クリムゾン†レーキ
…59、笑う女
ついにアームストロングは最下層まで階段を錬成することに成功した。
研究所の最下の階は爆弾によって破壊されつくされていて、アームストロングは廊下をまるごと錬成しなくてはならなかった。
廊下を設計図通りに錬成すると、ひしゃげた鉄格子の扉と、地下通路が現れる。
「ぬ!?
このような通路、設計図にはありませんでしたぞ!?」
いきなり現れた空間を見て、アームストロングは驚きの声を上げた。
地下通路を覗こうとするアームストロングの目の前にロイが手を出して制する。
「そこまでだ。
アームストロング少佐。
ここまでご苦労様だった。
だが、この先に進ませる訳にはいかぬ。」
ロイの手には黒革手袋はなく、ウロボロスの紋章をアームストロングに見せつけていた。
「マスタング大佐!」
アームストロングは眉間にシワを寄せて抗議したが、ロイは聞く耳を持たない。
アームストロングが錬成した廊下をつかつかと進み、鉄格子に手をかける。
「…察してくれ、アームストロング少佐。
ここから先に踏み込めば、私は貴方を殺さなくてはならなくなる。
また手を借りるかもしれない。
少しの間、待機していてくれ。」
アームストロングは何も言えずに立ち尽くす。
ロイが通路に消える寸前、アームストロングを見て微笑む。
「ここまでの錬成、見事だったよ。」
★★★★★
「人間どもめぇぇえっ!」
ラストが腕を振るい、鎖分銅をバラバラに凪ぎ払う。
ラストはニヤリと笑いながら髪をかきあげた。
「動きを止めることしかできない錬金術師に、役立たずのただの人間。
それで勝てると思わないことね。」
「それでも!」
アルがラストに向かって挑みかかる。
「僕たちは戦わない訳にはいかない!」
壁の裏から飛び出したアルに、ラストは爪を振るう。
「っ!」
アルは咄嗟に腕で胸を庇い体が両断されるのは防いだが、腕には三本の爪痕が刻まれ、引っかけられたのか兜が飛ばされてしまった。
その兜が床に落ちるよりも早く、ヒューズがアルの陰から躍り出る!
「うりゃぁぁぁあっ!」
「!」
ラストはハッとして切りつけようとするが、アルを切り裂くために腕を振り切っていたので、ヒューズの方が早かった。
ヒューズは切断された腕をラストに向かって横に振るう。
もはや、何も握ることができない、届きもしない、こけおどしだ。
ラストがヒューズの行動を笑いかけた時、ヒューズの腕の断面から、止まっていた血が噴き出した。
ヒューズはアルに、わずかな衝撃で再び出血するよう錬成してもらっていたのだった。
飛び散るヒューズの血液は、ラストの目を潰す。
また、飛び散ったヒューズの血は、すぐ脇にいたアルにもかかった。
「く、こざかしいっ!」
目を潰されたラストは一瞬よろめく。
「ロイの、敵(かたき)っ!」
ヒューズは叫びながら、無事な右手をラストに向かって振りかざす。
その手には、アルがあらかじめ錬成しておいたのだろう、鋭いサバイバルナイフが握られていた。
ラストの胸元を、ウロポロスの紋章の上から突き刺した。
「うっ!」
ラストが呻き、がむしゃらにヒューズに向かって爪を振るう。
ラストが深く踏み込んできた一撃を、ヒューズは咄嗟に背後に飛んで避けようとしたが、タイミングが間に合わず、ヒューズの腹を血が滲むほど切り裂いた。
「ぐぁっ!」
ヒューズは、悲鳴を上げながら、後ろにいたアルとぶつかって倒れた。
ヒューズのメガネが外れ、床に弾んでレンズが割れる。
衝撃と失血で、ヒューズはガックリとアルの腕の中で気を失ってしまった。
その時、アルの視界が歪んだ。
「う…あ…?」
アルが立ち上がることができず、ヒューズを腕に抱いたまま微かに呻いた。
アルの視界が闇に飲み込まれる。
「うぉおっ!」
ブレダがヒューズの投擲ナイフを握りしめ、ラストに突っ込む。
声に反応したラストは爪を振るうが、ブレダはその一撃を避けて、ナイフをラストの腹に突き立てた。
「ふぐっ!」
ラストが勢いに押されてよろめいた隙に、ブレダも後ろに離れる。
目が見えないラストは、苦々しい表情で目をこすったが、その程度では血をぬぐい去ることはできなかった。
「たかだか人間にっ!
この、ラストがっ!」
「だから言っただろ?
人間を、舐めるなってなぁぁぁぁあっ!」
★★★★★
「ヒューズ中佐!アル!」
エドはラストに気が付かれないように回り込んで、倒れたアルとヒューズに走りよった。
「ひどい出血だ…!
アルが治療したんじゃなかったのかよ!?」
ヒューズの腹は軍服が切り裂かれて血がにじみ、腕の傷口の下には血がしたたっていた。
エドは苦しそうな顔をする。
「くそぉっ!」
エドはヒューズの腕をヒューズの軍服のモールで止血して、腹を破いたコートで縛ると、横に静かに寝かせてから、アルに駆け寄った。
★★★★★
全身のバネを全て使って、ハボックはラストに殴りかかった。
昨日から拷問を受けた体は限界、もしくはそれ以上だ。
しかし、それでもハボックは動かずにはいられなかった。
忠誠を誓った者を殺した仇が目の前にいるときに、黙っていられるなら腹心の部下ではない!
