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万雷の白虎

第九話


「依頼者は、いない?」

「さようです。」

軍ホテルの宿泊している部屋のなか、ダグラスは開口一番、エルダーの殺しの依頼者はいないのではないかという課説を出した。

「それって、自発的に虎がエルダーさんを殺しに態々(わざわざ)西からきたってことですか?」

アルが尋ねると、ダグラスはうなずいて見せる。

「エルダー氏殺しに限っていえば、そうでしょう。

しかし、もっと大きな殺しの仕事のついでに殺しに来ているかもしれないので、エルダー氏の殺しだけが目的ではないかもしれませんが。

虎と国立生体研究所が関わっているかもしれないというのは、ワシが西にいたころから噂されていました。

統計的に見て、表だって把握している被害者30名のうち、約半数が国立生体研究所に何らかの関わりがあるものでしたから。

昨日見た、あの男と研究所がどのような関わりがあるのかは、わかりません。

しかし、今回のエルダー氏の話を聞いて確信しました、虎と研究所には、切っても切れない縁がある、ワシはそう思います。

先ほど聞いた話のようなことを虎が知っていれば、個人的な何かで狙ってもおかしくありますまい。」

エドは腕を組んで考える。

「うーん。でも、個人的な何かって何だろう。

恨みとか持つにしても、ただの研究所だしな。」

ダグラスは続ける。

「もともと、エルダー氏が異常といっていたあの出来事、虎の仕業ではないかという話があります。

エルダー氏が通報して、すぐ軍が来たとすれば、なにかやり残したことがあったのかもやしれません。

そのせいで依頼が完遂できなかったと恨みでも抱いているなら、殺しの理由にもなりましょう。」

「エルダーさんは、探しても記録がなかったといっていたけど、西ではそういう憶測がもとからあったのか。」

ダグラスは、いままで厳しかった顔をふっと曇らせた。

「箝口令が、ございまして。」

その言い方で、ピンときたのはアルだった。

「そうか、エルダーさんの通報で行った部隊。

なぜかわからないけど、それは西の部隊だった。

だから、西には国立生体研究所で異常があったことを知ってる軍人がいるんだ。

そして、その部隊に、ダグラス中尉はいたんですね?」

アルははっきり言ったが、言ってすぐはダグラスが何も言わなかったので間違ってしまったかと心配になった。

一拍ほど間を開けてから、ダグラスは笑った。

「ご明察。参りましたな。

その通りです。アルフォンス殿。

正確に言うのであれば、ちと違うところもあるのですが、おおむねその通りです。

秘密を知っているものたちの大多数が西に飛ばされてしまった、それだけなのですが。

もともと生体研究所はセントラル管轄。

西に飛ばされた我々には、手も足も出ないのです。」

「西に飛ばされたダグラス中尉たち、西に現れた殺し屋、なにか関係があるのかな。」

ダグラスは首を振る。

「それでいうと、我々が襲われてもおかしくないのですが、やつの目標は錬金術師のみ。

おかげさまで、生きながらえておりますよ。」

ダグラスは冗談とも本気ともつかぬ事をいい、かすかに笑った。

「とりあえず、国立生体研究所のことや、異常のことはまだ大佐は知らないはず。

エルダーさんの家で楽器を一つ確保したら、もう一度司令部に戻って大佐と相談してみよう。

今度は忙しくても躊躇しないで声かけられるな。」

アルは、エドが立ち上がったのを見て少し慌てた。

「大丈夫?

今日は行ったり来たりでたくさん歩いてるけど、疲れてない?

