クリムゾン†レーキ
…65、逞しい腕
アメストリスという国の中心、国軍中央指令部。
その総司令部たるのが、大総統府である。
石作りの大総統府の廊下を、護衛のバッカニアを従えて、颯爽と進むのは、オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将である。
このころ、隣国ドラクマのスパイの行動が頻繁になってきており、北への攻撃があるのではないか、とオリヴィエが警戒をしていた時期に、大総統からの呼び出しを受けた。
オリヴィエの目は、鋭く、厳しく、美しく、そしてどこか愉快さを湛えていた。
オリヴィエは、進みながら、背後についてくるバッカニアに短く言う。
「行くぞ、バッカニア。
これからが勝負のしどころだ。」
「承知しておりますとも。」
迷わず進んだその先に、アメストリスという国の心臓が鎮座する場所がある。
軍事最高責任者
大総統、キング・ブラッドレイが鎮座する場所が。
オリヴィエとバッカニアは、護衛二人が左右にいる一枚の扉の前で立ち止まった。
軽く握ったオリヴィエの拳が、オーク材でできた扉をノックする。
「オリヴィエ・ミラ・アームストロング少将。
参りました。」
「入りたまえ。
アームストロング少将。」
威圧感さえ漂う声が室内から響いた。
「失礼いたします。」
だが、そんなことで怯むオリヴィエではない。
表情さえ変えず、扉を開いた。
室内は、大総統と、その側近が円卓を囲み、ズラリといならんでいた。
その視線は全てオリヴィエに注がれている。
オリヴィエは、その視線を押し返すように数歩前に出た。
「北壁からお呼び授かり参上いたしました。
大総統閣下。」
オリヴィエは踵をうちならして敬礼する。
「うむ、ご苦労である。
かけたまえ。」
大総統と間向かう円卓の椅子に、オリヴィエは座った。
その背後にバッカニアが立つ。
「さて、アームストロング少将。
君を呼び出した要件についてだが…。」
さっそく、ブラッドレイが切り出した。
まどろっこしい前座が嫌いなオリヴィエは、ブラッドレイがすぐに本題を切り出したことに、内心感心し、感謝した。
「要件は、単純明快でな。
私の側近の一人にならんかね。」
オリヴィエはぴくり、と眉を動かした。
オリヴィエの反応がかすかだったので、意味が通じなかったのかと、一人の将軍が身を乗り出す。
「つまり、栄転だよ。
アームストロング少将。
おめでとう」
ブラッドレイの側近の一人…名前は、たしかレイブンと言ったか。
レイブン将軍が、にやけるような笑い顔でオリヴィエに言った。
オリヴィエは、その笑い顔を今すぐ叩き切ってやりたかったが、おくびにも出さずに、ブラッドレイを見詰め返す。
「畏れ多いお話です。
理由をお聞きしてもよろしいですか?」
ブラッドレイは、少し顔をあげ、オリヴィエを見る。
「アームストロング少将が北壁と呼ばれ、北のドラクマを寄せ付けぬのは、聞き及んでいる。
その手腕を手元に置きたい、というのは、理由にならぬかな?」
オリヴィエは、ブラッドレイの眼を見詰め、ふっと眼を細めた。
「これ以上ない、最高の栄誉です。
大総統閣下。
しかし、今、閣下の側近になることは、できかねます。」
はっきり言い切ったオリヴィエの言葉に、ブラッドレイの周りにいる将軍たちは、一瞬理解できず、呆気にとられた顔をした。
その中で一番早くに理解したのだろう、坊主頭の将軍が怒りも顕に立ち上がり、円卓を強く叩く。
「貴様!
大総統閣下に対して、なんたる無礼を!」
こめかみに青筋を立てて怒鳴り散らす将軍に、ブラッドレイは片手を少し上げてみせ、黙らせた。
「アームストロング少将、君は栄誉と言いつつも、私の側近にはなりかねる、と言う。
何故かね。」
オリヴィエは、一度ゆっくりとまばたきをしてから、迷いなく口を開いた。
「私にとって、いえ、我がアメストリス国軍に所属する全ての軍人にとって、大総統閣下のお側で尽くすことは、最高の栄誉と言えましょう。
私も、できることなら今すぐに、閣下の側近になるという栄誉を賜りたい。
しかし、閣下もご存知の通り、私が閣下からお預かりしている天険ブルックズは、今、ドラクマのスパイと思われる不審者の動きが活発になっています。
ドラクマにとって、もっとも邪魔者になっている私がブルックズにいないと知れたら?
また、例え栄転であっても、兵にしてみれば、私が北の脅威に怯え、セントラルに逃げたように見えるでしょう。
そうなれば、兵の士気は下がる。
難攻不落の砦というのは、常に兵の士気が高いゆえに実現できているのです。
闘志の欠けた軍が難攻不落かどうかは保証しかねます。
しかも、そうなれば私の後任の司令官の経歴にも、国軍の評価にも泥を塗ることになるでしょう。
総じて、それは大総統閣下のお名前にも泥を塗ることと、同じことです。」
先ほどの坊主頭の将軍が、ふんっと鼻で笑う。
「なるほど?
