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万雷の白虎

第1話
 
東方司令部司令官、ロイ・マスタングの執務室の室内には、二人の人物がいた。

一人は、この司令室を使っているロイ・マスタング大佐。

そしてもう一人、机を挟んでロイの前に立っているのは、鋼の錬金術師、エドワード・エルリックであった。

「虎、ねえ。

動物園にいる猛獣しかしらねえな。」

エドはロイにいわれたことの感想を率直に述べた。

つい先ほど、ロイはエドにこう訪ねたのだ。

「虎を知っているか?」と。

エドの言葉を聞いたロイは、思った通りだという顔になる。

「まあ、君らしい答えだ。

私が言っているのは動物園にいる猛獣ではない。

殺し屋の通り名だよ。

君が知らなくても無理はないんだが、一応西部と軍部内の司令官位の人間には有名な名前なんでね。

知っていれば話が早いかと思って尋ねたのだが。」

エドは肩をすくめて見せた。

「あいにく、西の方にはまだ行ったことがないんだ。

西で有名な話をされてもわかんねーな。

でも、その虎って殺し屋の話をなんで俺にするんだよ。

いやな予感しかしないんだけど?」

エドは顔をしかめた。

「まあな。

君のいやな予感が当たらないように祈ってるよ。」

いけしゃあしゃあと宣うロイを、エドは蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、その後嫌みを聞かされるのは予想がついたのでギリギリで踏みとどまった。

「君に虎の話をした理由は二つ。

その虎というのは、錬金術師を専門に狙う殺し屋でな。

金さえ積めば、どんな錬金術師の殺しの依頼も引き受けるプロだ。

その殺し屋が、最近西から東に流れてきたという情報がはいってな。

君も各地で暴れているおかげで、今や名の通った国家錬金術師の一人だ。

警戒を怠らないように。

という、警戒を促すということが一つ。

もう一つは、君にその虎に関する調査を頼みたい。」

エドは半眼になりながらロイを睨んだ。

「どうせ命令なんだろうから断れないんだろうけど、言わせてもらう。ヤダ。」

ロイはあきれるのを通り越して感心したような顔になった。

「自分の意見を持つことはいいことだ。

だが、君に拒否権はない。」

「だよな。

でも、なんでそんな大物の調査を、俺なんかに頼む?