兄さん。」

エドは心配してくれているアルを見上げて、ニッと笑って見せた。

「荒野のど真ん中を強行軍するよりは、なんてことないさ。

ダグラス中尉が大丈夫なら、出発しよう。

善は急げだ!」

そう言って元気よくドアから出て行くエドの背中を見ながら、アルは兄が慌てているような気がしてならなかった。

だが、なぜエドが慌てているような気がするのか、たしかな理由はわからなかった。




第10話


エルダー邸でバイオリンを確保して司令部にとって返すと、エドたちはまず、エルダーのところにバイオリンを届けに行った。

エルダーはとても嬉しがり、三人に何度もお礼を言ってくれた。

「パパ、なにか弾いて!」

「そうだな、少しだけ、なにか弾こうか。」

楽器がそばにあることが普通なのだろう親子は、バイオリンを挟んで和やかな雰囲気に包まれた。

三人は、邪魔しないようにそっと部屋から出る。

建物の外に出たとき、エルダーの部屋からかすかにバイオリンの調べが聞こえてきた。

その調べは即興曲のようで、旋律に聞き覚えはなかったが、美しい音色はかすかであってもうっとりしたくなる響きがあった。

「う、ぐ・・・!」

エドとアルが、バイオリンの音色に耳を傾けていると、そのうしろからダグラスのつらそうな呻きが聞こえた。

「ダグラス中尉!?」

「どうしましたか!?」

エドとアルがあわてて振り向くと、ダグラスが血の気が引いたような顔で地面にうずくまっていた。

アルが肩を貸してダグラスを立たせ、ゆっくりと座れる場所まで移動する。

木陰の椅子まで誘導して座らせると、ダグラスの顔色はいくらかよくなっていた。

「大丈夫か?ダグラス中尉。」

心配そうにエドがダグラスをのぞき込む。

「お水、もらってきましたよ。」

アルが、コップに水を汲んできたものを渡すと、ダグラスはありがたそうに受け取って、ぐっと煽った。

水を流し込んでから、何度か大きく息を吸い込んで、ダグラスはやっと落ち着いたようだった。

「はぁ、はぁ・・・、ご心配おかけして、申し訳ない。

いきなり古傷のやつが痛みまして。

いやはや。面目ないばかりです。」

ゼイゼイと息をしながら、ダグラスが二人にお礼を言う。

ダグラスは頭のこめかみのあたりを押さている。

「古傷が?」

エドが苦しそうにするダグラスを、心配そうにのぞき込んで訪ねた。

ダグラスは、眉間にしわを寄せながら頷く。

「ええ、10年はとうに超している、かなりの古い傷なのですが、若い頃の無理がたったたのか、この頃、何でもないときに不意に痛み出すことがありましてな。

軍務中にはあまり痛んだことがなかったのですが。」

取り繕うように笑ったダグラスの顔は、なにか隠している感があったが、人には話なせないような作戦で怪我を負う軍人は少なくない。

エドとアルは、それ以上深くは訪ねず、ダグラスが落ち着くまで黙ってベンチに座って様子を見ていた。

ダグラスの頭の痛みは徐々に引いていき、十五分ほどで立ち上がれるようになっていた。

「貴重なお時間を申し訳ない。

ワシにとっても、こんなに痛むのは久しぶりなことで。

驚きましたわい。」

頭をさすりながら、苦虫をかみつぶしたような顔でダグラスはいった。

「また頭痛が起こった時は無理しないでいってくれ。

ダグラス中尉、頭痛の最中、とってもつらそうだったぜ。」

エドも立ち上がれたダグラスを見て安心したようだったが、その目にはわずかばかりの不安の陰りがあった。

その目の陰りを見抜いたのだろう。

ダグラスはにっと笑ってみせた。

「ありがとうございます。

さあ、マスタング大佐に報告に上がりましょう。

少し時間が開きましたから、大佐もお手透きになっているかもしれませんしな。」

そういって、ダグラスは、エドとアルの背中をぐいぐい押して、司令部の方に向かう。

その途中、ダグラスはチラッと振り向き、官舎の方を厳しい目で、一瞬睨み付けたのだが、そのことに、背中を押されているエドとアルは、まったく気がつかなかったのであった。





