蜘蛛女の怪
蜘蛛女の怪
第一話
「蜘蛛女ぁ?」
エドは、その奇妙な名前に素っ頓狂な声を上げた。
ここはセントラルにある中央司令部の廊下、目の前にはヒューズとロイが立っていた。
ヒューズはうんうんと頷く。
「そうなんだよ。奇っ怪、蜘蛛女ってな。
今、セントラルでは一番ホットな話題なんだぜ。
幽霊みたいに現れる、謎の怪人だ。
俺も含めて、セントラル軍で追いかけてるんだ。」
エドは怪訝な顔をして、ヒューズを見た。
「別に、ヒューズ中佐を疑うわけじゃないけどさ。
なに、そのゴシップ誌にでてきそうな名前。
それが今、軍が必死に追いかけてるやつの名前だっていうのか?」
ヒューズの隣に立つロイが、肩をすくめた。
「私もいいたくはないが、名前からすると、そんなに軍が手を焼く相手だとは思えないな。
いったい、その蜘蛛女とやらは、セントラルで何を騒がせているというのか?」
東方司令部の司令官であるロイでさえも、その蜘蛛女の話は知らなかったらしい。
ヒューズは、二人に新聞の切れ端を渡した。
記事の書いてあるところの形に切り取ってあるので、いびつな形の紙片だ。
受け取ったエドとロイは、二人してその記事をのぞき込んだ。
「ただの根も葉もない怪談じゃないんだ。
軍が管理している中央博物館に夜な夜な出没し、徘徊している。
今のところ盗まれたりした訳じゃないんだが、何か大きなものを盗むための下見をしているのかもしれない。
それに、警備に当たった軍人が一人、被害にあってるしな」
記事には、ヒューズがいったことが、もう少し細かく書かれていた。
どうやら、深夜の時間帯、入場が許されていない時間に、蜘蛛女なる人物が博物館に入り込み、なにやら奇っ怪な行動をしているらしい。
「俺はまだ見たことないんだが、被害にあった軍人の話だと、すごいセクシーな女の姿で、壁をするすると上ったり、すごいジャンプで二階に飛び移ったり、糸を吐き出してきたりするらしい。
そんでついた名前が蜘蛛女、なんだな。」
「女の姿といっても、動き方は人間とは到底思えないな。
どうせどこからか入り込んだ動物の陰でも見間違えたんじゃないか?」
ロイはあきれたようにいった。
「ただの動物の見間違いならいいんだが、どっかから逃げ出してきたキメラじゃたまったもんじゃないからな。
軍も警戒してるってことだ。
どうだ?どうせ帰るまで暇なんだろう?二人とも調査手伝わないか?」
「やはり手伝わせようという魂胆だったか。
軍法会議所の人間が情報を漏らしすぎだと思ったんだ。」
乗り気のしないロイが、ため息をついた。
だがエドのほうは、まんざらでもなさそうだ。
「壁をするするっと移動したり、とんでもないジャンプ力をもってるのか。
キメラじゃなかったら、特殊な動きができる人間ってことだよな。どうやってんだろう。
気になるなあ。俺、ちょっと調べてみたいかも。」
エドの言葉を聞き逃さず、ヒューズがエドの肩にすかさず腕を回した。
「ほれ見ろ、ロイ!やっぱりエドは、わかるやつだなあ!
冷たい親友とは大違いだぜ!」
ロイはむっとしてヒューズをにらんだ。
「鋼の、ヒューズの口車に軽く乗ると後悔するということを、忘れない方がいい。
おもしろい話だとは思うが、汽車の時間があるので、我々はここで失礼させてもらう。
ほら!帰るぞ鋼の!」
ロイはそう言うと、きびすを返して立ち去ろうとした。
だが、ヒューズは、エド肩に回した腕を解かない。
「へへへ、このマース・ヒューズをなめるなよ?
おめさんたちが乗ろうと予約を取ってある列車が、明日の昼に出発することはちゃんと調査済みなんだよ。
いいじゃないか一晩つきあえよ。
なあ、頼むよ、ロイちゃん。
もし犯人が錬金術関係だったら、一般人の俺たちが何人束になったってかなわねえって。」
苦虫をかみつぶしたような顔でロイが振り向く。
「いいじゃん、大佐。どうせ明日の昼まで暇なんだろ?
