【やる&やら】最凶にして最愛のただ一人の君に捧ぐ
家の中に戻ったやらない夫とやる夫は、二人で分担して炊飯し、味噌汁を作ることにした。
だが、薄暗い台所に入ろうとしたところで、やる夫が声を上げた。
「あっ!そういえば暗いと思ったらまだ雨戸を開けてませんでしたおね。
せっかくの料理ができても、こうも暗くちゃ旨くないですお!
センセ、ちょっと雨戸開けて参りますお。」
「あ、そうでしたね。
すみません、新速出編集。
お願いいたしますだろ。」
やる夫は台所からすぐさま廊下へ歩いていき、南側の雨戸を順に開け放つ。
すると朝日と、雪に反射した光がさっと家の中を横断した。
それにつられてやらない夫が居間の方へ振り替えると、雪見障子を通して真っ白い景色が見えた。
それに、つい心が踊った瞬間、雨戸を押してゆくやる夫が横切り、その影の形にはっとしてしまった。
強い光はやる夫の形をくっきりと浮かび上がらせ、その影と光は、やらない夫の心へ、活動写真のように焼き付いた。
そうこうしているうちに、やる夫が帰ってきて、二人は手早く朝げの準備を整えた。
それがまだ温かいうちに急いで居間の座卓に運ぶ。
献立は、昨日の冷飯を粥にし、梅干しをのせたものと、菜っ葉の味噌汁。
向かい合って座ってから、二人で手を合わせて食べ始めるのだった。
「あっ!そうだ、先生!」
いくらか口を付けたあと、やる夫はハッと思い出したように慌てた口調で言った。
粥にふうふうと息を吹きかけながら眼鏡を白くしていたやらない夫は、顔を上げやる夫の方を向いた。
「さっき、駅まで様子を見に行くために出かけていた途中、ここに勉強にきてる子達の何人かとすれ違いましてお。
あまりに、その子達が雪のなか、無理やりこようとしてるから、それがもぉ危なっかしくて…。
電線や、線路もありますしお。
だから、その、咄嗟に、つい、今日は休みになったから、雪で難儀してるうちの手伝いをしなさいって言って、帰しちゃったんですお。
友達にも伝えるって子供たち言ってたんで…。たぶん、今日は子供たち、こないと思いますお。
申し訳ないですお。
独断で出過ぎた真似を…。」
やる夫が、深く頭を下げたので、やらない夫は驚いてしまった。
「いえ!
たしかにこの雪のなか無理やりにでも来ようとして、大きな事故になっては大変ですから!
ここいらで、こんな大雪はめずらしいですし。
その機転に感謝しますだろ!
子供たちの安全に気を配っていただき、ありがとうございます!」
やらない夫が慌て礼を述べると、やる夫はほっとした顔で頭をあげる。
「そう言ってくださると、心がかるくなりますお。
これでも、子供に関係してる仕事してますからお。
気にかけるくらいは…。
まぁ、当の子供たちからは、見てくれが恐いと、逃げられてばっかりですがお。
たははは…はぁ。」
やる夫は顔を上げ、少々困ったように頭をかいた。
「しかし…、そうすると、今日の予定がまるで空いてしまいましたね。
雪かきも、新速出編集がおわらせてくださいましたし。」
やらない夫が言うと、やる夫はまた恐縮してしまった。
「すみませんお。
予定を崩してしまいましたお…。
雪かきについては…、あの素晴らしい原稿を早く会社に持って帰って上と相談したくって、いてもたってもいられなくて運航状況だけでも、確認せねばと…。」
「今日は休日なのですよね…?
しかし、我が家にまともな道具などなかったでしょう?
どうやって雪かきをされたのですか?」
「ああ、道具ですかお?
