クリムゾン†レーキ
…61、記憶の回路
大総統府が相手。
それは、国軍全て、ひいては国と敵対することにもなるということだった。
その途方もない相手に、エドは足元が闇に呑まれてしまう恐怖を覚えた。
病室は冷たささえ覚える沈黙が、さっと支配する。
「面白いじゃないっすか。」
打ち破ったのは、いままで一言も発しなかったハボックだった。
「大佐は国を変えるために上を…、大総統を目指してました。
なら、いつかは国とドンパチするだろうと覚悟はしてましたよ。
それが多少早まった。
それだけなんじゃないっすか?
俺はビビるってよりも、ようやく本番って気がしますけどね。」
点滴や包帯など、一番手酷いハボックだったが、ベッドの上で彼は、深い笑みを浮かべていた。
ハボックの言葉に、笑い返したのはヒューズだった。
「…違いない。
ハボやんの言うとおりだ。
ロイに一枚噛んでやると言ったときから、その気でいたんだ。
これからが本番の弔い合戦だよな。」
ハボックとヒューズの言葉に、ブレダとアームストロングも頷く。
エドはそんな大人たちを見て、改めて『ロイ・マスタング』という人物を思い知らされた。
「まったく、やんちゃ坊ばかりで困った奴等だね。」
マダムはあきれたように、また、感心したようにため息をついた。
「これからは俺たちだけでやります。
マダム、ご迷惑をおかけしました。」
ヒューズの言葉を、マダムは一笑した。
「馬鹿をおいいでないよ。
マー坊。
私がコケにされたまま退くと思ったら大間違いだよ。
確かに今まで以上に警戒しなきゃならないが、国とやり合うならそれも当然だろう。
かなり裏方からの援護だから、直接的に助けてはやれないかもしれないけど、退く気は一切ないよ。」
マダムの目も、猛禽を思わせる光を宿していた。
一度、崩れかけたエドは、揺らいだ自分を恥じた。
「もう、退けないところまで来ているんなら、進むしかない。
俺たちには、それしかないんだ!」
マダムはニヤリとすると、寄りかかっていた窓枠から体を浮かせた。
「じゃあ、話は決まった。
また追って連絡するよ。
今のところは、殺されないように用心しながら療養するんだね。
忙しくなりそうなんでね、私はおいとまさせてもらうよ。」
言いながら部屋を横切ったマダムは、全員に向けてイタズラなウインクを贈ってから、病室を出ていった。
「しっかし、ハボック、お前起きてたのかよ。」
ハボックの真向かいのベッドで横になっているブレダが言うと、ハボックは手を振って生きてることを伝えた。
「ああ、まぁな。
ちゃんと覚醒したのは話に加わるちょっと前だったけど、話はずっと聞いてたぜ。」
ハボックは手を振りすぎたのか痛みに呻いた。
「いやぁ、しかし、俺よく生きてたな。
クラリスが消滅した後の記憶がないんだよ。」
その問いにはブレダが答えた。
「ああ、それならアルが治してくれたんだ。」
ハボックが体を起こしてアルを見ると、アルは会釈を返した。
「それで言うとアル。
お前、いつの間に両手を合わせるだけの錬成できるようになったんだ?」
エドがアルに聞くと、アルは首を傾げた。
「それが、よくわからないんだよ。
いつの間にか、できるようになってたんだ。
ヒューズ中佐とハボック少尉治したときは無我夢中だったし。」
アルの言葉に、ヒューズも首をひねる。
「そうだよな。
一度目に止血してくれたときは錬成陣書いてたよな。
俺が気を失っているあいだに何かあったのか?」
エドも同じように首をひねる。
「うー…ん、それで言うと、アルとヒューズ中佐が倒れてすぐに俺が駆け寄った時は、二人とも意識がなかったんだよな。
で、アルが動かなかったから、仕方なく俺がヒューズ中佐の傷口を縛っての止血して、そのあとはアルが目覚めるまで、ガンガン鎧を叩いてた。
アルの意識が戻った時は、すでに両手で錬成できていたぜ。
とすれば、アルが気を失ったのがキーポイントだろうな。
今までアルが気を失ったことはなかったし。
鎧を叩くだけだったら、俺達さんざん組み手してるし。
アルが気を失った時は何があったんだ?」
エドが尋ねると、アルは顎に手を当てて考えだした。
「あのときは、ヒューズ中佐がラストに向かって血の目潰しをしたところだったんだ。
それで、ラストがヒューズ中佐を切りつけてきて、咄嗟によけたんだけど間に合わなくて、ヒューズ中佐がお腹を切られて僕にぶつかったんだ。
僕、ヒューズ中佐を受け止めようとしたんだけど、なんだかめまいがしてね。
あ、それで言うとラストにヒューズ中佐が血をかけたとき、僕にもかかったよ。
もしかしたら、それかな?