「クラリスっ!」
ハボックは渾身の力を込めて拳を握る。
ラストはハボックの声がした方へ、最強の矛をつきだした。
ハボックの腹にラストの爪が突き刺さり、貫通した。
「っ!」
ハボックの表情が一瞬歪む。
「ハボックっ!」
ブレダの絶叫が鼓膜を突くが、ハボックの勢いは衰えない。
「うぉぉぉおぉおおっ!!」
ハボックは力強く吠え、奥歯を噛みしめてラストの顔面に拳を振り下ろす!
軍人の凶器になる拳が、ラストの美しい顔を砕き、粉砕した!
生々しい音とともに、ラストは床に叩きつけられ、這いつくばった。
ハボックの腹にはまだラストの爪が刺さったままだ。
息をすることさえ辛そうなハボックだが、まだ彼は立っていた。
「ジャンっ!!」
ラストは紅の瞳で下からハボックを睨み付け、ハボックの腹を切断しようと、突き刺したままだった爪を、力任せに横に振るう!
が、
ハボックの腹は裂けはしなかった。
ハボックの腹を刺していた爪は、ラストが横に腕を動かした瞬間、黒い塵となって空中に舞い散ったのだ。
賢者の石が、ついに尽きたということをラストは悟った。
ラストは驚きに目を見開く。
「そんなバカな…。
ただの人間に…。
…この、私が…、負けた…ですって?」
死を覚悟していたハボックだったが、砕けたラストの爪を見てニヤリと笑った。
ラストは、ボロリと崩れた爪を呆然と眺めていたが…。
「ふ、ふ、ふふふ…。
あははははははは!!」
ラストはのけ反るほど笑いながら、ゆらりと立ち上がった。
アルを揺り動かしていたエドも、どうにか気を取り戻したヒューズも、近くにいたブレダとハボックも、全員、ラストを見た。
「あ、は、は…。
見事だわ、私の負けよ。
たかだかただの人間に殺されるなんて、思っても見なかった。」
ラストは言いながら、ブレダが腹に刺したナイフを引き抜いた。
抜いた場所は、微かな弱々しい錬成光を発したあと、黒い塵となって崩れだす。
ラストは引き抜いたナイフを床に投げ捨てた。
「見事だったわ。
完敗よ。
だけど、あなたたちは私達の暗躍をどうすることもできない。
等しい絶望は…、すぐそこに来ているのだから…。」
ラストの髪が、指が、足が、体が、ざらざらと崩れていく。
ラストは何かに気がついたように顔を上げ、万感の思いをこめて微笑んだ。
「して…やられたわ。」
ラストの足が消滅し、ラストの上半身が倒れかかる。
しかし、塵となるほうが早く、ラストは骨までも塵となって崩れ、床に倒れたラストの体は核である賢者の石だけだった。
その賢者の石も、一度床で弾んだ瞬間、空中で崩れる。
まっすぐに落ちて床につきたった、ヒューズが刺したナイフだけが、ラストが存在していたことを示す墓碑のように残っていた。
ラストの死を見届けたあと、ハボックが力尽きたように床に崩れる。
「ハボック!」
ブレダがハボックに駆け寄る。
ラストに刺された傷口からの出血がひどかった。
「ブレダ…、はは、俺ってば、本当、女運わりぃ…。」
ハボックは脂汗を流しながら、ブレダに苦笑いした。
エドはそんなハボックの様子を見、脇で荒い息をするヒューズを見、動かない弟の体を、オートメイルで殴った。
アルの鎧はすでに直したが、アルの意識が戻らないのだ。
「アル!アル起きろ!
起きてくれよ!
俺じゃお前ほど上手くみんなを助けられない!
アル、アル!
誰かを、また殺されてもいいのかよっ!」
エドの硬い拳が、アルの胸を叩いた。
がぁんっと空洞に響く音が、アルの体の中で反響する。
そしてその音は、アルのなかの何かを強く突き動かした。
「そんなの…、いや、だ!」
アルが叫び、アルの腕が振り上げたエドの腕を止めた。
「兄さん!?
僕は…!」
混乱しているらしいアルが、目の前にいた兄を呼ぶ。
エドは掴まれていない生身の手で、アルの肩を掴んだ。
「アル!気がついたんだな!
良かった!
混乱しているところ悪いんだが、至急ヒューズ中佐とハボック少尉を止血してくれ!
二人が危ないんだ!」
アルは、はっとして周りを見渡す。
アルの目に、血だまりをつくるヒューズとハボックが映る。
ー絶対に死なせないと約束したのにもかかわらず、僕は何をしていたんだ!
アルはすぐに立ち上がり、ヒューズに駆け寄った。
「ヒューズ中佐!
すみません!今、止血します!」
アルはヒューズの左側にしゃがみこむと、とっさに両手を合わせた。
「アル!?」
エドが驚きの声をあげる前で、アルはヒューズを錬成で止血した。
「これで、よし!
次!ハボック少尉は!?」
アルはヒューズの傷口からの出血がおさまったことを確認すると、すぐに身を翻し、ハボックに駆け寄る。
そして、同じように両手を合わせ、ハボックの腹の傷口を止血した。
ハボックの出血がおさまったことを確認したアルは、ほっと胸を撫で下ろす。
「ああ、良かった…!」
ブレダが、ハボックを支えながらアルに泣き笑いながら言う。
「アル、ありがとうな、ハボックを…助けてくれて。」
「いえ、遅くなってすみませんでした。」
アルがはにかんだ声で言った。
アルの背後からも、礼を言う声がした。
「私の部下を助けてくれてありがとう。
アルフォンス君。
そしておめでとう。
君も、人柱確定だ。」
クリムゾン†レーキ60へ
続く