ツイステッドワンダーランド 短編
その赤は俺のよく知ったものとは少し違っていた。俺の知るそれは無遠慮にぎらぎらと照り付けては、眩しすぎるほどの光でただ俺を惨めな気分にさせた。だが俺の前に突然現れた赤は砂漠の上空で凍てついた月のように、冷ややかに世界を見つめていた。
俺と彼女の間には劇的な出会いがあったわけではなく、今なお学園生活における男女の青き春が存在しているなどということもない。だがそれでもいつしかお互いのことを認知して、少なくとも俺は彼女という存在をいつしか心の端に留めている。
さほど面識もない彼女が俺に声を掛けてくれるようになったのはいつからのことであっただろうか。俺自身がその姿を見つけるたびに何かと気に掛けてしまいたくなったのはいつからだっただろうか。その部分はあまり記憶にはないのだが、これまでに交わした彼女とのやり取りは明確に覚えている。ああいや、そのやり取り自体が別段大したものではないのだが。どうしてか彼女と交わす二言三言は清涼な水のように枯れた俺の心に広がっていった。
自分自身の心が俺に何を訴えかけようとしているのかは理解している。だが俺は一人の十七歳の男である前にバイパー家の人間であった。未来永劫アジーム家の手となり足となり、自由を許されぬ未来しかない。
カリム・アルアジームに従順に仕えるジャミル・バイパーは心を隠して生きている。抑えて堪えて、何者にも自分の本心や思考を悟られぬように。それが生きるすべであり、自由に生きられない俺をいつか自由にしてくれる切り札であった。何事も目立たないように生きている自分。そんな俺に彼女は似ているような気がしていた。
それ以上に彼女という存在は俺には都合がよかったのかもしれない。
「奇遇だな、こんなところで」
購買にカリムのための買い物をするために足を運ぶと珍しくその姿を見かける。それは俺と同じ髪の色、だがその髪から覗く肌は俺とは違い陶器のような白。俺が彼女に声を掛けるのは決まってカリムがいない時だ。カリムからおせっかいな詮索をされたくないし、邪魔もされたくない。密やかに掛けた俺の声に彼女は面を上げる。
「こんにちは、バイパー先輩」
「ああ、こんにちは。買い出しか? グリムと君の食事にしちゃ、やたらと買い込んだな」
「ええ、まあ。なんせ、食べ盛りの男子高校生と魔物ですし」
優美に浮かべた微笑みには、仄暗い赤い瞳の鈍い輝きを見る。これがなんとも妖しくて、よりによってこの俺が惑わされそうな冷たさを持つのがいい。愛想よくこちらの言葉に応えて見せるくせに、彼女は平然と本音を隠すのだ。強かで、そして誰に対しても誠実ではない。他でもない俺のように。
偽りを持つため未だ彼女の性に気づかない人間がいる。確かにまぁ、それほど容姿に魅力は感じられない。年頃の娘ならもう少し着飾りもしそうなものだが。
成績は平凡どころか、むしろ魔力を使えないのだから良しも悪しもないだろう。冴え渡る機転があるわけでもない。そうと分かっていながら、惑わされてしまうのは自分と彼女にわずかばかりの類似点を見るからであった。
彼女は安らぎと呼ぶに遠い人種のように思えた。主人であるカリムは彼女を未だに男だと思っているようだが、彼女は紛れもなく女性。そして俺のこの目がどのように己を捉えているかを知っていて、それでいてなお自分が男子高校生であると偽りを語る。正直、今日だって腕一杯に抱えた食料のうちどの程度が彼女の食い扶持として消費できるものか。
「そうか。大変だな、君は」
分かったような俺の言葉にそうですね、と彼女が柔らかく目を細めたのを見た。緩んだ口元から少なくとも自分の掛けた言葉が見当違いではないことを悟る。
交わす言葉に大した重みはない。核心を突くような言葉を掛けるわけでもない。だが打てば響く。彼女は俺の言わんとする言葉を零すことなく受けていることに、言葉を重ねるたびいつしか気が付いた。
「……バイパー先輩も」
分かったような口ぶりで彼女が言う。彼女などにいったい俺の何がわかるというのか。君なんかに理解ができるわけがない。
そんなことを考えながらも俺こそ彼女の何を分かっているのだとも思う。俺には彼女の苦悩や心を隠す理由もわかりはしないのだ。
お互いに真実をすり合わせたことはない。しかしそれでも俺たちの間にある目配せには言葉以上の心を交わせているように思う。
「無理はなさらないでくださいね」
俺は彼女に期待をしているのだろう。彼女はこの世界の人間ではない。地位も財産も気にするようなふうでもない。この娘ならば、この八百長じみた世界でもカリムよりも俺を重要視してくれるかもしれない。馬鹿げた価値観を払って曇りなき目で俺を見るのではないかと。
思春期の間違いのような感情が俺を惑わす。だがそれは俺にとって一縷の希望。彼女は俺を見つけ、そしてその眼差して俺を見るのだ。いつか真実を打ち明けられたのならば、俺は初めて一番を獲得できるのかもしれない。
打算的だろう、これは恋慕ではないのか。認められれば彼女でなくてもいいのではないだろうか。
だが俺はいつか彼女を手に入れたい。その凍てついた月のような眼差しを俺の中に閉じ込めてしまいたいと、君と顔を合わせるたびに砂を寄せ集めるように積もり積もらせる。
「ありがとう。じゃあ、また」
「はい。また……」
噛みつくのはまだ先にしたい。ちゃんと彼女を捕らえられる算段がつくまで。今は誰にもあの瞳の美しさを知られないように、俺だけが知るのだとばかり信じて機会を待つ。胸に掲げた深謀遠慮の精神が俺の前から君を取り上げてしまうことなど知らずに。