ヒューズ中佐の血が、血印にかかったとか。」
アルの仮説をエドはすぐに否定した。
「いや、それはない。
アルの魂を定着させている血印は、この世で最もデリケートな部類の錬成陣だ。
血なんかがついて陣の一部が潰れたら、記憶を取り戻すどころか、その時点であの世行きだ。
しかも、俺の血ならともかく、ヒューズ中佐と俺達じゃ、血はまったくつながってない。
単純に血がついたからって訳じゃないはずだ。」
エドは考えながら言う。
「なら、ほかにあったことと言えば、俺が腹を切られて、ぶつかって気を失って倒れた、それぐらいだが、それが何か関係するのか?」
ヒューズは気を失う直前のことをできるだけ思い出そうと、首をひねる。
ヒューズの言葉を聞いたエドは、一つの仮説に行き着いた。
「…もしかしたら…」
エドの呟きに、アルが聞き返す。
「何か思い付いたの?」
エドは頷いて返す。
「まだ仮説だけど、もし、ヒューズ中佐が、ただたんに気を失ったんじゃなくて、一瞬仮死状態に陥ったとしたら、…そういうことも考えられるかもしれない。」
エドの言葉に首を傾げたのはヒューズだ。
「何で俺が仮死状態になるのと、アルの記憶が戻るのが関係するんだ?」
「うん、ポイントなのは、ヒューズ中佐がアルにぶつかって…いや、アルの体に触っている状態で仮死状態になったことなんだと思う。
錬金術では、生物は『魂』『精神』『肉体』の3つから成り立っていると考えられているんだけど、普通なら、とある魂には専用の精神と肉体があって、その肉体と精神からみても、その魂じゃなきゃダメなんだ。
お互いに専用だからこそ、生物は安定して生きていられるんだけど、アルの場合、その中の肉体が仮のものだから、普通の状態からするとかなり不安定になる、ここまではいいかな?」
話を聞いている全員が頷いた。
「その3つのなかで、『精神』は『肉体』と『魂』を結びつけるバイパスの役目をしているんだけど、アルの場合、血印がそれに当たる。
血印は俺が描いたものだ。
きっと、俺はアルの『肉体』と『魂』を繋げることしかしなかったんじゃないかと思う。
楽器の弦なんか考えてもらうと分かりやすいと思うんだけど、ピアノとか、ギターとか、弦を端から端まで張って繋げただけじゃ音は出ないよな。
だけど、楽器としてはもう弦は張ってあるんだから、楽器としては完成してるんだよ。」
ヒューズは一生懸命、話についていこうと考えていた。
「えーとつまり、俺がアルの体に触っている状態で仮死状態になったから、その繋げただけだった弦がチェーンニング…調律されて、きちんとした状態になったってことか?」
エドはその通りだと頷いた。
しかし、ヒューズの方は納得していないようだ。
「うーん、まぁ、そういう状態になったっていうのはいいとして…。
何で俺がアルに触りながら仮死状態になっただけで、本業の錬金術師ができなかったチェーンニングができたんだ?
よくわからんな?」
ヒューズと同じように、軍人たちは納得いかない顔で首をひねる。
エドは解りやすい言葉を選びながら説明した。
「生きている時、魂は精神を仲立ちに肉体に充満していて、体を動かすと考えられている。
ちゃんと専用のものが揃っているってときは、生物としてかなり安定してるから触っている人間が死のうが何しようが揺らぐことはないんだけど、アルはそうはいかない。
不安定な状態だから、普通の状態よりも影響を受けやすくなってるんだ。
つまり、アルに触れてるってことは、ヒューズ中佐の魂の状態がアルの魂の状態に影響を及ぼしやすくなっていたって考えられるんだ。
一瞬、仮死状態になるってことは、安定していたヒューズ中佐の魂の状態が一瞬揺らぐってことになる。
影響を受けやすかったアルは、その影響をまともに受けて一緒に気を失ったんだと思う。
あのあと、ヒューズ中佐が自力で意識を取り戻した時、緩んでいたヒューズ中佐の精神の弦が、一気に調律された状態になって、アルの弦はそれに共鳴するみたいに、一緒に調律されたんだと思う。」
エドの説明に、ヒューズは少し青くなった。
「それじゃあ、もし、俺があの時に仮死状態じゃなくて、そのまま死んでいたら、アルにまで影響して、記憶が戻るどころか、一緒に死んでた可能性もあるってことなのか?」
ヒューズの疑問に、エドは一瞬考えこんだが、すぐに否定のために首を振った。
「いいや、アルの魂は仮ではあっても、きちんと肉体と精神で結ばれてるから、死ぬことはないと思う。
その場合だと、自分に触れている相手の精神の弦が、いきなり切断されることになるから、その衝撃をまとまに受けて記憶が戻っただろうけど、
仮死状態から生き返るよりも、もっと強い衝撃を受けるだろうから、意識を取り戻すにはもっと時間がかかったかもしれない。
それだと、ハボック少尉は間に合わなかったと思う。」
それを聞いてハボックも青くなる。
「うへー、紙一重だったんだな…。
中佐、生きていてくださってありがとうございます。」
礼を言われた方のヒューズも複雑な顔だ。
「それで言うと…。
確かに今のでアルに関しては納得できたが、まだ疑問はあるぜ。
大総統府が相手なら、どうして病院という格好の場所で殺しにこない?
マダムは気を付けろと言っていたが、運び込まれた時に消されなかったのが不思議でならねぇ。
そして一番気になるのは、何故、ロイはあの場所で、弱っていて格好の獲物だった俺達を始末しなかったのか…だな。」
クリムゾン†レーキ62へ
続く