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蜘蛛女の怪

第七話


エドとロイが次の絵画の部屋への出入り口をくぐったとき、蜘蛛女はさらにその先の出入り口に向かって走っていた。

壁や天井を移動したいのだろうが、ここの部屋には壁いっぱい、天井いっぱいに絵画が飾られているため、貼り付ける場所がないのだろう。

「ヒューズめ、間に合わなかったか。

追うぞ、鋼の!」

「待てー!蜘蛛女ー!」

エドとロイは、さらにスピードを上げて、蜘蛛女を追いかけた。

彫刻は堅いので多少手荒なこともできたが、絵画が相手ではどう着火するかわからないので、ロイもうかつに錬成することができない。

「次の部屋は、あいつがよく出現しているという軍関係の展示室だ。

勝手知ったるところで、我々をどうにかするつもりかもしれない。

気をつけろ、鋼の!」

「わかってる、大佐もな!」

蜘蛛女が絵画を展示してる部屋の出入り口から出るのが見えた。

エドとロイは、蜘蛛女が仕掛けてきても対処できるように構え、多少遅れをとりながら、次の展示室に飛び込んだ!

「遅かったな、二人とも。追い込み漁は成功だぜ」

「ヒューズ!」

展示室に飛び込んだ二人が見たものは、ヒューズに取り押さえられた蜘蛛女の姿だった。

よくよく見れば蜘蛛女は、黒い覆面と黒いレオタードで身を包み、スキーの時のようなゴーグルをつけているが、その目の部分は赤く光っているだけで、別に怪物、という訳ではなかった。

だが、手首のところやら、膝やらに、なにやらいろいろな仕掛けがついているようだ。

「幽霊の正体見たり、枯れ柳、といったところだな。

見たところ、ちゃんとした人間のようだ。」

軍服のモールで蜘蛛女を縛り上げたあと、ヒューズは蜘蛛女の覆面とゴーグルを引っぺがし、ライトで照らしてその顔を確認した。

黒い覆面の中から現れたのは、エドよりもう少し年上の、金髪碧眼の美女であった。

美人ではあるのだが、ふくれっ面をしているので、その美人は台無しであった。

「何で捕まらなきゃならないのよ。

私は別に悪いことはしてないわ。」

むすっとした蜘蛛女は、床の上であぐらをかいて三人に文句を言った。

「一般人の立ち入りが禁止されている時間帯に、軍の警備をかいくぐって忍び込み、奇行を繰り返すのは、常識的に考えて普通ではない。

しかも、禁止している時間帯に入り込んだ時点で、不法侵入。先ほどの宙づりになっていた美術品のことを鑑みると、器物損害。

警備の人間を眠らせて行動不能にしたのは、公務執行妨害。君は発見された時に軍人に危害を加えてもいるから、傷害。

簡単に思いつくだけで、最低四回の裁判にかけられるが?

これでどの口が悪いことをしていないというのかね?