それにはちょっと物語がありましてお。
今日は、興奮のあまり、朝の早い時間に起きてしまいましてお。
そわそわして堪らなくて、朝イチに駅に運航状況を聞きに行こうと外に出てみたものの、雪は止んでたんですが、革靴でいくのはちょっと無理があるくらい積もってたんですお。
どうしたものかと玄関前で立ち尽くしてたら、お隣のおじいちゃんが鋤(すき)を持って出て来て雪かきを始めたんですお。
でも、隣のおじいちゃん、途中で転んじゃいましてお。
それで、雪を掻き分けながら駆け寄ったら、ちょっと腰をいためちゃったっていうので、お家の中にいれてあげて、鋤を借りて雪かきを代行したんですお。
それで、雪かきをしてくれるならしばらく貸してくれるというので、先生のお家の前と、駅までの道をざっと片付けながら様子を見に行ったんですお。
先生と鉢合わせしたのは、駅までいってかえってきて、おじいちゃんに鋤をかえして、先生のお家に入ろうとしていたとこだったんですお。」
やらない夫は隣人であるやる蔵の顔を思い浮かべながら納得した。
「なるほどそうだったんですね。
それほど距離がないとはいえ、大変でしたでしょう。お疲れ様でした。」
「何、自分これでも兵役こなした身ですしお?
腕力には自信があるんですお!
それに実家は百姓でしてお!
鋤(すき) やら鍬(くわ)の扱いなら、十八番ですお!
久しぶりに、思う存分、腕を振るいましたおー!」
やる夫は、にかりと笑いながら力強く腕を曲げて見せた。
やらない夫はそんなやる夫をまぶしげに見た。
「うらやましいですだろ。
…私は昔から体が弱かったので、兵役検査に落ちたような人間ですから…。
畑なんて夢のまた夢、土いじりさえさせてもらえませんでしただろ…。鋤やら鍬やらは、持ったことがなくて。
尋常小学校のあだ名も、もやしとか、枯れ木とか、枯れ枝とか、ヤセギスとかガリだったので、新速出編集のその体格は、大変憧れますだろ。」
やらない夫の言葉に、やる夫は目をつり上げて怒りを露にした。
「ぬぁんですとっ!
なんですかそのあだ名はっ!
先生に対してなんたる侮辱っ!
次にそんなあだ名で呼ぶ人がいたら、自分が兵隊上がりの腕っぷしで成敗しますお!
美筆先生は、ヤセギスなんじゃなくて、華奢とか、繊細って言うんですおーっ!」
幻で、角まで見えそうなほど怒りながら力説するやる夫の姿がなんだか必死で、やらない夫はつい笑ってしまった。
「ありがとうございます。
たしかに、そう言えなくもないですね。
どちらの表現も、凛々しい日本男児とは言えませんが…。」
やらない夫が言うと、やる夫はやや詰まった。
「んん…。
失礼ながら、先生は確かに筋力はないかもですがお。
自分が言うのもなんですが、男は筋肉だけじゃねーですお!
自分には先生には先生の魅力があると思ってますお!
それに、腕っぷしや力仕事なら、どんと自分にお任せくださいお!
適材適所っていうじゃありませんかお。
足らなかったら補えばいいんですお!
あ、そうだ!
土いじり!
先生、自分、ずっとここのお庭、せっかく広いのにがらんとしていて寂しく思ってたんですお。
土いじりがしてみたいなら、ちょっと花壇とか野菜とかやってみませんかお?
緑が増えたり花が咲いたりしたら、子供たちもきっと喜びますお。」
やる夫の提案に、やらない夫は顔を明るくした。
「確かに、それはいい考えですね!
果物の木を植えたら、食べられますし食費がうきますし!
昔、家の羽振りがよかった時は、母屋との間に庭園がありまして、庭師をいれて、形がよい松やら、石灯篭やら、池やら設えていたのですが、その後売れそうなものは皆借金のカタになって根こそぎ持っていかれてしまって…。
いい考えではあるのですが…、経験がないので管理できる自信がないのですが。」
「簡単ですお!
自分一応玄人ですしお!
何よりここに来てる子供たち、みんなお百姓さんの子供ですお?
皆に教えて貰いながら、みんなで作るってどうですかお?
きっと子供たちも、いつも教えてもらう先生に教えてあげられることがあるって発見するでしようし、先生だって、いろんなこと経験できるじゃないですかお!
それに、自分も土いじり、したいですしお。」
力強く説得のために放たれていた言葉だったが、一番最後の言葉だけは、少々恥ずかしそうに現れた。
やらない夫はそんな様子も愛おしく思ったものだが、上部(うわべ)だけは平静をとりつくろう。
「たしかに、楽しくなりそうです…、ですが、そうとなると新速出編集が今までよりも我が家に訪れていただく回数が増えてしまいませんか?