11話



時間を開けたからか、それともグラマン中将の計らいか、エドたちがロイのところを訪ねると、今度はすんなりと会うことができた。

三人が、調べたことを報告すると、ロイはとても驚いた。

そのような事件が起きていたことを、ロイはまったく知らなかったそうだ。

「あまり関わりがないとはいえ、そんな話、聞いたことがなかった。

わかった。

私が正式に調べてみよう。

国家生体研究所に関しての捜査は私にまかせてくれ。

国家錬金術師の問い合わせともなれば、正当な回答が期待できるからな。」

「それだったら、俺の名前も使えよ。

国家錬金術師、二人の連名の方が、効果があるかもしれない。」

エドの申し出に、ロイは軽く頷く。

「そうだな。

ではそうさせてもらおう。

この一件、西が解決できなかっただけあって、奥が深そうだな。

ただの暗殺者狩りだけではすまなさそうだ。」

ため息すらつきそうな声で、ロイは言う。

「なんか、ずいぶん元気がないな、大佐。

年か?」

エドがニヤッと笑いながらいうと、ロイは半眼でエドをにらんだ。

「まったく、確かに君のようなお子様にしてみれば、我々は大人だろうが、年を感じるほど年を食っている訳ではない。

とにかく、なにかわかったら君たちにも報告しよう。

独自に調べるのもけっこうだが、無理はしないように。

君たちは、おとりであることを忘れないようにな。」

ロイとの会話はそれで終了してしまい、三人は司令室から追い出されてしまった。

「いくら何でも、忙しいからって、追い出すことはないよな。」

エドがご立腹ぎみにいうと、ダグラスはまあまあとエドをなだめた。

「マスタング大佐も、何かわかれば教えてくださるといっておりますし。

ここは、大佐の情報力に任せませんか。

ワシらは、ワシらで、探っていきましょう。

それでいうと、虎たちはイースト近郊に潜伏している可能性が高いので、アジトの手がかりを調べてもよいのではないでしょうか。

潜伏している場所がわかれば、こっちのものですからな。」

確かに、ねぐらが押さえられればこちらがグッと有利になることは間違いない。

「虎はともかく、灰ネズミは目立ちます。

虎の必要としているものを盗ったり、買い物していることでしょう。

聞き込みは大変ですが、調べてみる価値はあるのではないかと思います。」

エドとアルは、さすが軍人と感心した。

「なるほど、ダグラス中尉のいうとおりだ。

大佐たちは生体研究所の方を調べるので手一杯だろうから、俺たちで調べてみようぜ。」

三人は、勇んでイーストシティの町並みに繰り出していった。





×××××

イーストシティから、下り方向に一駅分行ったところにある町。

その町で「便利屋」といわれていた錬金術師の家のなか、虎が血糊をしたたらせるナイフを握って立っていた。

調度品がそろった部屋の隅で、震えているのは灰ネズミ。

家の主は、虎の足下で、仰向けに倒れて血を流している。

虎は、ナイフについた血糊を指ですくい取り、倒れている男の手の甲に、真っ赤なバッテンを描いた。

虎が殺した、というマークである。

「・・・なあ、灰ネズミよう。」

虎は、背を向けたまま、震えている灰ネズミに声をかけた。

「な、ななななな、なんすか、虎の旦那・・・!」

歯の根がかみ合わない灰ネズミの声には、がちがちがちがちという歯が鳴る音も含まれている。

「おまえの両親ってー、どんな風だった?」

冷淡な声で、虎は尋ねる。

灰ネズミは、思いもよらない問いかけに、場所も恐怖も忘れて、一瞬ぽかんとしてしまった。

「はあ、両親、ですか。

どんなもんでと申しましても、母親は娼婦女でしたんで、父親ははっきりしません。

母親の言葉をそのまま信じるなら、お偉い軍人の旦那みたいですがね。

何を思ったのか、堕ろさないで産んでくれたんですが、自分が食うのがやっとの稼ぎしかなかったもので、おいらは小さい頃から、手先の器用なのを磨かなけりゃなりませんでした。

そのうち、無理が祟ったんでしょうね。

おいらが十の時に、母親はぽっくり逝っちまいましたよ。

それからは、ずぅっと独り身です。

まともな気質になろうともしたんですけどね、結局、どぶ川の灰ネズミは卒業できませんでした。

虎の旦那がいうように、どんなだったといわれたら・・・・。

化粧くさくて、男の臭いがプンプンする、安い女でしたね。

それでも、まあ、おいらにたいしては、それなりに愛情とやらもあったかもしれませんが。」

背中を向けられている灰ネズミには、話を黙って聞いている虎が何を考えてそんなことを尋ねたのかさっぱりわからなかった。

「やさし、かったか?