大佐のところには、大佐には不釣り合いな優秀な部下がいるじゃないか。」

エドの言葉にロイはかすかに目をつり上げたが、とりあえず何も言わなかった。

「それが、ほかにも何軒か大きい事件が重なっているこの超多忙な時期に、軍法会議所の査定まで入ってしまってな。

ヒューズのところの一番偉いお歴々がいらっしゃるんだよ。

痛くもない腹を探られるのは気持ちが悪いが、この査定ばかりは避けられん。

部下たちは査定や警備などの関係で出払ってしまうし、私もこれ以上捜査しているものを増やせる余裕はない。

しかし、犯罪者は待ってはくれないからな。

とりあえず、深いところまで調べろとはいわん。

少しでも情報を集めておいてくれれば、査定が済み次第、どうにかこちらで対処する。

長く付き合えとは決していわないから、安心してくれたまえ。」

エドは渋い顔をしたが、もともと軍属であるエドに拒否権はない。

「わかった。だけど、俺はその虎とやらに関しては、大佐以下の情報しか知らないんだぞ。

調べるにも勝手がわからない。

どうしろってんだ?」

エドがそう訪ねるのを見越していたのだろう。

ロイはエドの問いがもっともだという顔をした。

「もちろん、調査をしてくれる君をないがしろにはしない。

ダグラス中尉、中に入ってきてくれないか。」

ロイが事務室の方に声をかけると、すぐに返事が返ってきた。

エドが、初めて聞く声である。

エドが声がした扉の方を振り向いた時、ちょうどその人物がぬっと現れた。

「お呼びですか、マスタング大佐。」

執務室と事務室を結ぶ扉から姿を現したのは、シグやアームストロングと比べても引けをとらないような大男であった。

立派な筋肉は、まるで軍服の下に鎧を着ているかのようだ。

特に肩から腕にかけての盛り上がりは、激しい嵐にもびくともしない巨木の枝のように立派だった。

いかめしい顔には、芯の硬そうな眉毛と髭が生えており、髪の毛も同じ質なのでまるで動物の鬣(たてがみ)のである。

また、その声は、遠くから響いて体の芯を揺らす雷のとどろきのような低いバスであった。

たぶん、この人物が黙って立っているだけで、子供が泣きだすに違いない。

エドは何人も大男といわれるような人物を知っているが、その中でもトップクラスの厳つさである。

「鋼の。

彼はデイラー・ダグラス中尉だ。

西方司令部の虎関係の事件を専門に担当している軍人で、今回虎がこちらに来たということで力を借りることになった。

君には、このダグラス中尉を護衛につける。

ダグラス中尉、この小さいのが鋼の錬金術師。

破天荒なお子様だが、錬金術の腕は確かだ。

君たち二人で虎を追ってほしい。」

「ごらぁぁぁぁ!誰が行動の予想がつかない豆粒どちびか!」

エドは禁句をさらりと言い放ったロイに飛びかかろうとしたが、その前に一歩進み出てきたダグラスの巨躯を見上げたせいで、勢いをそがれてしまった。

ダグラスはえらの張った顎を引き、剛胆さがうかがえる口元をぎゅっと引き締めている。

世の中の悪行ばかり見てきたような厳しさのある目で見下ろされれば、百戦錬磨の悪人も身がすくむことだろう。

そんな厳しい表情で見下ろされたので、エドは思わず、見上げたダグラスに向かって身構えてしまった。

だが、ダグラスの表情はものの一瞬ですぐに崩れ、上官の前でもあるにもかかわらず、大きな声で快活に笑った。

迫力があることには変わりはなかったが、今にも胸ぐらを捕まれそうなおっかない顔に比べれば、よっぽど親しみがわく笑顔である。

いきなり笑い出したダグラスを前にして、エドとロイはリアクションに困ってぽかんとしてしまった。

ダグラスは気が済んだのか、大笑いするのをやめ、エドに向かい満面の笑みをたたえてお辞儀した。

「大変失礼いたしました、鋼の錬金術師。

ご紹介に与りましたとおり、ワシの名前はデイラー・ダグラス中尉と申します。

西方司令部から虎を追って遠く東方司令部まで参ったしだいです。

そうぞ、これからよしなに。」

ダグラスはなかなかどうして笑顔になると、優しそうで頼もしい大男だった。

エドは警戒を解き、ダグラスに向かって笑いかけた。

「俺はエドワード・エルリック。

これからしばらく一緒に行動することになるみたいだから、よろしく頼むよ。」

エドはそう言って手袋をしたままだったが、ダグラスに向かって握手を求めた。

だが、ダグラスはエドに握手を返さなかった。そのかわりに、

「いや、鋼の錬金術師、握手はお互いのためになりますまい。

整備士に怒られる。」

といいながら、大きな拳をエドに差し出した。

エドはその差し出された、巨躯に似合う大きな拳を見てあっと声を上げた。

その拳は鈍色に輝いていた。

オートメイルなのである。

実のところオートメイル同士の握手というのは非常に難しい。

お互いに硬度の高い鋼であるため、傷つけ合わずに握手を交わすことはほとんど不可能なのだ。

エドは自分も拳を作ると、ダグラスの拳を優しく叩いた。

「しかし、なんでまた鋼のを見てそんなに爆笑したのかね?ダグラス中尉。」

一連のやりとりを腑に落ちない顔で見ていたロイがダグラスに尋ねた。

ダグラスは居住まいを正してから、ロイに答える。

「鋼の錬金術師の噂は、よろしい物も、芳しくないものも、遠く西方司令部にまで聞こえて参りましてな。

数々の武勇伝から、どのような怪物であるかと、根も葉もない憶測が飛び交っておるのですよ。

かくいうワシも、鋼の錬金術師当人にお会いするまで、噂されていた恐ろしげな姿をイメージしておりましたもので、

お恥ずかしながら、勝手に肩すかしを食らった状態でして、ついつい吹き出してしもうたという訳です。


国家錬金術師である時点で、きちんとした人間であることはわかっていたのに、ワシはいったい何を考えていたのだと。

申し訳ない限りです。」

ダグラスが苦笑いをしながら言った言葉を聞き、ロイは腕を組んでため息をついた。

「確かに、鋼のの噂はとんでもないものが多いからな。

尾ひれがついて、化け物じみた姿を噂されていてもおかしくあるまい。」

「ちょっと待て!聞き捨てられないぞ!