ちょっとヒューズ中佐助けてあげようよ。
大佐も、ヒューズ中佐には、世話になってんだろ?」
エドのそんな感動的な言葉を聞いたヒューズは、わざとらしく目元をぬぐった。
「おお、エドはわかってくれてんだなあ。
ぐすん、嬉しいぜ。その点、ロイちゃんと来たら・・・。」
ヒューズがちらっとロイを横目で確認した。
ロイは非常に機嫌の悪い顔でヒューズに接近し、顔を近づけた。
「わかった。いいだろう。
だが、この借りは高くつくからな。マース・ヒューズ中佐!」
「あはは、いやん、怖い、ロイ・マスタング大佐ぁ」
結局、三人は中央博物館に調査に向かうこととなったのであった。
第二話
アメストリス中央博物館は、白い大理石で形作られた、二階建ての荘厳な建物である。
中には、歴史が描かれた古いタペストリーや、アメストリスが併合した国の遺物、すばらしい絵画や、古くは存在していた国の宝物などが展示ケースや台に乗せられて、ところ狭しと並んでいる。
名前と、説明書きが書かれたプレートがそれぞれについていて、素人でもその意味を知ることができるようになっていた。
「そういえば、研究所や中央図書館にはよく行くけど、博物館の方には全然来たことがなかったな。
いろんなものが、並んでるんだな。」
三人は正面玄関から中に入ったところのエントランスホールで、あたりを見渡した。
警備の軍人が多く見受けられるが、見学に来ている一般人の姿もあった。
「怪しげな蜘蛛女の噂がやってる割に、結構見物人が多いんだな。
俺はてっきり、一般人の見学を禁止してるのかと思ったけど。」
吹き抜けのエントランスホールに、でんっと展示されている、巨大な恐竜の化石を見上げながら、エドがいった。
「確かに怪しい噂はあるけど、出現するのは決まって夜だし、まだ何も盗られた訳じゃないしな。
昼の間は一般公開しているんだよ。」
ヒューズも、エドの隣にたって、大きな肉食恐竜の骨を見上げた。
正面の大きな階段と骨をを照らし出しているのは、大きな天窓から差し込む光だった。
「鋼のは博物館は来たことがなかったのだったな。
ヒューズ、鋼のに博物館を見せがてら、その蜘蛛女とやらが見かけられているポイントを案内してくれないか?」
ヒューズはうなずいて、笑った。
「そうだな。ここんとこ調査で入ってるせいで、ずいぶん詳しくなったからな。
案内してやるよ。ヒューズの博物館ツアーの始まりだぜ。」
第三話
ヒューズは、順路にそって、エドとロイを案内した。
順路はまず、エントランスにある階段を上って二階に上がり、展示を見ながら下がっていくようになっていた。
階段を上って、順路に沿って進んだところにあったのは、国の歴史についての展示であった。
アメストリスは、大陸の中央部にあったたくさんの小国家を併合しながらできた国なので、アメストリス国としての歴史は浅い。
アメストリス国としての記録はたかがしれているが、今はなき併合された国々の記録は事欠かなかった。
大昔のスタイルの鎧が飾ってあったり、滅びてしまった国の紋章が描かれた立派な軍旗が壁に下げられていたり。柄に豪華な装飾がされた剣が展示ケースの中で横たわっていたり。
壁には、戦争の風景が書かれた巨大な絵画が掛けられているところもある。
「この国って、いつも戦争してるんだな。
よく人がいなくならなかったもんだぜ。」
エドがげんなりしていうと、隣で同じ絵を見上げていたロイも同意した。
「本当だな。まったく、難儀な国に生まれたものだよ。
まあ、どんな時代、どんな国に生まれたって、きっと、いつだって動乱の時代なことには変わりないと思うがね。」
続きの部屋には、たくさんの彫刻の像が立っていた。
全裸に近い格好の筋骨隆々な男性の像や、しなやかで今にも動き出しそうな女性の像が、ずらりと並び、そこに生身の人間がいるかのような錯覚を覚えさせた。
「蜘蛛女の正体は、ここら辺に展示されている石像を使ったトリックということはないだろうな。」
ロイは、今にも動き出しそうな女性の像を見上げていった。
しかし、、ヒューズは残念そうに首を振る。
「残念ながらそいつはない。
軍が調べたところ、この博物館にあるすべての石像に、最近動かされた形跡はなかったんだ」
ロイは残念そうに首を振った。
