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万雷の白虎

第7話

外に出た三人だったが、行く当てがなかったのでブラブラしていると、いつの間にか昨日襲撃があった音楽家のうちにたどり着いていた。

家の門のところには見張りが立ち、物々しい雰囲気が昨日から持続しているようだ。

エドは入り口の見張りの兵に銀時計を見せて中に入った。

聞けば、エルダー親子は今、東方司令部で保護しているらしく、家にはいないとのことだった。

エドたちは昨日のことを思い出しながら、なにか見落としはないかと家の中を見て回る。

「うーん、特にこれといって何もないな。

大佐たちも念入りに調べたと思うし。」

殺し屋が侵入したにしては派手な窓の壊しかただったが、もともとケチな盗みをしている灰ネズミの仕業と思えば、なんという不思議はない。

「そういえば、あの灰ネズミって、虎になにか弱みを握られてるっていってたな。

ダグラス中尉、なにか思い当たる?」

エドに訪ねられたダグラスは、難しい顔をした。

「さて、普通に考えたら秘密にきりがないほど、悪行を重ねている男ですからなあ。

どれがやつの弱みになるのやら。」

エルダーが灰ネズミに襲われていた部屋はめぼしいものがなかったので、エドたちは二階に上がり、ダグラスが見かけた楽器のある部屋を見学しに来た。

「おおすげえ、グランドピアノがあるぜ。」

二階の一番広い部屋は、一際壁が分厚くなっており、室内は大きなグランドピアノや、バイオリンが置かれ、フルート、カスタネットなど、いろいろな楽器がきちんと棚の上に並べられていた。

黒檀色のピアノは、顔が写るほど磨かれている。

「すごいな。

みんなきちんと手入れされてて、使い込んでる感じがある。

本格的な音楽家ってかんじ。」

普段、楽器など見る機会の少ないエドが、並んでいる楽器のたぐいを眺めながら言った。

「でも、特に怪しいところはないね、普通の楽器だし。

エルダーさんはどうして狙われたのかな?」

「さあなあ、本人が知らないところで恨まれてたりしたら、わかるわけないよな。

ライバル作曲家の依頼とかだったら、交友関係も調べてみないと。」

エドがいいながらダグラスの方に振り返ったとき、肩が棚に当たって、上に乗っていたものが倒れてしまった。

「おっと、まずいまずい。」

いいながら、エドは小さな額縁を起こす。

それは写真立てだった。

三人の人物が写っている。

赤ん坊のころのロミーを真ん中にして、右側に父親のビクター・エルダー。

そして左側には、一人の優しそうな女性が写っていた。

幸せを絵に描いたような写真であった。

「これ、ここの一家、だよな。

真ん中は、昨日ここまで案内してくれたロミーくんだろ?

右側は、エルダーさん。

じゃあ、左側の女の人は奥さんかな。

そういえば、エルダーさんの奥さんはどこにいるんだ?」

エドは知っていそうなダグラスに聞いてみた。

「調書では行方不明とありましたな。

ロミーくんの一歳の誕生日の翌日に失踪したらしいです。」

エドはいやそうに顔をしかめた。

「その奥さんが、依頼した犯人、っていうのは考えられないの?」

ダグラスは肩をすくめた。

「その可能性は大いにあると申し上げるほか、ありませんな。

行方不明であって、死亡ではないのですから、依頼者になることは可能です。」

「・・・ロミーくんのことを考えると、あんまりそういうことにはなってほしくないけどな。」

エドは軽くため息をつきながら、写真立ての周りを調べた。

エドが倒してしまった写真立て以外にも、いくつか写真が飾られている。

エドのそばにアルとダグラスも近づいてきた。

「なにかあった?