とんでもない噂って、軍の中にどんな噂が飛びかってんだよ!」

ダグラスはちょっといいにくそうに、だがちょっと楽しげに指折り数えだした。

「そうですなぁ。

その手足は鋼鉄でできていて、テロ組織さえ一撃で跡形もなく吹き飛ばすとか、大総統府が秘密裏に作り上げた新兵器だとか、

リモコン操作で動くとか、置いておくと一時間で建物が崩壊するとか、通り過ぎた町では一つ残らず屋根が吹き飛ぶとか。

乗っけた列車が脱線するとか、畑を耕すのに便利とか、功績ホイホイとか、出かけた先で必ず事件が起きるとか。

このような感じの噂ですな。」

「俺、人間!

新鮮百パーセント無添加の原寸大人間!たしかに片足片腕オートメイルだけど、普通のオートメイルだし!

なんだよその、化け物通り越した大災害は!」

エドが納得いかないように地団駄を踏んだ。

「たしかにすさまじいな。

そんな噂では、人間だと思うまい。」

ロイも想像した以上の噂だったらしく、あきれたように言った。

「たしかに国家錬金術師になって、人間兵器として働くことは承諾したけどさ。

針の筵(むしろ)に座ることもいとわないと思ったけどさ。

なんかちょっと違くない!?ひどくない!?」

だが、叫ぶエドを見て、ロイはあきれた顔でいう。

「だが、出かけた先で必ず一度は騒ぎを起こすのは本当だろう。

毎度毎度、建造物を壊してくれたり、ライフラインを寸断したり。

始末書を何度書かせても懲りないんだから。」

「俺はやりたくてやってんじゃない!

おそってくる悪人がいるのが悪いんだ!

自己防衛だ!正当防衛だ!」

「君の場合、過剰防衛も多少入ると思うがね。

さて、ここで掛け合い漫才をしていても、楽しいが時間ばかりが流れてしまうからな。

二人とも、調査に向かってくれ。

アルフォンス君の参加は鋼のに任せる。

もし巻き込みたくないというのであれば、司令部に連れてきたまえ。

調査の間、こちらで保護しよう。」

エドは、まだ不機嫌さは抜けていなかったが、それでも口論はやめた。

「アルが参加するかどうかは、アルと相談して決める。

とりあえず、ダグラス中尉にアルを紹介することにするよ。」

「それがよかろう」

ロイが頷いたので、エドはダグラスを連れ立って司令部を出ていったのだった。




第2話

アルとの待ち合わせによく使う公園にいくと、アルは公園のベンチでひなたぼっこしながら本を読んでいた。

「アル、お待たせ。」

エドが声をかけるとアルはすぐに顔を上げる。

「兄さん、お帰り。

ええと、そちらの人はどなた?」

エドの後ろに立っている巨大なダグラスを見て、アルは首をかしげた。

エドはダグラスを親指で指さしながら、紹介した。

「このでかい人は、ダグラス中尉。

大佐に軍の仕事命令されてきた。

その関係の護衛兼、相方みたいなかんじ。

危ない人間の調査なんだけど、アルはどうする?

