クリムゾン†レーキ
…38、夜道
あの襲撃から、また数日が過ぎていた。
リザは、とある会議にロイと出席していた。
磨きぬかれたマホガニーの机に、年ばかりかさねたお歴々がずらり。
つまらない議題。
つまらない意見。
つまらない会議。
足の引っ張りあい。
画策。嫌がらせ。
前までと変わらない、セントラルでの会議の風景だった。
その中にいて、今までと違うのはロイだ。
ウロボロスの印が刻まれた手に黒い皮手袋をはめ、議題に参加している。
今までは、嫌みや悪口を軽くいなすだけだったのだが、ホムンクルスになって堂々と発言するようになったのだ。
今までロイを目の敵にしていた将軍に、ロイがちらりと手袋の中身を見せたら、その将軍は竦(すく)み上がって黙ってしまった。
それを見たリザは、眉をひそめる。
ーまさか、もしかしたら…。
またひとつ、ロイの意見が可決され、議題がひとつ、片がつく。
あまりの会議のスピードに、リザは、気がついた。
ロイの後ろで、護衛し、書類を入れ替えながら、リザは悲しいまでの確信を抱いた。
…こうやって、頭角が示せるのが、実力であればよかったのに。
またひとつ、意見が通って、驚きの早さで会議は進む。
ロイの後ろ姿を見ながら、リザは寂しそうに、目を伏せた。
ロイの活躍で、あっさりと会議が終わる。
それでも定時をかなり過ぎて、外はとっぷりと暗い。
「ふぅ、やっと退屈な会議が終わった。
付き合わせて悪いな、ホークアイ中尉。」
廊下を進み、数歩先を歩くロイがリザに話しかけた。
「それでもいつもより早く終わりましたね。」
ロイが笑う。
「私の大切な時間を、少しでも無駄にしたくない。
時間を使わなくてはならないなら、有意義に過ごしたい。
私は強欲だからね。
ムダは嫌いなんだ。
早く終わってたすかったよ。」
いつもの口調。
いつもの歩幅。
いつもの後ろ姿。
なのに、あなたは違う。
「……私は君に背中を預けていた。
なのに、私を襲わないんだね。」
「私は、貴方の護衛です。
少なくとも、今は。
あなたが、我々を仕事中に襲わないと約束しているのですから、こちらも攻撃するわけにはいきません。
たとえ、それが有効でも、エド君は許さないでしょう。」
「…そうか。
ありがとう。
なら、もうしばらく油断しているよ。」
ロイとリザは、使っている執務室に入った。
他のメンバーは、定時にあがったのか、誰もいない。
「ふぅ、たしかに、会議としては早かったな。
だが、ははは、やっぱり疲れたな。」
ロイは書類を机に投げ出して、ため息をついた。
ソファーにどっかりと座りこむ。
「お茶をお入れしましょうか?」
「いや、いいよ、ありがとう。
今日は会議が長引く予定だったから、このあとの仕事もないはずだし、書類は急ぎじゃないし、君も、もうあがりたまえ。
明日も、早いからな。」
笑いながら、いつもの調子でこちらを気遣う。
それが、リザにはくやしかった。
「…………。
わかりました。
今日は上がらせていただきます。」
リザはロイに頭を下げる。
「失礼します。」
「ああ、おやすみ」
リザが部屋を出ていった後、ロイは電話の受話器をとった。
「もしもし、ああ、鋼のか?
私だ。
中尉が帰るようだよ、迎えに来てあげたらどうだね。
最近物騒だし。
なにより、
私に、襲われないようにね…」
☆★☆★
「中尉!」
エドは、中央指令部の入り口にいたリザに、大きく手を振った。
「エド君!
ずいぶん早かったわね。」
私服に着替えたリザが、手を振りかえす。
軍服を着替えた後に電話をかけたので、ついさっき連絡したばかりだったのだ。
「うん、大佐から電話きてさ、迎えに来た方がいいって言うんだ。
向こうが仕掛けたゲームなのに、のんきなもんだぜ。」
眉間にシワをよせて、エドは執務室の方を睨んだ。
二人は、そろって敷地を出て、例の基地へ向かって歩き出す。
暗い石畳の道を、ポツリポツリと立つ街灯が、自分のテリトリーだけをはっきりと照らしている。
しばらく行ったところで、エドがため息をついたのをリザは見逃さなかった。
「どうしたの?
