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【やる&やら】最凶にして最愛のただ一人の君に捧ぐ

夏の盛りの蝉時雨。
天を突けよと入道雲。
猛よ猛よと草木は繁り。
夕立は水煙さえ上げて通りすがる。

だが、そんな猛火の季節もやがては移ろうもの。

ふと気がつけば空は入道雲よりも、うろこ雲を見るようになり、朝夕の風は過ごしやすさを運んでくるようになっていた。

夏休みが過ぎ、残暑も別れを名残惜しんで振り返るように続いたが、彼岸の頃には去っていた。

「いやー、今日はみんな喜んでくれてよかったですおね!」

「新速出編集のお陰です。
みんな楽しそうで良かった。」

やらない夫とやる夫は庭に出ていた。

今日、美筆塾では庭に作った畑の収穫を子どもたちと一緒に行なった。

掘り出されたのは丸々熟したサツマイモである。

そのサツマイモたちはすぐに庭の片隅で焼き芋にされ、子どもたちやご近所の人に振る舞われた。

そして、日が傾き始めた頃、大盛況で幕を閉じたのであった。

「今年のサツマイモはなんとも大当たりでしたおね!

甘くて、おっきくて、いっぱい取れて!

掘っててとっても楽しくて、子どもたちもきゃあきゃあ言って喜んでましたお。」

豊作だったサツマイモはそれでもなお余裕があり、子どもたちに何本かずつ持たせたが、やらない夫の家の台所にはまだゴロゴロと転がっている。

「でも、残念でしたね、今日は比布出編集が来られないだなんて。」

縁側に座り、やらない夫は心地よい疲労感を感じながら庭でまだ作業をするやる夫を眺めていた。

何か手伝おうとしても、やる夫に断られて手が出せないというのもあるのだが。

麦わら帽子をかぶり、手ぬぐいを首に巻き、動きやすい野良着を着たやる夫は、箒を手に庭の掃き掃除をしている最中である。

秋らしい斜陽で、やる夫の影が長く伸びている様を見たやらない夫は、ずいぶん日が短くなったものだと実感していた。

作業の手を止め、やる夫は残念そうに肩を竦める。

「今日はどうしてもはずせない用事が会社のほうであったみたいで。
でも、あいつの分は分けておいたんで!
自分が渡しておきますお!」

「すみませんが、よろしくお願いします。
まさか、こんな大豊作だなんて。
新速出編集の腕前の賜物ですね。」

やらない夫が笑いかけると、やる夫は少し照れたように頭をかいた。

「いやあ、子どもたちも畑のこと気にしててくれて、水やりとかしてくれたお陰ですお。
みんないい子ばかりですお。
そういえば、できる夫君は今日元気そうな姿を見られて安心しましたお。」