「そうか。話が早く終わるかと思ったのだがな。
石像や彫刻の中に何か入っていて、それを割るために高く持ち上げた、とかな。」
「今のところ、壊されたり、行方不明になった展示物はない。
蜘蛛女の目的がよくわからないんだ」
その次の展示品は、絵画だった。
花の咲き乱れる庭を描いた作品から、勇ましい戦士の絵画、伝承の1シーンを描き出した絵画、また錬金術師による暗号が隠された絵画もあった。
この展示室の天井には、天井いっぱいのフレスコ画が描かれており、華やかな雰囲気になっている。
「蛇と炎と王冠か。これを描いたのは錬金術師だな。」
ロイが一枚の大きな絵の前で言った。
ヒューズがそれを聞いて立ち止まる。
「そうなのか?説明にはそんなこと書いてないけど、知ってる絵だったのか?」
「いいや。私に絵心がなくて関心が薄いのは、ヒューズはよく知ってるだろう。
知ってる絵ではない。絵に描かれている、あの蛇や王冠が錬金術的なシンボルで、それぞれに意味を持っていると知っているだけだ。
いわば、この絵画自身が、その錬金術師にとっての研究成果のメモみたいなものなんだよ。
蛇は理性や知性、炎は変化や熱、王冠は崇高なるものや王、といった意味になるから、簡単に要約すると、そうだな。知識を昇華させれば真理にいたる。といったところだ。」
ヒューズは感心したようにうなずいた。
「ロイちゃんも、国家錬金術師してるなあ。」
「といっても、今はあまり使われないな。
絵画を描くこと自体が時間がかかることに加え、錬金術が広く浸透してきている今、こういったシンボルも知られるようになってきている。文章の暗号の方が、よほど早く情報量も多く、しかも機密性の高い暗号で内容が残せる。
私や鋼のなどの暗号を絵で描いていたら、時間がどれだけあっても足らん。」
「そりゃそうだな」
三人は、絵画群の前を通りすぎ、ついに蜘蛛女がよく出現するという展示室にやってきた。
そこは、昔から現代にいたる武器と軍の展示だった。
黒曜石のナイフから、石でできた大砲、城を攻める投石機の模型や、古い型の軍服、命令書のレプリカなどが展示されている。
「ここの部屋が、例の軍人が蜘蛛女を目撃した場所だ。
この旧式のライフルの展示ケースの前で、襲撃を受けて倒れていたらしい。」
ロイは天井や壁の様子を見渡したが、壁にも天井にも床にも、とくに変わったところは見つからない。
「ここの床の上で伸びていたのか、その軍人。」
ヒューズは、腕を組んだまま、二人に説明する。
「夜間に館内を巡回していたら、天井の方から物音が聞こえて、顔を上げたら蜘蛛女が壁に張り付いていたらしい。
驚いて一歩下がったところを、別の何者かに襲撃された。
朝、発見された時は、ーーー白くて細い糸まみれになって、床に倒れていたという話だ。」
半眼になって顔に影がかかったヒューズが雰囲気たっぷりにいうものだから、ロイとエドはちょっと体を引いてしまった。
「蜘蛛の巣にかかった獲物、とでもいうところか。悪趣味な怪人だな。
その軍人も難儀だったものだ。」
「いやだなあ、起きてみたら糸まみれってのは。」
エドとロイは眉間にしわを寄せながらいった。
「はっはっは、そんなに怖がるなよ。
よけいいじりたくなるだろ!」
ヒューズが怖がった二人を見て、快活に笑った。
「なんだ、後半は作り話か?」
「いや、多少言い方に脚色はつけたけど、状況そのものは本当のことだ。
何でかその軍人は、細い糸まみれで発見されている。まあ、蜘蛛の糸じゃなくて、たこ糸っぽい糸だったけどな。」
ロイは何だ、と緊張を緩めた。
「蜘蛛は巣にかかったものを補食する肉食性だ。
キメラだったら食われてもおかしくなかったな。」
いっている自身がいやなのか、複雑な顔でエドがいった。
「特に荒らされていたり、汚れていたりということもないし、天井には小さな排気口があるくらいで、人間は通れないだろう。
きちんと戸締まりがされているはずの博物館内に、蜘蛛女はどうやって侵入したのだろうな。」
ヒューズは肩をすくめる。
「それがわかれば苦労しないって。
進入経路も目下捜索中なのよ。」
「天下の軍法会議所が捜査してもわからないんじゃあ、どうしようもないな。」
「そう言うなって、エド。
ほら、新しい目線で見たら新たな発見があるかもしれないだろ?
