俊刃の剣
この小説はちょっぴりミステリー風味かしら?
お楽しみいただければ幸いです。
プロローグ
その青年には、毎日夢に見る光景がある。
その夢の中では、彼はかつての幼い姿だった。
いつも真っ白い空と黒い雲を背景に、小高い丘の上にいる、一人の男を、丘の下から見上げていた。
その男の周りには、無数の剣が、天を貫かんとする剣山ように、刃を上にして林立している。
丘の上から視線を下げると、少年の目の前に、もう一人、人物がいた。
一際鋭利で大きな剣に、胸を突かれ、刃が背中まで貫通した人間の体が、少年に背を向ける姿勢で風に揺れていた。
それは、たくましい体つきの男だった。
汚れているが、青い軍服を身につけている。
金色の指輪をはめたその手には、一振りの剣が握られていた。
剣に貫通されている人物の血が、剣を伝わって地面に血だまりを作っていた。
少年は、おそるおそる、目の前で倒れている人物に、回り込むように近づく。
少年の鼓動が早くなる。少年の視界の角度が変わり、血を流す人物の顔が見えるようになる。
唇から一筋、血が流れた後がある。両目は静かに閉じられ、苦悶の表情ではないが、その肌の色は青白く、決して生者の色はしていない。
「おとうさん」
少年の唇が、震えた。
その声に、血を流す男は反応しない。永遠に。
少年の頬を知らず熱い涙が伝う。
少年が、父の体に触ろうと、手を伸ばした。が、それは届くことはなかった。
目の前に、丘の上に見た男が立っていた。その男に、少年の手は叩かれたのだ。
「触るな。このようになりたくなければ。」
それは、周りに突きたつどの刃よりも、冷たく、恐ろしかった。
そしてその男の手は、べっとりと赤いもので汚れていた。
「よくも、おとうさんを!」
少年は、男に向かって、鋭く叫んだ。
そして、後先のことなど考えず、男に向かって飛びかかった。
父を目の前でなくした悲しみが、少年の体を突き動かした。
飛びかかった瞬間、目の前が真っ赤になり、体を激痛が襲う。
「う、うわああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫をあげて、飛び起きる。
全身、いやな汗をかき、息は乱れていた。
青年は、あたりを見渡し、それがいつもの夢であったと理解し、悪態をついた。
父を亡くしてから、かれこれもう十年ほど。
青年は、毎日のように、悪夢を見て飛び起きる。
ずきり、と古傷が痛んだ気がして、青年は体を曲げ、古傷の上の服を握りしめた。
「・・・毎日、毎日、俺を苦しめやがって・・・。
殺してやる、殺してやるぞ、俊刃(しゅんじん)の錬金術師!」
俊刃の剣(しゅんじんのつるぎ)
第一話
エドとアルは、車に揺られて、東部の北寄りにある高原の森の中を進んでいた。
車を運転しているのは、ロイである。
道の脇には手入れされた白樺の森が続いており、細かなじゃりがしかれた小道には、木漏れ日の模様が思いもよらない美しい文様を描いていた。
だが、都会の喧噪を忘れさせる、さわやかな高原の空気も、緑と白のコントラストが美しい風景も、エドにとってはきわめてつまらない風景にしか映らなかった。
「なあ、大佐、まだあ?」
エドは完璧に飽きた声でエドに訪ねた。
「君、五分前にも同じことを聞いただろう。
答えは同じ、もう少しだ。」
車を運転しながら、ロイはあきれた声で答えた。
バックミラーで確認すると、外を眺めて風景を楽しんでいるアルとは違い、エドは大あくびをこき足を投げ出して憮然とした顔をしていた。
「君はもう少し弟を見習いたまえよ。
アルフォンス君は外の景色を楽しんでいるじゃないか。
ここは、大軍閥の別荘がたつほどの、風光明媚な避暑地として有名なところなのだぞ。
いつも汽車で町から町に移動して、観光などしている暇のない君たちには、珍しい風景じゃないのかね?」
エドは、興味なさげに、ちらっと窓の外を眺めた。
「たしかに、白樺はきれいだと思うけどさ。
どこまでいっても、ずーっと白樺の林で代わり映えしないし。
たまに見えても、どっかのだれかさんの別荘が建ってるだけ。
あきもするだろ。アルは何が楽しいんだ?」
エドが外を眺めている弟に尋ねた。