他の先生との兼ね合いもありますし、編集のお仕事に支障はきたしませんかだろ?」
やらない夫は心配するが、やる夫は頭をふった。
「いや!そう心配していただけるのはありがたいですけどお!
もう土いじりができるとなりゃあ、それが最高の休日の過ごし方になるので、自分の休日できますお!
いやほんと、自分には生粋の百姓の血が流れてますからお。なーんか空っぽの庭にウズウズしちゃいましてお。
編集の仕事が好きとはいえ、畑で泥んこになりながら野良仕事して、土の感触を感じたくもなっちまうんですお。
実のとこ、自分のワガママもちょっとありますお…!」
やる夫は箸を片手に力説するが、やらない夫は少し不思議そうに首をかしげる。
「ご実家がお百姓様なら、そちらに帰られたほうが、たくさん畑仕事ができるのでは?」
「それじゃ、こきつかわれるだけなんですお!
こう、のびのび自由にやりたいんですおっ!
綺麗な花とかも育ててみたいし、ちょっと変わった果物をみんなでもいで食べたいんですお!実家の畑じゃ、芋と桑と麦だけしか見られんですおぅ!」
やる夫は悔しげで、呻くようだった。
やらない夫は一度チラリと銀の原になっている庭を見渡し、くすりと笑ってみせた。
「では、具体的な場所などからお任せしますが、大丈夫ですかだろ?」
「もちろんっ!
お任せくださいお!
子供たちとも相談しながら、素敵な庭にしてみせますお!」
やる夫は飛び上がらんばかりに興奮して、嬉しさの勢いのあまり、一気に粥をかきこんでいた。
やらない夫も、嬉しそうなやる夫を見て嬉しくなりながら、粥をすすった。
さして量がある食事ではなかったので、二人は気づけば椀を空にしていた。
二人は洗い物を台所へ運び、流し台の手押しの井戸のポンプを動かしてたらいに水をはる。
ためた水で洗い物をすませてしまったあとは、二人して居間に戻った。
「新速出編集。
今日一日時間が出来たので、私は鬼三部作の三作目を進めたいと思います。
もう中盤ほどまで書き上がっているのですが、読めるところまでお読みになりますかだろ?」
「は、はいっ!それはぜひ!」
やらない夫が尋ねると、やる夫は目を輝かせた。
「それではお持ちしますので、お座りになってお待ち下さい。」
やらない夫はそう言って襖を開け、文机の引き出しから原稿が入った封筒を取り出した。
そして書き上がっているところまでの原稿用紙をまとめると、やる夫のいる居間に戻る。
「こちらが、三作目の黒鬼の子と封印の太刀の途中までです。」
「あり!ありがとうっ!ございますおっ!
読ませていただきますおっ!」
やる夫は目を輝かせて原稿用紙の束を恭しく(うやうやしく)受けとる。
「それでは、私はこちらの部屋で執筆しております。
新速出編集も、どうぞお好きなように、気兼ねなくゆるりとお過ごしください。」
「ありがとうございますお。
ゆっくり読ませていただきますお!」
やる夫は座卓の上で一度トンと端をそろえてから、さっそく原稿をよみ始めた。
やらない夫はそれを見届けてから、自室に入り襖を閉める。
文机の前に敷かれた座布団の上に座り、まだ書きかけの原稿に向かう。
数行書いてみるものの、やらない夫は、隣の部屋でやる夫が自分の、しかもまだ書きかけの小説を読み、そしてその小説の続きを、まさに今、自分のこの手が生み出しているということが、不思議なように感じてどうも落ち着かないのであった。
「…、ふふ、くすぐったいというか、恥ずかしいというか、むず痒いというか…、読んでいただくことはいつものはずなのに、条件が違うだけでこうも、落ち着かないとは、だろ。」
やらない夫はしばらくそわそわしていたが、そのうちになると落ち着いてきたのか、調子がでてきたのか、するすると万年筆が動くようになってきた。
しばし、やらない夫は時間を忘れて原稿に向かい、何か気配がした気がして、ふっと集中力が途切れた時、ふぅとため息をついて顔を上げた。
少しぼんやりしたやらない夫の耳に、足音が聞こえ、おやと思った時、やる夫が雪見障子ごしにこちらを伺った姿が視界にはいった。
ぱちり、と目があい、やる夫はすっと障子を開けた。
「あ、センセ、お時間よろしいですかお?」
「はい、もちろん。
どうされましたか?