俺たちが見慣れちまった、不審なものがあるかもしれない。」
「軍人が蜘蛛女を見たときに、後ろから別の何者かに襲われたとすると、蜘蛛女は二匹・・・というか、二人というか、仲間がいるのかもしれないな。
しかし、人間二人に侵入されて、誰も気がつかないほど、博物館の警備がザルだともあまり考えられない。
可能性としては、二つ、一つ目は、本当に蜘蛛女が、我々がまったく思いつかないような方法で忍び込んでいる可能性。二つ目は、蜘蛛女の正体が、夜間に博物館にいても怪しまれない何者かである可能性だ。
警備についている軍人や、この博物館の司書なら、夜間にいても怪しまれない。」
ロイの意見にかみついたのはエドだ。
「でも大佐、そうすると、軍人の誰かや、ここの司書の誰かが、壁を歩けたり、ものすごいジャンプ力を持ってるってことになるぜ。
あんまり考えられないんじゃないか?」
「う、うむむ。確かに考えにくいか。
そんな超人がいたら、すぐに噂になってしまうだろうからな。
隠していたとしても、隠しきれそうな能力ではないし。
軍人だったら、訓練中に一発でばれていそうだな。
それに、その可能性も考えて軍は館内にいた人間の裏付けもとっているんだろう?」
ヒューズはロイの問いかけに頷いた。
「もちろんだ。なにせ、外部からの進入とは考えにくいからな。
だけど、そんな怪しい人物はいなかったし、そろって三人以上のアリバイがあった。
アリバイがなかったのは、例の巡回していた軍人ぐらいだが、自作自演して何があるって訳でもない。
多少労災が降りるかもしれないが、それぐらいだろう。
わざわざリスクを負ってまで、実行するほどの価値はない。
それに、蜘蛛女の目撃は何回もされているが、そのときに共通でシフトに当たっている人間がいないんだ。
もし内部の人間が犯人なら、中の全員が口裏合わせでもしなけりゃ、どうしようもないのさ。」
「ふむ、司書や軍人だけで口裏を合わせるというのはできるかもしれないが、両方となると難しいな。
人数が多いからどこからぼろが出るかわからないし。
全員の口裏をそろえてまで隠すのなら、目撃情報が外に出ているのがおかしいしな。
そんなに手間をかけるほどの価値があるとも思えない。
やはり、内部に犯人が潜んでいるというのはないか。」
ロイとヒューズが難しい顔で話しているところで、エドがきっぱりと言った。
「兎にも角にも、本当に蜘蛛女がいるんだとしたら、そいつを捕まえちまうのが一番だろ、どうせ明日の昼間でセントラルにいられるんだから、一晩張り込んで見ればいいじゃないか。」
ロイがぎょっとしてエドを見た。
「馬鹿者、今日の夜に蜘蛛女が現れるかわからないのに、一晩中張り込みなどできるか!
とくに君なんか、途中で寝てしまうに決まっている。」
ロイは反対したが、ヒューズはどちらかというと乗り気だ。
「そうだな、国家錬金術師二人がいれば怖いものなしだし。
館長に掛け合ってみようか。」
ロイはヒューズをにらむ。
「まてヒューズ!私は張り込みに協力するとはいっていないぞ!
やるならおまえら二人でやれ!」
ヒューズは、意地悪そうな笑顔を浮かべて、ロイに迫った。
「お、お、いいのかぁ?
今、セントラルを騒がせている蜘蛛女を捕まえたとなれば、結構な手柄だぜ?
点数稼ぎの大チャンス、みすみす逃す訳か?」
「ぐ!」
ロイが目指しているのは軍の最高の席である。
そのためには、どんな手段も惜しまないと誓いを立てたのは、自分自身だった。
そのことを理解しているヒューズは、それを利用してそそのかしているのである。
完璧に悪友の所行である。
ーこいつ!逆手にとりおってぇ!!
「わかったっ!張り込めばいいんだろう?張り込めばっ!
夜の七時に、博物館前に集合!
ヒューズ!貴様、早く館長のところに行って、許可なりなんなり取りに行ってこい!