「え?きれいじゃない?青々と茂る葉っぱとか、木漏れ日とか。
変化に乏しいっていっても、たまに沢とかもあるよ。きれいな声でなく鳥とかもたまに枝に留まってるし。
観察してると、いろんなものがあるよ?」
それを聞いたロイが、笑った。
「はははは、やはり、弟くんの方がよほど兄より大人だな。
アルフォンス君を見習って、少しは大人の考え方になり給えよ。」
褒められたアルは、心なしかうれしそうな雰囲気を放ち、エドの方は余計に機嫌を損ねたようだった。
「ちぇ、そんなもん、何の足しにもならないっての。」
ロイは、余計にむくれたエドをミラーごしに見て苦笑いした。
「でも、もうだいぶ長い時間運転なさってますよね。
疲れてませんか?といっても、兄さんも僕も運転は代われないですけど。」
アルが見せた気遣いに、ロイは笑顔で返した。
「なに、これぐらい大丈夫だよ。
軍人はもっと長い時間、もっと過酷なこともするからね。
でも、気遣いありがとう。本当に君の方が兄のようだな。」
エドは目をつり上げた。
「俺の!方が!兄っ!」
いつもの反応に、ロイとアルは苦笑いした。
「それにいても、こんな長い時間、司令官が司令部抜け出してていいのかよ。
みんな困ってんじゃねーの?」
エドの言葉に、ロイは複雑そうな表情になった。
「うむ、それについてはちょっと事情があってな。
東方司令部で追っていた組織が、内輪もめでも起こしたのか、つい最近いきなり瓦解したのだよ。
長い間追いかけていた大きな組織だっただけに、寝耳に水の話でな。
掃討作戦を考えていた今週のスケジュールにぽっかり穴が開いてしまったんだ。
まあ、そんなわけで、前々から考えていたことに時間を当てようかと思ってね。
ちょうどよく君たちがイーストに来てくれていたし。」
「忙しいって聞いてたから、顔合わせなくてすむかなーと思ってたら、いきなり首根っこ捕まれて、いくぞ!だしな。
まったく、人の予定も考えてほしいぜ。」
エドの機嫌が悪いのは、そのあたりも関係しているようだった。
「はっはっは、すまんすまん。
だが、君たちにも話しただろう?君たちが損する話ではないとな。
まあ、こんな話題でも、多少の暇つぶしにはなったんじゃないかね。
ほら、あそこに見える家が、目指す目的地だ。」
ロイにいわれ、エドは前の座席の間から前をのぞき込んだ。
車が進んでいく道は、緩やかにカーブしており、その先に一件の家が見えた。
どうやらこの道は、その家で行き止まりになっているらしい。
高級別荘といった趣の、高原という雰囲気にマッチした、洒落たデザインの屋敷である。
ロイが運転する車は、ことことと音を立てながら、その屋敷の庭の中に入っていった。
第二話
屋敷の正面の庭には、車が数台分止まれるように駐車スペースが確保されており、そこには小道と同じ白くて細かい砂利が敷き詰められている。
屋敷にはベランダや出窓が、正面の玄関から見て左右対称になるように作られており、その外壁には蔓草が外壁に絡まり、深い緑色に包まれているところが所々に見受けられた。
駐車スペースから、屋敷の横手のほうに回り込むと、きとんと整えられた庭に行けるようだ。
「さて、到着だ。二人とも降りたまえ。」
ロイは駐車スペースの一番端に車を止め、すぐに玄関の方に歩いて行く。
エドは車から降りて、一番最初に大きくのびをして、体をほぐした。
「お疲れ様兄さん。
ここまでだいぶかかったね。」
「本当だぜ。
まったく、なんでもっと利便性のいいところに住んでくれないのかねえ。
俊刃の錬金術師は。」
エドのつぶやきが聞こえたのか、ロイが厳しい顔で振り返った。
「馬鹿者。
彼は名誉の負傷によって退役したのだ。
静かな場所で療養したいと思うのはいけないことかね。
ほら、こちらに来なさい。」
ロイに強めの口調で呼ばれたエドは、しぶしぶ早足でロイに追いつき、一緒に並んで玄関まで歩く。
アルは兄が閉め忘れた車のドアの鍵を閉めてから小走りに駆けつけ、玄関にたどり着いたのは、ほとんど二人と一緒だった。
ロイは二人がちゃんといることを確認してから、樫木作りのドアに取り付けられているドアノッカーを二回たたいた。
「俊刃の錬金術師、おられますか?
