ツイステッドワンダーランド 短編


 それは一抹の寂しさと好奇心からの願いだった。Mr.サムのミステリーショップには本当に何でも取り揃えられているのか。試すつもりで望みを伝える。元居た世界で、この季節になると手に取って選び、自分を色鮮やかに着飾ってくれた其の名を。
 
 
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 珊瑚の海の底においては微々たる光しか供給しなかった太陽が、陸ではこれほどまでに脅威になると身をもって知ったのは、陸に上がってからだ。日がとっぷりと暮れた今になっても、昼間に焦がされた肌がじりじりと痛む気がする。温度調整のされた部屋ですらりと長い足を延ばしながらジェイドは目を伏せている。人間の姿を保っているとはいえ、夏の暑さには酷く堪える。
 
 夏になると山はより青さを増し、生命力に満ち満ちる。それに加えて彼、ジェイドの愛してやまないキノコがもっとも多く発生する季節でもある。まさに山を愛する彼にとって夏は意にかなう季節なのであるが、この肌を焦がす太陽だけがどうもいけない。そうっと天井を仰いで瞼を開くと、煌々と降る蛍光灯の明かりがまるでそれらしく見えて口角が下がる。
 
 ああでも、陽が落ちた今ならば夏を選んで生まれてきた植物を存分に愛でることができるだろうか。無論この時間に山を登るのは危険であるから、残念だが遠出するつもりはない。モストロ・ラウンジでの給仕の仕事で身体も軽微な疲労を訴えている。それでも、いいやそれならばむしろ中庭や植物園の愛らしい彼らを……。少しだけ癒しのために見つめていても許されるでしょう。
 
 ジェイドはそう思い立ち、スマートフォンを手にして時計を確認する。まだ深夜には満たない時刻。それでもこれからのひと時を共にしたいと願う人は、もう床についていてもおかしくない時間だ。我儘を言ってはいけませんね……。それほどまでに会いたいと願うのならば、明日どうにでもしてふたりきりになれる時間を作るまでだ。せめて声だけでも聴きたいという気持ちを押し込めて彼は眉根を下げた。
 
 
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 今宵は月が明るく、眠る草木を照らし出す夜であった。太陽のもとにあるよりは幾分か涼しげだからか、凍てつくように輪郭のくっきりとした月が夜空に浮び、それは満天の星を明るく照らし出している。この時刻、土を踏む足音は己のもののみである。メインストリートを脇に抜け、植物園への道を歩く。

 深閑とした植物園で麗しい植物を眺めるこれからの時間はきっと心満たされるものになるだろう。期待を膨らませて彼の足は軽やかに進む。その奥に一抹の物足りなさがあるような気がするが……。視線を現在地からやや北東、小高い丘のくたびれた館へ向けて瞼を僅かに震わせる。何を期待しても仕方の無いことでしょう。自らの心持ちに苦笑してしまう。そんな彼の耳に微かな音が飛び込んだ。
 
 カランコロン、カランコロン。聞きなれない音だ、とジェイドは思う。それはまるで地面と乾いた材木が擦り合わさったときに生まれる音に似ている。円状に設計された植物園の周囲からその音は発生している。ジェイドは利き手をマジカルペンへと伸ばす。
 
 この夜の闇にすべてが飲まれるような時間、何が跋扈していようがおかしくない時間だ。大した何かが出てくるとは考えにくいが、万が一に備えるのは当然のこと。それよりも、何が蠢いているのかがとにかく気になる。そう思って口元を未知に対する好奇心に歪めたジェイドは、木の間を縫って音を追いかける。
 
 林とも呼べない薄っぺらな樹木の並びを出て、月明かりが彼の顔を照らし出す。そこには小さな人影があり、整備されていない道をその音と共に影は歩いていた。ジェイドは言葉もなく、ただただ目を見張る。
 
 違う色をした彼の双眼には見知った後ろ姿を捉えている。間違いなくそれを彼女だと認識できている。しかしながら、彼女が身に纏うものや不思議な形の履物のためだろうか。彼女がいつも通りの彼女ではないような気がして、柄にもなく傍に駆け寄りたくなる衝動を得る。
 