鋼の!一晩張り込むための準備をしにいく、ついてこい!」
ロイは目をつり上げながら、ヒューズに怒鳴りつけた。
エドは身をすくませたが、ヒューズのほうは、第2波が来る前に走り出していた。
「あっはっは~、許可は任せとけ、んじゃあ、七時になあ!」
とか何とか言いながら、ヒューズは逃げるように、とっとと走って行ってしまったのだった。
つづく
第一話
「蜘蛛女ぁ?」
エドは、その奇妙な名前に素っ頓狂な声を上げた。
ここはセントラルにある中央司令部の廊下、目の前にはヒューズとロイが立っていた。
ヒューズはうんうんと頷く。
「そうなんだよ。奇っ怪、蜘蛛女ってな。
今、セントラルでは一番ホットな話題なんだぜ。
幽霊みたいに現れる、謎の怪人だ。
俺も含めて、セントラル軍で追いかけてるんだ。」
エドは怪訝な顔をして、ヒューズを見た。
「別に、ヒューズ中佐を疑うわけじゃないけどさ。
なに、そのゴシップ誌にでてきそうな名前。
それが今、軍が必死に追いかけてるやつの名前だっていうのか?」
ヒューズの隣に立つロイが、肩をすくめた。
「私もいいたくはないが、名前からすると、そんなに軍が手を焼く相手だとは思えないな。
いったい、その蜘蛛女とやらは、セントラルで何を騒がせているというのか?」
東方司令部の司令官であるロイでさえも、その蜘蛛女の話は知らなかったらしい。
ヒューズは、二人に新聞の切れ端を渡した。
記事の書いてあるところの形に切り取ってあるので、いびつな形の紙片だ。
受け取ったエドとロイは、二人してその記事をのぞき込んだ。
「ただの根も葉もない怪談じゃないんだ。
軍が管理している中央博物館に夜な夜な出没し、徘徊している。
今のところ盗まれたりした訳じゃないんだが、何か大きなものを盗むための下見をしているのかもしれない。
それに、警備に当たった軍人が一人、被害にあってるしな」
記事には、ヒューズがいったことが、もう少し細かく書かれていた。
どうやら、深夜の時間帯、入場が許されていない時間に、蜘蛛女なる人物が博物館に入り込み、なにやら奇っ怪な行動をしているらしい。
「俺はまだ見たことないんだが、被害にあった軍人の話だと、すごいセクシーな女の姿で、壁をするすると上ったり、すごいジャンプで二階に飛び移ったり、糸を吐き出してきたりするらしい。
そんでついた名前が蜘蛛女、なんだな。」
「女の姿といっても、動き方は人間とは到底思えないな。
どうせどこからか入り込んだ動物の陰でも見間違えたんじゃないか?」
ロイはあきれたようにいった。
「ただの動物の見間違いならいいんだが、どっかから逃げ出してきたキメラじゃたまったもんじゃないからな。
軍も警戒してるってことだ。
どうだ?どうせ帰るまで暇なんだろう?二人とも調査手伝わないか?」
「やはり手伝わせようという魂胆だったか。
軍法会議所の人間が情報を漏らしすぎだと思ったんだ。」
乗り気のしないロイが、ため息をついた。
だがエドのほうは、まんざらでもなさそうだ。
「壁をするするっと移動したり、とんでもないジャンプ力をもってるのか。
キメラじゃなかったら、特殊な動きができる人間ってことだよな。どうやってんだろう。
気になるなあ。俺、ちょっと調べてみたいかも。」
エドの言葉を聞き逃さず、ヒューズがエドの肩にすかさず腕を回した。
「ほれ見ろ、ロイ!やっぱりエドは、わかるやつだなあ!
冷たい親友とは大違いだぜ!」
ロイはむっとしてヒューズをにらんだ。
「鋼の、ヒューズの口車に軽く乗ると後悔するということを、忘れない方がいい。
おもしろい話だとは思うが、汽車の時間があるので、我々はここで失礼させてもらう。
ほら!帰るぞ鋼の!」
ロイはそう言うと、きびすを返して立ち去ろうとした。
だが、ヒューズは、エド肩に回した腕を解かない。
「へへへ、このマース・ヒューズをなめるなよ?
おめさんたちが乗ろうと予約を取ってある列車が、明日の昼に出発することはちゃんと調査済みなんだよ。
いいじゃないか一晩つきあえよ。
なあ、頼むよ、ロイちゃん。
もし犯人が錬金術関係だったら、一般人の俺たちが何人束になったってかなわねえって。」
苦虫をかみつぶしたような顔でロイが振り向く。
「いいじゃん、大佐。どうせ明日の昼まで暇なんだろ?