お電話差し上げた、ロイ・マスタングです。」
ロイが言ってすぐに、ドアが開く。
ドアを開けたのは、メイド姿の黒髪の慎ましやかな女性だった。
クラッシックなデザインのメイド服を着た女性は、ロイに向かって頭を下げる。
「お待ちしておりました、マスタング大佐。
どうぞお入りください。ご主人様がお待ちです。」
三人は、メイドの女性に案内され、すぐに屋敷の書斎らしき場所に通された。
「おお、すげえ」
エドは書斎に踏み込んで、ついつい感嘆をあげてしまった。
書斎の床には絨毯が敷かれ、天井からは大きめのランプぶら下がっていた。
机とドア以外の壁はすべて木の棚になっていて、錬金術に関する分厚い文献がずらりと居並んでいる。
入ってきたドアの向かいの壁には出窓があり、その手前に読み書きや研究をするのであろう大きなオーク材の机が鎮座していた。
そして、この屋敷の主は、入ってきた三人に背を向け、机に向かって書き物をしている最中だった。
三人が入ってきたことには気がついているようだが、振り替えらず、書き物の手も止めなかった。
「ようこそ、焔の錬金術師。
君たちが到着する前に書き上げてしまうつもりだったのだが・・・、困ったことに、書き終わる前に君たちが到着してしまった。
今の私には、書き物をするのに時間が必要でね。十年もたつのに、未だに慣れずに不便だよ。」
背を向けていた男は、使っていた万年筆に奇妙な動きでキャップをはめると、椅子を引いて立ち上がった。
「お待たせして申し訳ない。
いやはや、久しぶりだな、マスタングくん。」
男性が三人の方を向いたとき、エドとアルは、あっという表情をしてしまった。
立ち上がって、三人の方を向いた男性には、右腕がなかったのだ。
腕一本がまるまる存在しないらしく、肩口のあたりで、邪魔な袖が結ばれて、硬めに縛られている。
「お久しぶりです。
俊刃の錬金術師、お元気そうで何よりです。」
ロイは穏やかな表情で挨拶を交わすと、左手で握手を交わした。
男性は、苦笑いをした。
「私はもう退役したよ、マスタングくん。
今は一塊の錬金術師にすぎん。
フェロー・レザーエッジという名前があるのでな、そちらで呼んでくれないか。」
ロイは肩を竦めた。
「私の中では、あなたは未だに俊刃の錬金術師で誉れ高い国軍大佐なのです。
昔からの呼び方というのは、なかなか直りません。
どうかご容赦ください。」
「ははは、まいったね。
で、こちらの二人が、電話で言っていた鋼の錬金術師とその弟くんだね。
はじめまして。
お呼び立てして申し訳ない。元、国家錬金術師のフェロー・レザーエッジだ。
握手は左手で、失礼。」
エドとアルは、それぞれ名乗りながらレザーエッジと握手を交わした。
レザーエッジは、優しそうな初老の男性である。
しわのないワイシャツの上に灰色のベストを身につけ、同じ地のスラックスをはいている。
髪型はオールバックに整えられている。元は黒かったのだろう髪はもはや大半が白髪になってしまっていた。
そして、やはり一番目を引いてしまうのが、右腕のあるべき場所で結ばれた袖である。
「ここではゆっくり話ができないね。
応接間に行こうか。」
レザーエッジは書きかけの書類の束を抱え、三人を応接間に案内してくれた。
「いやあ、最初から応接間に通すのが筋なんだろうが、君たちが訪れる前に書き上げて、応接間で待つものとばかり思っていたから、来客があったら私の書斎に通すように言いつけてしまったのだ。
遠いところに来てもらって疲れているだろうに、悪かったね。