何か悩み事?」
リザに聞かれるとは思っていなかったエドが、ギクリと身を震わせた。
「あ、いや、なんでもないんだ。ごめん。」
エドはギクシャクしながら取り繕ったが、リザはそんなことではごまかせない。
「アルフォンス君とホーエンハイム氏のこと?」
「う」
エドは図星をつかれて、うめき声を上げた。
「なんでわかったの?」
「この前のケンカから、ギクシャクしているのは知ってるもの。
相談の答えは出ないかもしれないけど、話してみない?」
石畳を見ながら、エドは黙った。
リザは、エドがつぐんだままかと諦めかけた時、エドが口を開いた。
「アルが、裏切り者のあいつとなかがいいんだ。
俺たちを捨てて出ていったやつなのに。
あまつさえ、あいつを父親だって認めた。
また、裏切るかもしれねーのに。
マダムに相談したら、考え直すチャンスを作れって言われた。
でも、また捨ててくかもしれねーやつと、仲良くなんか、俺にはできない。」
「…そうね。」
リザは、エドが寂しそうに言う言葉に、返事を返した。
「たしかに、ホーエンハイム氏の行動や言動には、読めないところがある。
でも、情報がいつまでも同じだとは限らないわ。
今まで信じてきたものが、一瞬でひっくり返されてしまうことがある。
あの、大佐みたいに、ね。
常に新しい情報を正しく把握しなくては、軍人は生きていけないわ。
近くにお父さんがいるんですもの、一度くらい、ちゃんと話してみたらどうかしら。
話ができなくなってからじゃ遅いのよ。」
「そう、か…。」
「私はね、
大佐は、まだ生きていると信じてる。
絶対もとに戻ってお帰りになるって信じてるの。
何があっても、絶対に諦めるつもりはない。
だけども、私の父のように、諦めなくてはならないことになる時だってある。
後悔しても、時間は戻らないわ。
エド君が後悔しないようになさい。」
リザの顔に、ふっと影がよぎる。
「そういえば、中尉のお父さんって?
やっぱり軍人?」
の言葉にリザは首を振った。
「いいえ、錬金術師だったの。
大佐に錬金術を教えたのは、父なのよ。」
エドはちょっと驚いた。
「へー、意外。
軍人家系なのかと思った!
大佐に錬金術教えるぐらいだから、かなりすごい人なんだろうな。」
「そうね。
私は錬金術は分からないけど、かなり高度なものだと思うわ。
エド君が思ったとおり、もともと我が家は軍人家系だったのだけど、それが嫌で母と父は駆け落ちしたらしいの。
ほとんど親類関係みたいなものはなかったわね。
私が小さかったころに母が死んで、父と二人だったわ。
錬金術の研究ばかりで、私にはよくわからない人だった。
でも、ただ、愛しかたを知らなかっただけなのかもしれなかったのではと、今になって思うわ。」
「へー…」
「そして、もっと話をすればよかったと後悔したわ。
いつも、研究ばかりして、閉じこもっていたから。
私には、なかなか話しかける勇気がわかなかったの。
でも、父が突然病死して、私は一人残されてしまった。
残されて思い出そうとしても、あまり父との楽しい思い出はなかったの。
その時は寂しかったわね。
父は私を、娘としてみてなかったんじゃないのかって。
でも、大佐が教えてくれたわ。
父は一人残していく私を心配していたって。
ちゃんと父なりに思っていたって。
叶うことなら、実際に父から聞いてみたかったけどね…。」
リザは、エドを見てほほえみかける。
「エド君に、私と同じ後悔はさせたくないわ。
自分の考えばかり煮詰めても、相手には伝わらないのよ?」
エドは、リザのほほえみを見て、うつむいてしまった。
足が撫でる石畳の流れを目で追う。
たしかに、リザが言う言葉、マダムの言葉がもっともだということは、エドも理解していた。
しかし、長年の積み重なった気持ちは、簡単には割りきれないのも、確かだった。
エドは唇を曲げて考えていたが、そのうち…
「だぁぁぁぁぁぁぁあっ!
俺らしくないっ!」
と、叫んで両手を突き上げた。
「あーっ!
くそっ!この忙しいのに、こんなもやもやしてて、たまるかってんだ!
肯定でも否定でも、もうなんでもいい!
こうなったら、ガツンとアイツに言って、言いたいこと言わせて、俺も言う!
それで、それからは、野となれ山となれだ!
中尉、俺…………。
………………あれ?」
エドが再び顔を上げた時、隣には、リザがいなかった。
左右を見ても、前後を見ても、見える範囲に姿がない。
「………。
ちゅ、中尉?
中尉どこにいんだよー…?」
返事はかえってこない。
かわりに聞こえてきたのは。
ズドンッ!
「ーっ!!」
何かが爆発した音だった。
クリムゾン†レーキ39へ
続く