軍人襲撃の点からいうなら、仲間もいるのだろう?我々を襲おうとしても無駄だ。

撃退されるまえに姿を出した方が身のためだと仲間に言ってやりたまえ。」

ロイが蜘蛛女を見下ろして言った。

「私には仲間なんかいないわよ。」

びっくりしたようにいう蜘蛛女を、エドがにらむ。

「見回りの軍人の後ろから襲いかかったっていう証拠があるんだぜ?」

エドの言葉に思い至った蜘蛛女は、なるほどという顔をした。

「ああ、なるほどね。

あのびっくりして気を失っちゃった軍人さんのことね。

ここの部屋で軍人が倒れてたってやつでしょう、新聞で見たわ。

あれ、私がここの部屋で壁に張り付いてたら、運悪く軍人さんと鉢合わせちゃって。

半分パニックになった軍人さんが後ろに後ずさったときに、横にあったライフルの展示ケースの足に思いっきり足とられちゃってね。

順路標識のポールに頭打って気を失っちゃったんだよ。

あれ、自滅だから。」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・。』

三人は一瞬言葉を失ってしまった。

「いや、でもなんでその軍人を糸でぐるぐる巻きにしたんだよ。」

「ああ、それは、私が危ないと思って、とっさにネットを飛ばして、支えてあげようとしたから。

倒れる方が早くて、役に立たなかったけど。

ほら、さっき見たでしょ、天井から彫刻つり下げてたやつ。

あれと同じものだよ。」

あっけらかんという蜘蛛女の言葉に、三人は頭を抱えた。

「そのうっかりした軍人の来月の給料査定。

ヒューズ、財務の方に一筆書いてやれ。悪い方で。」

ロイが半眼でうなった言葉に、ヒューズも半眼で頷いた。

エドは、気を取り直して、蜘蛛女に聞いた。

「そんで、蜘蛛女のねーちゃんは、こんなところで何をしていたんだ?」

蜘蛛女は再びむっとした顔になった。

「私の名前はミーシャよ。ミーシャ・クイックメイト。

蜘蛛女なんて呼ばないでよね。私、虫嫌いなのよ。」

「君の動きは、大変蜘蛛っぽかったがな。

それで?クイックメイトさんは、こんな夜更けに博物館で何をなさっていたのかな?」

不愉快そうな顔をしたが、ミーシャはおとなしく話しだした。

「展示物を、その、返却しにきたのよ。」

驚いたのはヒューズだった。

「返却?ということは、贋作と本物をすり替えていたのか?

そんな馬鹿な。最初に目撃された時に鑑定したけど、どれも本物で被害はないって話だったんだぜ?」

ヒューズの言葉を聞いて、ミーシャが肩をすくめた。

「なら、その鑑定士が節穴なのね。

まあ、おじいちゃんの作品は完璧だから、仕方ないっていえなくもないけど。」

「おじいちゃん?」

「まって、やっぱ最初から説明する。

あのね、私のうちって、代々錬金術師で発明家なの。

おじいちゃんも、お父さんも、ついでに私も、いろんなものを日夜開発してるのよ。

ただの錬金術師じゃないところは、そこね。

普通の錬金術師は、論理や新しい物質なんかの研究をしてるけど、私たちは、今あるもので、どれだけ便利になるか、どれだけ可能性を引き出せるかを研究してるの。

たとえば、軍だっていろんな銃器の開発をしているでしょう、飛距離が伸びるとか、威力が強いとか、小さくできないかとか。

でも、だいたい材料は同じものよね。それと同じこと。同じ材料でもアイディア次第で、より便利にすることができるのよ。」

三人はうんうんと頷く。

「なるほど、そこまでは了解した。

クイックメイトの名前、どこかで聞いたと思ったのだが、もしかしてこの国で初めて踏切の信号を開発したジェード・クイックスミスは、君の関係者かね?」

ミーシャは、顔をほころばせた。

「あ、そうそう、それ、私のお父さん。

で、私のおじいちゃんが、この国で初めて自転車作った発明家、カート・クイックスミスなの。

すごいでしょ。」

ヒューズはヒュウと、口笛を鳴らした。

「おお、確かに発明一家みたいだな。

そんで?カート博士が博物館で何をやらかしたってんだ?」

ミーシャは、とたんに暗い顔になった。

「それが、おじいちゃん、実は若い頃かなり腕のいい贋作師でもあったらしいの。

それで資金を稼いで開発費に当てていたみたいなんだけど。

最近おじいちゃんの遺品整理していたら、おじいちゃん用の倉庫に、博物館に秘蔵されているはずの美術品のオリジナルが、いっぱいみつかったのよ。

おじいちゃん、この博物館が作られた時に、ちょっと内装に関わったみたいなの。

それで、資金が足らなくなったときのために、こっそりオリジナルを持ち出して、かわりに贋作を展示したみたい。

結局、いいパトロンとか、開発したものが売れて、あんまりお金に困らなくなったから、そのオリジナルは売りに出さなかったみたいなんだけど。

見つけちゃった手前、返さない訳にはいかないじゃない?