善意のお客人は、心からもてなすべし、という心情があるのだが、今回ばかりは下手を踏んだようだ。」
ロイは柔らかく否定した。
「いえ、まずお元気そうなお顔を拝見できて何よりでした。
応接間で長々待たされるより、よっぽどましですよ。」
応接間に近づくと、先ほどのメイドが、レザーエッジと三人のために応接間のドアを開けてくれた。
応接間は、落ち着いた色合いの部屋で、応接セットと南向きに大きな窓があり、その先には庭に面したバルコニーがあり、そこから庭に出られるようになっていた。
火は入っていないが、部屋の壁際には暖炉もあった。
「さあ、どうかかけてくれ。
今、お茶を持ってこさせよう。」
ロイとエドとアルは、庭がよく見えるソファーに通され、真向かいにレザーエッジが座った。
メイドが四人分のお茶を用意して下がるのを見送ってから、ロイが口を開いた。
「重ねてになりますが、退役されたレザーエッジ大佐のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません。
電話にてお伝えしたとおり、この鋼の錬金術師とその弟に、あなたの特殊合金の錬成式をご伝授いただきたい。」
エドはロイにいわれて、会釈をした。
レザーエッジは一瞬真剣に眉間にしわを寄せ、三人を不安にさせたが、冗談だったようですぐに笑顔で了解してくれた。
「もちろんだとも。
私が考え出した合金が、求められているのに、ほかの誰にも再現できなかったというのは、研究者としての最後の意地悪ができたようだ。
だが、退役したじいさんには、宝の持ち腐れなのは間違いない。
世の中に役立ててもらえるなら、拒絶する理由はないね。」
電話にて承諾を受けていたとは言え、レザーエッジの快い言葉にロイの表情が和らぐ。
そう、ロイにつれられて、エドとアルが屋敷を訪れたのは、現役時代ころにレザーエッジが考案した特殊合金の錬成式を教えてもらうためであった。
その特殊な合金は錬成課程が複雑で、俊刃の錬金術師といわれたレザーエッジにしか錬成できないしろものであった。
合金は、銀につやのある白を混ぜたような色をしており、錆を寄せ付けず、軽く、強靱という特性をもっていて、大総統の剣もこの合金製というほど信頼性が高い代物である。
兵器にはもってこいの素材だったのだが、レザーエッジが腕を失って退役してからは生産方法がなく、使いたくても使うことができない幻の素材だった。
これを再現させようと白羽の矢が立てられたのが、エドとアルだったのだ。
「しかし、いや、申し訳ないのだが、もう少し時間をもらえるかな?
先ほどの書きかけのものは、何を隠そうその錬成式を書いていたのだ。
とりあえず挨拶と謝罪とをとおもってここまで案内したが、書きかけ渡されても困るだけであろう?
書き上げるまで時間はもらえないかな?」
いわれたロイは、しまったというような顔になった。
「そうでしたか、それは大変失礼いたしました。
急がせてしまって申し訳ありません。」
ロイの謝罪に、レザーエッジは笑った。
「いやいや、来るとわかっていながら、ちゃんと前から準備をしていたなかった私が悪いんだよ。
どうも昔から、宿題はぎりぎりにならないとやらないタイプでね。
で、今回は締め切りに間に合わなかった訳だ。」
レザーエッジは、応接用の机の上に、持ってきた書類を広げて、メイドに万年筆と文鎮を持ってこさせた。
「申し訳ないが、急いで書き上げてしまうから、待っていてもらえないかな?
