ツイステッドワンダーランド 短編
彼自身、時間に厳しくあることは自覚している。いや、厳しいというよりもそれは守られて当然であるべきことなのだ。遅刻など言語道断。約束の時間を守ることは、そもそも人として順守すべきルール。
彼の考えはこうである。その考えを破られて苛立つことは、これまでに幾度となくあった。
本日の午後には何でもない日のパーティーを。準備は滞りなく進められていたからきっと問題は起こらないだろう。今日は良き日だ、何でもない日という名を冠するに相応しい、穏やかで平穏な日。ハートの女王の法律に決め定められた、寸分の狂いもない完璧なティーパーティーを開くには申し分ない。
彼に課された役目はそれに時間通りに出席して、既に考えてある寮長としての開会の言葉を述べること。彼は数日前から丁寧に考え上げた言葉を、損じることのないように苦も無く脳内で繰り返す。忘れようも間違えようもない完成度だ。
彼、リドル・ローズハートは寮へ戻るために規則正しく歩みを進めていた。彼の横をすれ違う午前中の授業を終えた生徒たちは、午後の予定を話し合って弾んだ声を上げている。午後の授業が無い日の授業終わりには、決して特別な光景でも何でもない。だがその中にも、彼の視線を縫い留めるものがあって、彼の均一に進められていた歩幅が乱れる。
目の前に現れたのは、いつしかリドルがよく知るようになってしまった人物であった。その人は講堂の扉の前で挙動不審な動きをしており、ちらちらと中を覗いては胸に手を当て大きく息を吐く。その姿が臆病なハリネズミが巣穴から顔を出している光景を彷彿とさせるので、リドルは自然と緩みそうになってしまう頬を引き締める。
「……こんなところで何をしているんだい?」
脅かさないように注意を払って彼が言葉を掛けると、意に反してその人物はびくりと肩を震わせた。リドルよりも小さな身体は、まるでフラミンゴで打たれたみたいに跳ねて彼を振り返る。薔薇と同じ色をした赤の瞳は大きく見開かれたが、リドルを見つめると安堵した様子でほうっと息をついた。リドルはその様子に何も言わずに目を細める。
常々思っていることではあるが、彼女の姿はこの学園の生徒に似合わない清純さがある。毒々しい考えを持たず、柔和でいながらも誰にも穢されない。友人たちといるときに少々お転婆なところも見受けられるのは、むしろ年相応で良い。
とにかく見ていると言いようもなく心は穏やかになる。だからだろうか、リドルは彼女に声を掛けるのを厭わないでいた。
「リドル先輩……、びっくりしました」
今日もいつもと変わりなく彼女はリドルに対し、屈託のない笑顔を向けた。オンボロ寮に所属している彼女。平常において彼女は、リドルの所属するハーツラビュルの一年生たちと行動を共にしていることが多かった。
だからだろうか、彼女には何かと心配や世話を掛けたくなる気持ちがリドルの胸にはある。たとえ傍にエースやデュースがいなくてもそう思わせられる。彼女はハーツラビュルの寮生でもないのに。彼はリドルの友人であるトレイのように、人に甲斐甲斐しく世話を焼く性質でもないくせに。リドルは彼女に困りごとがないか無茶をしていないかが酷く気にかかった。
今もそうであった。いつも連れ立っている魔物と一緒でなく、彼女が一人でこんなところにいるのを気にしてしまった。挨拶だけではとても彼はこの場を立ち去れないでいるのだ。
「エースやデュースは一緒ではないのかな。……ああ、彼らは何でもない日のパーティーのための準備をしているんだったね」
「はい。だから今日は一緒ではないんです」
肩を竦めて笑う彼女は、友人たちと共にある時よりも大人しく見えた。大切なパーティーの準備のためとはいえ、仲の良い友人を取り上げてしまって心細くはないだろうか。誰にもかけたことのないような心配を持ち上げ、リドルは彼女を見つめる。