その、母親とかいうものは?」

灰ネズミは、虎が何を考えているのかはわからなかったが、何を感じているのかは、少しだけわかった。

しかし、悲しいかな、学のない灰ネズミは、その感情の名前を知らない。

「優しい、時もあったかもしれねえですが・・・。

いつもひっぱたかれて、怒られてましたからね。

いい思い出なんてものは、おっかねえ怒鳴り顔の思い出に埋もれて、ちっとも出てきません。

そういう、旦那のご両親はどうなんですか?

まともな気質の人間だったんですか?」

虎は肩をすくめて、ようやく灰ネズミの方を振り返った。

「さあ、わからないな。

俺はおまえ以上に、親のことを知らない。

俺が知っているのは、父親の声だけだ。

それも、二言、三言ぐらいしか記憶はない。

両親の顔なんていう高貴なもの、俺の記憶にはないんだよ。」

虎は、鋭い犬歯を見せて、ぎらりと鋭い目を猫のように銀色に光らせて、灰ネズミを見ながら、笑った。

その顔には、右の額から鼻筋を通り、左ほほに抜けている、大きな傷跡があった。

髪は硬そうな黒髪で、所々に金髪が混じっている。

人為的に染めているのではなく、遺伝的にそのような色らしい。格好をつけた色合いではない。

「俺は、わからん。

何で人を殺してはいけないのか。

何で人を食ってはいけないのか。

何で親を殺すと子供が泣き叫ぶのか。

何で子供を殺すと親が泣き叫ぶのか。

何で恋人を殺すと激怒するのか。

何で叶わないとわかりきっていながら、特攻してくるのか。

灰ネズミ、おまえ、わかるか?