「ああ、どうやら家の方もだいぶ落ち着いたようですね。
彼は私の恩人ですから、そちらも安心できました。」

やる夫は消化した焚き火の跡を箒で掃除しながら、ふと空を見上げた。

天には薄く筋雲が輝き、夕方になりかけた空に儚い模様を描き出している。

どこかでキチキチと鳴く百舌鳥(もず)の声もする。

「サツマイモといい、百舌鳥の声といい、もうすっかり秋ですおねー。」

「季節が巡るのは早いものですねぇ。」

そう2人が話していると、何やら面の方で人の気配がした。

やる夫はハッとして箒を構え、やらない夫は体をこわばらせる。

だが、その緊張はすぐに解けた。

「美筆先生、やる夫。お邪魔します。
比布出です。」

裏木戸を開けて入ってきたのは、帽子と背広姿のできない夫なのであった。

その姿を見たやらない夫は、目を少し見開いて驚いた。

「あ、比布出編集!今日は忙しくてこちらには来られないと伺っていたのですが。」

「もうちょっと早く来てくれれば、あったかい焼き芋が食べられたのに。
惜しかったおね。」

やらない夫とやる夫の言葉に、できない夫は申し訳無さそうな苦笑を浮かべる。

「すみません。サツマイモ掘り大会は魅力的でしたが、どうしても決心が揺らぎそうで来られませんでした。」

「決心ですか?」

できない夫の言葉を聞き、やらない夫とやる夫は同じような角度で、コトンと首を傾げた。

そんな姿を見て、できない夫は少し笑ってしまった。

そして誰にも聞こえないほどの小声で、

「ふふ、本当に2人はお似合いだ。」

と、感想を漏らした。

そして、両手を広げ、胸を張り、できない夫は堂々宣言をする。

「やる夫!俺、淡雪講社、辞めてきたから!」

「「ええええええええええええええええええええ?!」」

できない夫の思いもよらぬ言葉に、やらない夫とやる夫は素っ頓狂な声を上げていた。

そんな2人に、できない夫は苦笑しながら頭を掻いていたが、その雰囲気は明るい。

「い、や、エエ?できない夫、お前、会社辞めるなんて一言も言ってなかったじゃんかお!」

「そりゃそうだ!言ってなかったからな!言ったら止められるかなと思ったし、何より自分の中でじっくり考える時間が欲しかったんだよ。」

できない夫は小さくため息をつく。

「自分の中ではっきり言葉にできてないところに突っ込まれたら、思考の迷子になっちまいそうだったからな。」

「なるほど、たしかに一人でじっくり考えたくなることもあるでしょうけども…。

しかし、突然でしたね。」

「自分としてはそこまで突然ということもなかったんですが。」

できない夫は笑いながら続ける。

「自分が淡雪講社にいたのは、やはり美筆先生への気持ちの分量が大きかったからなんです。」

「そりゃ、あんだけでっかく告白してたもんおね。」

「ですが、辞めたからには、その分量がなくなったということでしょう?
私の私生活を見て幻滅した、とかでしょうか?」

「いいえ!とんでもございません!ただ…。」

できない夫は帽子のツバを持ち、少しだけ顔にかかるように目深にかぶる。

「美筆先生には、俺では手が届かない。
そう実感してしまって、失恋してしまったんですよ。」

「え?!」

驚いた声を上げたのはやる夫。

やらない夫は驚いた後、声も出せずに目を少しさまよわせた。

「だから、俺は手を引きます!
あれだけ大口叩いておきながら、俺の負けです。
先生、お騒がせいたしました。
俺は、貴方の心を動かせるだけの男じゃなかった。
俺が付け入る隙は、結局最初からなかったってことですね!
でも、いい経験をさせていただきました。
ありがとうございました!」

できない夫は、帽子が落ちるほど勢いよく、そして深々とやらない夫に向かって頭を下げた。
頭を下げられたほうのやらない夫は、何も言うことができずにいたが。

一瞬の間が過ぎた頃、やらない夫の口がようやく開かれた。

「こちらこそ、ありがとうございました。
比布出編集…いえ、できない夫さん。
私は、貴方の心を作品で癒やすことができたことを、誇りに思うと共に、心から喜びとして受け取ります。
そして、作品を通して、その先にいる作者の私を愛してくださり、ありがとう。
貴方のその気持にお答えできなかったことを、お詫び申し上げます。」