いやなら東方司令部で保護してくれるってさ。」

アルは本をパタンと閉じて立ち上がった。

「兄さん、目を離すとすぐに怪我したり無謀なことしたりするんだもん。

僕としては兄さんだけにしたくないかな。」

アルの言い方に、エドは苦虫をかみつぶしたような顔をする。

「なるほど、フル装備ですか。

なかなか大変ですな。」

ダグラスはアルを見て、勝手にオートメイルのフル装備だと勘違いしたらしい。

自己紹介をし、やはり握手ではなく拳を軽く打ち合わせて挨拶した。

三人は、近くのカフェに入り、奥まったテーブルに席を確保する。

適当に注文してから、切り出したのはエドだった。

「ダグラス中尉。

虎の詳しいことを説明してほしい。

俺もアルも、西の情報はあんまり詳しくないんだ。」

エドの申し出にダグラスは頷く。

「そうでしょう。

かくいうワシも東方には詳しくありませんのでな。

虎、というのは、錬金術師ばかりを狙う殺し屋の通り名です。

金を積めば、どんな高名で実力のある錬金術師も仕留めるという、殺しのプロ。

名前が通り始めた六年ほど前から、わかっているだけでもう30人はやられております。

そのうち1人は国家錬金術師で、ほかは一般の術師ですな。

ですが、裏組織の仕事が多いので、犠牲者はこの3倍とも言われております。」

エドはダグラスの説明を聞きながら、早くも仕事がいやになってきてしまった。

「そんなやつの情報を探れなんて、大佐も無茶言うよな。」

「裏の仕事が多いってことは、結構裏組織にいる錬金術師って多いんだね。

そういう術師には、なりたくないなぁ。」

ダグラスはアルの言葉に頷く。

「ぜひそうしていただきたいですな。

ヤクザものの抗争では、錬金術師がいるといないのでは戦力に大きな差がでるのです。

相手の戦力を削ぐために、虎に依頼するものが多いのですよ。

薬を生成したり、銃の改造を行ったり、商売のためのモノを作るするのに、錬金術師は不可欠ですからな。」

エドは納得したようにうなずいた。

「でも、なんで虎は東方に流れてきたんだろうな。

大物の依頼でも入ったのかな。」

「そうかもしれませぬ。

または、ターゲットの移動に合わせたのかも。

西での捜査が厳しくなり、それを逃れたというのも考えられましょう。

すべてのおいて、憶測の域を出ませんが。」

アルは心配そうに二人に尋ねる。

「そんな裏で暗躍している人なんか、どうやって見つける気なの兄さん?

何が目的なのかも、そもそも、東のどこにいるのかさえわからないのに。

どう考えても無謀にしか思えないんだけど。」

うっと言葉に詰まるエドの代わりに、ダグラスが答える。

「確かに困難ですが、決して手がかりがないわけではないのです。

虎が東に来た以上、何か目的があるのは確かです。

そしてそれは、依頼と深く関係しているのには間違いあるまいと思います。

西でやっていた方法を申し上げます。

殺し屋を傭うとなると、当然かなりの金額がかかります。

銀行や質屋に協力を要請し、殺し屋がだいたいふっかる金額を動かした人物を洗うのです。

裏がとれればよし。とれなければ何かやましいところがあるに違いありません。

それで調査を進めていくのです。

ほかの事件の可能性もありますが、この方法で5件ほど被害を防ぐことができました。]

エドは腕を組む。

「ううん地道だな。

しかも、それは人海戦術じゃないとできないな。

俺たち、今のところ三人しか手がないし。」

ダグラスもそればかりはと、困り顔だ。

「あとは後手に回ってしまうので、未然に防ぐというのは難しいのです。」

ダグラスは、かわいいウエイトレスが運んできたコーヒーをすすりながら言った。

エドの前には、ココアが置かれる。

「ううん。

とりあえず、一度司令部に戻ってアルが参加することになったってことを伝えて、虎が仕事をしていないかどうか聞いてみるか。

錬金術師が殺された事件なら、虎の可能性があるだろ?」

エドも、運ばれてきたココアを口に運んだ。

「虎は、自分が仕留めたことを証明するために、マークを残します。

そのマークがある死体があれば、虎の犯行によるものとすぐにわかるのですが。」

ダグラスが言い、初耳だったエドとアルはきょとんとした。

「マーク?初耳だな。どんな?」

ダグラスは、エドたちが知らないことを失念していたのだろう、しまったという顔になった。

「申しわけございません。

どうも西におる気持ちが抜けませんで、ご存じだと思って話を進めてしまう。

虎に襲われた被害者の手の甲には、被害者の血でバッテンが書かれておるのですよ。

手がオートメイルだったり、なかったした場合は、額にかかれとります。

それで虎が仕留めた獲物だとわかるのです。」

「じゃあ、東方司令部にそういう事件がなかったかどうか聞きに行ってみよう。

もしかしたら、ファルマン准尉が知ってるかもしれない。」


第3話



代金を払って三人が外に出たとたん、大きな声が公園の向こうから聞こえてきた。

「なんだ?」

エドが音源を確かめようとあたりを見渡す。

「何でしょうか。

この公園の向こうから聞こえるようですが。」

ダグラスも、声がする方を見渡す。

「公園の向こうには、憲兵さんがいる小さな交番があるけど。」

三人はどうせ急いでいないので少し覗いてからいくことにした。

公園を突っ切って交番の方に近づくと、交番の小さな建物の戸口がめいいっぱい開いていて、中のカウンターのところで男の子ががんばっているのが見えた。

受け答えしている交番勤務の若い憲兵は、完全に困った顔である。

「そんなたいそうな嘘をついて、大人を困らせちゃいけないぞ坊主。

公園で遊んでこい。」

サスペンダーでつった半ズボンをはいた、茶髪の男の子は、一生懸命受け付けの上に顔が出るよう、つま先立ちをしている。

「嘘じゃない!

パパが、襲われてるんだよう!

憲兵さんはみんなを守るのがお仕事なんでしょ!?

パパを守ってよ!」

若い憲兵はしびれを切らしたように、身を乗り出して男の子を怒鳴った。

「大人をおちょくるのもいい加減にしろよ、小僧!