ちょっとヒューズ中佐助けてあげようよ。
大佐も、ヒューズ中佐には、世話になってんだろ?」
エドのそんな感動的な言葉を聞いたヒューズは、わざとらしく目元をぬぐった。
「おお、エドはわかってくれてんだなあ。
ぐすん、嬉しいぜ。その点、ロイちゃんと来たら・・・。」
ヒューズがちらっとロイを横目で確認した。
ロイは非常に機嫌の悪い顔でヒューズに接近し、顔を近づけた。
「わかった。いいだろう。
だが、この借りは高くつくからな。マース・ヒューズ中佐!」
「あはは、いやん、怖い、ロイ・マスタング大佐ぁ」
結局、三人は中央博物館に調査に向かうこととなったのであった。
第二話
アメストリス中央博物館は、白い大理石で形作られた、二階建ての荘厳な建物である。
中には、歴史が描かれた古いタペストリーや、アメストリスが併合した国の遺物、すばらしい絵画や、古くは存在していた国の宝物などが展示ケースや台に乗せられて、ところ狭しと並んでいる。
名前と、説明書きが書かれたプレートがそれぞれについていて、素人でもその意味を知ることができるようになっていた。
「そういえば、研究所や中央図書館にはよく行くけど、博物館の方には全然来たことがなかったな。
いろんなものが、並んでるんだな。」
三人は正面玄関から中に入ったところのエントランスホールで、あたりを見渡した。
警備の軍人が多く見受けられるが、見学に来ている一般人の姿もあった。
「怪しげな蜘蛛女の噂がやってる割に、結構見物人が多いんだな。
俺はてっきり、一般人の見学を禁止してるのかと思ったけど。」
吹き抜けのエントランスホールに、でんっと展示されている、巨大な恐竜の化石を見上げながら、エドがいった。
「確かに怪しい噂はあるけど、出現するのは決まって夜だし、まだ何も盗られた訳じゃないしな。
昼の間は一般公開しているんだよ。」
ヒューズも、エドの隣にたって、大きな肉食恐竜の骨を見上げた。
正面の大きな階段と骨をを照らし出しているのは、大きな天窓から差し込む光だった。
「鋼のは博物館は来たことがなかったのだったな。
ヒューズ、鋼のに博物館を見せがてら、その蜘蛛女とやらが見かけられているポイントを案内してくれないか?」
ヒューズはうなずいて、笑った。
「そうだな。ここんとこ調査で入ってるせいで、ずいぶん詳しくなったからな。
案内してやるよ。ヒューズの博物館ツアーの始まりだぜ。」
第三話
ヒューズは、順路にそって、エドとロイを案内した。
順路はまず、エントランスにある階段を上って二階に上がり、展示を見ながら下がっていくようになっていた。
階段を上って、順路に沿って進んだところにあったのは、国の歴史についての展示であった。
アメストリスは、大陸の中央部にあったたくさんの小国家を併合しながらできた国なので、アメストリス国としての歴史は浅い。
アメストリス国としての記録はたかがしれているが、今はなき併合された国々の記録は事欠かなかった。
大昔のスタイルの鎧が飾ってあったり、滅びてしまった国の紋章が描かれた立派な軍旗が壁に下げられていたり。柄に豪華な装飾がされた剣が展示ケースの中で横たわっていたり。
壁には、戦争の風景が書かれた巨大な絵画が掛けられているところもある。
「この国って、いつも戦争してるんだな。
よく人がいなくならなかったもんだぜ。」
エドがげんなりしていうと、隣で同じ絵を見上げていたロイも同意した。
「本当だな。まったく、難儀な国に生まれたものだよ。
まあ、どんな時代、どんな国に生まれたって、きっと、いつだって動乱の時代なことには変わりないと思うがね。」
続きの部屋には、たくさんの彫刻の像が立っていた。
全裸に近い格好の筋骨隆々な男性の像や、しなやかで今にも動き出しそうな女性の像が、ずらりと並び、そこに生身の人間がいるかのような錯覚を覚えさせた。
「蜘蛛女の正体は、ここら辺に展示されている石像を使ったトリックということはないだろうな。」
ロイは、今にも動き出しそうな女性の像を見上げていった。
しかし、、ヒューズは残念そうに首を振る。
「残念ながらそいつはない。
軍が調べたところ、この博物館にあるすべての石像に、最近動かされた形跡はなかったんだ」
ロイは残念そうに首を振った。
