クリムゾン†レーキ
…62、不思議な焔
ヴィィー…ン
ガチャンッ
大きな歯車の稼働する音の後、硬いものが填まる音が響き、暗い壁の一部が割れる。
「ふぅ…。」
それは地下の〈家〉に通じるエレベーターだった。
中から現れたのは軍服を身にまとったロイ・グリード。
「全く、この忙しいのに地下に呼び出しとは。」
ロイはため息をつく。
「新しくできた通路は、すぐに入れる利点はあるが、中心部まで遠いのが難点だな。
まぁ、人目を気にしなくていいのは助かるが。」
ロイは独り言を言いながら、暗い地下通路を、体を低くして走り出す。
金網でできた天井の裏では凶悪なキメラたちが様子を伺っているはずだが、ロイは臆することなく進んでいく。
湾曲した通路のところどころにある小部屋は、実験室がほとんどだ。
破棄されているか稼働中かは別れるが。
もっと中心部に近づけばいろいろな部屋があるが、この辺はうらぶれた部屋が多かった。
進んでいくとロイの耳に人とも獣の鳴き声ともつかぬ音が届く。
それは進行方向から聞こえてきており、もう少し走るとそれは笑い声であることが解った。
「ひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
けたたましい笑い声の音源と思われる部屋が、通路の先に見えた。
軽い好奇心にとらわれたロイは、歩調を弛める。
その部屋は檻だった。
檻の中には灯りはなく、ロイが立つ廊下の小さな灯りが微かに届く程度で部屋の中はほとんど闇だった。
闇の中で何かが蠢く。
ホムンクルスは夜目がきくので、ロイにはそれが醜いキメラであることが解った。
檻の中で、その生き物はけたたましい笑い声を上げていた。
ロイはその生き物を、冷ややかな目で見下ろす。
「哀れな。」
微かに人間のころの面影が残る面立ちは、余計に生々しさを感じさせた。
ロイは興味を失ったように、その生き物から視線を離しまた走り出そうと一歩踏み出す。
「けかかかかかか、あー、あすたぁんぐ、たぁぁいさぁぁぁあ、うきょきょきょひゃー」
ロイは足を止めてもう一度、その生物を見る。
「やはり…哀れだ。
なまじ頭だけ生きているのも、考えものだな。」
ロイは静かに呟いてから、今度こそその場を立ち去った。
「こひひひ、あーそあーあー、きゃははぼー、あうー、おに、ひゅー、おにー、ひゅー、おにいちゃん…、きゅろろろ、ひゅー」
ロイが立ち去っても、けたたましい笑い声に終わりはない。
★★★★★
マダム・クリスマスは、病院からバーへの道を歩いていた。
その頭の中で、これからの裏で動くための作戦を練る。
歩いていく昼間の飲み屋街は、ゴミが多少ある程度で閑散としていた。
ようやく、自分のバーが見えた時、入り口に店の女の子が一人立っているのが見えた。
「キャロラインが外にいるなんて…どうしたんだろうね?」
マダムが疑問に思い足を止めた時、キャロラインの方もマダムに気がついたらしく、マダムの方へ焦ったように走ってきた。
「どうしたんだい?
そんなにあわてて。」
「すみません、マダム。
お留守中に、大変な上客様がいらっしゃいまして、マダムのお帰りを中で待っておられます。」
マダムはぴくりと眉を動かしただけで何も言わず、入り口を開け、すぐに店に入った。
バーカウンターに座り、チビりチビりと酒を飲んでいたのは…。
「なるほど、確かにこりゃ、上客だ。
久しぶりだね。
あんたが会いにくるなんて明日は槍かね?」
マダムは意地悪そうに言うと、すぐに上着を脱いでカウンターの中に入った。
言われた人物は苦笑いを浮かべる。
「確かに急に訪ねたのは悪かったが、そこまで言うかねマダム。
せっかく旧友が会いに来たというのに。」
マダムはふんっと笑って腕を組んだ。
「旧友ねぇ。
悪友の間違いじゃないかい?」
『上客』は、にやっと笑ってみせる。
「かもしれぬな。」
そう言って、琥珀色の液体を飲み干す。
「それで?かつての悪友が私を訪ねてくるなんて、どんな風の吹き回しだい?」
『上客』はにやっと笑う。
「少し、相談したくてな。
マスタング。」
★★★★★
地下の大空間。
金色の創造者の御前にロイは立っていた。
周りの闇の中には、兄弟達が潜んでいるに違いない。
「…我が息子、グリードよ。」
玉座に鎮座する父が、低く重く言葉を発した。
「はい。父上。」
ロイは腕を後ろに組み、背筋を伸ばして、全く臆することなく返事を返した。
組まれた手に、正体を隠す手袋はない。
「この一件について…、何か言うことがあるだろう。
何故、ラストを見殺しにした。」
目元を隠す手と、彫りの深い作りの顔にできた影のため、父の表情を伺うことはできない。
「見殺しではありません。
私が加勢に到着した時、すでに彼女は手遅れでした。」
ロイの言葉に、憤慨した様子のエンヴィーが、座っていた巨大なパイプから立ち上がった。
「どうして仇を討たなかったんだ!