俺は暇じゃないんだ、とっとと出て行け!」

怒鳴られた男の子は身をすくませて、目に涙をためた。

「いったい何の騒ぎだ?」

エドがすっと交番の戸口をくぐった。

「何の用だ!?」

機嫌の悪そうな声で、若い憲兵がエドに言った。

エドは何も答えずに、ズボンのポケットから銀時計を取り出して憲兵に見せた。

軍の内部の人間なら誰でも知っている、国家錬金術師の身分証明である。

憲兵はぎょっとした顔になる。

また、エドの後ろには、屈強そうな軍人と大柄な鎧がひかえており、憲兵は完璧に迫力負けした。

驚きすぎてすくんでいる憲兵はほっておいて、エドは受付の下で涙を袖でぐしぐしと拭いている男の子の方に向き直り、しゃがんで目線を合わせた。

「大丈夫か?

パパが襲われてるって、どういうことなんだ?」

男の子は、エドの後ろの厳つい二人に驚いたが、ここの場所で初めて現れた話を聞いてくれそうな人物だったので、ひゃっくりをあげながらも懸命に答えた。

「パパを助けて、お兄ちゃん!

パパが、やっつけられちゃう!」

その男の子が、本当は何を伝えたいのかわからなかったが、とにかく男の子の様子から一刻を争うと感じたエドは、すぐに立ち上がった。

「わかった、パパは今どこにいる?

パパの所に案内してくれ!」

エドとアルとダグラスの三人は交番から飛び出し、男の子の案内で住宅街の道を走った。

ダグラスにだっこされた男の子は、指を指して道を教えてくれた。

走るエドの胸には、言いしれぬ不安がよぎっていた。




第四話


「あそこ!まっすぐ!赤い屋根のおうち!」

ダグラスの腕の中で、男の子が道の先の住宅を指さした。

住宅街の中でも古株のお宅らしく、広めの敷地の中には木々がそこだけこんもりと茂っていて、煉瓦造りの壁には蔓草が絡まっている。

門扉を破る勢いで飛び込み、周りを確認した。

見れば、ほかの住宅から見えにくい陰になっている窓が破られている。

「押し入り強盗か?

