クリムゾン†レーキ
…54、虎穴の獲物
エドたちは、手招きしていた鉄扉を慎重に開けた。
室内は松明が明々と燃えており、邪悪な部屋を照らしだしている。
その中には…
「ハボック!」
ブレダが悲鳴のような声を上げた。
気絶しているのか、壁のリングに通された手錠に支えられた体は、だらりとして力がなく、頭を下げている。
その表情は見えない。
「ひ、ひどい!」
アルがハボックの姿を見て言う。
ハボックの体は殴られたらしい跡や、切り傷、火傷だらけであった。
そのアルの悲鳴で目が覚めたのか、ハボックが微かに顔を上げた。
「ハボック少尉!」
エドはハボックが死んでいないことが解り、室内に入ってすぐに助けようとする。
その瞬間、
『大将、入るなぁッ!!』
ハボックが力を振り絞って叫んだのと、ブレダがエドの肩を強く引き戻しながら叫んだのと、エドの鼻先を鋭い何かが掠めたのは同時であった。
「っ!?」
一瞬前に自分の頭があったところを貫く何かに、エドは青くなった。
「あら、残念。
もう少しだったのに。
ジャン、邪魔しないで頂戴な。」
エドを仕留め損ねた何かはあっという間に収縮し、視界から消える。
その代わりに、エド達にとって死角だった扉の陰から現れたのは、黒髪を優雅にかきあげる気だるげな美女。
ホムンクルス、ラストであった。
「もう、駄目じゃないの。鋼の坊や。
こんな所まで来て。
私はてっきり、ジャンを助けにくるのはメガネの中佐だと思っていたのに。」
黒いドレスに縁取られたグラマラスな胸を強調するかのように、腕組みをしたラストが色っぽくため息をつく。
「おあいにくさまだったな!」
エドはラストを警戒しながら言う。
「鋼の坊や。
残念だけれど、ここまで見られてしまったなら、返してあげられないわ。
一緒にきたそっちの軍人とジャンは始末しなくちゃね。
上のほうも、今頃バリーが片付けていることでしょうし。
貴方と弟くんは、手足を外して軟禁かしら。」
アルはバリーの名前が出てきたので驚いた。
「バリー!
あの殺人鬼の!
じゃあ、研究者たちを殺してしまったのは…。」
アルの言葉にラストが肩をすくめる。
「ええ。
バリーに殺らせたわ。
それに、あの研究所にはグリードがちょっと細工したから。
今頃きっと木っ端微塵ね。」
ブレダがぎょっとして悲鳴を上げた。
「まさか…爆弾!?」
エドは慌てて叫ぶ。
「じゃあ、後からくるはずだったヒューズ中佐やアームストロング少佐は…っ!」
「皆一度に方がついて、楽でいいわ。」
ラストが真っ赤な唇で嘲笑った。
「てめぇ!」
エドが両手を合わせて、素早くラストの回りに鉄格子を錬成した。
「あら。」
ラストは、自分を取り囲んだ天井から床まである鉄格子を楽しそうに眺めた。
「早くて正確。
流石、鋼の錬金術師ね。」
「よし、今のうちにハボック少尉を!」
部屋の中に入りハボックを助けようとしたエドの目の前で、ラストを囲んだ鉄格子がただの鉄棒になって、バラバラと床に転がった。
ラストの5本の指から伸びた、黒くて鋭い爪によって。
「私はホムンクルスの最強の矛。
私の前では鉄も屈強なものではなくなるのよ。」
赤い瞳が爪の間で笑みを描く。
ラストは両手の爪を全て伸ばし、エド達に斬りかかる!
「うわっ!
鉄も簡単にはぶったぎるなんて!
反則だろっ!」
エドはラストの爪を避けながら、必死に後退した。
ブレダはラストに向かって拳銃を構えるが、ラストの後ろにはハボックがいる。
ラストが避けるか、狙いが逸れればハボックに当たってしまう。
撃てない!
「遅い!」
ラストがブレダに向かって右手を伸ばした。
最強の矛がブレダを狙う!
「させるかっ!」
エドがブレダの前に分厚い壁を錬成し、ラストの爪の勢いを殺す。
「ちっ!」
ブレダはギリギリで身をかわし、ラストの爪は誰もいない壁に突き刺さった。
「はぁっ!」
ラストの動きが止まった瞬間、アルの蹴りがラストの腹をとらえる!
「っ!」
ラストは体をくの字に曲げながら、もといた部屋の中、ハボックの足下まで転がった。
「くっ!
