指示はいただいておりましたので、我々はこうして生き残ることができました。」
ロイの心に重く黒いものがのしかかる。
「わかった。
ヒューズ大尉の探索は任せてくれ。
衛生兵、手当を。」
負傷している兵たちは衛生兵に任せ、ロイは若い兵士に聞いたヒューズが倒れたらしい場所に走る。
ヒューズが攻撃を受けたのは、ロイたちが町に入った場所とは反対のあたりで、残った家のがれきと戸板などでバリケードがつくられていた。
だがそのバリケードも爆破されたのか、所々焼け焦げ、もろく崩れているところもたくさんあった。
「ヒューズ、返事をしろ!
ヒューズ!」
ロイは危険を顧みず、大きな声でヒューズを呼ぶ。
だが、深夜の砂漠の風が寂しく通り過ぎるばかりで、返事はいっこうに帰っては来ない。
ただただ、満月に近い太った月が、冷たくがれきを照らしているだけだ。
「ヒューズ!頼む、返事を、返事をしてくれ!」
ロイは、内心自分の必死さに驚いていた。
数刻前に、彼の死に涙を流せるかどうか自信がないと考えていたのは、今考えるとただの強がりだったらしい。
ロイは月明かりに照らされる、がれきの山を呆然と眺め、そこにかすかな希望も見いだせずに、俯くしかない。
「焔の錬金術師と、焔の悪魔と恐れられている私に、まだこんな人間らしい感情があったとは、
驚き、だ、な。」
それでも乾いた瞳から、涙は出ない。
ロイは突然生まれた胸の空虚をもてあましながら、引き返そうときびすを返す。
いつまでも、死んだものにかまけている訳にはいかない。
生きているものの今後を考えなければ。
ロイが無理矢理顔を上げたとたん、小さな音が聞こえた。
かすかな音だったが、ロイはそれが何かを考えることもなく、とっさに前に飛んで離れ、地面に転がりながら耳を塞いで身を伏せた。
そのとたん、自分の背後で閃光が炸裂し、爆発が起こった!
爆風でロイの体は強く地面に押しつけられ、熱が周りを一瞬にして撫でていく。
手榴弾を使ったブービートラップ。
ゲリラが仕掛けたものが残っていたのだろう。
気がつかずにそのまま立っていれば、確実に体を木っ端みじんにされていたに違いない。
「く、う!」
ロイは閃光に目をくらませながら、周りが収まるのを待った。
体の上に、吹き飛ばされた砂やら木片やら、小さながれきやらが降り積もる。
やがて立ち上った砂埃が落ち着いて、視界が効くようになってから、ロイはよろよろと立ち上がった。
「とりあえず、負傷はしなかったな、やれやれ。」
パンパンと軍服を叩きながら、ロイは当たりを見渡す。
ゲリラの生き残りが狙撃してきたり、味方の兵が音を聞きつけて二次被害を生んだりしては笑い話にもならないが、とりあえず、それらしい影は見当たらなかった。
だが、見渡していたロイの目に、引っかかるものがあった。
とっさに視線を戻す。
爆発でできた小さなクレーターの縁、吹き飛ばされた家屋のがれきの下、その間から除く、革でできた軍靴。
ほかの兵は皆、協会の廃墟で立てこもっていた、ならば、その足に該当する人物は、一人しかいない。
「ヒューズ!!」
ロイは急いでそこに駆け寄ると、上にのしかかっている瓦礫をどかし始めた。
「くそ、退け、瓦礫め!」
ロイは重い砂壁のがれきを脇に除けて、上に覆い被さっていた戸板を、ぐっと押す。
だが、重い戸板は容易には動かず、ロイは額に汗を浮かべながら何度も押し、ようやく戸板を瓦礫ごと押しのけることに成功した。
ロイは疲れている体に鞭打ち、無理矢理、瓦礫を押しのけたので、押しのけた時には肩で息をつき、汗だくになっていた。
「ヒューズ!無事か?」
ロイは手をついた体を無理に立たせ、倒れている人物のほうへ振り向いた。
案の定倒れていた男はヒューズだったが、返事はない。
ヒューズは、体を軽く丸めるような格好で、瓦礫の間に収まっていた。
先ほどどかした戸板のおかげで、ほかの瓦礫の下敷きにならなかったのだろう。
砂埃と煤にまみれているが、押しつぶされてはいないようである。