アル、男の子を頼む。

俺とダグラス中尉で中を確認してくる。」

「わかった!」

アルに男の子を預けて、エドとダグラスは慎重に中をうかがう。

すると、奥の部屋から争うような音が聞こえてきた。

「奥の部屋か!」

エドとダグラスは、廊下をまっすぐに進み、急いで閉まっているドアを開けた。

そこは書斎のようで、たくさんの本で埋まった大きな本棚が並んでいる。

真ん中の開いたスペースで、大の男二人がもみ合っていた。

一人はここの家に住人で、さっきの男の子の父であるらしい、丸めがねをかけた茶髪の男性。

もう一人は、顔を覆面で隠した男で、黒い皮のジャケットを着ている。

二人の男の間では、鋭利なナイフが危なっかしく刃先を揺らしており、どちらに刺さってもおかしくない状態だった。

「貴様!何をしているか!」

エドを押しのけてダグラスが覆面の男に殴りかかった。

もみ合っていたため反応が遅れた覆面の男は、顔を上げた瞬間、横っ面をダグラスのオートメイルの拳でぶん殴られていた。

「ごああ!?」

悲鳴を上げながら、覆面の男は本棚にたたきつけられ、ずるっと崩れる。

エドは息を切らせたまま倒れている家人の男を助け起こした。

「大丈夫か!?」

ぜいはあと胸を上下させながら、男はずれた眼鏡を直してエドを見上げた。

「た、助かったのか!?」

まだ気が動転しているのか、男の体は小刻みに震えていた。

「助けに来た。

もう大丈夫だ。」

エドは力強くいう。

一瞬気を失ったらしい覆面男だったが、頭を振って立ち上がると、足取りがおぼつかないまま、目の前で仁王立ちになっているダグラスにナイフで襲いかかった。

ダグラスは左手のオートメイルでナイフの一撃を受け止め、続いて踏み込みとともに右のオートメイルの拳を覆面男の鳩尾にねじ込んだ。

「おげぇっ!」

覆面男は蛙がつぶれたような悲鳴を上げて、床に崩れ落ちた。

「召し捕ったり!」

ダグラスは覆面の男を後ろ手にして、手早く軍服のモールで縛りあげる。

「これでもう安心です。

運がよかったな、貴殿。

ワシらが来なければどうなっていたことか。」

熊のような巨躯のダグラスが笑ったので 、まだ落ち着いていない男性は怖がってしまったが、ひとまず一段落したのはたしかだった。

ダグラスがほかに襲撃者がいないか家の中を一応見回り、安全を確かめてから、外で待っていたアルたちに声をかけにいった。

「パパぁ!」

「おお!ロミー、無事だったか!」

父親の無事を確認したとたん、アルの腕をすり抜けた男の子は、腕を広げた父親に抱きついた。

「その子が交番で助けを求めてくれたから、俺たちが助けにこれたんだ。

息子さんが命の恩人だな。」

エドがいうと、父親は息子に礼を言いながら、強く抱きしめた。

助けた三人は、お礼を言われるよりも、その姿そのものの方がうれしいかった。

「さて、親子の方は無事で何よりでしたが、問題はこいつですな。」

ダグラスは、縛られたまま気を失っている覆面の男を見下げた。

ダグラスが男の顔を隠している覆面を、力任せにはぎ取る。

覆面の下から現れたのは、ダグラスに殴られて頬が痛々しいまでに腫れ上がっていたが、それを差し引いたとしても、なんとも締まらない顔つきの小男だった。

エドとアルは貧相な男だとしか思わなかったが、その男の顔を見たダグラスは眉をしかめた。

「ダグラス中尉、知ってるやつか?」

ダグラスの表情が変わったのに気がついたエドが、ダグラスをのぞき込んだ。

ダグラスは頷き、親指で小男を指さした。

「ええ、知り合いとはあまりいいたくないような種類の人間ですがね。

こいつは、ウェストシティでうろついている小悪党野郎です。

たしか名前は、ボギー・アッシュ。

ワシらにはよく、灰ネズミなんて呼ばれてますがね。

ケチな盗みやら、スリやら、食い逃げやらでちょくちょくしょっ引かれている野郎ですよ。

ムショに入れられても、罪状が軽いからすぐに出てきて、またしょうもない盗みを繰り返す、どうしようもないやつです。

ですが、強盗に入って家人を殺そうとしたというのは聞いたことがありませんし、もともと金がないから遠くに足を伸ばしたりはしないやつだったんですが。」

ダグラスは灰ネズミの頬をひっぱたき、無理矢理気がつかせる。

灰ネズミは気がついた途端に大きく咽せた。

「こら、灰ネズミ。

貴様、今度はどういう風の吹き回しだ?」

ダグラスがドスをきかせた低い声で訪ねると、灰ネズミはびっくりした顔でダグラスを見上げた。

「こりゃあ、ダグラスの旦那。

お久しぶりで。去年の駅の仕事以来ですかな?

相変わらず、でっかい体で。」

灰ネズミは、キョロキョロよく動く目玉をせわしなく動かしながらダグラスに言った。

ダグラスは表情をなお厳しくしながら、灰ネズミを睨む。

「ワシのことなどどうでもいい。

お前、ここはイーストシティだぞ、なんで自分の縄張りを出てきてこんなところで強盗なんぞ働いてるんだ。

おまえにそんな距離を移動できる金があるとは思えないがな。」

灰ネズミは、びくっとするとキョロキョロと自分の周りを見渡した。

そして自分が縛られていることに気がつくと、ざーっと音がしそうなほどに血の気を引かせた。

「へへえ、旦那。

後生ですから、見逃してくれませんかね。

おいら、できればまだ死にたくねえ。

ご勘弁していただけませんか。」

灰ネズミは、さきほど男性を襲っていた人物とは思えないほど萎縮し、腫れてゆがんでしまった顔を伏せて、何度もダグラスに向かって頭を下げた。

だが、頼まれたからといって、縄をほどくはずもない。

ダグラスは灰ネズミの懇願を蹴った。

「そんな頼み、聞けぬわ!

離したところで、また盗みを働くか、人を殺めようとするかのどちらかだろう。

捕まえておくのが世のためだ。」

灰ネズミは、よろよろと崩れ落ちた。

「そんなぁ、殺生な。

おいら、好きで人を殺しに来たわけじゃねえんですよ。

虎の旦那が・・・。」

灰ネズミが思わず口を滑らせた。

エドたちはその一言に驚き、ダグラスは灰ネズミの胸ぐらをつかみあげた。

「どういうことだ、灰ネズミ!

洗いざらい吐け!