人間は獲物にしてはいけないと、誰が決めたんだ?」

虎は、家の主人を殺す前に手をかけた、主人の子供の死体を、床の上から拾い上げた。

それは五歳ぐらいの女の子。

ぐったりとして、動かない。

もはや死んでいるのだから、当然なのだが。

虎は、女の子の足を持ち、逆さまにして、スカートの中からのぞいた太ももに、鋭い歯を当て、食いちぎる。

「ひいいいいいいぃぃぃぃぃぃ!」

ぞっとした灰ネズミが、真っ青になりながら、こらえきれない悲鳴を上げる。

「どうしてこんなうまいものを、食ってはいけないと人間はいうんだろうなぁー・・・」

柔らかい肉を嚥下し、虎は笑う。

疑問を口にしながら、人食い虎は笑うのだ。



12話


聞き込みをする、といっても、イーストシティは広い。

エドたちはまず、イーストシティとその近郊の地図を買い、カフェの机で大きく広げた。

その地図をのぞき込み、ダグラスに潜んでいそうな場所の目星をつけてもらうためだった。

ダグラスは、平面上に広がる巨大な地方都市を、入道のようにのぞき込んで睨めつけながら、うぬぬとうめいた。

「いくつか潜伏しそうな場所は見受けられますが、今の状況で一つに絞り込むことはできかねます。」

ダグラスの言葉に、エドもうなずく。

「そりゃそうだ。

俺たちには居場所の手がかりは今のところないんだからな。

でも、探す場所は絞られる。

闇雲に探しても、見つからないだろうから、ダグラス中尉がいるかもしれないと思うところを、調べてみようぜ。」

それならば、と、ダグラスは地図上で三カ所に印をつけた。

「ワシはイーストにはとんと詳しくないので、地図だけのイメージですが。

ここに使われなくなった工場があって、商店が歩いていけるぐらいの距離にあります。

また、ここははやらなくなった住宅地があります。住宅地をつくっただけあって、そんなに利便性がわるそうじゃありません。

こちらは、廃ビルですね。こちらも、近くに大きな商店街がある。

どこも、軍の要注意物件として、定期的に見回りが行われているらしいですが、ここのところの忙しさですっぱかしているというのを大佐から聞きました。

可能性は、どこも大きいですな。」

エドとアルも、ダグラスの説明を聞きながら、それぞれの物件を地図上でのぞき込む。

こう見ていると、どこが怪しくて、どこが怪しくないのか、よくわからなくなってくる。

「じゃあ、とにかく一番近くのところから調べてみようぜ。

で、人の出入りの痕跡があったら、誰も使ってないはずの建物なんだから怪しいってことで通報する。

それでいいよな。」

エドは、注文したチーズとベーコンのホットサンドを、ガブッと噛む。

口を離すと、とろけたチーズが、細い糸を引いてどこまでも伸びた。

食事が終わってから、三人は、ダグラスが目星をつけた一番近い場所へ向かった。

そこは、使われなくなって久しいらしい廃工場があり、イーストの市街地に近い割に雑木林で囲まれていて、人の出入りを拒絶してるようだ。

だが、その拒絶するも踏み越えた者の足あとを、ダグラスが下生えの中に発見した。

「ここに、人の足跡と、血痕が。

けがをしている人物は、かなりの大けがだと思われます。

まだ跡がついて新しいようで。

何者かがいることは確かでしょう。」

目をこらさないとわからないような獣道には、確かに血が滴っていた。

「いきなり、どんぴしゃってことか?」

エドは緊張した顔でダグラスに尋ねる。

ダグラスは、足跡を観察してから、首を否定のために振った。

「可能性は低いかと。

この足跡は、子供のものです。

虎と灰ネズミの足跡ではありません。」

ダグラスが、茂みの中から立ち上がって、膝についたゴミを叩く。

「でも、こんなに血が滴ってるってことは、なにかがあったってことですよね。

調べてみた方がいいのでは?」

アルは、この血を流した人物のことを心配していた。

「そうだな。

ほかの犯罪の可能性も高いけど、調べてみよう。」

エドがそう言ったので、ダグラスも従う。

「では、ワシが先に行きます。

お二人とも、慎重においでください。」

ダグラスは、点々と滴った血を道しるべに、獣道にかかった枝葉を払いながら進んでいく。

エドとアルはダグラスの後を、少し離れて追いかけた。

思いの外雑木林は浅く、すぐに開けた場所に出ることができた。

廃工場の周りは、昔敷かれたアスファルトが、ひび割れて無残な姿になっていた。

所々、ひびの間からたくましい雑草が伸びている。

もと何かの機材だったのだろう、錆びた大型の何かが工場の片隅で朽ち果てていた。

そして、三人が顔を出した雑木林のしげみから、廃工場にむかって血が続いている。

三人は顔を見合わせて頷くと、廃工場へ近づいていく。

近づくごとに、なにか人の話し声のような聞こえてきて、廃工場のすぐ近くまで寄ると、その声が押し殺した泣き声であることがわかった。

三人は、薄く開いた鋼鉄製の扉の隙間から、中をうかがう。

扉の隙間からは、しゃがんだ少年の背中が一人分見えた。

天窓からの明かりが薄ぼんやりと、その背中を照らしている。

その周りには、いろいろながらくたがごちゃごちゃと乱雑している。

ほかに人物らしい姿は見えない。

ダグラスが太い腕で、さび付いた扉を無理矢理押し開いた。

耳障りな音がかなり大きく鳴り響き、中にいた少年が、はっと振り向いた。

ダグラスは、人一人分ほどにまで扉を開けると、一歩中に入り込む。

エドには、ダグラスが警戒を怠らず、少年がいつ飛びかかってきてもいいように身構えているのがわかった。

非力な少年でも、ナイフを隠し持っていたら、笑い事ではすまない。

「小僧!

こんなところで何をしている!」

驚きのあまり動けない少年に向けて、ダグラスが一喝した。

入ってきた大男が軍人だとわかり、少年はびくっとする。

ダグラスに続いて、エドとアルも工場の中に入った。

中は、埃と血のにおいが充満している。

「はいってくるな!」

少年はきついつり目で、三人に向かって叫んだ。

その目は泣きはらした後のように赤く、ほほには幾筋もの涙の後がある。

着ているものは継ぎ接ぎだらけのボロで、大人用のサイズの合わないものを、たくし上げて着ていた。

ダグラスは、少年から10メートルほど離れたところで立ち止まった。

「こんなところまで、追いかけてきやがったのかよ、馬鹿野郎!

