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【やる&やら】最凶にして最愛のただ一人の君に捧ぐ

それからというもの、やらない夫には護衛にやる夫とできない夫が交代でつくようになった。

だが、実際のところそれで安心とはならなかった。

塾の最中に押し掛けてきたり、直接郵便受けに恋文やおくりものを押し込まれたりということが、たびたびあったのだ。

やらない夫はその度に二人に守られ、どうにか切り抜けるのであった。

★★★★

そんなある日のこと。

今日は二人に引率されながら、やらない夫は駅の近くの本屋へ向かっていた。

「あ……。」

やらない夫はふと足を止めて、上を見上げながら、小さく悲鳴のような声を上げた。

「どうしました、先生?」

隣を歩いていたできない夫が、周りを警戒しながら尋ねる。

「いえ、その、桜が……。」

やらない夫は、しゅんとしながら答える。
そこにあるのは、角川上水の脇に並ぶ桜の並木。
その枝は緑が繁っていた。

「ーーーーあっ!」

やらない夫の言葉で、前を歩いていたやる夫が顔を青くした。

そう、桜の時期にまたこようと約束したのをすっかり忘れていたのだ。

「ど、どうしたんだ……?
二人して。」

できない夫は訝しげな表情で二人をみる。

「いや、まだ雪のころにお花見にこようって約束してて、春のいざこざですっかりお流れになってたんだお。」

「なるほど。まあ、花のころは先生忙しくしていたしな。
しかたねぇだろう。
あの騒ぎだ。忘れてなくてもいかないでくれって編集長に頼まれただろうさ。」

「ああ、そうでしたでしょうね…。」

できない夫の言葉を聞き、軽く想像がついたのだろう。

やらない夫は悲しげに一つため息をついた。

「あ、そーだお。」

そんなやらない夫を励ましたいと思ったやる夫の脳裏に妙案が浮かび、つい手を叩いていた。

「どうされました?
新速出編集?」

きょとんとした顔を向けたやらない夫に、やる夫はニッコリと笑顔を返した。

「桜は終わっちゃいましたがお、他の花を見に行くのもアリかなって思いましてお!

ここからちょっと行ったお寺に、それは見事な藤棚があるんですお!