兄さん。」

エドが、いくつか並んだ写真を指さす。

「いくつか写真があったから、なにかヒントにならないかと思って。

依頼した犯人が写ってたら楽なのにな。」

親子三人が写った写真のほかにも、奥さんが楽器を弾いている写真と、どこかの研究所で撮られたらしい記念写真が飾られていた。

記念写真は全員が白衣を着ているため、非常に探しにくかったが、端の方にエルダーとその妻が並んで写っているのを発見した。

「あれ、この写真に写ってる研究所、見たことあるぞ。

たしか、これ、国立生体研究所だ。

オートメイルとか、医療関係の錬金術とか研究してるところ。

エルダーさんの奥さん、錬金術師だったのかな?」

エドが気になったのか写真立てを手にとって、よく眺めた。

アルとダグラスもその写真をのぞき込む。

「これは・・・。

なるほど。そういうことですか。」

その写真を見たとたん、ダグラスは何か気がついたのか、真剣な顔つきになった。

「なにか、気になるところが?」

隣で写真をのぞき込んでいたアルが、ダグラスに尋ねる。

「・・・・少し、だけ。

しかし、まだ憶測を出ませんので、お話できかねますな。」

ダグラスの顔は非常に厳しいもので、発見したことが決して少しだけのものではなさそうだったが、話せないというものを無理に聞き出す訳にもいかない。

エドとアルには何も気になるところがなかったので、ためしに写真立てから写真を外して裏をめくった。

そこには、写真をとった年月日らしい日付と、「研究開始記念、国立生体研究所前で。」という文面が、几帳面な文字で書かれていた。

ちなみに、写真が撮られた年月日は、今から約十年ほど前だ。

「研究を始めたのか。

問い合わせてみたら何を研究していたのかわかるかな?

錬金術師でもない音楽家が、生体研究所で何に関わったのかちょっと気になる。

まあ、捜査じゃなくて、個人的な興味だけど。」

アルは首を捻る。

「そうだなあ。音楽と医療の関係でも調べてたのかな?

音楽セラピーみたいなかんじで。」

「音楽セラピーか。

それとも、リハビリに音楽を使うとかな。

でも、けっこうそう言うのって需要がありそうだけど、どうして研究をやめて東に来たのかな?

音楽セラピーも、リハビリも、このごろそういうのがあるって有名になってきたけど、ちょっとまえまで考えられもしなかったし。

そういう研究が進んできて実用段階になってきたっていうなら、今が脂ののっている時期だと思うんだけど。」

エドとアルが意見を交わしている間、ダグラスは黙って二人を見つめているだけだった。

だが、話さないだけで何か思うところがあるらしく、深い目をしている。

「エルダーさんは、司令部にいるんだし、話を聞いてみてもいいかもしれないな。」

一通り見て回ったが、気になるところといえば写真の内容ぐらいだった。

仕方なく、三人は司令部に向かうことにしたのだった。



××××



とある廃屋の屋根裏部屋。

ひじょうにほこりっぽいが、この建物で唯一壊れてはいない部屋だった。

天井は斜めの屋根そのもので、部屋の端は立って歩けないほど低く狭くなっている。

その部屋の床の上、ぼろぼろのカーテンで日差しを遮って横になっているのは、細身の男。

着古された黒い革のジャケットと、黒い革のズボン。

鋲が打たれているベルトには、何本ものナイフが、ホルダーに収まってずらりと並んでいた。

薄いタオルケットを体に巻き付け、床にそのまま寝ている。

この男、昨日、エルダー邸の屋根の上にいた人物である。

虎は、眠りながらうなされていた。

何度も寝返りを打ち、苦しげに胸元を掻きむしる。

寝汗をかいて、苦しげに呻く。

夢の中で、虎は昔にいた。

「いやだ!いやだ!

助けて、痛いのはいやだ!