私のおそい筆でも、あと一時間もあれば書き上がると思うんだ。
庭でも散策して時間をつぶしていてはくれないか?」
続く
お楽しみいただければ幸いです。
プロローグ
その青年には、毎日夢に見る光景がある。
その夢の中では、彼はかつての幼い姿だった。
いつも真っ白い空と黒い雲を背景に、小高い丘の上にいる、一人の男を、丘の下から見上げていた。
その男の周りには、無数の剣が、天を貫かんとする剣山ように、刃を上にして林立している。
丘の上から視線を下げると、少年の目の前に、もう一人、人物がいた。
一際鋭利で大きな剣に、胸を突かれ、刃が背中まで貫通した人間の体が、少年に背を向ける姿勢で風に揺れていた。
それは、たくましい体つきの男だった。
汚れているが、青い軍服を身につけている。
金色の指輪をはめたその手には、一振りの剣が握られていた。
剣に貫通されている人物の血が、剣を伝わって地面に血だまりを作っていた。
少年は、おそるおそる、目の前で倒れている人物に、回り込むように近づく。
少年の鼓動が早くなる。少年の視界の角度が変わり、血を流す人物の顔が見えるようになる。
唇から一筋、血が流れた後がある。両目は静かに閉じられ、苦悶の表情ではないが、その肌の色は青白く、決して生者の色はしていない。
「おとうさん」
少年の唇が、震えた。
その声に、血を流す男は反応しない。永遠に。
少年の頬を知らず熱い涙が伝う。
少年が、父の体に触ろうと、手を伸ばした。が、それは届くことはなかった。
目の前に、丘の上に見た男が立っていた。その男に、少年の手は叩かれたのだ。
「触るな。このようになりたくなければ。」
それは、周りに突きたつどの刃よりも、冷たく、恐ろしかった。
そしてその男の手は、べっとりと赤いもので汚れていた。
「よくも、おとうさんを!」
少年は、男に向かって、鋭く叫んだ。
そして、後先のことなど考えず、男に向かって飛びかかった。
父を目の前でなくした悲しみが、少年の体を突き動かした。
飛びかかった瞬間、目の前が真っ赤になり、体を激痛が襲う。
「う、うわああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫をあげて、飛び起きる。
全身、いやな汗をかき、息は乱れていた。
青年は、あたりを見渡し、それがいつもの夢であったと理解し、悪態をついた。
父を亡くしてから、かれこれもう十年ほど。
青年は、毎日のように、悪夢を見て飛び起きる。
ずきり、と古傷が痛んだ気がして、青年は体を曲げ、古傷の上の服を握りしめた。
「・・・毎日、毎日、俺を苦しめやがって・・・。
殺してやる、殺してやるぞ、俊刃(しゅんじん)の錬金術師!」
俊刃の剣(しゅんじんのつるぎ)
第一話
エドとアルは、車に揺られて、東部の北寄りにある高原の森の中を進んでいた。
車を運転しているのは、ロイである。
道の脇には手入れされた白樺の森が続いており、細かなじゃりがしかれた小道には、木漏れ日の模様が思いもよらない美しい文様を描いていた。
だが、都会の喧噪を忘れさせる、さわやかな高原の空気も、緑と白のコントラストが美しい風景も、エドにとってはきわめてつまらない風景にしか映らなかった。
「なあ、大佐、まだあ?」
エドは完璧に飽きた声でエドに訪ねた。
「君、五分前にも同じことを聞いただろう。
答えは同じ、もう少しだ。」
車を運転しながら、ロイはあきれた声で答えた。
バックミラーで確認すると、外を眺めて風景を楽しんでいるアルとは違い、エドは大あくびをこき足を投げ出して憮然とした顔をしていた。
「君はもう少し弟を見習いたまえよ。
アルフォンス君は外の景色を楽しんでいるじゃないか。
ここは、大軍閥の別荘がたつほどの、風光明媚な避暑地として有名なところなのだぞ。
いつも汽車で町から町に移動して、観光などしている暇のない君たちには、珍しい風景じゃないのかね?」
エドは、興味なさげに、ちらっと窓の外を眺めた。
「たしかに、白樺はきれいだと思うけどさ。
どこまでいっても、ずーっと白樺の林で代わり映えしないし。
たまに見えても、どっかのだれかさんの別荘が建ってるだけ。
あきもするだろ。アルは何が楽しいんだ?」
