鋼の錬金術師(短編)
拍手再録です。
その雪の名前
エドとアルは、雪がしんしんと降る森の中を歩いていた。
雪原を先に立って歩くのはエド。アルはその後についていく。
もみの木々には、降り積もった雪がこんもりと乗っており、足下の雪は、かんじきを履いても、膝のあたりまで沈み込んでしまう。
エドは分厚い赤いコートの前をきっちりと閉め、マフラーを巻いて、毛皮の手袋をはめて、毛糸の帽子をかぶり、雪用のブーツにかんじきを装備していた。
アルのほうは、エドのトランクを持ち、同じく錬成して作った巨大なかんじきを装備している。
二人が進んだ場所も、しばらくの後には、雪が隠してしまうだろう。
エドは疲労と寒さで、ふらふらしている。
「あー・・・、さみいぃ・・・。」
エドがマフラーごしに凍えた声で言うと、隙間から白い息が漏れて、たなびいた。
「兄さん、大丈夫?
少し休もうよ。雪も強くなってきてるしさ。」
アルにいわれて、エドは立ち止まり、目を細めて上空を見上げた。
灰色の雲から、不規則な黒いドットのように雪が落ちてきていて、目に入るととても冷たい。
エドはしばらく見上げていたが、ため息を漏らしながら頭を戻した。
「そうだな。ちょっと斜面に穴でも開けて、一休みするか。」
エドはそう言うと、まっすぐに進んでいた進行方向を横に曲げて進み始めた。
アルもその後に続く。
ー兄さんが、休もうっていったらすぐに承諾するなんて、すごい疲れているんだな。
いつも意地っ張りで、我慢強く、しかもアルに負い目を感じているエドは、限界になるまで疲労を口にしない。
感覚がないアルは、長距離移動やこういった雪中行軍の際には、いつもエドの体のことを心配していた。
二人はこんもりとした丘の麓に錬金術で横穴を作り、その中で一休みすることにした。
中に入って座り、エドは深くため息をついた。
「大丈夫兄さん。
だいぶ疲れたんじゃない?」
アルが不安げに訪ねると、はっとしたエドは、慌てた様子で顔を上げた。
「そんなことねえぞ。
確かに雪で寒くはあるけどな。
雪さえ降ってなければ、こんな雪原、休みなしで越えられるぜ。」
エドが元気よくいってみせたが、唇は紫色で、無意識に右手と左足をかばうような座り方になっているのに、アルは気がついていた。
オートメイルの接合部が冷えて、痛みを感じているに違いない。
外の雪はやむ様子はなく、しんしんと降り続いている。
少しばかり風が出てきたのか、雪で重く垂れ下がった木々の枝が、緩く揺れて始めた。
「ううう、風がでてきたな。」
エドは自分の体を抱くようにしながら、ぶるりと震えた。
横穴は掘っただけで塞いでいないので、粉雪をはらんだ風は横穴で軽く逆巻いている。
凍えてしまいそうなエドを見て、アルはどうにかエドに暖を取ってもらえないかと考えた。
「そうだ、兄さん。
僕の鎧の中に入るといいよ。
少しは暖かいんじゃないかと思うんだ。」
それを聞いたエドは、ぎょっとした顔になった。
「そんなことできるかよ!
おまえの体は、おまえのもんだ!