もう、やめてぇぇ!」

夢の中の虎は、まだ子供だった。

天井には、無影灯。

自分は仰向け。

見下げる二人分の目。

泣き叫ぼうが、暴れようとしようが、動かない体。

ゴム手袋に包まれた手が、虎に見せつけるように鋭い針のついた注射器をちらつかせる。

その注射器の中には、何も入っていない。

シリンダーの部分には、空間が入っている。

空気注射。

どんな劇薬よりも、確実に死に至らしめる、回避方法のない恐怖の殺害方法である。

「モウ、オマエハ、痛みを感じることはナイ。

ヨカッタナ。

イクラワレワレデモ、シンダモノニハ、ソレイジョウノ実験ハオコナエナイ。

バラバラにして、ホルマリンの中につけてやるコトハできるガナ。」

子供だった虎は、自分が殺されることを直感した。

いままで、物心ついてこのかた、痛みを感じることぐらいしか、五感を使用したことがない気がする。

だが、それでも、死にたくなかった。

自分というものが、なくなってしまうのがいやだった。

唯一自分に許された、自分だけのものを、手放したくなかった。

たとえ自分というものがどんなものかわからなくても。

生きていることを許されたかった。

もう、何度も何度も、繰り返したこの夢は、毎回毎回恐ろしい。

すり切れて、もはや薄れて朽ちかけた記憶であるにも関わらず、この悪夢は虎を恐怖させる。

きっとこの夢を繰り返すのは、どん底の恐怖と、絶対の希望を同時に味わったからだ。

と、夢を見ながら恐怖しつつも、冷静などこかが分析する。

虎は知っている。

この夢の中で、自分は死なないことを。

夢の中で、虎はついに利き腕の皮を犠牲にしながら、拘束具を引きちぎることに成功した。

雄叫びを上げながら、虎は注射器を持った人物を襲う。

注射器は床に落ちて割れ、人物は倒れた。

「このケンタイ風情が!」

もう一人の人物が、虎の頭をつかんで、激しく寝ていた台にたたきつけるー・・・・。

「虎の旦那!虎の旦那!

しっかりしてくださいよ!」

耳障りな声と、揺さぶられる体が、虎の意識を現実の世界に引き戻した。

「ーう!」

虎はうめいて、はっと目を開けた。

そこは眠った時と変わらない屋根裏部屋で、横には灰ネズミが心配そうな目で、いや、自分がとっさにつきだしたナイフに真っ青になって、のぞき込んでいた。

「ネズミ、か。」

虎はスッとナイフを引いた。

とたんに灰ネズミは安心したような顔になって、ため息をついた。

「まったく、いいところだったのに。」

虎は機嫌が悪そうな声で言った。

「ええ!?

えらいうなされてましたけど、いい夢だったんですか?」

灰ネズミは、訳がわからなそうな顔で虎に尋ねる。

「ふん、前半は思い出したくもない悪夢中の悪夢だ。

だけど、一番最後、ちゃんとオチがつくんだよ。」

虎は、ため息をつきながら、寝汗でしとった髪をかき上げた。

そのオチを見ることができるなら、悪夢にうめくことも甘んじられる。

虎はそう思っていた。

それほどまでに、そのオチは虎を鼓舞する記憶だったのだ。

「ったく、最悪のところまでしか見られなかったじゃねえか。」

すこぶる機嫌が悪い虎に、灰ネズミは戦々恐々する。

「も、申し訳ねえ、旦那。

だけんど、尋常じゃないような、うなされようだったもんでよう。」

虎は、おびえる灰ネズミに目もくれず、さっと立ち上がった。

背が高いので、中腰にならないと頭をぶつけてしまうのが、ここの部屋のやっかいなところだった。

「食い物は確保できたか?」

虎が灰ネズミに訪ねる。

「もももも、もちろん!

まあ、グルメな旦那の口に合うかどうかはわからないけどよう。」

二人は屋根裏部屋から降りて、こわれて土間状態の部屋に入った。

そこにはたき火のあとと、薪、灰ネズミが確保してきたものがはいった袋が置かれていた。

虎は、倒れた柱に適当に腰掛けて、食料が入った袋をゴソゴソと探す灰ネズミに手を差し出す。

「ちゃんと肉はあるんだろうな?」

「もちろんでさ」

いいながら、灰ネズミは虎にステーキ用かと思われる上等な厚切りの生肉を差し出した。

虎はそれを受け取り、においをかいでからぺろりと舐める。

「これよ、これ。」

毒が盛られていないことを確かめてから、虎は生肉にかぶりつき、鋭い歯でかみちぎる。

愛想笑いを浮かべながらおびえる灰ネズミの目の前で、虎はあっという間に生肉を平らげた。

「もうないのか?

ああ、そうか、今のは前菜で、メインはおまえ自身なんだな?

灰ネズミ。」

虎は残忍な笑みを浮かべる。

「そそそそそそそそそ、そんな滅相もない!

どうぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

灰ネズミは、袋の中から、丸のままのもの鶏と、大きなバラ肉を取り出して虎の前に差し出した。

もちろん、すべて生である。

「はっはっはっは、そんなに怖がるなよ。

食い物があれば、おまえは食べねえさ。」

虎は、鳥の体を器用に解体しながら笑う。

「食事が終わったら仕事に行くぞ。

今日は忙しくなる。」

虎は引きちぎった生の手羽先をかじりながら言った。

悪の手下も楽ではない。

灰ネズミはげんなりしたような顔で、ひからびたパンをかじりながら、元気のない返事をした。





第8話

訪ねた東方司令部は、昨日よりばたついていた。

三人はあたりを見渡しながら、司令部の廊下を進む。

「うは、忙しそうだな。」

エドが、慌てた雰囲気が漂う司令部内の廊下を歩きながら後ろの二人に言った。

「これじゃあ、エルダーさんに国立生体研究所のこと聞くの難しいかな?」

「ううむ。そうですな。

軍法会議所の視察となれば、一大事ですからな。

忙しくもなるでしょう。

話が聞けるとよいのですが。」

ダグラスとアルは大きな体が邪魔にならないように、廊下の端を歩く。

一応ロイの執務室のあたりまで来てみたものの、見かけた顔見知りたちはみんな忙しそうで、声をかけられそうな雰囲気ではなかった。

「困ったな。」

エドが、部屋の中をのぞきながらため息をついた。

「何を困ってるんだい?

鋼くんたち。」

いきなり、思いもよらない声が背後からしたので、エドたち三人は慌てて振り向いた。

「じっちゃん!」

エドはその人物を見て、ぱっと顔を明るくする。

三人の後ろでにこやかに立っていたのは、グラマン中将であった。

人のよい好々爺のように見えるが、その実、彼は東方司令部総括官であり、東方で一番偉い人物だった。

「こ、これはグラマン将軍!」

ダグラスは慌ててグラマンに敬礼したが、エドのほうは気軽にグラマンに近づく。

「ごめんね、今、マスタングくん、忙しいみたいだね。

何か用があったのかい?」

「うん、ちょっと国立生体研究所について、昨日から保護されてるエルダーに聞きたいことがあって。

訪ねてきたんだけど、今は難しいよな。」

エドがいうと、グラマンは、ほっほと笑った。

「それぐらい、僕が許可してあげるよ。

君が動いてくれてるのは、僕のところにも報告が来てるしね。

実は忙しいのは部下の方であって、僕はそんなに忙しくないんだよ。

一緒に行って、警護してる兵士を激励してやろうかね。」

グラマンはにこやかに言い、三人をエルダー親子が保護されている部屋に連れて行ってもらった。

親子が保護されている部屋は、士官用の官舎の一室で、可もなく不可もなく。

どちらか評価をつけなければならないなら、どっちかというと不可寄り、そんな部屋に匿われていた。

左右に衛兵が守っている部屋のドアを、二回ノックをしてから名乗ると、少し疲れた表情のエルダー氏が迎え入れてくれた。

「これは、グラマン将軍、それに、昨日助けてくださった、軍人さんと、ええと、国家錬金術師さん。

昨日はお世話になりました。

ありがとうございました。」

エルダーは、訪ねてきたのがエドたちだとわかると、すぐに深々と頭を下げた。

エドたちは進められた席につくなり、すぐに本題を切り出す。

「家の様子見てきましたが、あれからは特に何もなさそうでした。

家の中を探索させていただいたのですが、二階の楽器がたくさん並べてあった部屋で写真を発見しまして・・・。」

ダグラスが、ここまでの経緯をエルダーに説明する。

「楽器の部屋、私の仕事部屋ですね。

あそこに飾っている写真というと、家族写真と妻の写真ですね。

写真写りが悪いからと言って、なかなか写真を撮らせてくれなかったので、妻が写っている写真は、あの二枚しかないんです。

その写真が、なにか?」

きょとんとした顔でエルダーが首をかしげた。

「その奥さんが写っている写真で、国立生体研究所の記念写真があるだろ?