エドが外を眺めている弟に尋ねた。
「え?きれいじゃない?青々と茂る葉っぱとか、木漏れ日とか。
変化に乏しいっていっても、たまに沢とかもあるよ。きれいな声でなく鳥とかもたまに枝に留まってるし。
観察してると、いろんなものがあるよ?」
それを聞いたロイが、笑った。
「はははは、やはり、弟くんの方がよほど兄より大人だな。
アルフォンス君を見習って、少しは大人の考え方になり給えよ。」
褒められたアルは、心なしかうれしそうな雰囲気を放ち、エドの方は余計に機嫌を損ねたようだった。
「ちぇ、そんなもん、何の足しにもならないっての。」
ロイは、余計にむくれたエドをミラーごしに見て苦笑いした。
「でも、もうだいぶ長い時間運転なさってますよね。
疲れてませんか?といっても、兄さんも僕も運転は代われないですけど。」
アルが見せた気遣いに、ロイは笑顔で返した。
「なに、これぐらい大丈夫だよ。
軍人はもっと長い時間、もっと過酷なこともするからね。
でも、気遣いありがとう。本当に君の方が兄のようだな。」
エドは目をつり上げた。
「俺の!方が!兄っ!」
いつもの反応に、ロイとアルは苦笑いした。
「それにいても、こんな長い時間、司令官が司令部抜け出してていいのかよ。
みんな困ってんじゃねーの?」
エドの言葉に、ロイは複雑そうな表情になった。
「うむ、それについてはちょっと事情があってな。
東方司令部で追っていた組織が、内輪もめでも起こしたのか、つい最近いきなり瓦解したのだよ。
長い間追いかけていた大きな組織だっただけに、寝耳に水の話でな。
掃討作戦を考えていた今週のスケジュールにぽっかり穴が開いてしまったんだ。
まあ、そんなわけで、前々から考えていたことに時間を当てようかと思ってね。
ちょうどよく君たちがイーストに来てくれていたし。」
「忙しいって聞いてたから、顔合わせなくてすむかなーと思ってたら、いきなり首根っこ捕まれて、いくぞ!だしな。
まったく、人の予定も考えてほしいぜ。」
エドの機嫌が悪いのは、そのあたりも関係しているようだった。
「はっはっは、すまんすまん。
だが、君たちにも話しただろう?君たちが損する話ではないとな。
まあ、こんな話題でも、多少の暇つぶしにはなったんじゃないかね。
ほら、あそこに見える家が、目指す目的地だ。」
ロイにいわれ、エドは前の座席の間から前をのぞき込んだ。
車が進んでいく道は、緩やかにカーブしており、その先に一件の家が見えた。
どうやらこの道は、その家で行き止まりになっているらしい。
高級別荘といった趣の、高原という雰囲気にマッチした、洒落たデザインの屋敷である。
ロイが運転する車は、ことことと音を立てながら、その屋敷の庭の中に入っていった。
第二話
屋敷の正面の庭には、車が数台分止まれるように駐車スペースが確保されており、そこには小道と同じ白くて細かい砂利が敷き詰められている。
屋敷にはベランダや出窓が、正面の玄関から見て左右対称になるように作られており、その外壁には蔓草が外壁に絡まり、深い緑色に包まれているところが所々に見受けられた。
駐車スペースから、屋敷の横手のほうに回り込むと、きとんと整えられた庭に行けるようだ。
「さて、到着だ。二人とも降りたまえ。」
ロイは駐車スペースの一番端に車を止め、すぐに玄関の方に歩いて行く。
エドは車から降りて、一番最初に大きくのびをして、体をほぐした。
「お疲れ様兄さん。
ここまでだいぶかかったね。」
「本当だぜ。
まったく、なんでもっと利便性のいいところに住んでくれないのかねえ。
俊刃の錬金術師は。」
エドのつぶやきが聞こえたのか、ロイが厳しい顔で振り返った。
「馬鹿者。
彼は名誉の負傷によって退役したのだ。
静かな場所で療養したいと思うのはいけないことかね。
ほら、こちらに来なさい。」
ロイに強めの口調で呼ばれたエドは、しぶしぶ早足でロイに追いつき、一緒に並んで玄関まで歩く。
アルは兄が閉め忘れた車のドアの鍵を閉めてから小走りに駆けつけ、玄関にたどり着いたのは、ほとんど二人と一緒だった。
ロイは二人がちゃんといることを確認してから、樫木作りのドアに取り付けられているドアノッカーを二回たたいた。
「俊刃の錬金術師、おられますか?