俺が中に入るなんて、できるわけないだろう!」
エドは、アルに叫ぶように言った。
「おまえは人間だ、そんな自分を物みたいに扱うな!」
エドの言葉を、アルは驚いた様子で聞いていた。
アルにとって、いわれた言葉自体、考えてもみなかったことだったからだった。
アルは、エドに凍えてほしくないから、自分の体を最大限に利用しようと考えただけに過ぎなかったのだが、エドにとって、それは禁忌と同等のものだったのだ。
ー僕自身が、自分を人間扱いしなかったことを、兄さんは怒ってくれたのか・・・。
だけれども。
アルは鎧の前を大きく開き、隣で凍えているエドを強制的に中に押し込んだ。
もちろん、血印には気をつけながら。
「こら!てめえ!アル!何しやがる!」
エドは無理矢理押し込められたため、体制を立て直そうと藻掻いた。
エドの体が、自分の中に完全に収納されたことを確認すると、アルは鎧の前を、しっかりと金具で固定して、エドを閉じ込めてしまった。
「兄さんが凍えているのを、ずっと見ていなきゃならないのは、僕にはとても辛いことだ。
兄さんの負担を、少しでも軽減できるのであれば、僕はいくらでも、生身の人間にはできないことを提案するし、この体を利用する。
それでも、僕は、自分のことを人間だと言える自信はあるよ。
兄さんが、僕のことを、弟だと言ってくれるかぎり、僕は、どんなことがあっても、自分が人間だという自身をもう、失わない。
だから兄さん、僕を最大限使えばいいんだよ。
使うという言葉が、不適切だと思うんなら、協力、といいかえてもいい。
兄さんだけ、無理をしないで。
僕にも、協力させて。
最大限協力させて。
兄さんが、僕を守るのに一生懸命になってくれるのと同じくらい、僕は兄さんを守るために一生懸命になれるつもりだから。」
アルは体の中にいるエドを、守るように、腹部を触る。
「僕にも、兄さんを守らせて。」
エドは、何も言えなくなり、アルの腹の中で据わりがいい場所を探して、もぞもぞとだまって動いた。
やはり、鎧の中だけに、兜に頭を入れて、座っているアルの格好に合わせて、立て膝をすれば、外を見ながら暖をとることができた。
風が直接当たらないだけで、エドの負担は和らいだ。
「雪、なかなか止まなさそうだね。」
鎧の中にいると、アルの声はどこから聞こえてくるのか、まったくわからなかった。
鋼の体内に反響し、体全体から声が発せられているかのようだ。
エドは、すぐ近くにアルを感じることができる。
「そうだな。」
エドは兜の目の部分から、外をのぞいた。
アルは普段、こんな風景を見ているのだろうか。
エドは、アルの内側に当てて体を支えていた手のひらを、ぐっと握った。
なんだか、すぐそばにいるアルが、その手の上から手を当てて、握ってくれているような気がしたから。
「止んだな、雪。」
「そうだねー」
エドとアルは、未だに曇天ではあるが、雪がやんだ空を見上げて言った。
エドはアルの中から出してもらって、伸びをする。
「いこうか、アル。」
「そうだね、兄さん。」
今度は、雪をかき分けるために、アルが先に進んだ。
疲れを知らないアルは、エドが雪をかき分けるよりよほど早く進む。
「悪いな、アル。」
「お安いご用だよ、兄さん。」
いつ終わるとも知れぬ雪原を、二人はまっすぐに進んでいく。
そのスピードは、最初に雪原を越え始めてきたよりは、よっぽど早い。
だからすぐに、横穴を空けた場所からは、二人の姿は見えなくなった。
完
その雪の名前
エドとアルは、雪がしんしんと降る森の中を歩いていた。
雪原を先に立って歩くのはエド。アルはその後についていく。
もみの木々には、降り積もった雪がこんもりと乗っており、足下の雪は、かんじきを履いても、膝のあたりまで沈み込んでしまう。
エドは分厚い赤いコートの前をきっちりと閉め、マフラーを巻いて、毛皮の手袋をはめて、毛糸の帽子をかぶり、雪用のブーツにかんじきを装備していた。
アルのほうは、エドのトランクを持ち、同じく錬成して作った巨大なかんじきを装備している。
二人が進んだ場所も、しばらくの後には、雪が隠してしまうだろう。
エドは疲労と寒さで、ふらふらしている。
「あー・・・、さみいぃ・・・。」
エドがマフラーごしに凍えた声で言うと、隙間から白い息が漏れて、たなびいた。
「兄さん、大丈夫?
少し休もうよ。雪も強くなってきてるしさ。」
アルにいわれて、エドは立ち止まり、目を細めて上空を見上げた。
灰色の雲から、不規則な黒いドットのように雪が落ちてきていて、目に入るととても冷たい。
エドはしばらく見上げていたが、ため息を漏らしながら頭を戻した。
「そうだな。ちょっと斜面に穴でも開けて、一休みするか。」
エドはそう言うと、まっすぐに進んでいた進行方向を横に曲げて進み始めた。
アルもその後に続く。
ー兄さんが、休もうっていったらすぐに承諾するなんて、すごい疲れているんだな。
いつも意地っ張りで、我慢強く、しかもアルに負い目を感じているエドは、限界になるまで疲労を口にしない。
感覚がないアルは、長距離移動やこういった雪中行軍の際には、いつもエドの体のことを心配していた。
二人はこんもりとした丘の麓に錬金術で横穴を作り、その中で一休みすることにした。
中に入って座り、エドは深くため息をついた。
「大丈夫兄さん。
だいぶ疲れたんじゃない?」
アルが不安げに訪ねると、はっとしたエドは、慌てた様子で顔を上げた。
「そんなことねえぞ。
確かに雪で寒くはあるけどな。
雪さえ降ってなければ、こんな雪原、休みなしで越えられるぜ。」
エドが元気よくいってみせたが、唇は紫色で、無意識に右手と左足をかばうような座り方になっているのに、アルは気がついていた。
オートメイルの接合部が冷えて、痛みを感じているに違いない。
外の雪はやむ様子はなく、しんしんと降り続いている。
少しばかり風が出てきたのか、雪で重く垂れ下がった木々の枝が、緩く揺れて始めた。
「ううう、風がでてきたな。」
エドは自分の体を抱くようにしながら、ぶるりと震えた。
横穴は掘っただけで塞いでいないので、粉雪をはらんだ風は横穴で軽く逆巻いている。
凍えてしまいそうなエドを見て、アルはどうにかエドに暖を取ってもらえないかと考えた。
「そうだ、兄さん。
僕の鎧の中に入るといいよ。
少しは暖かいんじゃないかと思うんだ。」
それを聞いたエドは、ぎょっとした顔になった。
「そんなことできるかよ!