今から十年ぐらい前の写真。」

エルダーは素直にうなずく。

「ええ。

妻と初めて知り合ったころの写真ですね。・・・。」

エルダーの顔に、かすかに影が差した。

「やっぱり、あそこは国立生体研究所なのか。

どうして錬金術師や研究者じゃない貴方が、国立生体研究所に?」

「ああ、それでしたら、何のことはないんですよ。

音楽を聴くと、集中力が増したり、リラックスできるのはご存じだと思いますが、どんな音楽なら効果が増すのか、また、人間以外にも効果はあるのか、人間よりも聴覚が優れている動物たちにどのような効果があるのか、などなど、そのために使う音楽を作曲するために参加していたのです。

一度どこかで少しでも聞いたことのある曲だと、実験結果が変わってしまうかもしれないので、初めて聞く曲を使うために、いくつもの曲を作曲させてもらいました。

一度にたくさんの曲を作ったので、大変勉強にもなりましたよ。

私が研究所に出入りしていたのは一年くらいでしょうか。

その間に、研究所の職員だった妻と知り合って、ちょうど作曲が終わった頃に結婚しました。」

エドは納得したように頷く。

「なるほど、おもしろそうな研究だなぁ。

今度、その論文探してみようかな。」

エドが興味をそそられたように言う。

エルダーは、そこで口を閉じていうかいうまいか思案しているような態度をとる。

ちらっと隣でつまらなそうにしているロミーを見たので、グラマンがさっと立ち上がった。

「ロミーくん、ちょっとおじいちゃんとお散歩に行こうか。」

大人の話に飽きていたロミーは、すぐにグラマンの提案に飛びついた。

「うん!行く!

パパ、お出かけしてくるね。」

ロミーがグラマンと一緒に手をつないで出て行くと、エドはにっと笑った。

「これで、気にとがめなく話せるな?」

エルダーは、グラマンがあっという間にロミーを連れ去っていったのを、びっくりした顔で見送っていたが、エドの言葉ではっとしたようだ。

「そう、ですね。」

どうも、歯切れが悪い。

「何か、気になることが?

気がついたことや、気になることがあるのなら、言っていただきたい。

何が事件を解決に導くのかわかりませんからな。」

ダグラスが言うと、体が大きいだけに励まされるような気になる。

エルダーは少し考えたのち、意を決したように切り出した。

「妻の、失踪の、ことに関してなのですが。」
「!」

三人はまさかその話が聞かずにいるうちに出てくるとは思わなかったので、少なからず驚いた。

「軍の・・・・、中の方には、その・・・、申しにくい話なのですが。」

いいにくそうなエルダーに、エドは肩をすくめて見せた。

「俺は軍属だし、アルは一般人だし。

東方司令部の正式な軍人じゃないから、通報しなくちゃいけない内容だかどうだかなんて、俺にはわからないなあ。」

「ワシはもともと、西に所属している軍人ですからな。

東で話された言葉の通報など、ワシには到底手が届かぬところです。」

詭弁だが、エルダーには三人の真意が届いたようだった。

「彼女が失踪したのは、今から七年前。

ロミーが一歳の誕生日を迎えた、次の日でした。

その日から、彼女の行方は知れません・・・。」

だんだんと表情を暗くしながら、エルダーは語る。

「公式な発表も、いまだ行方知らずのままです。

ロミーにも、そういってあります。

しかし!」

エルダーは、いきなりドンッと机を拳で叩いた。

「・・・・・私は、彼女は、もう帰ってこない。

彼女はもう、この世には、いないでしょう。

私はそう思っている!いや、確信を持っているんだ!

なぜ、なぜ公表しない!

死んだなら、死んだと!

なぜ公表しないんですか!」

今にも泣きそうな声と瞳で、エルダーは三人に向かって怒鳴った。

急に態度を荒げたエルダーが、エドに危害を加えないように、ダグラスがその肩を押さえる。

その感触にはっとしたエルダーは、慌てて座り直した。

「すみません、つい、気分があらぶってしまって。

失礼しました。

今まで胸の内に閉まっていた気持ちだったので、セーブができませんでした。」

ダグラスも、エルダーが落ち着いたのを確認すると、すぐに手を離した。

「ご心中、お察しいたします。」

「でも、どうしてお亡くなりになっていると思うのですか?