今ならきっと見頃ですお。
ちょっと足を伸ばしてみませんかお?」

その言葉を聞いたやらない夫は目を輝かせた。

「そうなんですか!ぜひ!」

できない夫も案外、乗り気な様子だ。

「へえ、そんな名所があるなんてなぁ。」

二人が食いついたので、やる夫はにんまりと笑いながら言う。

「普通のお寺にあるから、地元じゃないと知らない、隠れた名所なんだお。
ここからそんなに離れてないお。」

「あの、わがままを聞いていただけるのであれば、お二人と行きたいです。」

「ここのところ、例の騒動のせいで自由がなかったしな。
たまには息抜きに普段行かないところに行ってみるってのもありかもな。」

そうして、やる夫の案内されながら、やらない夫とできない夫は、角川上水近くの今南寺というお寺に向かうことになったのであった。

「今南寺(いまなんじ)か。
冗談みたいな寺の名前だな。」

「ははは、そう思うおね。
自分も昔からそう思ってたお。」

「お寺が近くにあったんですね。
あまり気にしていなかったからか、存じ上げませんでした。
我が家の墓は別のところにありますので。」

三人はそんな雑談を交わしながら、しばし角川上水に沿う小道を歩いて行った。

彼らの頭上には、桜の木の枝から芽吹いた新緑が美しく黄緑を輝かせており、花が終わってしまってはいるものの、三人の目を楽しませた。

角川上水の水面に、新緑と日の光、木陰がモザイク模様を描き、それもまた一つの名画のようである。

やらない夫は、その中を歩いていきながら、みどりの中の散歩も発見があるものだとゆったりとやる夫の後ろをついていくのであった。

しばしそのまま進んでいくと、やる夫は角川上水から離れる小道のほうに曲がり、そしてそれからさしていかないうちに、なかなか立派なお堂の屋根が見え初めた。

「ここだお!」

「わあ、ここですか!」

やる夫が大きな参門の前に到着すると二人の方を振り向いた。

いかにも歴史がありそうな参門を三人は潜る。

すると境内は木々で囲まれており、けやきや松などの古木が春を謳歌していた。

そして、その木々のなかで一際見頃を向かえているのが、藤の花であった。


「おお、これは見事ですね!」

この寺の藤の花の房はずいぶんと長く垂れ下がり、それが大きな藤棚の下に花の滝を作っている。

紫色に輝く藤の滝は、夢か幻かのごとく美しい景色を描いていた。

やらない夫はそっと藤に近づき、花の流れのなかに身を投じていく。

「すごい、紫水晶の滝のようですね。」

やらない夫は、うっとりと目を細めて、藤の花に目を奪われていた。

「本当に、美しいな。」

「素晴らしいですお。」

だが、できない夫とやる夫は、藤の花に目を奪われているわけではなかった。

紫色の屏風(びょうぶ)の前にたつ、やらない夫は、色香さえ漂わせるほどに良くにあっていた。

男二人を、見とれさせるほどに。

だが、二人のそんな心中など知らないやらない夫は、てっきり二人も藤の花に見とれていると思っていた。

(ああ、藤の花の匂いでむせ返りそう。
甘い匂いで、頭がしびれるようだ。
蜂の羽音もひっきりなしに...。
蜂?)

やらない夫は、はた、と気がついてしまった。

良くみてみれば、自分の周りの藤の花の至るところで、大きな蜂が力強い音をさせながら飛んでいるのだ。

「ひょえ!」

やらない夫は真っ青になり、藤棚の下からすぐに逃げ出した。

「あれ、どうしました先生?」

藤の花とやらない夫という構図に見とれていた男二人は、青い顔をして飛び出してきた彼をきょとんとした顔で迎えた。


「蜂!
藤の花に、それは大きな蜂が!たーくさん!
驚いて、逃げ帰ってきてしまいました。
ああ、びっくりした!」

やらない夫は、少しはなれたところにいた二人のところに大急ぎで帰って、息を少し荒くしていた。

「ああ、熊蜂!
それは失礼しましたお。
お伝えするのを忘れてましたお!
藤の花の周りには、熊蜂が良くいるんでしたお!」

やる夫がハッとした顔で言うと、そのとなりでできない夫が目をつり上げた。

「ば!お前!
先生に何かあったらどうしてくれるんだ!
そういう危険があるなら先に言え!
護衛の意味がなくなっちまうだろうが!」

「も、もうしわけないお!
で、でも、熊蜂は見かけは大きくて、羽音も大きいし驚いちゃいますがお、大人しくて怒らせない限り、刺すことはないんですお!

大声だして暴れるとかしなければ、ずんぐりしたふわふわもこもこの蜂でかわいいもんなんですお!」


やる夫は、できない夫に向けてというよりも、やらない夫を安心させるために、一生懸命説明した。

「そうなんですか。
よかった、花の近くにいる間に蜂を怒らせることがなくて。
騒いでいたら今ごろ刺されていたでしょうね。」

「藤の花って、花の根本の蜜を出すところに固い蓋があって、熊蜂ぐらい力のある虫じゃないと蜜を吸うことができないんですお。」

「あん?そうしたら、藤は生存戦略に不向きじゃないか?特定の虫にしか運んでもらえないっていうのは。」

「そんなことないお。
藤の木と熊蜂は、専売契約しているみたいなものなんだお。
熊蜂は、ほかに競争相手がいない藤の花によってくるお。
藤の花のとことにくれば、必ずといえるほど蜜が集められるからだおね。

藤の花の方は、特定の顧客にきてもらうことで、藤の花同士での花粉の交換の確率が上がるんだお。」

「なるほど、藤の花と熊蜂は相利共生というわけか。
自然ってよくできてるんだなぁ。」

できない夫は納得した様子で一つ深く頷いた。

「でも、大人しい蜂とは言え、お邪魔しては悪いですし、危ないとは思うので、遠くから眺めるだけに留めておきますね。」

やらない夫は乱れていた息を整えて苦笑した。

「そういえば、藤の花言葉は、歓迎と、忠実と、恋に酔う、優しさ、決して離れないというものだそうです。

優しくて忠実なお二人にぴったりですね。」

やらない夫は、両脇に立つできない夫とやる夫を交互にみて微笑んだ。

「それよりも、俺は恋に酔うという方ですかね。
俺の中の思いは、あの告白の日から何ら変わっていませんから。」

できない夫は、にっと力強く笑い返す。

笑いかけられた方のやらない夫は、あの日の告白を思い出したのか、少し頬を染める。

一方でやる夫は、グッと拳を握り、やらない夫のことを見つめた。

「(自分は、何があっても、守り抜いてみせますお。
だから、やる夫は先生から、決して離れない...。)」

幻想のような藤の花の大瀑布を望みながら、やる夫は誓うようにそう思っていた。

三人は紫水晶の彫刻のような藤の花に、時間が許すかぎり
見とれていたのであった。


最凶にして最愛のただ一人の君に捧ぐ
続く

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