先ほどの原稿で何かありましたか?」
「いえ!原稿は素晴らしかったですお!
細かい誤字とかの修正箇所はいくつかありましたが…。
あ、それとはまた別で、ちょっとセンセの息抜きになればいいなと思いまして…。
先生、ちょっといいもの見せてあげますから、目を閉じててくださいお!」
やる夫がそういうので、やらない夫は目を閉じた。
「はい、閉じましたが…。」
「じゃあ、開けてくださいっていうまで、そのままでお願いしますお。
…よし、センセ、目を開けてくださいお!」
やらない夫は言われた通りに目を開ける。
すると、そこには盆の上にちょこんと乗った、ちょっと不格好な雪うさぎがいた。
「わ!
可愛いですだろ!」
やらない夫は、少々歪んでいるが愛嬌のある雪うさぎが目の前に現れたので、思いもよらず歓声をあげていた。
「可愛い…、この子は、新速出編集がお作りに?
上手ですね。
私はこういう類いは格好がつかなくて。」
「へへ、喜んでいただけて嬉しいですお。
庭にちょうどいい塩梅でふきだまってる雪玉がありましてお。
目と耳をつけたら、なんだかいい感じに可愛いくなったので、息抜きになればと、つれてきてしまいましたお。
お気に召したようで、何よりですお!」
やらない夫は、つい指を伸ばして、ちょんと雪うさぎを撫でた。
もちろん雪なので冷たいのだが、てらりと光る白さの中に、やる夫の優しさや愉快さがにじんでくるようで、やらない夫はついつい顔を綻ばせた。
「それと、センセ、ひとつ提案なんですがお。
お昼は外に食べに行きませんかお?
昨晩のお礼もありますので、ご馳走させてくださいお。
あと、駅までゆきかきした時に、駅前の並木が雪化粧して素晴らしかったんですお。
取材ついでに、散歩してみませんかお?」
やる夫の嬉しい提案に、やらない夫は二つ返事で了承する。
こうして、二人は雪化粧した街へくりだすことになったのだった。
つづく
だが、薄暗い台所に入ろうとしたところで、やる夫が声を上げた。
「あっ!そういえば暗いと思ったらまだ雨戸を開けてませんでしたおね。
せっかくの料理ができても、こうも暗くちゃ旨くないですお!
センセ、ちょっと雨戸開けて参りますお。」
「あ、そうでしたね。
すみません、新速出編集。
お願いいたしますだろ。」
やる夫は台所からすぐさま廊下へ歩いていき、南側の雨戸を順に開け放つ。
すると朝日と、雪に反射した光がさっと家の中を横断した。
それにつられてやらない夫が居間の方へ振り替えると、雪見障子を通して真っ白い景色が見えた。
それに、つい心が踊った瞬間、雨戸を押してゆくやる夫が横切り、その影の形にはっとしてしまった。
強い光はやる夫の形をくっきりと浮かび上がらせ、その影と光は、やらない夫の心へ、活動写真のように焼き付いた。
そうこうしているうちに、やる夫が帰ってきて、二人は手早く朝げの準備を整えた。
それがまだ温かいうちに急いで居間の座卓に運ぶ。
献立は、昨日の冷飯を粥にし、梅干しをのせたものと、菜っ葉の味噌汁。
向かい合って座ってから、二人で手を合わせて食べ始めるのだった。
「あっ!そうだ、先生!」
いくらか口を付けたあと、やる夫はハッと思い出したように慌てた口調で言った。
粥にふうふうと息を吹きかけながら眼鏡を白くしていたやらない夫は、顔を上げやる夫の方を向いた。
「さっき、駅まで様子を見に行くために出かけていた途中、ここに勉強にきてる子達の何人かとすれ違いましてお。
あまりに、その子達が雪のなか、無理やりこようとしてるから、それがもぉ危なっかしくて…。
電線や、線路もありますしお。
だから、その、咄嗟に、つい、今日は休みになったから、雪で難儀してるうちの手伝いをしなさいって言って、帰しちゃったんですお。
友達にも伝えるって子供たち言ってたんで…。たぶん、今日は子供たち、こないと思いますお。
申し訳ないですお。
独断で出過ぎた真似を…。」
やる夫が、深く頭を下げたので、やらない夫は驚いてしまった。
「いえ!
