クリムゾン†レーキ
…67、強女の剣
オリヴィエの烈迫の気合いと共に振り抜かれた刃が、アームストロング少佐に襲いかかる。
ギョッとしたアームストロング少佐は、あわてて体を引き、寸でのところで剣先を避けた。
のけ反り気味になったアームストロング少佐に向かって、オリヴィエは一歩踏み込み、返した剣でなおも斬りかかる。
「あ、あ、姉上っ!?
いったい何事なのですかっ!」
アームストロング少佐は、本気で殺しにかかってきているオリヴィエの剣を必死に避けながら悲鳴を上げる。
「我輩が何か粗相をいたしましたかっ!?」
オリヴィエはアームストロング少佐の首に向かって、一閃した。
必死になってアームストロング少佐は避けたが、避けていなければ、胴体と頭が離れるのは間違いなかっただろう。
なおも踏み込んできたオリヴィエの顔が、アームストロング少佐に急激に接近する。
その目は、雪山の吹雪のように厳しい。
「アレックスっ!
鍛練とはなんだ?
実戦とはなんだ?
鍛練は実戦のつもりで、行うものだ。
ならば、鍛練中に死ぬのも当然!
お前には鍛練で死ぬだけの覚悟はないだろう!
死は…いつでもお前にまとわりついている、実戦と訓練を差別しているお前などにっ!
軍人たる資格は、ないっ!」
無茶苦茶なっ!
と、アームストロング少佐は、叫びたかったが、そんな暇をオリヴィエが与えてくれるはずもない。
避けるのが精一杯だった。
このままでは命が危ない。
身を守るためには、戦うしかない。
しかし、実の弟であるアームストロング少佐は、今日のオリヴィエは僅かながら様子が違っていることを感じていた。
「姉上!」
アームストロング少佐は、通りすぎたオリヴィエの手首を狙い、手刀を放つ。
このタイミングでは、オリヴィエは剣でアームストロング少佐の手を切ることはできない。
手首に当たれば、さすがのオリヴィエとて、剣を取り落とす。
そう考えての、とっさの一撃であった。
「甘いっ!たわけ者がっ!」
オリヴィエはすぐに剣から手を離し、手刀を避け、手刀を外したために僅かながらバランスを崩したアームストロング少佐に向かって、強烈な蹴りをかました。
「うぐっ!」
蹴りは見事にアームストロング少佐の割れた腹筋に突き刺さり、その勢いで地面に叩きつけられた。
体を起こすよりも、オリヴィエの剣の方が早い。
オリヴィエは素早く落ちた剣を取り、容赦なく上段に振り上げる。
「アレックス、貴様、この程度で生きていることを、恥ずかしくは、思わないのかっ!?
貴様ごときが何故生きているっ!
貴様がおめおめと生き恥を晒しているのならばっ!
この場で貴様に引導を渡してやるっ!」
オリヴィエは虎のように吠え、牙のように剣を降りおろす!
アームストロング少佐は、とっさに腕で急所を庇う。
がきんっ!
オリヴィエの剣の刃先が、鈍く音を立てて、アームストロング少佐の腕の寸前で止まった。
アームストロング少佐が恐る恐る腕を下ろすと、オリヴィエの剣は、閉じられた扇の先で止められている。
振り向けばそこにはガルガントスがおり、手にした鉄扇でオリヴィエの剣を止めていた。
「父上…っ!」
オリヴィエは憎々しげに、アームストロング少佐は驚嘆混じりに、その人物を呼んだ。
「そこまでだ、オリヴィエ」
ガルガントスは静かに言った。
その目は鋭く、覇気を宿していた。
オリヴィエを虎と例えるなら、ガルガントスは獅子である。
「オリヴィエ。
お前の心中は察するが、我が家の長男をむざむざ斬り殺されるところを見逃す訳にはいかん。
剣を引きなさい。」
オリヴィエは、一瞬だけ険悪な顔をしたが、それから思い直したように、苦い顔になった。
軽く舌打ちをしながら剣を引き、鞘に納める。
「命拾いしたな、アレックス。」
オリヴィエはそう言うと、振り返らずに屋敷の方へ歩いていった。
アームストロング少佐は、未だに状況が飲み込めず、倒れたまま、オリヴィエの後ろ姿を見送った。
ガルガントスは手にした鉄扇を、一度開いてからパチンとしめた。
「いつまでも尻餅をついとるのではない。アレックス。」
ガルガントスはそう言うと、アームストロング少佐が立ち上がるのを助ける為に手を差しのべた。
アームストロング少佐はその手をとり、立ち上がる。
「ありがとうございました。父上。
いきなり姉上に急襲され、仰天してしまいました。
姉上はいったい、どうされたのでしょうか。」
ガルガントスは首を傾げる息子を見上げた。
「軍法会議所には、オリヴィエの話しは伝わらんかったのか?」
アームストロング少佐は肯定した。
「姉上がセントラルにいらしておるとは、お会いするまで知りませんでした。」
ガルガントスは小さく唸った。
「実はこの度な、オリヴィエに栄転の話がもたらされたのだ。」
栄転と聞いて、アームストロング少佐は少し意外に思った。
北壁と言われるまでに育て上げた砦を、簡単に移動してしまうのはオリヴィエらしくないと思ったからだ。
「栄転、ですか。
姉上はセントラルに赴任する事になったのですか?」
ガルガントスは苦笑いを浮かべる。
「セントラルどころの話ではない。
大総統閣下のお側に使えよとの人事である。」
「なんと!!」
軍人としては、この上ない栄誉である。
しかし、アームストロング少佐は知っている。
この国の頂点こそが暗部であることを。
ガルガントスもそれは承知の筈である。
「今、北の情勢はオリヴィエが離れられるような状況ではない。
オリヴィエは大総統閣下に提案を出し、人質として、側近のバッカニア大尉を差し出した。
オリヴィエとて、人の子よ。
いくら作戦や算段があったうえでも、やはり動揺しておるのだ。」
ガルガントスも、オリヴィエが立ち去った方へ視線を向けた。
屋敷の明かりこそ、植木の向こうに見てとれたが、オリヴィエの姿はすでになかった。
★★★★★★
オリヴィエは屋敷の扉を開けながら、苛立ちを息に乗せて吐き出すように、ため息をついた。
まさかこの程度で動揺するとは。我ながら情けない。
オリヴィエは扉を閉めて顔を上げた。
そこは調度品によって飾られた玄関ホールである。
そして、その玄関ホールの真ん中では、一人の男が待ち構えていた。
その男は、入ってきたオリヴィエに、笑みを向ける。
オリヴィエは男を一瞥すると、髪をかきあげて一瞬顔を男から隠した。
髪の毛の間を指がすり抜けて離れた時には、オリヴィエの顔は、いつもの表情をしていた。
「久しいな。
北の砦以来だ。
光のホーエンハイム。」
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続く