くるんなら、さっき来ればよかったのに!

遅ぇよ、馬鹿!バカバカ大馬鹿やろう!

うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

少年は、ダグラスに向かって悪態をついている途中から、顔を大きくゆがめて、大粒の涙を流して大泣きした。

少年が着ているダブダブの大人服は、血で汚れていた。

そして、少年が脱力したように座っているその足下には・・・。

「なんてこった!」

エドが青くなりながら、悪態をつく。

少年の足下には、もう少し年下の男の子が横たわっていた。


この泣いている少年の弟なのだろう。

この弟であろう男の子は、完全に事切れていた。

顔こそ無事であるものの、全身に大きな傷口があり、纏っているシャツは真っ赤に染まっている。

もっともひどかったのは、腹の傷である。

傷、というのも生ぬるく、それはすでに穴であった。

ずたずたに切り開かれたそこには、内臓がなかった。









13話


大泣きした少年は、やり場のない怒りをギラギラと目に宿らせて、傍らのナイフを両手で構えた。

「おまえらが、もっと早く来てれば、弟は殺されなかった!

おまえらがもっと早く来ていれば、弟は助かったかもしれないのに!!

おまえらなんて、大嫌いだ!

いなくなれ!ここから、すぐに!じゃなければ、俺が殺してやる、殺してやる!

弟をかえせーっ!」

パニックになっている少年は、筋が通らないようなことを、喉が潰れんばかりに叫びたてた。

「あまりのショックにパニックになっているようです。

お二人とも、お下がりを!」

もともと先頭にいたダグラスは、なお自分の体を盾にするように前に進んだ。

そのとき、少年が闇雲にナイフを振り回し、ダグラスに向かって飛びかかってきた。

めちゃくちゃに振り回されたナイフは、どこに突き出されてくるかわからない。

「ダグラス中尉!」

エドがぎょっとして、思わず叫んだ。

ダグラスは、ぐっと足を踏ん張って身構える。

迎え撃つつもりなのだろう。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

少年が叫びながらダグラスにナイフを突き立てる!

「ぐ・・・ぅ!」

少年のナイフは、ダグラスの右腕に突き刺さった。

だが、ダグラスの腕はオートメイルなのでナイフごときではびくともしない!

「ぬおおおおおお!」

ダグラスは腕を振り上げ、突き刺さったナイフを少年の手から取り上げた。

手から武器が一瞬で奪われたことに驚いた少年を、ダグラスは胸元を持ってつり上げる。

「畜生、離せ!」

「これで身動きできまいて。」

宙ぶらりんになった少年は、一生懸命にもがくが、ダグラスの指は緩まなかった。

「ダグラス中尉、大丈夫か!?」

エドがダグラスのそばに駆け寄りながら訪ねる。

ダグラスは、少年が逃げ出さないように持ち上げたまま、エドの方を見て笑う。

「ええ、万事何事もありません。

ナイフも、オートメイルの隙間に挟まっただけですしな。

それよりも、あの死んでいる少年について、この小僧に尋ねる方が重要です。」

「言うことなんかねえ!

離せ、デカ物!」

少年はダグラスの鋼の腕を殴りつけながら、いまだ抵抗を続けている。

「あそこで死んでいるのは、おまえの弟か?

それについて答えろ!」

ダグラスは、きつい口調で言う。

が、迫力があるその問いかけにも、世間の荒波にもまれた子供はひるまない。

「うるせえ!無能の唐変木!