「そうか。話が早く終わるかと思ったのだがな。
石像や彫刻の中に何か入っていて、それを割るために高く持ち上げた、とかな。」
「今のところ、壊されたり、行方不明になった展示物はない。
蜘蛛女の目的がよくわからないんだ」
その次の展示品は、絵画だった。
花の咲き乱れる庭を描いた作品から、勇ましい戦士の絵画、伝承の1シーンを描き出した絵画、また錬金術師による暗号が隠された絵画もあった。
この展示室の天井には、天井いっぱいのフレスコ画が描かれており、華やかな雰囲気になっている。
「蛇と炎と王冠か。これを描いたのは錬金術師だな。」
ロイが一枚の大きな絵の前で言った。
ヒューズがそれを聞いて立ち止まる。
「そうなのか?説明にはそんなこと書いてないけど、知ってる絵だったのか?」
「いいや。私に絵心がなくて関心が薄いのは、ヒューズはよく知ってるだろう。
知ってる絵ではない。絵に描かれている、あの蛇や王冠が錬金術的なシンボルで、それぞれに意味を持っていると知っているだけだ。
いわば、この絵画自身が、その錬金術師にとっての研究成果のメモみたいなものなんだよ。
蛇は理性や知性、炎は変化や熱、王冠は崇高なるものや王、といった意味になるから、簡単に要約すると、そうだな。知識を昇華させれば真理にいたる。といったところだ。」
ヒューズは感心したようにうなずいた。
「ロイちゃんも、国家錬金術師してるなあ。」
「といっても、今はあまり使われないな。
絵画を描くこと自体が時間がかかることに加え、錬金術が広く浸透してきている今、こういったシンボルも知られるようになってきている。文章の暗号の方が、よほど早く情報量も多く、しかも機密性の高い暗号で内容が残せる。
私や鋼のなどの暗号を絵で描いていたら、時間がどれだけあっても足らん。」
「そりゃそうだな」
三人は、絵画群の前を通りすぎ、ついに蜘蛛女がよく出現するという展示室にやってきた。
そこは、昔から現代にいたる武器と軍の展示だった。
黒曜石のナイフから、石でできた大砲、城を攻める投石機の模型や、古い型の軍服、命令書のレプリカなどが展示されている。
「ここの部屋が、例の軍人が蜘蛛女を目撃した場所だ。
この旧式のライフルの展示ケースの前で、襲撃を受けて倒れていたらしい。」
ロイは天井や壁の様子を見渡したが、壁にも天井にも床にも、とくに変わったところは見つからない。
「ここの床の上で伸びていたのか、その軍人。」
ヒューズは、腕を組んだまま、二人に説明する。
「夜間に館内を巡回していたら、天井の方から物音が聞こえて、顔を上げたら蜘蛛女が壁に張り付いていたらしい。
驚いて一歩下がったところを、別の何者かに襲撃された。
朝、発見された時は、ーーー白くて細い糸まみれになって、床に倒れていたという話だ。」
半眼になって顔に影がかかったヒューズが雰囲気たっぷりにいうものだから、ロイとエドはちょっと体を引いてしまった。
「蜘蛛の巣にかかった獲物、とでもいうところか。悪趣味な怪人だな。
その軍人も難儀だったものだ。」
「いやだなあ、起きてみたら糸まみれってのは。」
エドとロイは眉間にしわを寄せながらいった。
「はっはっは、そんなに怖がるなよ。
よけいいじりたくなるだろ!」
ヒューズが怖がった二人を見て、快活に笑った。
「なんだ、後半は作り話か?」
「いや、多少言い方に脚色はつけたけど、状況そのものは本当のことだ。
何でかその軍人は、細い糸まみれで発見されている。まあ、蜘蛛の糸じゃなくて、たこ糸っぽい糸だったけどな。」
ロイは何だ、と緊張を緩めた。
「蜘蛛は巣にかかったものを補食する肉食性だ。
キメラだったら食われてもおかしくなかったな。」
いっている自身がいやなのか、複雑な顔でエドがいった。
「特に荒らされていたり、汚れていたりということもないし、天井には小さな排気口があるくらいで、人間は通れないだろう。
きちんと戸締まりがされているはずの博物館内に、蜘蛛女はどうやって侵入したのだろうな。」
ヒューズは肩をすくめる。
「それがわかれば苦労しないって。
進入経路も目下捜索中なのよ。」
「天下の軍法会議所が捜査してもわからないんじゃあ、どうしようもないな。」
「そう言うなって、エド。
ほら、新しい目線で見たら新たな発見があるかもしれないだろ?