でも、堂々と申し出る訳にはいかないし、博物館側だって、今まで偽物を堂々と飾ってたってばれたら、ただじゃすまないと思うし。

それで、自分が作ったこの開発品のテストもかねて、こっそり忍び込んで返してたってわけ。

今回は最後までのこってた一番の大物を返そうと思って、作業に来たのよ。

で、見つかるとまずいから、申し訳ないけど、催眠ガスで中の巡回の人には眠ってもらったってわけ。

どうしてか知らないけど、あなたたちは眠らなかったみたいだけどね。」

「君がちょうど館内に催眠ガスを流したとき、外にいたのでな。

直接すうことはなかった。」

ヒューズはロイの肩に手を置いて続けた。

「それに、このお方こそ、気体錬成の第一人者、焔の錬金術師だ。

みごとに催眠ガスを分解してくれたのさ。」

ロイはヒューズの手を払いのけて、一つ咳をついて、気を取り直す。

「とにかく、君の攻撃を無効化することができた我々だけが、君を捕まえることができたわけだ。」

「なるほど、下調べが足らなかったわ。

まさかそんな人が新しく警備につくとはおもわなかったから。」

ミーシャは残念そうにため息をついた。

「でも、どうするんだ?ヒューズ。

盗品を返していたとなれば、罪には問いにくい。

障害事件かと思っていた件は、詳しく調べたらこちらのボロがでそうだし。

催眠ガスも、有毒性があるものではないし、使われたことを証明しようにも、私が分解してしまったから証拠がない。

慎重に作業しているなら、損壊もあまりないだろうし。」

ヒューズも腕を組んで考えた。

「そうなんだよな、盗んだ当人はすでに故人だし。

今のがまるっきり嘘で、今展示されてるのが本当は全部オリジナルで、この蜘蛛女が贋作にすり替えている、というのも考えられるし。」

ミーシャは唇をとがらせる。

「ちゃんとした鑑定士に鑑定させれば一発でわかるでしょ!

それでいうなら、今宙づりになってるやつが最後なの。

あれを鑑定したら偽物と本物がはっきりするはずよ!」

ミーシャは訴えるが、ヒューズは考え込んだままだ。

「偽物か、本物かを判断すればいいんだろ?」

そう言ったのはエドだった。

「それだけの鑑定でいいんなら、俺ができるかも」



第八話


「君にそれほどの鑑定眼があるとは思えないが。」

ロイは疑わしげにエドにいった。

「まあ、その作品がどうのこうのはわからないけど、でも、確実なことだったらわかる。

贋作とオリジナルだったら、絶対にオリジナルの方が古いはずだから、構成している物質がいつ変化してその形になったかがわかれば、どっちがオリジナルかわかるだろ?

なら、錬金術の理解、分解、再構築の、理解の部分でわかると思うんだ。理解までだったら別に形は変わらないし。」

ロイは、確かにと頷いた。

だが、一般人のヒューズにはよくわからない。

「え、え、どういうことだ?

オリジナルの方が古いのはわかるけど、どうやって鑑定するんだ?」

ロイは、ヒューズにわかるように言葉を選んで説明した。

「錬金術のおいて、物質を錬成して別のものにするためには、理解、分解、再構築という手順を踏まねばならない。

理解とは、錬金術の理論はもちろんのこと、錬成材料にする物質、錬成後の物質などを事細かに理解するということだ。

分解は、錬成材料を分子レベル、原子レベルにまで分解すること。

ここの分解の及ぶ面積や、どの程度まで細かく分解するのかによっても難易度がかなり異なる。

形を変えるだけなのか、全く違う物質にするのか、広い面積を分解するとなると、いろいろなものを含んだ物質を扱わなければいけないし、質量自体も重くなるからな。

広範囲錬成や、大質量錬成が高度といわれるのはそこが大きい。

再構築は、分解でばらばらにした分子や原子のを積み直すということ。パズルのピースを、自分の思い描く姿に組み直すということだ。

錬金術師は、錬成陣に自分の力を循環させたとき、材料になる物質を理解することができる。

ほとんどの術師は無意識におこなうプロセスだがな。

私は錬成陣を間にプロセスとして挟まねば理解できないが、鋼のは錬成陣を必要としない特殊な人物だ。

間に余計なワンクッションを入れない分、私よりも細かく理解することができるだろう。

試してみる価値はありそうだな。」

せっかく説明してもらったヒューズだが、やはりよく飲み込めないようだった。

「まあ、いきなりいわれて理解されたら、錬金術師の立つ瀬がなくなってしまう。

とにかく、鋼のならば精密にオリジナルを見分けられるかもしれないということだ。」

エドたち四人は、ミーシャが彫刻を交換しようとしていた彫刻の部屋に戻った。

天井からつり下げられた彫刻と、すぐ近くにある、もともと飾ってある彫刻はうり二つで、同じものといっても、誰も疑わなさそうであった。

「今、つり下げてるのが、オリジナル。今、飾ってあるのが、おじいちゃんが作った贋作だよ。」

ヒューズは、飾ってある方の彫刻に近づき、床を調べた。

「床には最近動かした様子はない。

この前の調査ときと、ここにあるものは一緒のものだという証明だな。

まだ、この彫刻は動かされていない。」

「なら、その彫刻とあそこでつり下がってる彫刻を比べて、あそこでぶら下がってる方が古いものだったら、あっちがオリジナルってことになって、この蜘蛛のねーちゃんが言ってることが正しいという証明になるって訳だ。」

