ツイステッドワンダーランド 短編

 
 彼は厳格な王であった。自分に対しても他人に対しても恐ろしく厳しい。規則違反は即刻、情状酌量も無しに首を撥ねるのが鉄則。処刑方法すらハートの女王に準じたものなのだから、彼のすべては型に嵌めきってしまっているように見えていた。彼はこれまで規律と勉学を世界の中心として生きてきたのだから無理もないことなのかもしれない。
 
 だがその態度がやや軟化気味であることを彼自身、自覚するところがあった。それは彼が優しくなったわけでも、規則に対して寛容になったわけでもない。むしろ彼、リドル・ローズハートは不本意だと自分の中にある違和感に顔を顰める。
 
 確かに入学式後の騒動のせいで多少は、縛り付けてばかりもよくないということを思い知ったわけだけれども。そんなものは関係なく彼の心はあるものに絆される。
 
 人気のない学校の廊下に佇む。少し喧騒に疲れた時、寮の自室まで戻る時間がないとこういう場所を訪れる。一人きりになりたい時間というものが彼にも存在した。だがその気持ちを上回ってかき消してしまうのが、彼の心を柔らかく煮溶けさせてしまう存在。
 
 彼の耳にパタパタと上履きが地面を跳ねる音がに届く。面を上げてみると目の前に見える小さな姿。軽い足音と遠目に見えるその姿だけで誰であるかは確信できた。見知った黒髪が誰のものであるのか分かってしまうと無意識に頬が緩んでしまう。
 
「リドル先輩……!」
 
 遠くで手を振る彼女の姿を見るといつだって、甘い蜂蜜を口にした時のような幸せな気分になる。寮生たちが恐れをなすこのボクに臆することなんかなく、これほどまでに慕ってくれる。なんて可愛らしいのだろう。そうやって絆されそうになってしまう自分の気持ちをリドルは慌てて叱咤した。
 
 寮長として自分は上に立つ者、人によって態度を変えてしまうなどあまりにも未熟じゃないか。このところ上手くいった試しがないが、こうやって何度も自分に言い聞かせる。
 
「キミ、廊下を走ってはいけないといつも言っているだろう」
 
 取り繕った怖い顔でリドルは彼女に言葉を掛けた。寮生たちにであればきっと”首を撥ねてしまうよ”と脅しも含めたことだろう。だが彼女に対してリドルはそんな発想にすら至らない。
 
「でもリドル先輩を見かけたから、つい……」
 
 反省の色もあまり見せない彼女、こんなことをいうのがハーツラビュルの寮生だったら、きっとリドルはきついお叱りをするところだというのに。リドルは彼女の天真爛漫な笑顔を曇らせるような言葉を掛けるどころか、嫌味の一つも言えやしない。
 
「まったく、転んで怪我でもしたらどうする気なんだい」
「……ごめんなさい」
「キミはレディだろう、気をつけなければいけないよ」
 
 しおらしく彼女が謝るよりも先に出てくるのは、規律も何もかもを抜きにした彼女の身を案じるような言葉。しょうがなし、とばかりに彼は困り顔を浮かべて見せる。
 
 そこまでしてリドルは、何だこの軟弱さはと自分の行動を顧みた。こんなふうに甘やかしては他の寮生に示しがつかない。規律以前にマナー違反、これは彼女が他寮の生徒であっても関係がないはずだ。
 
 彼は厳格な規律を重んじる寮の長、彼が彼女可愛さに違反を見過ごそうとするだなんてあってはいけない。それは怠慢と同等だ。
 
 分かってはいる、分かってはいるのだ。それでも彼女のことはどうやっても他と同じように見ることができないでいる。
 
 彼女は輝くような笑顔をボクに向け、駒鳥のようにさえずる。口にする言葉は砂糖菓子のような甘さをボクに与えてくるのだ。
 
 他の誰とも違う、これまで出会ったどんな人間とも。そんな女性をどうやって他と同じ基準で測れようか。
 
「それで、ボクに何か用があって来たんじゃないのかい?」
「えっと……、放課後に一緒にお茶をしたいなと思って……」
 
 珍しいお菓子をもらったからと笑う彼女。その姿を見ているだけで何もかもを忘れてしまえる。積み上げられた勉学も膨大なまでのルールもキミを前にしてしまうと何もかもあまりにもちっぽけだ。それがボクのすべてであったはずななのにいつの間にか揺らがされている。
 
 本来ならそれを嫌忌するべきなのだろう。少なくともあの苦々しい事件の時はそうだった。自分のこれまでを否定されたあの時は。しかしこうやって彼女の一挙一動に揺らがされることを嫌だなんて思うことはできない。
 
 既に自分の感情を統治することなど、いつしかできなくなっていた。
 
「わかった。では放課後、僕の部屋においで。トレイの作った新作のケーキもあるはずだし」
 
 そう言うと心底嬉しそうに笑うから、リドルはどうしてもつられて口元を緩めてしまうのだ。そっと伸ばした彼の指先が白い彼女の頬を撫で、髪を梳く。こうやって彼女に触れていると時間に誰よりも厳しい彼が、時間を忘れてこのままでいたいと思わされてしまうのだ。リドルは愛しい人を見つめ、しょうがなしとばかりに微笑む。
 
 ああ、キミはいつでもボクの中の法秩序を簡単に乱してしまうね、心もすべて薔薇に色をつけるように染め上げられてしまっている。こんなボクを見たら他の寮生はボクを笑いものにするだろう。こんなふうになるなんて可笑しいかい、ボクだってそう思っているよ。
 
 ねえ、これがいったいどんな罪なのかおわかりかい? キミがキミでなかったなら、とっくに首を撥ねてしまっている。法を乱すものは許されない、それでも正しいボクがキミを許してあげよう。
 
「さぁ、そろそろ次の教室まで送っていこうか」
 
 キミのその微笑みを、何もかもを愛しく思っているよ。魔法が使えなくても、力も何も無くとも僕が許してしまえばいいだろう。ボクが持てる力でキミが笑っていられるように尽くしてあげよう。
 
 だからどうか、いつまでもボクの隣にいてくれたら。傲慢でもいい、キミがボクの隣にあることを法律にしてしまえたらいいのにと思う。
 
「はい、リドルせんぱ……」
「ああ、少し待って」
 
 名残惜しい時間を求めるように、目敏く彼女に手を伸ばせる箇所を探す。探し当てて白黒のネクタイに手をかける、一度解いて自分の制服と同じように結び直した。
 
「ネクタイが曲がっているよ。僕が直してあげよう」
 
 庭の薔薇は赤く、テーブルクロスは白。そうやって決め定められたすべての最後に、キミの居場所を。
 
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