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黒の聖域

ハボックは将軍用の黒革張りの椅子に座りながら、派手に足を投げ出していた。
その手には、受話器を握っている。
「ぃよーう。ブレダぁ。
久しぶり~」
背もたれをギイギイいわせて、砕けた口調でハボックは相手に話しかけた。
『てめぇこそ、元気そうじゃねぇかハボよぉ』
受話器の向こうからも、畏まらない声が返ってきた。同僚、同期、相棒のハイマンス・ブレダの聞き慣れた声だ。
「そっちはどうだ?
なんか進展したか?」
ハボックは机の上にのさばった電話線を脇に退かしながら尋ねた。そしてそこに足を乗せる。
『いいや、大して進展はねえな。中央よりもそっちの方が大分動いたって聞いたけどな。』
「おぉよ。何せお客が来てな。」
『…大将なんだって?』
「まったく、少しはおとなしくなったかと思えば、あちらさんと大立ち回りよ。しょうがないんで、悪いと思ったが牢屋に突っ込んどいた。」
『そうか、大将、相変わらずだなぁ。』
ははは、とブレダの笑い声が受話器から聞こえてきた。
「おいおい!ブレダよぉ!こちとら笑い事じゃ無いんだぜ?大将、あちらさんのどてっぱらにロケットぶち込んじまって、あいつらにいい材料やっちまったんだからな!!」
受話器に噛み付きそうな勢いで、ハボックは喚く。
『わーってるよ。こっちも出来る限り情報集めてんだから。
ところで、大将は牢屋なんざにぶち込んじまって本当におとなしくしてんのか?』
「抜かりねぇ。手錠もしたし、見張りはラッセル置いといたからな。それに幾らなんでも大将だって脱走はしないだろ。」
『本当かねぇ』
「そういやぶち込む時に、エリザベスがどうとか言ってたなぁ。」
『…エリザベス?フルネームは?』
ハボックの呟きに反応したブレダの声は真剣な色を含んでいた。
「すまねぇ、そこまでは聞いてねぇな。なんか覚えがあんのか?」
『…もしかしたら、そいつは…』

「ハボック将軍っ!
いらっしゃいますかっ!!」
バンバン扉を叩く音と慌てたラッセルの声が二人の会話を遮った。
「あん?ラッセルだ。すまねぇブレダ、一回離すぞ。
どうしたラッセル。入ってこい。」
ハボックは受話器を耳から離して、転がり込んできたラッセルをみやった。
「何があったよ?」
「それがっ!すみません!エドの奴、脱走しやがりました!!」
ラッセルの報告にハボックが物凄い渋い顔をして、
「マジでかっ!?」
と、叫んだ声と、ラッセルの声が聞こえたのか、
『やっぱりなぁ~』
と、ブレダの漏らした呟きが受話器から聞こえたのはピッタリ同時であった。


エドワードは基地を離れると、木々の間を潜り抜けながらアメリカ戦艦の停泊している湾を目指した。
夕日がキラキラと水面を照らしていて、時間があるのならば立ち止まりたくなりそうな景色が広がる。
しかしエドワードが立ち止まる事はなく、途中、幾度かアメストリス兵に見つかりそうになりながらも、どうにか無事に辿り着く事ができた。

「エルリック研究員!」
と、声をかけてきたニース艦長を無視し、
「あ、今お帰りですか」
と、気付いた部下の研究員を追い越した。
エドワードは真っ直ぐ己の部屋に向かってずんずん進んでいく。
流石にニースは艦長として無視されたのが気にくわなかったのかエドワードについてきたが、エドワードは構わずどんどん歩いていった。
そして、自分の部屋にたどり着くと、おもむろにノックもせず開け放した。

「エリザベス!」

言ってエドワードがその場で立ち尽くした。
「エルリック研究員っ!!」
その時やっと追い付いたニースがエドワードの腕を掴んだ。「人の話を聞きたまえ!」
しかし、これもエドワードに無視された。
エドワードは広くもない部屋の隅々を眺めていた。

どこにもエリザベスの姿はなかった。


★★★

ゼイゼイと苦しそうな呼吸の音が、暗い部屋から絶え間無く聞こえる。

サラは、喘ぐような息をする父を心配そうに見上げた。

「お父さん…」

耳元でそっと囁く。

すると彼は薄く目を開いて、励ます様に弱々しい笑みを浮かべる。

「…サラ…」

サラは自分を呼ぶ父の声が大好きだった。
しかし、その声に何時ものような力強さはない。

「お父さんっ!死なないで!」

ホロホロとサラの頬を涙が流れ落ちる。
その涙を父は傷いた大きな手の甲で拭ってくれた。

「死なんよ。お前を置いていけるものか。」

父の目はサラをじっと見つめていた。そしてサラの頬に青痣があるのを発見した。

「サラ!あ奴らはお前にまで手を挙げのか!?」

父は怪我をおして起き上がり、サラを抱きしめた。

「すまぬ…。私のせいで…」

「お父さん!寝てなくちゃ!」

頭を垂れてうなだれる父に、サラは不安げな眼差しを向ける。
しかし、父の目はサラを見ていなかった。

「お前だけでも…。ここから…。」

力なく放たれた言葉にサラは怯えた。

「お父さんも一緒じゃなきゃ!」

サラは懇願したが、父は承知しなかった。

「…私はいけない…」

静かな声にサラはまた涙が落ちそうになる。

「どうして?」

「奴らは私が持っている情報を欲しがっている。
私がついていけばサラが危険になってしまうんだ。」

「…でもっ」

「大丈夫。近くに軍が来ているはずだから、青い軍服の人を捜しなさい。
名前はお母さんの名前を名乗るんだ。彼女がお前をみつけてくれる。」

そう言って父は、サラの額に口付けると、目線を合わせて笑う。

父はよろめきながら明かり取りの窓の下にひざまずいた。
腕を伝う己の血でゆっくりと錬成陣を画いていく。

やがて錬成光が父の腕の中で煌めくと、そこには人一人通れそうな穴が口を開けていた。

「行きなさい。
絶対振り返るなよ。」

有無を言わさぬ口調での父の命令に、彼女は従うしかなかった。
父にもう一度抱きしめられ、サラは嵐の夜に飛び出した。


建物が木々に隠れる寸前、一発の銃声を聞いた気がした。

8に続く
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