吐けば、少しは扱いを考えてやる!」

灰ネズミの体は、足が下につかないほどの高さに持ち上げられ、苦しそうにもがいた。

灰ネズミは義理も胆力もない男で、ダグラスがにらみつけると、すぐに情報を吐いた。

「うひいいい、人手がたらねえってんで虎の旦那に雇われたんですよ、この殺しも、虎の旦那が簡単な仕事そうだからおいらがやれって・・・。

おいら、虎の旦那に弱み握られてて、どうしようもないんですう。」」

殺しと聞いて、エドの隣にいた親子が青くなりながら身を引いた。

「やっぱり、虎は東に来てるみたいだな。

しかも、イーストシティに。」

エドは灰ネズミの話を聞いて、隣に立つアルにいう。

「間違いなさそうだね。

今回はどうにかなったからいいけど、これからいつ被害者が出るかわからないから、大佐にも協力してもらわないと。」

ダグラスは舌打ちしながら、灰ネズミを放した。

ドスンという音がして、灰ネズミの体が床に落ちる。

「とにかく、こいつが失敗したのがわかったら、今度は虎に狙われると思う。

ここは司令部に連絡して、この親子に護衛をつけてもらうべきだと思うんだけど、どう思う?

ダグラス中尉。」

エドの提案に、ダグラスもうなずいた。

「それがよろしいでしょう。

では、ワシが応援を頼んで参りますので、鋼の錬金術師はこの親子さんと灰ネズミをお願いできますでしょうか?」

ダグラスは、家人に使用の許可をもらって、司令部に電話をかけに行った。

灰ネズミは、目をせわしなく動かして逃げる隙をうかがっているらしかったが、エドとアルに見張られていてチャンスは掴めなかった。

程なくして、東方司令部から何人か応援の部隊がやってきた。

率いてきたのはハボックだ。

「大将、無事で何より。」

顔見知りの大人は、三人の無事を見て取って、心底安心したような声で言った。

いつも破天荒な振る舞いをして心配されている自覚が全然ない・・・わけではないので、エドは苦笑いを返す。

「ご苦労さん、ハボック少尉。

西で有名なこそ泥を捕まえたんだ。

虎と関係があるらしい。調べてみてくれ。」

ハボックは、真剣な表情でうなずいた。

「わかった。

取り調べ室の予約は取ってきたからな。」

「こやつは、盗人の常習犯だ。

遠慮はいらんから、厳しい取り調べを頼む。」

ダグラスに言われ、ハボックはニヤッと笑った。

「大丈夫ですよ。

イシュヴァール仕込みの取り調べで、吐かせてやりますから。

うちの大佐がこの忙しいのにってご立腹でして、仕事は早くこなすに限りますからね。」

ハボックは灰ネズミを護送するために、家の周りを部下に警備させてから、護送車に乗せるようにと部下に命令した。

灰ネズミはうなだれてハボックの部下に連れられていく。

「さて、怖い思いしたところ悪いですが、どんなふうに侵入されたとか、どこで襲われたとか、事情調査をしなけりゃなりません。

ご協力いただけますかね?」

ハボックは親子に向かって頼んでいるようだったが、その口調は有無を言わせない迫力があった。

男親が頷こうとしたとき、庭の方から軍人の悲鳴が聞こえてきた。

ハボックやエドたちははっとして庭に飛び出した。

外に出てみると、屋敷から護送車までの庭の小道には、警備をしていた軍人や灰ネズミを車に乗せようとしていたはずの軍人たちが、血を流しながらうずくまっていた。

「おまえら!?」

ハボックは自分の部下たちが倒れていることにぎょっとした。

死んでいるものはいなさそうだったが、ここに連れてきたのはハボックが抱えてる中でも屈強なやつらばかりで、ハボックが腕を信用している奴らばかりだったのだ。

「大変だ!灰ネズミがいない!」

あたりを見渡していたアルが、灰ネズミがいないことにいち早く気がついて悲鳴を上げた。

「どこに行きおったか!灰ネズミ!」

ダグラスは、逃げた灰ネズミに腹をたてて、大声で吠えた。

しかし、ダグラスの声に応えたのは灰ネズミではなかった。

「ダグラス中尉か?

西から態々(わざわざ)出てきたのか。

ご苦労なことで。」

上から声がしたので見上げてみると、建物の屋根の上にすらりとした長身の男が立っていた。

その足下には、高さと不安定さに震えている灰ネズミがうずくまっている。

「虎、か?」

エドは屋根の上の虎らしき人物にといかけた。

逆光なので顔はわからなかったが、そんなに年をくってはいなさそうである。

虎らしき人物は、エドの問いに笑いながら答えた。

「ご名答。

西を騒がす、殺し屋の中の殺し屋。

錬金術師殺しの虎とは、俺様のことよ!」

虎らしき男は、芝居がかった振り付けを交えながら、大仰に名乗った。

「ひううう、旦那、虎の旦那!