お電話差し上げた、ロイ・マスタングです。」
ロイが言ってすぐに、ドアが開く。
ドアを開けたのは、メイド姿の黒髪の慎ましやかな女性だった。
クラッシックなデザインのメイド服を着た女性は、ロイに向かって頭を下げる。
「お待ちしておりました、マスタング大佐。
どうぞお入りください。ご主人様がお待ちです。」
三人は、メイドの女性に案内され、すぐに屋敷の書斎らしき場所に通された。
「おお、すげえ」
エドは書斎に踏み込んで、ついつい感嘆をあげてしまった。
書斎の床には絨毯が敷かれ、天井からは大きめのランプぶら下がっていた。
机とドア以外の壁はすべて木の棚になっていて、錬金術に関する分厚い文献がずらりと居並んでいる。
入ってきたドアの向かいの壁には出窓があり、その手前に読み書きや研究をするのであろう大きなオーク材の机が鎮座していた。
そして、この屋敷の主は、入ってきた三人に背を向け、机に向かって書き物をしている最中だった。
三人が入ってきたことには気がついているようだが、振り替えらず、書き物の手も止めなかった。
「ようこそ、焔の錬金術師。
君たちが到着する前に書き上げてしまうつもりだったのだが・・・、困ったことに、書き終わる前に君たちが到着してしまった。
今の私には、書き物をするのに時間が必要でね。十年もたつのに、未だに慣れずに不便だよ。」
背を向けていた男は、使っていた万年筆に奇妙な動きでキャップをはめると、椅子を引いて立ち上がった。
「お待たせして申し訳ない。
いやはや、久しぶりだな、マスタングくん。」
男性が三人の方を向いたとき、エドとアルは、あっという表情をしてしまった。
立ち上がって、三人の方を向いた男性には、右腕がなかったのだ。
腕一本がまるまる存在しないらしく、肩口のあたりで、邪魔な袖が結ばれて、硬めに縛られている。
「お久しぶりです。
俊刃の錬金術師、お元気そうで何よりです。」
ロイは穏やかな表情で挨拶を交わすと、左手で握手を交わした。
男性は、苦笑いをした。
「私はもう退役したよ、マスタングくん。
今は一塊の錬金術師にすぎん。
フェロー・レザーエッジという名前があるのでな、そちらで呼んでくれないか。」
ロイは肩を竦めた。
「私の中では、あなたは未だに俊刃の錬金術師で誉れ高い国軍大佐なのです。
昔からの呼び方というのは、なかなか直りません。
どうかご容赦ください。」
「ははは、まいったね。
で、こちらの二人が、電話で言っていた鋼の錬金術師とその弟くんだね。
はじめまして。
お呼び立てして申し訳ない。元、国家錬金術師のフェロー・レザーエッジだ。
握手は左手で、失礼。」
エドとアルは、それぞれ名乗りながらレザーエッジと握手を交わした。
レザーエッジは、優しそうな初老の男性である。
しわのないワイシャツの上に灰色のベストを身につけ、同じ地のスラックスをはいている。
髪型はオールバックに整えられている。元は黒かったのだろう髪はもはや大半が白髪になってしまっていた。
そして、やはり一番目を引いてしまうのが、右腕のあるべき場所で結ばれた袖である。
「ここではゆっくり話ができないね。
応接間に行こうか。」
レザーエッジは書きかけの書類の束を抱え、三人を応接間に案内してくれた。
「いやあ、最初から応接間に通すのが筋なんだろうが、君たちが訪れる前に書き上げて、応接間で待つものとばかり思っていたから、来客があったら私の書斎に通すように言いつけてしまったのだ。
遠いところに来てもらって疲れているだろうに、悪かったね。