いつも掛けている眼鏡は外れ、目は閉じられており、体はぐったりと力が抜けている。
爆発か何かに巻き込まれたのか、軍服の各所が焦げていた。
見れば、先ほど瓦礫の隙間から見えていた足がおかしい方向を向いている気がする。
ロイは、おそるおそる腰をヒューズの肩を揺すった。
死んでいれば、温もりはない。生きていれば、ぬくもりがある。
ヒューズが死んでいるか生きているか、判断をつけなければいけない瞬間、ロイの手は緊張のあまりこわばったが、
幸運にも、ヒューズからは微かなぬくもりを感じることができた。
ほっと胸をなで下ろし、ロイはいくらか緊張がほぐれた声で、ヒューズを揺り動かした。
「ヒューズ?ヒューズ!しっかりしろ、ヒューズ!」
数回揺すると、ヒューズの表情がこわばり、ゲホゲホと噎せた。
ロイは苦しそうにするヒューズの背中をさする。
「もう大丈夫だ。
助けに来た。お前の部下たちも全滅は免れたぞ。
しっかりしろ。」
ロイが呼びかけると、ヒューズはうっすらと目を開き、まだ焦点が定まらない目が宙を漂った。
数回瞬きをしたあと、自分を心配そうにのぞき込むロイに気がつく。
「ろ、ロイ、か。
た、助けに来てくれたのか。
すまねえな。」
弱々しく掠れた声で、ヒューズはロイにお礼を言う。
普段の声とは似ても似つかない荒れきった声を聞き、ロイは慌ててヒューズに一口水を含ませた。
「落ち着いて飲め。
ゆっくりだぞ。」
ヒューズは慎重に口の中の水を飲み込み、大きく息を吸って、痛みに震えるように眉を寄せた。
「どうした。どこか痛むのか?」
ヒューズは弱々しい笑みを微かに表情に貼り付ける。
「どうやら、足の骨をぶっかいたらしい。
体を動かそうとすると、いてえ・・・。」
ロイは、ヒューズの足を転がっていた木片で固定してから、その体を瓦礫の中から四苦八苦しながら助け起こし、もう少しましな場所に横にした。
ロイはそのすぐ横にぐったりと座り込む。
「もうすぐ私の部下が、私を探しにくるだろう。
もう少し辛抱してくれ。」
頭上にある月の明かりに照らされて、ヒューズは少しばかりまぶしそうに目を細める。
「ああ、そうそう、これも落ちていた。」
ロイはヒューズに、助け起こした時に拾っておいた眼鏡を渡した。
その眼鏡の片方のレンズには、一筋ヒビが走っていたが、ヒューズはありがたそうに受け取ると、仰向けのまま掛けた。
ロイは、心配が一気に解消されて力が抜けたように、その横でため息をついた。
「そんな顔も、まだできるんだな、ロイは。」
突然ヒューズがいったので、ロイはきょとんとした。
「なんの、話だ?」
ヒューズは、弱々しいがしっかりと笑った。
「おまえがさ、助けてくれた時、俺をのぞき込んで、名前を呼んでくれたとき、おまえ、すっごい心配そうな顔してたんだぜ。
俺、その顔見たら、うれしくてさ。
おまえにそんな顔してもらえるなんて、思わなかった。
俺、ロイが死んだとき、泣ける自信がないんだ。
おまえが危ないとき、心配そうな顔ができるか、わからなかいんだ。
だから、おまえはまだできるんだなって、安心して、うれしくなった。」
ロイは、ヒューズが痛みをこらえながらいった言葉をきいて、かすかではあるが、久方ぶりに表情がほぐれた。
「おまえも、全く同じことを考えていたんだな。
大丈夫、私がそんな顔になれていたんだったら、おまえはもっと大丈夫さ。
表情っていうものは、自然に変わるものだからな。」
二人は、地面からの振動で、こちらに数人の人間が近づいてくるのを感じていた。
きっと、ロイを探しに来た部下たちだろう。
部下に情けない顔を見せるわけにはいかないが、あと数十秒ほど余裕がありそうだった。
ロイは月明かりに照らされながら、ヒューズの方を見下ろす。
「生きていて、何よりだ。
ヒューズ。」
ヒューズからは、そのときロイの顔は逆光になっていてよく見えなかった。
だが、ヒューズには確信がある。
その表情はきっと緊張がほぐれきった顔であっただろう。
そういう表情のことを一般的に、人は、満面の笑顔と呼ぶ。
END