たしかにこの雪のなか無理やりにでも来ようとして、大きな事故になっては大変ですから!
ここいらで、こんな大雪はめずらしいですし。
その機転に感謝しますだろ!
子供たちの安全に気を配っていただき、ありがとうございます!」
やらない夫が慌て礼を述べると、やる夫はほっとした顔で頭をあげる。
「そう言ってくださると、心がかるくなりますお。
これでも、子供に関係してる仕事してますからお。
気にかけるくらいは…。
まぁ、当の子供たちからは、見てくれが恐いと、逃げられてばっかりですがお。
たははは…はぁ。」
やる夫は顔を上げ、少々困ったように頭をかいた。
「しかし…、そうすると、今日の予定がまるで空いてしまいましたね。
雪かきも、新速出編集がおわらせてくださいましたし。」
やらない夫が言うと、やる夫はまた恐縮してしまった。
「すみませんお。
予定を崩してしまいましたお…。
雪かきについては…、あの素晴らしい原稿を早く会社に持って帰って上と相談したくって、いてもたってもいられなくて運航状況だけでも、確認せねばと…。」
「今日は休日なのですよね…?
しかし、我が家にまともな道具などなかったでしょう?
どうやって雪かきをされたのですか?」
「ああ、道具ですかお?
それにはちょっと物語がありましてお。
今日は、興奮のあまり、朝の早い時間に起きてしまいましてお。
そわそわして堪らなくて、朝イチに駅に運航状況を聞きに行こうと外に出てみたものの、雪は止んでたんですが、革靴でいくのはちょっと無理があるくらい積もってたんですお。
どうしたものかと玄関前で立ち尽くしてたら、お隣のおじいちゃんが鋤(すき)を持って出て来て雪かきを始めたんですお。
でも、隣のおじいちゃん、途中で転んじゃいましてお。
それで、雪を掻き分けながら駆け寄ったら、ちょっと腰をいためちゃったっていうので、お家の中にいれてあげて、鋤を借りて雪かきを代行したんですお。
それで、雪かきをしてくれるならしばらく貸してくれるというので、先生のお家の前と、駅までの道をざっと片付けながら様子を見に行ったんですお。
先生と鉢合わせしたのは、駅までいってかえってきて、おじいちゃんに鋤をかえして、先生のお家に入ろうとしていたとこだったんですお。」
やらない夫は隣人であるやる蔵の顔を思い浮かべながら納得した。
「なるほどそうだったんですね。
それほど距離がないとはいえ、大変でしたでしょう。お疲れ様でした。」
「何、自分これでも兵役こなした身ですしお?
腕力には自信があるんですお!
それに実家は百姓でしてお!
鋤(すき) やら鍬(くわ)の扱いなら、十八番ですお!
久しぶりに、思う存分、腕を振るいましたおー!」
やる夫は、にかりと笑いながら力強く腕を曲げて見せた。
やらない夫はそんなやる夫をまぶしげに見た。
「うらやましいですだろ。
…私は昔から体が弱かったので、兵役検査に落ちたような人間ですから…。
畑なんて夢のまた夢、土いじりさえさせてもらえませんでしただろ…。鋤やら鍬やらは、持ったことがなくて。
尋常小学校のあだ名も、もやしとか、枯れ木とか、枯れ枝とか、ヤセギスとかガリだったので、新速出編集のその体格は、大変憧れますだろ。」
やらない夫の言葉に、やる夫は目をつり上げて怒りを露にした。
「ぬぁんですとっ!
なんですかそのあだ名はっ!
先生に対してなんたる侮辱っ!
次にそんなあだ名で呼ぶ人がいたら、自分が兵隊上がりの腕っぷしで成敗しますお!
美筆先生は、ヤセギスなんじゃなくて、華奢とか、繊細って言うんですおーっ!」
幻で、角まで見えそうなほど怒りながら力説するやる夫の姿がなんだか必死で、やらない夫はつい笑ってしまった。
「ありがとうございます。
たしかに、そう言えなくもないですね。
どちらの表現も、凛々しい日本男児とは言えませんが…。」
やらない夫が言うと、やる夫はやや詰まった。
「んん…。
失礼ながら、先生は確かに筋力はないかもですがお。
自分が言うのもなんですが、男は筋肉だけじゃねーですお!