隣にたったロイが頷いた。

「そういうことになるな。

では、鋼の、早速だがやってみてくれないか。」

エドは彫刻に近づいて、両手を胸の前で合わせてから、飾られている彫刻と、ぶら下がっている彫刻に触れた。

「どうだね?」

ロイが訪ねる。

「うん、確かにぶら下がってる方が古いみたい。

ぶら下がってるのがオリジナルだと思う。」

「ほら!ね?これで信じてもらえる?」

ミーシャが明るくいった。

「確かに、認めるしかなさそうだな。」

第九話

「あと、気になっていたんだが、どこからクイックメイトは忍び込んでたんだ?」

ヒューズの問いに、縛っていた縄をとってもらっていたミーシャはすぐに答えた。

「ああ、エントランスのところにある天窓からです。

吹き抜けになってるから、まさかあんなところから進入するとは誰も思わないでしょ?

あそこまで上れさえすれば、外からでも中からでも開けたり閉めたりするのは簡単なの。

このネット発射装置とワイヤー発射装置と、吸盤式移動装置があれば、あんなとこからでも出入りできるんでーす。」

ミーシャはそう言いながら、手足についた不思議な機械を見せびらかす。

「あー・・・・。

ううう、そうですか。」

「見事な盲点だな。あそこの窓ははめ殺しかと思っていた。」

ロイが感心したようにいった。

「そういえば、さっきから騒いでるのに、外からの応援が全然来ないな。」

ミーシャがあっという顔になった。

「しまった!時間差で仕掛けておいた外用の催眠ガスが起動しちゃったんだ、きっと外にいた軍人さんたちも、寝ちゃってると思います、すみません。」

「時限式だったのか」

「はい、催眠ガスが入ったボンベをいくつか昼間のうちにしかけました。

最初にオリジナルを運び込むルートの軍人さんを寝かして、その五分後に、室内の催眠ガスが作動して、最後十分後にほかの外回りの軍人さんを寝かせる催眠ガスが作動するようになってたんです。

全員が寝ちゃった館内をうろついて、贋作の彫刻と催眠ガスのボンベを回収する予定だったんです。」

「何というか、暗殺者や陰謀じゃなかったのが、せめてもの救いだな。」

四人が先ほどのベランダに出てみると、確かに軍人が死屍累々と転がっている。

「だめだこりゃあ」

ヒューズはうんざりした顔であたりを見渡した。

「セントラルの軍人はたるんでるな。」

「いや、まったくだ。」

四人はとりあえず館内に戻った。

「ここで俺たちも寝たふりして、朝までぼーっとしてる、なんてどう?」

エドが大あくびをしながらいった。

「ほれ見たまえ。眠くなってる。」
「う」

「とりあえず、私、さっきの彫刻を入れ替えちゃっていいですか?」

「仕方がないだろう、しょうがないから、その作業でも見学させてもらうか。」

四人は彫刻展示室で、ネットに入った彫刻と、贋作を入れ替えるところを、暇そうに眺めていた。

「謎は、謎だからおもしろいんだよなあ。」

ヒューズが、気が抜けたような顔であくびをした。

「おまえが誘ったんだからな。今回の調査。」

ロイがヒューズをじとめで睨んだ。

「わかってるよ。後でなんか埋め合わせする。」

そんなロイとヒューズの会話を聞きながら、ミーシャの作業を見ていたエドは、どこかでガラスが割れるような音がして、はっとそちらを向いた。

「大佐、中佐、今、ガラスが割れるような音、しなかった?」

ロイとヒューズも同じ音に気がついたのだろう、エドと同じようにあたりを見渡していた。

「確かにした。

音からすると、一階の方のようだ。

まだほかの軍人たちが眠っている今、この博物館には我々しかいないはず。

侵入者かもしれん。いってみよう」

三人が走り出した時、ミーシャの作業が終わった。

「あ、あ、私も言っていいですか!?一人にしないで~」


つづく
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