善意のお客人は、心からもてなすべし、という心情があるのだが、今回ばかりは下手を踏んだようだ。」
ロイは柔らかく否定した。
「いえ、まずお元気そうなお顔を拝見できて何よりでした。
応接間で長々待たされるより、よっぽどましですよ。」
応接間に近づくと、先ほどのメイドが、レザーエッジと三人のために応接間のドアを開けてくれた。
応接間は、落ち着いた色合いの部屋で、応接セットと南向きに大きな窓があり、その先には庭に面したバルコニーがあり、そこから庭に出られるようになっていた。
火は入っていないが、部屋の壁際には暖炉もあった。
「さあ、どうかかけてくれ。
今、お茶を持ってこさせよう。」
ロイとエドとアルは、庭がよく見えるソファーに通され、真向かいにレザーエッジが座った。
メイドが四人分のお茶を用意して下がるのを見送ってから、ロイが口を開いた。
「重ねてになりますが、退役されたレザーエッジ大佐のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません。
電話にてお伝えしたとおり、この鋼の錬金術師とその弟に、あなたの特殊合金の錬成式をご伝授いただきたい。」
エドはロイにいわれて、会釈をした。
レザーエッジは一瞬真剣に眉間にしわを寄せ、三人を不安にさせたが、冗談だったようですぐに笑顔で了解してくれた。
「もちろんだとも。
私が考え出した合金が、求められているのに、ほかの誰にも再現できなかったというのは、研究者としての最後の意地悪ができたようだ。
だが、退役したじいさんには、宝の持ち腐れなのは間違いない。
世の中に役立ててもらえるなら、拒絶する理由はないね。」
電話にて承諾を受けていたとは言え、レザーエッジの快い言葉にロイの表情が和らぐ。
そう、ロイにつれられて、エドとアルが屋敷を訪れたのは、現役時代ころにレザーエッジが考案した特殊合金の錬成式を教えてもらうためであった。
その特殊な合金は錬成課程が複雑で、俊刃の錬金術師といわれたレザーエッジにしか錬成できないしろものであった。
合金は、銀につやのある白を混ぜたような色をしており、錆を寄せ付けず、軽く、強靱という特性をもっていて、大総統の剣もこの合金製というほど信頼性が高い代物である。
兵器にはもってこいの素材だったのだが、レザーエッジが腕を失って退役してからは生産方法がなく、使いたくても使うことができない幻の素材だった。
これを再現させようと白羽の矢が立てられたのが、エドとアルだったのだ。
「しかし、いや、申し訳ないのだが、もう少し時間をもらえるかな?
先ほどの書きかけのものは、何を隠そうその錬成式を書いていたのだ。
とりあえず挨拶と謝罪とをとおもってここまで案内したが、書きかけ渡されても困るだけであろう?
書き上げるまで時間はもらえないかな?」
いわれたロイは、しまったというような顔になった。
「そうでしたか、それは大変失礼いたしました。
急がせてしまって申し訳ありません。」
ロイの謝罪に、レザーエッジは笑った。
「いやいや、来るとわかっていながら、ちゃんと前から準備をしていたなかった私が悪いんだよ。
どうも昔から、宿題はぎりぎりにならないとやらないタイプでね。
で、今回は締め切りに間に合わなかった訳だ。」
レザーエッジは、応接用の机の上に、持ってきた書類を広げて、メイドに万年筆と文鎮を持ってこさせた。
「申し訳ないが、急いで書き上げてしまうから、待っていてもらえないかな?
私のおそい筆でも、あと一時間もあれば書き上がると思うんだ。
庭でも散策して時間をつぶしていてはくれないか?」
続く
1/5ページ