おまえの体は、おまえのもんだ!
俺が中に入るなんて、できるわけないだろう!」
エドは、アルに叫ぶように言った。
「おまえは人間だ、そんな自分を物みたいに扱うな!」
エドの言葉を、アルは驚いた様子で聞いていた。
アルにとって、いわれた言葉自体、考えてもみなかったことだったからだった。
アルは、エドに凍えてほしくないから、自分の体を最大限に利用しようと考えただけに過ぎなかったのだが、エドにとって、それは禁忌と同等のものだったのだ。
ー僕自身が、自分を人間扱いしなかったことを、兄さんは怒ってくれたのか・・・。
だけれども。
アルは鎧の前を大きく開き、隣で凍えているエドを強制的に中に押し込んだ。
もちろん、血印には気をつけながら。
「こら!てめえ!アル!何しやがる!」
エドは無理矢理押し込められたため、体制を立て直そうと藻掻いた。
エドの体が、自分の中に完全に収納されたことを確認すると、アルは鎧の前を、しっかりと金具で固定して、エドを閉じ込めてしまった。
「兄さんが凍えているのを、ずっと見ていなきゃならないのは、僕にはとても辛いことだ。
兄さんの負担を、少しでも軽減できるのであれば、僕はいくらでも、生身の人間にはできないことを提案するし、この体を利用する。
それでも、僕は、自分のことを人間だと言える自信はあるよ。
兄さんが、僕のことを、弟だと言ってくれるかぎり、僕は、どんなことがあっても、自分が人間だという自身をもう、失わない。
だから兄さん、僕を最大限使えばいいんだよ。
使うという言葉が、不適切だと思うんなら、協力、といいかえてもいい。
兄さんだけ、無理をしないで。
僕にも、協力させて。
最大限協力させて。
兄さんが、僕を守るのに一生懸命になってくれるのと同じくらい、僕は兄さんを守るために一生懸命になれるつもりだから。」
アルは体の中にいるエドを、守るように、腹部を触る。
「僕にも、兄さんを守らせて。」
エドは、何も言えなくなり、アルの腹の中で据わりがいい場所を探して、もぞもぞとだまって動いた。
やはり、鎧の中だけに、兜に頭を入れて、座っているアルの格好に合わせて、立て膝をすれば、外を見ながら暖をとることができた。
風が直接当たらないだけで、エドの負担は和らいだ。
「雪、なかなか止まなさそうだね。」
鎧の中にいると、アルの声はどこから聞こえてくるのか、まったくわからなかった。
鋼の体内に反響し、体全体から声が発せられているかのようだ。
エドは、すぐ近くにアルを感じることができる。
「そうだな。」
エドは兜の目の部分から、外をのぞいた。
アルは普段、こんな風景を見ているのだろうか。
エドは、アルの内側に当てて体を支えていた手のひらを、ぐっと握った。
なんだか、すぐそばにいるアルが、その手の上から手を当てて、握ってくれているような気がしたから。
「止んだな、雪。」
「そうだねー」
エドとアルは、未だに曇天ではあるが、雪がやんだ空を見上げて言った。
エドはアルの中から出してもらって、伸びをする。
「いこうか、アル。」
「そうだね、兄さん。」
今度は、雪をかき分けるために、アルが先に進んだ。
疲れを知らないアルは、エドが雪をかき分けるよりよほど早く進む。
「悪いな、アル。」
「お安いご用だよ、兄さん。」
いつ終わるとも知れぬ雪原を、二人はまっすぐに進んでいく。
そのスピードは、最初に雪原を越え始めてきたよりは、よっぽど早い。
だからすぐに、横穴を空けた場所からは、二人の姿は見えなくなった。
完