 「監督生さん」
 
 言葉に感情を乗せないように落ち着けて彼女を呼んだ。面白いお召し物ですね、こんな夜更けに仮装大会でしょうか? そうやってジェイドは、彼は普段通りに言葉をかけるつもりだったのだ。振り返った彼女の透き通るような白い肌が、凍えるような月光に照らされるのを見るまでは。
 
 「ジェイド先輩、こんばんは」
 
 おそらく何も昼日中に会う彼女とは変わりないのだろう。声のトーン、抑揚なにも普段と違う部分はない。
 
 「こんなところで奇遇ですね」
 
 ただ何故だろうか。今の彼女がジェイドには一層儚げに、そしてたおやかに見えた。言葉に詰まったジェイドの台詞を奪った監督生は、ひらひらと長い鰭のような、上品な色味の袖を揺らして頬に手を当てた。ゆらゆら、彼女の袖が揺れる。
 
 「……ええ。それよりも監督生さん、見慣れない衣装をお召になっていますね」
 
 陸のファッションというものについては、陸に上がった時にフロイドやアズールと散々調べたものだ。折角ならば人間の衣類に関する基礎知識から好みのブランドの名前、そして現在の流行に至るまで。アズールの用意したあらゆるファッション知識の中から、必要なものは取り込んだつもりだ。
 
 「不思議な形をしていますね。陸に上がって暫く経ちますが、僕はこれまで見た事がない」
 
 しかしながら、彼女が身に纏うそれは名前すらも知らない。交差した襟と胴に巻きつけた華やかなベルトのようなものは太く、彼女のウエストを締め上げている。彼女が動く度に袖は打つように揺れて、それはまるで人魚の鰭のようにも見えた。衣装のせいか、普段でさえ愛おしいと思う彼女がいつにもまして観賞魚のように美しい。どことなく儚く、闇に攫われて自分の前から消えてしまいそうだと、ジェイドは思う。
 
 「これは浴衣と言って……。元の世界では夏になると着ていたんです。……なんとなく恋しくなってしまって」
 
 風が凪いだというのに白魚のような指先で彼女は髪を整える。サムさんの所にはなんでもありますね、と笑う彼女の眼差しには到底ジェイドには埋められない物悲しさが孕まれていた。
 
 彼女その姿は胸を痛まされるものだろうか。おそらく尾の生えた相棒にも内密に。彼が寝静まった夜、誰にも悟られないように生まれ故郷に思いを馳せて、彼女はその装束に袖を通したのだろう。奥ゆかしい彼女を想い、何とひたむきな感情を抱いているのかとジェイドは眉尻を下げる。だが同時にジェイドの胸の奥にチリと焼けたような痛みがさす。彼の瞳に月光のような冷たさが煌めいた。
 
 「……そうなのですね」
 
 誰にも、いつも隣にいる僕にでさえ、貴女はその姿を晒す気はなかったのですね。胸の中でブロットのように湧き出た気持ちを曝け出すことはなく、ジェイドは完璧な微笑みを口元に湛え、監督生から視線を逸らさない。
 
 「ではそろそろ戻ります。ジェイド先輩おやすみなさい」
 
 カラン、と彼女の木細工の靴が転がるような音を立てる。ジェイドは彼女の後ろ姿に大きく目を見開いた。何故だろう、考えるよりも早く彼は足を大きく踏みだし監督生の手を掴んで引き止める。
 
 このまま別れてしまうと彼女が永久に自分の前からいなくなってしまう、そんな根拠の無い不安が胸を過ったからか。彼女が驚いてジェイドを振り返る。言葉を紡ぐことができなかった彼の唇が泡にならない息を吐き出した。
 
 「寮まで送ります、監督生さん」
 
 目的も忘れてジェイドは、悟られない必死さで監督生を繋ぎ止める。手を離さないで、有無を言わさず握りこんで指を絡ませる。姿を消そう等と思っても、僕が貴方をこの世界から逃したりは致しませんよ。
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