黒の聖域
血の匂いが部屋を満たしていた。
冷たい壁で仕切られた空間で、ただ一人、荒く浅い息を繰り返す人影が硬いベッドに横たわって
苦しそうに咳をしている。
虚ろに開いた瞳には、いつもの力強さは微塵も感じられない。
だが、彼は生きていた。
明かり取りの小さな窓から微かな月明かりが差し込む。
今日は月が消え入るように笑っている
「…サラ…」
たった一言でも、今の彼にとってそれは大仕事だった。途端に激しく咳込み、体が跳ねる。
お前だけでも…
…生き延びてくれ…
サラ…お前は…彼女と私の…
ガチャンッと錠前が外される音が聞こえた。
入ってきた軍服の男は、いきなり彼の腹を蹴り上げる
「…っが は !」
寝ていたシーツに鮮血が…。
彼の視界は暗闇に堕ちていった…
★★★
「…それはどういう事だね?エルリック研究員」
次の日、エドワードはエリザベスが眠っているスキに艦長室のニースの元に押し入っていた。
「だから、偵察隊をちょっと貸してください!確かめたい事があるんですよ」
エドワードは声を大にしつつニースに迫ったが、当の本人は深い溜息をついていた。
「君が言ったのではなかったのかね?悪事を働けば我々はこの島を出て行かなければならないと。
軍にとって、内部を無断で探られるというのは、反逆にも取られる可能性がある犯罪なのだ。
彼等の好意に甘んじている以上、そんな許可は出せんよ。
確かに、彼等とは住むべき土地も話す言葉も違う。しかし、彼等が対抗する国家がある限り、怪しい行動をすれば無事に帰還出来る可能性は低下するだろう。」
確かにそれは考えられる事だった。今、アメリカから来ている人間はアメストリス人によって生かされている状態なのだ。
水も食料もあちらの供給が無ければすぐに底をつく。それに向こうには錬金術がある。自分がいて、戦艦が戦闘体制であっても、きっと焔の錬金術師一人に負ける事だろう。
「…しかし!」
「何をそんなに気にするのかね。エルリック研究員」
エドワードとアルフォンスは国籍を偽って、アメリカ合衆国に入りこんでいる。
エドワードは口を閉ざすしかなかった。
浜辺には静かに波が寄せて帰している。
エドワードはそれを見つめながら甲板を歩いていた。
「どうかしましたか?」
「…チャート研究員」
チャートは意味を含んだウインクを一つ。
「例のあれは、ご心配なく。」
「あぁ、すまん。助かった。」
エドワードは例を述べながらも足を動かす速さは緩めない。チャートも馴れた様子で後に着いていく。
「他に何かお手伝いしますか?」
「頼み事ができたらまた動いて貰う。その時はまたやってくれ」
「了解しました」
ニヤッとチャートが笑う。食えない人間なのだ。
「俺の部屋には入るな。」
「アイアイ。」
そういうとエドワードは歩く速度を上げる。
チャートはもう後には着いて来なかった。
エドワードがノック無しに扉を開けると、エリザベスはベッドの上で辺りを見渡していた。
「目が覚めたか?何か食べるなら用意するが。」
エドワードの声にエリザベスはピクンと跳ねた。
「…平気」
か細い返事にエドワードは、そうかとしか答えられなかった。
部屋の中にいたたまれない沈黙が落ちる。
エリザベスが話そうとしないので、エドワードが静かに口を開いた。
「…エリザベスのお父さんは…」
「!」
「今、どこにいるんだ?連れ去られてきたなら、帰してやりたいからな。
お父さんの名前は?」
エリザベスは伏し目がちになる。
「お、お父さん…は…。
名前は…」
ーズガァァアンッッ!!
「な!?」
けたたましい爆発音と共に船体がグラグラと揺れ動く。エドワードは咄嗟にエリザベスを抱きしめ、ベッドから落ちないように支えた。
「襲撃…!?
まさか本当にこの子を取り返しにきたのか!?」
エドワードは不安げなエリザベスの視線に気付き、大丈夫だと撫でた。
「何があったか確認してくる。エリザベスはこの部屋から絶対出るなよ。」
エドワードはもう一度エリザベスに笑いかけると、素早く立ち上がり、部屋をでた。
鍵を閉めて、通り掛かりの研究員を捕まえた。
「何が起きてる!?」
「はっ!船体ではなく、島が艦隊に砲撃を受けております。兵士は艦に帰還し、戦闘準備。要請がでれはいつでも出撃出来るようにと。」
「わかった。俺は艦長の所へ行ってくる。
お前達は所定位置につけ!」「了解!」
エドワードは、アメストリス側とアメリカ側の連絡要員として、ニースに話しをつけると、桟橋を駆け抜けて司令基地に飛び込んだ。
「鋼の大将!」
エドワードの顔を見た時、フォーライフはつい昔馴染みの呼び方をしてしまった。
「フォーライフ准尉!どうなってるんだ!?」
「今は大尉だ!南の奴らがまた来たんだ。ここらは前線だって将軍にきいただろう?この頃大人しかったんだが、痺れを切らしたらしい。鋼の大将は自分の船にいてくれていいぞ。」
「要請があれば俺達だって動けるようになってる!戦える!」
エドワードはそう申し出れば、フォーライフは協力を要請すると思っていた。
しかし、
「鋼の大将は黙っていろ!!大将は前に帰って来た時の戦いの後、何があったか知らないから…!」
フォーライフは強い口調で、エドワードの申し出を跳ね退けた。
その反応に驚いたエドワードは、まじまじとフォーライフを見詰めてしまった。
「…何だって?」
エドワードは唖然としてフォーライフに問う。
「なら、前に俺達が帰って来た後、何かあったのか?
俺達が消えてからも、後引くような事があったのか!?オイ!フォーライフ准尉!!」
エドワードはフォーライフの襟首に掴みかかった。
「…っ。
今は、そんな事話している場合じゃない。
とにかく、我々はそちらには協力は要請しない!これはアメストリス軍としての決定事項なんだ!」
フォーライフはなんとかエドワードの手を振りほどくと、自分の部下に指示を出し始めた。
エドワードはギリッと歯噛みして、思いついたように身を翻す。
「大将!」
「なら、俺だけでも動く! 俺は鋼の錬金術師だ!!」
エドワードは基地をでて、爆音がする方へそろそろと進んで行った。
岬の辺りが見渡せる場所に出ると、黒々と煙をたなびかせる駆逐艦や小型の戦艦が見えた。アメストリス軍旗とアエルゴの国旗が爆風に激しく煽られている。
激しい砲撃が互いの船を揺るがし、魚雷が水柱をあげる。また一舟、アメストリス側の船が傾ぐ。
「くそ!見てられねぇ!陸からの援軍が来る前にやられちまう!」
エドワードは毒づきながらも、どうにか大砲を錬成して弾を届かせる方法を考えていた。
「やっぱりこれしかない。足がないなら、作るまで!」
エドワードは両手を胸の前で合わせると、素早く地面に押し付けた。
立っていた回りの土や岩を巻き込んで、巨大な錬成物が出来ていく。
「ちょっと地形が変わっちまったけど、これぐらいはご愛嬌だ!」
エドワードの目の前には、小型の鉄製のボートが水面にゆらゆらと浮かんでいた。「久しぶりの錬成にしちゃ、いいできだろ。
さて、出航だ!」
5に続く