てめえらは、弟にもうなにもできねえんだよ!」

いいながら、ボロボロと涙が流れる。

「・・・おとなしく話をしてくれれば、おまえの弟をきちんとした墓に入れてやる。

こんなところで寝なくてもいいように取りはからってやる。

おまえの今後も悪いようにはしない。

それでは、だめか?」

ダグラスの口調は変わっていなかった。

だが、その言葉には、弟を失い絶望している兄への、彼なりの優しさがかすかににじんでいた。

暴れていた少年は、はっとしておとなしくなった。

「お墓?」

ダグラスはうなずく。

「そうだ。イーストの共同墓地にはなるだろうが、きちんと墓石がある、立派な墓にいれてやろう。

どんな生い立ちかは知らないが、親はいないんだろう?

このまま野犬にくわれたり、ウジにたかられたりするよりは、よほどましだと思うがな。」

少年は、おとなしくなって、だらりと手足を下ろした。

「お墓、いれてくれるのか?

いろんな悪いことしてんだ。

それでも、入れてもらえるのか?」

ダグラスは、力強く頷く。

「ああ、もちろんだ。

ただし、きちんと話をして、協力してくれたらだがな。」

ダグラスの言葉に、少年はすこし黙って考え、一つ頷いた。

「わかった。

話す。話してやるよ。

おっさん。」

エドたちは、弟の死体の上に落ちていた大きな布をかけて、日当たりのいい外に出た。

積んであった土管に腰掛け、少年は話し出す。

明るいところで見てみれば、少年というよりはエドやアルの年代に近そうだ。

幼く見えたのは、栄養状態がよくないために発育が遅れているためであろう。

「俺の名前は、ハルト・ベックマン。弟の名前は、テル。

見ればわかると思うけど、俺たち、流れの孤児なんだ。

昔、父ちゃんと母ちゃんがなんだかでいなくなってから、テルと一緒にずっとその日暮らしの生活してた。」

エドも、適当な土管に座り、アルは立ったまま。

ダグラスは土管に座りきれないので、そこら辺から適当に木箱を持ってきて座っている。

ダグラスは、ふむ、とうなった。

「戦争孤児、か?

流れの孤児というが、もともとイーストの生まれではないのか?」

ハルトと名乗った少年は、ダグラスの問いに頷く。

「うん、俺たち、もともとはセントラルの端っこ生まれだ。

いまからもうどれくらいになるかな。10年ぐらい前になるのかな

父ちゃんたちが行方不明になって、それからずっとふらふらあっち行ったり、こっちいったりして、イーストには一年くらい前に来た。

今日の昼ぐらいの頃、俺たちは空きっ腹を抱えて裏路地を歩いていたんだ。

今日は・・・、その、食い物にありついていなかったからな、なにかないかと思った。

歩いていたら、へんぴな粗大ゴミ置き場にでちまって、引きかえそうとしたら・・・」

そこまで話したハルトは、ゾクッと体を震わせて青ざめた。

「あ、あいつらがその粗大ゴミ置き場に入ってきたんだ。

二人ずれだった。一人は貧相なおっさんで、弱々しいかんじだった。もう一人の子分ってかんじだった。

そして・・・、もう一人のほう。

おっかないやつだった。

顔に大きな傷跡があって、髪の毛は変な色で、体は細いんだけど、強そうな男だった。

そこら辺のチンピラよりよっぽどおっかない男で、見ただけでやばいやつだと思った。」

ハルトの言葉を聞いた瞬間、ダグラスの顔もサッと青ざめた。

「・・・虎だ・・・!」

エドとアルは、ダグラスが緊迫した面持ちで言ったので、はっとした。

まさか、ここで話がつながってくるとは。

「虎?

あいつ虎っていうのか。

確かに、猛獣って感じだったもんな。

とにかく、その虎ってやつがやばいやつだと俺は直感して、とにかく無視してゴミ置き場から出ようと思ったんだ。

俺たちは目を合わせないようにしながら、横を通り抜けようとした。

そしたら・・・。」

ハルトは、ごくっとつばを飲み込む。

「その、虎ってやつが、テルの肩をいきなりつかんで、そこら辺に捨ててあったものの上に押し倒したんだ。

俺と、あともう一人の貧相な男はびっくりして、そっちを見た。

そしたら、その、虎ってやつは・・・。」

ハルトはうつむいて、ぐっと拳を握って顔を隠した。

「お、弟の、テルの腹を、生きたまま、いきなり、かっさばきやがったんだ!