助けてくれたのはありがてえけどよ、こんなところでじっとしてるのは堪らんですよ。

あんな奴らほっといて、逃げましょうや~」

格好をつける虎の横で、灰ネズミが情けない声を出した。

虎はすがってくる灰ネズミをにらむ。

「この根性なしめ。

おまえが仕事を失敗しなけりゃ、俺様が出てくることはなかったんだぞ?

俺様が名乗らなきゃならなくなったのはおまえのせいだろうが。

なんだったら、責任とってもらうために、今すぐここでお前をやつらに突き出してもいいんだぜ?

そうすりゃ、俺が逃げられる。」

そう言って虎は冷たく笑う。

「まあ、失敗したおまえのお仕置きは決定だから、ここであいつらに捕まって八つ裂きにされた方が幸せかもしれないけどな。」

「ぎゃああ!

旦那!ご勘弁を!おいらはまだ死にたくない~」

哀れっぽく泣く灰ネズミを無視して、虎は一同を見下ろす。

「せっかく追いかけてくれたが、ダグラスの親父。

こうして顔を合わせるのは初めて、だったかな?

すっと追いかけられているから、初めてな気がしないな。

だけど、俺はあんたに捕まってやる気は毛頭ないんだ。

あきらめて、とっとと西に戻ってしまえよ。

そうすれば、痛い思いはしないと思うけどな?」

ダグラスは笑う。

「ふん、長年追いかけてきた虎が貴様のような小物だとは、笑うしかないな。

貴様をとらえよと任を仰せつかったこのワシだ。

貴様に輪っぱをかけるまで、あきらめるつもりはない!」

ダグラスは、鋼の拳を挑むように握りしめて怒鳴った。

「一つ、聞きたい。」

エドは屋根の上から見下ろす虎をにらみながら言った。

「何かな?

金髪の坊や。」

坊やといわれてカチンときたが、とりあえず思った疑問を先に口にする。

「おまえは錬金術師しか狙わないと聞いた。

だけど、ここのうちの人間は錬金術師じゃない。

なぜだ?なぜ狙った?」

虎は肩をすくませた。

「こちとらビジネスだからな。

金を積まれれば、やらないわけにはいかない。

まあ、俺様には俺様のこだわりがある。

だいたい手強い相手になる錬金術師しか、俺様は相手にしない。

だから今回は灰ネズミに行かせたのさ。

まあ、失敗したようだがな。」

そう言って足下で未だに許しを請う灰ネズミを踏みつけた。

「こうも大事になっては、この仕事はもうあきらめるしかないだろう。

大変残念だが、依頼人には詫びを入れるしかないだろうな。

この屈辱は忘れないぞ。

これからしばらく俺様は東を根城に仕事をさせてもらう。

俺様のことを捕まえられるかな?」

軍人ども!」

そうあざけりながら言うと、虎は灰ネズミをつれて屋根の反対側に逃げていった。

家の反対側で騒ぎが起きないところを見ると、裏側に配備した軍人たちも倒れているのだろう。

「くそ、住宅街の中じゃなければ、撃ち落としてやれたもんを!」

ハボックが銃を構えながらも撃つことができずに、悔しそうに言う。

「逃がして、しまいましたな。

一応追っ手を配備しますか?」

ダグラスが、厳しい顔であたりを見渡してエドに訪ねた。

「いや、ハボック少尉の隊のみんなをこんなふうに襲撃できる相手だ。

きっと深追いは危険だと思う。

大佐に連絡して、警備は強化してもらわなくちゃならないだろうけど、追っ手はいいよ。

それよりも、ハボック少尉の部下のみんなは、大丈夫?」

苦い顔をしているハボックに、エドは心配そうに訪ねた。

「ああ、一応、死んでるやつはいなさそうだが、応急処置したらすぐに病院に運んだ方がいいだろうな。」

ハボックは部下の一人を止血してやりながら答えた。

エドは、いやなものが背後に迫る恐ろしさを感じていた。

東方司令部の面々が、強いことをエドはよく知っている。

イシュヴァールを生き抜いた猛者も、たくさんいるのだ。

そんな腕っ節に自信がある軍人たちを、短時間のうちにたやすく倒してしまう殺し屋相手にどのように対処すればいいというのだろうか?

その答えはエドにはわからなかった。



続く
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