負傷した奴らは絶好の獲物だったはずだ!
地下の通路を見られて、ラストを殺されて、それで報復しなかったなんて、正気じゃない!
せっかく手を回して、ハイエストを逃がしたり第三研究所を潰したりしたのに、結局、あのメガネの中佐は仕止められず終いだなんて、ラストがただの犬死もいいところだ!」
怒鳴るエンヴィーの足下では、グラトニーがつぶらな瞳からポロポロと涙を流していた。
「ラスト…ラスト死んじゃった…。」
ロイはそんな二人をチラリと見たあと、父に視線を戻した。
「確かに。
今は、そう思われてもおかしくないだろう。
しかし、私はあの場で彼らを殺す訳にはいかなかった。」
ロイはハッキリと言いきる。
「…聞こう。」
父に促され、ロイは頷く。
「あの戦闘は全く無駄というわけではありませんでした。
アルフォンス・エルリックが人柱であると確定したのです。」
エンヴィーはそれを聞いてギョッとしていた。
「なんだって!?
嘘言うなよグリード!」
ロイは余裕綽々の表情でエンヴィーを横目で見る。
「手柄を取られたと思って嫉妬したか?
だが、事実だ。」
ロイは視線を父に戻した。
「確かに、あの場で余計な人間を殺し、人柱を確保することも可能でしたが、それが最良であったかといえば、私は否と判断しました。
目の前で余計な人間たちを仕留めれば、人柱の二人が抵抗してくるのは必至。
さすがに人柱二人と、負傷しているとはいえ、ラストを仕留めるほどの腕のたつ、気の立った軍人三人は手に余ります。
それよりは、生かして飼い殺した方が好ましいと判断しました。
それに、今、侵入者は入院中。
今のうちに情報を操作してしまえば、彼らは後で何も口出しできません。」
エンヴィーは地団駄を踏む。
「入院中っていうなら、今!医療ミスに見せかけて殺しちまえよ!
そうすれば、お前におとがめはないだろ!?グリード!」
ロイは首をふる。
「ダメだ。
この前、凶悪殺人鬼を逃がしたばかりで、また不祥事を出せば、一般国民が騒ぎ出す。
今、余計なところに割いている暇はないだろう。」
エンヴィーは悔しそうに歯ぎしりしたが、言葉が見つからず呻くだけだった。
「…もちろん。
父上が今すぐ殺せと仰せられるなら、別だがな。」
ロイの言葉にエンヴィーは最後の望みをかけて父を見た。
「…この話はもうよい。
第3研究所のかわりなどいくらでもあるからな。」
エンヴィーは父の言葉にぎょっとした。
「お父様っ!」
抗議しようとしたエンヴィーを父は影の中から睨んだ。
「約束の日までに、人柱を揃えるのは、最優先事項だ。」
父にピシャリと言われてしまい、エンヴィーはビクッとしてからうなだれた。
「グリードもご苦労だった。
引き続き人柱の監視を怠るな。」
父の言葉に、ロイは恭しく(うやうやしく)お辞儀をした。
「畏まりました。
おまかせを。」
父は頭を下げたロイに一瞥をくれながら、パイプが繋がった石の玉座から立ち上がり、その場を去る。
エンヴィーが悔しげにしながら睨むなか、ロイは余裕の表情で顔を上げて、エンヴィーに浅く笑ってみせた。
一部始終を黙ったまま聞いていたプライドが、初めて小さく呟く。
「…解せません。」
その呟きは、プライドのすぐ脇に立つラースにしか聞こえなかった。
「ふむ。そうだな。」
ロイ・グリードを眺めながら、ラースもまた、そう呟き返していた。
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続く