そのときのテルは、かわいそうだった。

なんもわからねえまんまに、腹かっさばかれて、いてえって泣き叫んだ。

俺も、もう一人のおっさんも、何もできなくて、虎ってやつがすることを見ているしかできなかった。

虎ってやつは、テルの腹にでかい穴を開けて、中から臓物を引きずり出して、お、俺たちの目の前で・・・

く、く、食いやがったんだ!

血みどろになりながら、笑いながら食ってた!

あれは何だよ、悪魔かなんかか?

俺は恐ろしくて、びくびく震えながらむさぼられるテルを見ていることしかできなかった。

そのうち、中身を食っちまった虎は、次を狙うみたいに俺を見た。

俺は、逃げたかったけど、逃げられなかった。

殺されるんだって思ったとき、隣にいた貧相なおっちゃんが飛び出して、虎にしがみついたんだ。

そんで、俺に、逃げろっていった。

虎とおっちゃんは取っ組み合いになって、俺はそのすきにテルを担ぎ上げて逃げた。

ここまで走ってきて、下ろしたときには、テルは完全に、し、し、・・・・・。」

ハルトは、こらえきれなくなって唇をかみながら、涙を流す。

もはや、体の水分がみんな抜け出てしまうのではないかというくらい、ハルトは服の袖をぬらしていた。

ダグラスは立ち上がり、ハルトの頭を優しげになでた。

「つらいことを、よく話してくれた。

虎のことは、ワシらにまかせろ。

かならず、おまえの弟の敵をとってやろう。」

「おっさん・・・ううう。」


ダグラスは、エドとアルの方を振り向く。

「しかし、困りましたな。

司令部に一報を入れなければならないですが、ここを離れる訳にも・・・。」

それならばとエドは言う。

「俺たちがここにいるから、ダグラス中尉は司令部に連絡してきてくれ。

俺たちだってそう簡単にはやられないから、大丈夫だよ。」

エドにいわれたダグラスは、少しの間逡巡したが、すぐに戻ってくると言い残して、藪の中に走っていった。

泣き止んだハルトは、エドとアルを改めて観察する。

「あのおっさんは軍人だろう?

あんたら二人は何なんだ?」

「俺は鋼の錬金術師、エドワード・エルリック。

こっちは、弟のアルフォンス。

俺たちは、虎を調査しているんだ。

遅れて、すまなかった。」

エドは、かすかな後悔を感じながら謝罪した。

エルダー邸襲撃の際に捕まえられていれば、テルという少年は殺されずにすんだのだ。

「そうか、なら、その調べるの、俺にもやらせてくれよ!

おっさんは、敵をとってくれるっていってたけど、テルの敵は、俺がとりたいんだ。」




××××



「なんで邪魔なんかしてくれたんだ?

ああん?灰ネズミよう。」

虎は、足下でのたうち回る男をガンッと踏みつけて言った。

「虎、虎の旦那ぁぁ、お許しくだせええ!お許しくだせえええええ!

おいら、おいら、子供が食い殺されるの見るの、耐えられなくなっちまったんだよぉぉぉぉぉぉぉ!

悪気はなかったんだぁぁぁぁ!」

虎は、泣き叫ぶ灰ネズミを蹴飛ばした。

「ぎゃああ!」

灰ネズミは、哀れな悲鳴を上げながらコンクリートの壁にぶち当たり、血の跡を残す。

灰ネズミの左手の親指には、小指がなかった。

その代わりに、ぼろきれが堅く結んであり、止血してある。

「次にやったら、左手の指、全部な。

解ったか!?灰ネズミが!」

灰ネズミは、ひいひいと哀れっぽく泣きながら、何度もうなずいた。

虎は、葉巻を一本懐からとりだし、腰のナイフで先を切り落としてから、似合わない高級そうなライターで火をつけ、思い切り煙を吸い込んだ。

ふう、と紫煙をはき出し、虎は灰ネズミをきつく見下す。

「貴様の生きている価値、証明してみろ。カスが。」


続く
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