自分には先生には先生の魅力があると思ってますお!
それに、腕っぷしや力仕事なら、どんと自分にお任せくださいお!
適材適所っていうじゃありませんかお。
足らなかったら補えばいいんですお!
あ、そうだ!
土いじり!
先生、自分、ずっとここのお庭、せっかく広いのにがらんとしていて寂しく思ってたんですお。
土いじりがしてみたいなら、ちょっと花壇とか野菜とかやってみませんかお?
緑が増えたり花が咲いたりしたら、子供たちもきっと喜びますお。」
やる夫の提案に、やらない夫は顔を明るくした。
「確かに、それはいい考えですね!
果物の木を植えたら、食べられますし食費がうきますし!
昔、家の羽振りがよかった時は、母屋との間に庭園がありまして、庭師をいれて、形がよい松やら、石灯篭やら、池やら設えていたのですが、その後売れそうなものは皆借金のカタになって根こそぎ持っていかれてしまって…。
いい考えではあるのですが…、経験がないので管理できる自信がないのですが。」
「簡単ですお!
自分一応玄人ですしお!
何よりここに来てる子供たち、みんなお百姓さんの子供ですお?
皆に教えて貰いながら、みんなで作るってどうですかお?
きっと子供たちも、いつも教えてもらう先生に教えてあげられることがあるって発見するでしようし、先生だって、いろんなこと経験できるじゃないですかお!
それに、自分も土いじり、したいですしお。」
力強く説得のために放たれていた言葉だったが、一番最後の言葉だけは、少々恥ずかしそうに現れた。
やらない夫はそんな様子も愛おしく思ったものだが、上部(うわべ)だけは平静をとりつくろう。
「たしかに、楽しくなりそうです…、ですが、そうとなると新速出編集が今までよりも我が家に訪れていただく回数が増えてしまいませんか?
他の先生との兼ね合いもありますし、編集のお仕事に支障はきたしませんかだろ?」
やらない夫は心配するが、やる夫は頭をふった。
「いや!そう心配していただけるのはありがたいですけどお!
もう土いじりができるとなりゃあ、それが最高の休日の過ごし方になるので、自分の休日できますお!
いやほんと、自分には生粋の百姓の血が流れてますからお。なーんか空っぽの庭にウズウズしちゃいましてお。
編集の仕事が好きとはいえ、畑で泥んこになりながら野良仕事して、土の感触を感じたくもなっちまうんですお。
実のとこ、自分のワガママもちょっとありますお…!」
やる夫は箸を片手に力説するが、やらない夫は少し不思議そうに首をかしげる。
「ご実家がお百姓様なら、そちらに帰られたほうが、たくさん畑仕事ができるのでは?」
「それじゃ、こきつかわれるだけなんですお!
こう、のびのび自由にやりたいんですおっ!
綺麗な花とかも育ててみたいし、ちょっと変わった果物をみんなでもいで食べたいんですお!実家の畑じゃ、芋と桑と麦だけしか見られんですおぅ!」
やる夫は悔しげで、呻くようだった。
やらない夫は一度チラリと銀の原になっている庭を見渡し、くすりと笑ってみせた。
「では、具体的な場所などからお任せしますが、大丈夫ですかだろ?」
「もちろんっ!
お任せくださいお!
子供たちとも相談しながら、素敵な庭にしてみせますお!」
やる夫は飛び上がらんばかりに興奮して、嬉しさの勢いのあまり、一気に粥をかきこんでいた。
やらない夫も、嬉しそうなやる夫を見て嬉しくなりながら、粥をすすった。
さして量がある食事ではなかったので、二人は気づけば椀を空にしていた。
二人は洗い物を台所へ運び、流し台の手押しの井戸のポンプを動かしてたらいに水をはる。
ためた水で洗い物をすませてしまったあとは、二人して居間に戻った。
「新速出編集。
今日一日時間が出来たので、私は鬼三部作の三作目を進めたいと思います。
もう中盤ほどまで書き上がっているのですが、読めるところまでお読みになりますかだろ?」
「は、はいっ!それはぜひ!」
やらない夫が尋ねると、やる夫は目を輝かせた。
「それではお持ちしますので、お座りになってお待ち下さい。」
やらない夫はそう言って襖を開け、文机の引き出しから原稿が入った封筒を取り出した。
そして書き上がっているところまでの原稿用紙をまとめると、やる夫のいる居間に戻る。
「こちらが、三作目の黒鬼の子と封印の太刀の途中までです。」
「あり!ありがとうっ!ございますおっ!