たいした慧眼だな。
それを理由に大総統閣下のご厚意を無下にするわけか。」
オリヴィエは、嫌みを無視し、ブラッドレイしか見詰めていない。
「私は、そんな無様な栄誉を持ちながら、大総統閣下のお側に仕えることはできません。
お仕えするのであれば堂々と、御前に馳せ参じたい。」
ブラッドレイもまた、その鋭い瞳で、オリヴィエを窺う。
「なるほど。
たいした心がけだな。
では、アームストロング少将は北壁にずっといるつもりなのかね。」
オリヴィエは、少し得意気に頬を弛めた。
そして、堂々と宣言する。
「このアームストロング。
閣下が必要とされるのであれば、どこへでも行き、何者も討ち取って参ります。
ですので、お命じください。
今のところの状況からかんがみるに、もうすぐ、ドラクマから攻撃があるでしょう。
閣下が望むがままの勝利を勝ち取り、側近に加えていただく時の手土産といたしましょう。」
オリヴィエから溢れた覇気に、ブラッドレイ以外の将軍は一瞬気圧された。
「面白いな、アームストロング少将。
しかし、戦などなければどうする。」
ブラッドレイの問いに、オリヴィエは答える。
「閣下の側近になるという栄誉が、私から離れるだけです。」
「敗戦の将など、私の手駒にはいらぬぞ。」
「ご冗談を。
その時は、私も雪の大地で骸を晒しているでしょう。
御前を汚す真似はいたしません。
これでも、ご信用いただけないのなら、人質として、私の腹心の一人、このバッカニア大尉をおいていきます。
閣下の意に添わず敗れたり逃亡したときは、この男の首、跳ねていただいて結構!」
オリヴィエは、自分の背後に立つ男を、親指で指し示した。
「ふん!
そんな男、処刑したとしても、貴様は痛くも痒くもないではないか!」
坊主頭の将軍が苛立ちをにじませて言う。
オリヴィエはピクッと眉を動かし、蛇のような眼でその将軍を真っ向から睨んだ。
「…将軍は、お忙しさの余り、言葉を交わさずとも意思を汲み取る部下の重要性をお忘れのようだ。」
さすがの将軍も、びくりと怯む迫力だ。
「この男は、私にとって一騎当千の価値がある男。
千人分の兵力を処刑されて、私が痛手を被らないとでも?」
オリヴィエの迫力が完璧に将軍たちを上回った瞬間だった。
その様子眺めていたブラッドレイは、その時、急に笑い出した。
「はっはっはっは!
なるほど。
アームストロング少将の言いたいことは、良く解った。
ならば、我が命令を完璧に成し遂げ、その男を取り返してみせたまえ。」
オリヴィエはブラッドレイに視線を戻した。
「望むところです。」
ブラッドレイは、笑顔から厳めしい表情に戻った。
「ドラクマの獣どもが、我が国の領土を踏むことは許さん。
全て国境の外で撃破せよ。」
オリヴィエは、自信のある顔で笑っていた。
「承知!」
言って、オリヴィエは素早く椅子から立ち上がった。
「それでは、私はこれで。
バッカニアをよろしくお願いいたします。」
身を翻し、颯爽と会議室の扉に向かう。
その途中で、人質として確保され、左右を兵に囲まれたバッカニアとすれ違う。
「お待ちしております。
アームストロング少将。」
オリヴィエは、バッカニアを見上げ、ふっと笑う。
「馬鹿を言うなバッカニア。
待つ暇など、与えぬわ。」
その目は、今日一日の中でも、もっとも優しかったが、それはほんのつかの間のことで、また厳しい表情に戻ったオリヴィエは、会議室を金髪を靡かせながら出ていく。
扉から出る瞬間、その瞳が一瞬伏せられた気がしたが、すぐに扉が閉まり、バッカニアの視界からオリヴィエは消えた。
★★★★★
セントラルの軍閥の豪邸が立ち並ぶ一角、その中でもすこぶる豪奢な邸宅がアームストロング家の本家の屋敷であった。
門扉から屋敷まで、かなりの広さの庭があるため、まるで公園の中のようだ。
エドと、アルはその屋敷の居間で、呆気にとられて立ち尽くしていた。
内装が余りに眩しかったから、と言うわけではない。
探していた人物が、なんでもないようにそこにいたからだ。
「よう、エド、アル。
なんだってそんな所でつったってんだよ。
見とれるほどハンサムってか?」
新しいレンズがはまったメガネをかけ、ソファーでゆったりくつろいでいたのは…。
「ひゅ、ヒューズ中佐ぁぁぁああっ!?」
エドとアルは、同時にすっとんきょうな声を上げた。
「おいおい、俺たちも忘れちゃ困るぜ!」
そうなのだ。
アームストロング家の居間の巨大なソファーで、ゆったり体を休めていたのは、探していた、ヒューズ、ハボック、ブレダの三人だったのだ。
「な、なぜ、ヒューズ中佐が、我輩の屋敷に…!」
アームストロングも知らなかったのだろう、エドとアルの横で目を丸くしていた。
「ま、何はともあれ、見つかって良かったな。」
ほっとしたような口調で、一番後ろにいたホーエンハイムが言った。
「連絡しなくて悪かったな。
正確には、したくてもできなかったんだ。」
苦笑いのヒューズが、申し訳なさそうに言う。
その様子を庭の木の枝の上から覗き見ていたロイも、ヒューズ達がいたことに驚いていた。
「相変わらず…。
予想外な男だ。」
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続く