俺たちが見慣れちまった、不審なものがあるかもしれない。」
「軍人が蜘蛛女を見たときに、後ろから別の何者かに襲われたとすると、蜘蛛女は二匹・・・というか、二人というか、仲間がいるのかもしれないな。
しかし、人間二人に侵入されて、誰も気がつかないほど、博物館の警備がザルだともあまり考えられない。
可能性としては、二つ、一つ目は、本当に蜘蛛女が、我々がまったく思いつかないような方法で忍び込んでいる可能性。二つ目は、蜘蛛女の正体が、夜間に博物館にいても怪しまれない何者かである可能性だ。
警備についている軍人や、この博物館の司書なら、夜間にいても怪しまれない。」
ロイの意見にかみついたのはエドだ。
「でも大佐、そうすると、軍人の誰かや、ここの司書の誰かが、壁を歩けたり、ものすごいジャンプ力を持ってるってことになるぜ。
あんまり考えられないんじゃないか?」
「う、うむむ。確かに考えにくいか。
そんな超人がいたら、すぐに噂になってしまうだろうからな。
隠していたとしても、隠しきれそうな能力ではないし。
軍人だったら、訓練中に一発でばれていそうだな。
それに、その可能性も考えて軍は館内にいた人間の裏付けもとっているんだろう?」
ヒューズはロイの問いかけに頷いた。
「もちろんだ。なにせ、外部からの進入とは考えにくいからな。
だけど、そんな怪しい人物はいなかったし、そろって三人以上のアリバイがあった。
アリバイがなかったのは、例の巡回していた軍人ぐらいだが、自作自演して何があるって訳でもない。
多少労災が降りるかもしれないが、それぐらいだろう。
わざわざリスクを負ってまで、実行するほどの価値はない。
それに、蜘蛛女の目撃は何回もされているが、そのときに共通でシフトに当たっている人間がいないんだ。
もし内部の人間が犯人なら、中の全員が口裏合わせでもしなけりゃ、どうしようもないのさ。」
「ふむ、司書や軍人だけで口裏を合わせるというのはできるかもしれないが、両方となると難しいな。
人数が多いからどこからぼろが出るかわからないし。
全員の口裏をそろえてまで隠すのなら、目撃情報が外に出ているのがおかしいしな。
そんなに手間をかけるほどの価値があるとも思えない。
やはり、内部に犯人が潜んでいるというのはないか。」
ロイとヒューズが難しい顔で話しているところで、エドがきっぱりと言った。
「兎にも角にも、本当に蜘蛛女がいるんだとしたら、そいつを捕まえちまうのが一番だろ、どうせ明日の昼間でセントラルにいられるんだから、一晩張り込んで見ればいいじゃないか。」
ロイがぎょっとしてエドを見た。
「馬鹿者、今日の夜に蜘蛛女が現れるかわからないのに、一晩中張り込みなどできるか!
とくに君なんか、途中で寝てしまうに決まっている。」
ロイは反対したが、ヒューズはどちらかというと乗り気だ。
「そうだな、国家錬金術師二人がいれば怖いものなしだし。
館長に掛け合ってみようか。」
ロイはヒューズをにらむ。
「まてヒューズ!私は張り込みに協力するとはいっていないぞ!
やるならおまえら二人でやれ!」
ヒューズは、意地悪そうな笑顔を浮かべて、ロイに迫った。
「お、お、いいのかぁ?
今、セントラルを騒がせている蜘蛛女を捕まえたとなれば、結構な手柄だぜ?
点数稼ぎの大チャンス、みすみす逃す訳か?」
「ぐ!」
ロイが目指しているのは軍の最高の席である。
そのためには、どんな手段も惜しまないと誓いを立てたのは、自分自身だった。
そのことを理解しているヒューズは、それを利用してそそのかしているのである。
完璧に悪友の所行である。
ーこいつ!逆手にとりおってぇ!!
「わかったっ!張り込めばいいんだろう?張り込めばっ!
夜の七時に、博物館前に集合!
ヒューズ!貴様、早く館長のところに行って、許可なりなんなり取りに行ってこい!
鋼の!一晩張り込むための準備をしにいく、ついてこい!」
ロイは目をつり上げながら、ヒューズに怒鳴りつけた。
エドは身をすくませたが、ヒューズのほうは、第2波が来る前に走り出していた。
「あっはっは~、許可は任せとけ、んじゃあ、七時になあ!」
とか何とか言いながら、ヒューズは逃げるように、とっとと走って行ってしまったのだった。
つづく