読ませていただきますおっ!」
やる夫は目を輝かせて原稿用紙の束を恭しく(うやうやしく)受けとる。
「それでは、私はこちらの部屋で執筆しております。
新速出編集も、どうぞお好きなように、気兼ねなくゆるりとお過ごしください。」
「ありがとうございますお。
ゆっくり読ませていただきますお!」
やる夫は座卓の上で一度トンと端をそろえてから、さっそく原稿をよみ始めた。
やらない夫はそれを見届けてから、自室に入り襖を閉める。
文机の前に敷かれた座布団の上に座り、まだ書きかけの原稿に向かう。
数行書いてみるものの、やらない夫は、隣の部屋でやる夫が自分の、しかもまだ書きかけの小説を読み、そしてその小説の続きを、まさに今、自分のこの手が生み出しているということが、不思議なように感じてどうも落ち着かないのであった。
「…、ふふ、くすぐったいというか、恥ずかしいというか、むず痒いというか…、読んでいただくことはいつものはずなのに、条件が違うだけでこうも、落ち着かないとは、だろ。」
やらない夫はしばらくそわそわしていたが、そのうちになると落ち着いてきたのか、調子がでてきたのか、するすると万年筆が動くようになってきた。
しばし、やらない夫は時間を忘れて原稿に向かい、何か気配がした気がして、ふっと集中力が途切れた時、ふぅとため息をついて顔を上げた。
少しぼんやりしたやらない夫の耳に、足音が聞こえ、おやと思った時、やる夫が雪見障子ごしにこちらを伺った姿が視界にはいった。
ぱちり、と目があい、やる夫はすっと障子を開けた。
「あ、センセ、お時間よろしいですかお?」
「はい、もちろん。
どうされましたか?
先ほどの原稿で何かありましたか?」
「いえ!原稿は素晴らしかったですお!
細かい誤字とかの修正箇所はいくつかありましたが…。
あ、それとはまた別で、ちょっとセンセの息抜きになればいいなと思いまして…。
先生、ちょっといいもの見せてあげますから、目を閉じててくださいお!」
やる夫がそういうので、やらない夫は目を閉じた。
「はい、閉じましたが…。」
「じゃあ、開けてくださいっていうまで、そのままでお願いしますお。
…よし、センセ、目を開けてくださいお!」
やらない夫は言われた通りに目を開ける。
すると、そこには盆の上にちょこんと乗った、ちょっと不格好な雪うさぎがいた。
「わ!
可愛いですだろ!」
やらない夫は、少々歪んでいるが愛嬌のある雪うさぎが目の前に現れたので、思いもよらず歓声をあげていた。
「可愛い…、この子は、新速出編集がお作りに?
上手ですね。
私はこういう類いは格好がつかなくて。」
「へへ、喜んでいただけて嬉しいですお。
庭にちょうどいい塩梅でふきだまってる雪玉がありましてお。
目と耳をつけたら、なんだかいい感じに可愛いくなったので、息抜きになればと、つれてきてしまいましたお。
お気に召したようで、何よりですお!」
やらない夫は、つい指を伸ばして、ちょんと雪うさぎを撫でた。
もちろん雪なので冷たいのだが、てらりと光る白さの中に、やる夫の優しさや愉快さがにじんでくるようで、やらない夫はついつい顔を綻ばせた。
「それと、センセ、ひとつ提案なんですがお。
お昼は外に食べに行きませんかお?
昨晩のお礼もありますので、ご馳走させてくださいお。
あと、駅までゆきかきした時に、駅前の並木が雪化粧して素晴らしかったんですお。
取材ついでに、散歩してみませんかお?」
やる夫の嬉しい提案に、やらない夫は二つ返事で了承する。
こうして、二人は雪化粧した街へくりだすことになったのだった。
つづく