このラストに蹴りを浴びせるなんて…。」
ラストが苦々しげに言いながら体を起こす。
「人間をなめちゃいけないってことさ。」
ラストの頭上からハボックの声がした。
「何を言うか、この死に損ないが!」
ラストは思わずハボックを睨み付けるために、ハボックを見上げた。
そこには、両手の指を合わせてひとつにした拳を、高く振り上げているハボックがいた。
「死に損ないをナメんなよ、クラリスっ!!」
ハボックの拳がラストの頭を直撃した。
殴られたラストがぐらりと傾いだ隙に、ハボックは松明に突っ込まれていた火掻き棒を2本掴むと、ラストの露出した胸元に突き刺す!
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああああぁぁぁぁあっっ!!」
真っ赤に焼けた2本の火掻き棒で胸を焼かれたラストは、この世のものとは思えない程の大絶叫を上げた。
しかし、やがてその絶叫はだんだんとか細くなり、胸元が真っ黒に炭化した時、ラストは床に倒れ伏した。
ハボックも力尽きたのか、ぐらりと体が傾く。
「ハボック!」
ブレダが傾いたハボックの体を駆け寄って支えた。
「ブレダ…。」
体を支えてもらったハボックは、弱々しくブレダの名前を呼んだ。
「すまねぇ。
助けに来るのが遅くなっちまって…!」
ブレダは悔しげに言うが、そんなブレダの胸にハボックは優しく拳をぶつけた。
その手首には鎖の切れた手錠がぶら下がっていた。
「手遅れにはならなかったさ。
流石、相棒だぜ。」
ブレダはハボックに肩を貸して、部屋を出ようとした。
ハボックの気迫に飲まれて、部屋の中を見ながら立ちすくんでいたエドとアルが、ブレダとハボックの背後の異変に気がつく。
「ハボック少尉!
ブレダ少尉!
後ろ!」
「何っ!?」
アルの叫び声に、今度こそエドが飛び出した。
胸元から激しい錬成光を撒き散らしながら再生するラストは、鋭い爪でブレダの軍服の上着を切り裂く。
「うぉぉっ!
させるかぁぁあっ!」
エドが壁や床、天井から錬成した大小様々な鎖が、ラストの体をがんじがらめに縛り付けた。
「今のうちに!」
アルはハボックをブレダの反対側から支えると、急いで拷問室から出た。
「小癪なっ!」
ラストが体に絡まった鎖を断ち切ろうともがいている間に、エドは錆びた鉄の扉を蹴飛ばして無理矢理閉めると、錬成して壁と一体化させてしまった。
これで多少時間が稼げるだろう。
エドは急いで身を翻し、先を行くアル達に追い付く。
「入ってきた研究所には爆弾を仕掛けたっていっていたし…。
上に戻れるかな…?」
「戻ってみるまで解らないだろう。
とにかく、入ってきたところまで戻るんだ。」
不安そうなエドの言葉に、ブレダは真剣な表情で答えた。
急いで進んでいるものの、怪我人のハボックを抱えているのであまり早くは移動できない。
ラストがある程度、あの部屋で足止めをくらっていることを祈るばかりだった。
「うっ、ゲホッゲホッ!」
ブレダとアルに支えられたハボックが、苦しそうに噎せた。
「だ、大丈夫ですかっ!?
ハボック少尉!」
ハボックは弱々しく笑顔んアルに返した。
「大丈夫だ。
でも、なんだったら、ここで切り捨てて置いていってもいいんだぜ?ブレダ。」
ハボックの言葉に、ブレダは目を吊り上げた。
「ばっか野郎!
それじゃ何のためにここまで来たのかわからねぇじゃねーかっ!
生きて出ることを考えろっ!」
「ははは、ごもっとも。」
一行は暗い通路を出来る限りの速さで進み、この地下通路に入ってきた研究所の出入口の場所まで戻ってきた。
そこで待っていたのは、煤に汚れて倒れているヒューズと、瓦礫に完全に埋まってしまっている出入口であった。
「ヒューズ中佐!
しっかり!」
ラストを警戒していたエドが真っ先に倒れているヒューズに気がついて、走りよった。
「う、いてて…っ!
え、エドか?」
エドが揺り動かすと、ヒューズはすぐに目を覚ました。
「良かった!」
エドはほっと胸を撫で下ろしたが、すぐに険しい顔でヒューズに言った。
「ハボック少尉は救出したけど、追われてるんだ!
逃げないと!」
ヒューズはすぐにたちあがることができた。
「第三研究所からの入り口は潰されちまった。
出口がここだけじゃないことを祈ろう。」
ヒューズも加わり、5人は先がどうなっているか解らない通路を急いだ。
5人の姿が見えなくなってすぐ、ラストが後を追ってきた。
早足ではあるが、走ってはいない。
ラストはチラッと崩れ落ちた第三研究所からの出入口を一瞥した。
「ここから先は袋のネズミなのよ。」
ラストはニヤリと笑い、闇の中へと駆け出した。
クリムゾン↑レーキ55へ
続く