なぜ、確信を持つまでに?」

エルダーは居住まいを正すと、エドの方を向いた。

「記録はなぜか残っていないのですが、あの日、国立生体研究所で何かしらの異常があった。

私はそう思っているのです。

ご存じかわかりませんが、国立生体研究所は郊外の施設でしたので、研究員はみんな近くの寮にすんでいました。

我が家の場合は、私の仕事が音を出すものですので、寮ではなく、一軒家を借りていましたが。

すんでいるのは、研究員同士の夫婦や、つとめている研究員ばかりでしたから、昼間はほとんど人がいませんでしたね。

私はあの日、一歳になるエルダーをつれて、散歩に出ていました。

見晴らしのいい公園の丘で一息ついている時、にわかに研究所の建物の方が騒がしくなるのを見かけました。

私は火事でもあったのかと思いました。

研究所ですから危険な薬品がたくさんあるのは知っていましたし、私はすぐに妻の身を案じました。

見ていますと、何枚か窓ガラスが割れるのが見え、悲鳴が途切れることがないように聞こえました。

ただ事ではない、と思いましたが、どうすることもできません。

呆然とみておりますと、研究所はいつの間にか静かになっており、中から何者かがフラフラと出てくるのが見えました。

遠目でしたから、それが誰だったのか、いまだに私にはわかりません。

その人物は、敷地の外に伸びる道の途中で倒れてしまいました。

私は、その人物が倒れたところを見てはっとし、ロミーをつれて一目散に家に帰り、すぐに軍に通報しました。

それからは恐ろしくなって、一歩も家の外には出る気にはなれず、薄情なことに彼女を探しに行く気にもなりませんでした。

しばらくしてやってきた軍が、周りに緊急配備されました。

それからは、外出禁止が申し渡され、一週間ほど缶詰状態でしたが、待てど暮らせど、彼女は帰ってきませんでした・・・。

その間、軍による捜索が続いていたらしいのですが、一週間後、外出禁止が解除されるのと同時に、彼女は行方不明になったといわれ、住んでいた一軒家から即刻立ち去るようにと申し渡されました。

それで私はロミーをつれて、イーストシティに越してきた次第なのです。」

話を聞いている最中、エドはダグラスが始終険しい顔をしていることに気がついた。

先ほど、思いついた気になることと、何か関係があるのだろうか。

「事件には関係ないことでしょうに、話を聞いてくださってありがとうございます。

いまとなっては、調べようがないんですけどね。

研究を再開した国立生体研究所にも問い合わせたり、訪ねてみたりもしたのですが、すげなく断られてしまいましたし。

今では、私も見たことは夢だと思って、彼女の帰りを待ち望んでいるような始末ですから。」

長く話して疲れたのだろう、エルダーはぐったりと椅子にもたれた。

「つらいことを思い出させて申し訳なかった。

しかし、この話が決して無駄ではないと、ワシは思います。」

仁王の形相でダグラスは言い、エドを見た。

「どうやら、エルダー氏はお疲れのご様子。

これ以上のことは、日を改めたほうがよろしいのでは。」

エドはその提案を受け入れた。

「そうだな。

エルダーさん、ありがとうございました。」

エドたちが、部屋を出ようとしたとき、エルダーが三人を引き留めた。

「もし、また我が家に寄るようなことがあれば、どうか楽器を一つ、おもちいただけないでしょうか。」

エドは軽く了承した。

「ああ、わかった。

届けるよ。」

エドが快く了承してくれたので、エルダーはほっとした顔で微笑む。

三人は、憔悴したエルダーを残して部屋を出る。

そこに、ちょうど帰ってきたグラマンとロミーに行き会った。

「おや、お話は終わったのかい?」

「うん、ありがとうじっちゃん。」

「ほっほっほ、僕もロミーくんと思い切り遊べて楽しかったよ。

また何かあったら相談しにおいで。

僕でよければ力を貸すからね。」

グラマンはそう言うと、ロミーをつれてエルダーの部屋に入っていった。

その背中が扉の向こうに消えてから、エドはダグラスに尋ねた。

「ダグラス中尉は思い当たるところがあるんだろう?

俺たちに教えてくれる気にはなったか?」

ダグラスはエドにいわれ、険しい顔でうなずいた。

「さすがですな。

ですが、このような場所で話す話ではございません。

どこか場所を移しませんか。」

ダグラスに言われ、エドはどこがいいかと考えたが、今日は司令部内で落ち着けるところはないだろうという考えに至る。

「ずいぶん歩いたし、いったんホテルに戻らないか?

そこでなら、落ち着いて話ができるだろ。」

エドは、いいながら一歩踏み出す。

だが、その一歩が暗い闇の中に続いていないとは、決してエドにはいえなかった。


続く
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