「いいえ、失恋はしたものの、貴方への気持ちは本物でしたし、それを認めていただけただけでも俺は本望です。」

できない夫は下げていた頭をようやく上げて、やらない夫へにっこりと笑いかけた。

その笑顔はとても爽やかなものであった。

「しかし、淡雪講社を退職してしまって、これからはどうするのですか?」

「僕のところに来てもらうことになりました。」

やらない夫の問いに答えたのは、また別の声であった。

「あ、きーくん…」

木戸を押して次に現れたのは、やる夫が愛称で呼ぶ相手、強飯キル夫であった。

「強飯先生…」

キル夫の姿を見たやらない夫は、意外な登場人物が現れて、思わずといったようにその名前を呼んでいた。

「僕も恋をしてしまってね。
そして今日の朝に、彼の方から告白されました。」

「き、きーくんが?!あえ?!えと、お、おめでとうだお!」

「ありがとう、やっくん。
誰かを好きになる人の気持ちが、僕もようやくわかったよ。
僕も治らずの病にかかってしまった。」

キル夫は少しはずかしそうに頬を掻く。

「医者としては困ったものだけど、人としては心地いいね。」

キル夫の顔は穏やかで、少しばかりはにかんでいた。

「ここの塾生の子たちに俺も学ばせてもらったんです。
気持ちは素直に伝えないと、何も伝わらないってね。
素直に伝えたら、うなづいてもらえました。」

「…」

「さて、今日はちょっと挨拶に来ただけだったので、今日の所は御暇させていただきます。

今日は俺達も1日中大忙しだったもので。」

「やっくん、またね!」

そういうと、できない夫とキル夫は、裏木戸を通ってあっさりと去っていった。

そのばに残されたのは、ぽかんと立ち尽くすやらない夫とやる夫。

2人は、できない夫達が去っていった裏木戸をしばらく見つめていたが、先に我を取り戻したのはやる夫であった。

「び、びっくりしましたおね。
まさか
できない夫が淡雪講社は辞める、キーくんとくっつくだなんて。」

緊張した体の強張りを解こうとするかのように、やる夫は一つため息をこぼした。

しかし、はっきりした答えはすぐに返っては来なかった。

それを不思議に重いやる夫はやらない夫に視線を向ける。

そこには、とても真剣な顔で思い詰めているやらない夫がいたのである。

「せ、先生?大丈夫ですかお?」

やる夫が心配してさらに声を掛けると、やらないおはハッとして肩を震わせながら我に返った。

「っあ、すみません、少し考え事を…」

「そりゃあ衝撃を受けますおね、この急展開じゃ」

やる夫はすこし冗談めかしたように笑みを浮かべた。
しかし、一方のやらない夫の表情は、未だ硬いまま、何かを決心したような顔をしているのであった。

「新速出編集、少々よろしいですか?」

「は、はい

なんですかお?」

「大事な話があるので、私の私室に一緒においでくださいませんか。」

「え、いや、あの、野良仕事のあとで、泥だらけなんですが…」

「では、もう片付けはこのぐらいにして、どうぞ上がってください。
お湯の準備をしますから、それで体を拭いてからお着替えをして、そうしたら、私室に立ち入っていただけますか?

大事な
だいじな
お話があるので。」

やらない夫の顔は真剣で、そして、不安げで、泣きそうでもあった。

やる夫はその表情を見て、断ることなど出来はしなかった。

「わかりましたお。
すみませんが、お湯をお願いしますお」

やる夫がほうきや他の道具を片付けいる間に、やらない夫は手早く桶いっぱいの程よい湯と、手ぬぐい、着替えを用意した。

戻ってきたやる夫はそれらを有りがたく受け取り、できるだけ手早く身支度を整えていく。

その間頭の中には、何を言われるのだろうという不安がいっぱいに渦巻いているのであった。

「よし、できたお!」

やる夫は着物を着付けた自分の姿を確認し、気を引き締める。

汚れた桶と手ぬぐいをひとまず風呂場に撤収させ、急いでやらない夫の私室に向かう。

「美筆先生、あの、身支度がすみまして、新速出やる夫、参上いたしましたお」

やる夫は少しばかり緊張しながら、閉じられた襖の前でせい正座をし、そっと部屋の中にいるであろうやらない夫に声を掛けた。

「…はい、お待ちしておりました。
どうぞお入りください」

「はい、失礼いたしますお」

やる夫はそう言うと、そっと丁寧にやらない夫の私室へ通じるふすまを開ける。

部屋の中では、文机の上のランプがひとつ灯り、その明かりがぎりぎり届く場所にやらない夫が正座をして待っていた。

「ようこそ、新速出編集」

やらない夫は、薄暗がりの中やる夫にそっと笑いかける。

やる夫は、その儚くも優しい笑顔に見惚れずにはられなかった。



最凶にして最愛のただ一人の君に捧ぐ
つづく
次回、最終回


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