一人になってしまうならば、キミもパーティーに来てはどうだろう。グリムも連れて一緒に来るといい。招待状も送らなかったくせにふとリドルはそのようなことを思い立った。ハートの女王の法律に急な客人を読んではいけないという法律はないけれど……。だが、急に呼び立てるのはルール違反ではないか。
それでも、彼女がパーティーに来てくれれば場が華やぐように思えた。
「キミさえよければ、今日のパーティーに参加してもかまわないよ」
「え?」
「……もし来るのだったら、ハートの女王の法律に従ってキミにもパーティーの準備を手伝ってもらわなければならないけれど」
リドルは瞬時に様々な事柄、参加者が増える点で問題となる料理の数や準備の手間を計算して言葉を掛ける。その中で彼女にも都合があるのかもしれない、と考えなかったわけではない。
……だが断られるということを想定できていなかった。掛けられた彼の言葉を聞き、彼女は数度目を瞬かせる。そして後に彼女はリドルの提案に申し訳なさそうに眉根を寄せ、残念そうな顔をした。
「リドル先輩、せっかくお誘いいただいたのにすみません。今日はちょっと……」
そうやって断りの言葉を掛けられると、膨らんだ風船がしぼんでしまったような気分になった。変なふうに彼女が何でもない日のパーティーに来ることを期待したからか、リドルはひどく冷めた気持ちになってしまう。それに拍車をかけるように彼女の言葉は続く。
「約束があるんです。待ち合わせをしているんですけど、まだ来てくれなくて……」
彼女はリドルの前で面映ゆそうに頬を赤らめて見せた。彼女の長い睫毛が震えて、瞬くたびに覗く瞳がきらめく。
きっといつもならば、その瞳に映すのが他でもない自分や物事に向けることならば。その姿をリドルは初々しいものだと評せるのだろう。だが今、薔薇の棘が刺さった時のような痛みを覚えたのは何故か。
彼女がルール違反を犯したわけではない。彼女は時間に遅れたわけでもなく、実に模範的に待ち合わせをし約束の時間を待っているだけだ。それなのにどうしてこうも胸苦しい気分になるのだろう。ボクが突然彼女を招待しようとしただけで、約束を破られたわけでも何でもないはずだ。そうやって言い聞かせるリドルの胸に小さな疑問が湧いて出る。
――――いったいキミは誰を待っているのだろう。
その人物との時間を過ごすために今日はグリムを伴っていないのか。浮かぶ疑問は多いが、人のプライバシーを詮索して良いことなどない。しかし目の前の、彼女を見つめたリドルの眼差しは黙ってはいるけども探求心を抑えられない。彼女が待ちわびる相手を知りたいと気に掛け、そこでその気持ちばかりが膨らんでいくのを留められなかった。
このような場所で彼女を待たせて、悠然と現れる人物がいったい誰なのか。彼女と並ぶに相応しいのか、この目で確かめてやりたい気持ちになった。だがリドルは表情に、それをおくびにも出さないでひらりと手を振る。
「……ああそうか、それは残念だね」
時間切れを告げるようにチャイムが鳴った。では良い一日を。そう言葉をかけて彼女と別れたリドルは足と、きしむ心を空回しにして前へと進む。間違いなく前へと進んでいるはずなのに、リドルの歩みは彼女と鉢合わせる前のように円滑には回らなかった。先程までは完璧に覚えていた簡単な開会の言葉すら、こんがらがってしまってうまく繰り返せない。
彼女が楽しげに待つ人を、赤らめた頬とその眼差しの先を知りたい。振り返って規則正しく進める足を留めたくなってしまうほどに。自分自身が許し難い、時間を破るかもしれないというリスクを負ってもだ。
そんなことを考えるだなんてボクらしくないじゃないか。リドルはふつふつと湧く感情を何とか振り返らずに前へと進む。
――――ボクは何故、このような思いをさせられているんだろう。
今起こった出来事はほんの些細な、何でもないことだった。それでも胸の中は突き刺す痛みが残ったままで、歯車が嚙み合わないような不快感を残す。リドルは振り払うように頭を振った。考えないように、本来考えるべきことを思い浮かべようとして疑問が降る。
本当に今日は、何でもない日のパーティー日和だろうか。